野外総合訓練

 強烈な睡魔に襲われながらカーゴ(トラック)に揺られて二時間弱、ようやく辺りが明るさを取り戻した頃、いよいよ日和たち71期学生は決戦の地へと降り立った。


 陸上自衛隊むつみ演習場。萩市のとある山奥に造られた県内唯一の演習場である。他所のと比較するとやや小規模で、戦車等といった車両を用いての演習には向いていない。だが普通科部隊等、いわゆる歩兵による戦闘を想定するならば十分すぎる大きさであり、航学群は毎年この場所を借りて二泊三日での野外総合訓練を実施している。


 一言「むつみ」と告げればどの航学出身者も本訓練のことを思い浮かべることだろう。各種競技会や研修、伝統のように行われる非常呼集等、航学課程では数多くの行事が執り行われるわけだが、中でもこの野外総合訓練は特別な意味を持っている。この二年間で培ってきた気力体力に結束力、あらゆる力が試されることとなる本訓練は、言わば航学課程の集大成だ。そのあまりの過酷さから、この「むつみ訓練」を乗り越えてこそ一人前の航空学生であると捉えている者もいる。


 とはいえ何か特別なことをするのかと言うと、実は訓練内容自体は大したことはない。陣地構築から始まり、敵陣地攻撃や防御戦闘、警備、夜戦、野営、徒歩行進等々、今まで学んで来たことを繰り返すだけだ。辛いのはそれを訓練行程77時間、僅かな仮眠や食事の時間を除いてぶっ通しで続けるところである。既に疲労が溜まっている状態から訓練が開始され、学生たちは体力的にも精神的にも極限状態まで追い込まれることとなる。過去にはあまりの疲労に幻覚を見る者さえいたと言うのだから、ピクニック気分でいればまず無事には戻ってこれないだろう。


「お前らちんたらすんな! 降車したら分隊ごとに整列、報告しろ! その後すぐに装具点検をするからな!」


 荷台から降りる学生たちに大声で喝を入れる黒木3曹。よく見かける光景のようだが、彼もこの訓練にかなり気合いを入れて臨んでいるらしく、いつも以上に眼光が鋭く光っていた。


「ブラッキーめ、すっかり臨戦態勢だな」


「バカ、聞こえるよ」


 助教を横目に苦笑いする礼治を日和は小突く。


「余計なこと言って怒らせたら、これからなにされるか分からないんだから」


「噂だと陸自の訓練に参加して、色々教えて貰ったらしいぞ。確実に俺達のことを殺しにきてるな」


 このむつみ訓練では学生たちが攻撃と防御に別れて戦う他、区隊長や助教たち基幹隊員が学生の守る陣地に攻め込んでくるという戦闘も予定されている。つまり黒木は日和たちの教官であり、敵兵でもあるのだ。そんな彼がわざわざ地上戦闘のプロ集団である陸上自衛隊から専門技術を学んできたというのだから、全く笑えない話である。


「礼治はこの三日間で何回戦死すると思う?」


 何回死ぬか。よくよく考えれば変な質問だが、戦死といってもそれは「戦死の判定」がされただけで、実際に死ぬわけではない。なのでたとえ戦死したとしても生き返ることができ、何回でも訓練に戻ることができるのだ。


 だが礼治は迷うことなくこう答える。


「俺は一回も死ぬつもりはない」


「本当? 自信満々だね」


「死ぬつもりで戦うやつがあるか。現実だったら一回死んで終わりなんだぞ」


「いやまぁ、そうなんだけど」


 訓練なんだし、と言おうとして日和はその言葉を飲み込んだ。これは礼治のほうが正しい。訓練だからこそ、実戦と思ってやることに意味があるのだ。既に状況は開始されており、彼女たちは戦場へと足を踏み入れている。急にその現実味が増してきて、思わず日和は持っていた銃を強く握り締めた。


「だからさ日和、お前も死ぬなよ」


「うん」


 二人はコツンと互いの拳をぶつける。その様子はすぐ近くにいた別の助教にしっかりと見られており、間髪入れずに「遊んでんじゃねえ」と怒られた。訓練開始早々に目をつけられて、行く末が不安となる出だしではあるが、すぐに二人は気持ちを切り替える。大丈夫、絶対無事にこの訓練を乗り越えられる。そう自分に言い聞かせて。



 その後すぐに行われた装具点検はなんの問題もなく終わり、いよいよ学生たちはそれぞれ小隊毎に分かれて陣地の構築へと向かった。演習場…というと、なんとなくそこには戦う為の設備が既に用意されていて、サバイバルゲームのフィールドのようなものがあると想像しがちなのだが、実際にはだだっ広い草原が山の中にポツンと存在しているだけだ。これは野外戦闘において野戦築城は戦闘の勝敗を決める大事な要素であり、これの構築も重要な訓練の一部と考えられているからである。ただ闇雲に小銃用掩体を掘れば良いというものではなく、適切な位置の選定や火線の向き、周辺の植生等に合わせた偽装など、色々と頭を動かしながら工事してこそ有効な陣地は構築されるのだ。


 だがその築城に必要な道具が豊富にあるかというと、当然学生たちにそんな都合の良いものなど用意されてるわけがなく、与えられたのは円匙えんぴただ一本のみ。この僅かな武器を手に、夏の熱さが残る炎天下の中で日和たちはひたすら穴を掘り続けた。そこで戦い、そこで眠る穴。これから三日間、この穴こそが自分の家だ。手を抜いて適当な穴を掘れば後々苦労するのは自分なので、一生懸命に土を削る。


 すでに身体は泥と汗にまみれて非常に気持ちが悪い…が、じきにこの不快感も気にならなくなるのだろう。そこに抵抗を感じなくなっている自分に気付き、すっかり女を捨てているなと一人苦笑する。


「おーいみんな、手ぇ動かしながら聞いてくれー」


 作業開始から小一時間。掩体の深さもちょうどよくなりもうすぐ完成かと思われた時、分隊長である同期がやや気の抜けた調子で日和たちに声をかけた。この分隊長役は訓練期間中ずっと固定というわけではなく、あらかじめ区切られたフェーズ毎に交代される。今はまだ戦闘準備の時間で心身共にも余裕がある段階であることを考えると、このフェーズで分隊長を命ぜられた彼は運が良かったと言えるだろう。


「本部から補給品…飯だな。これの受領時間が示された。あと少ししたら何人かで取りに行ってもらいたいんだけど、もう掩体完成したって奴いる?」


「私、行けるわよ」


 即座に手を挙げたのは冬奈だった。


「というか、食事の受領くらい各個で行けばいいじゃない」


「それが、各分隊毎に訓練支援隊まで受領しに行くようになってるみたいでさ。支援隊って本部に随行してるだろ?」


 訓練の全般統制を司る本部は主戦場からやや離れた処に置かれており、食事の提供をしてくれる支援隊も同行している。わざわざそんな処にまで全員が補給品を貰いに行くのはあまり現実的ではなく、また状況は継続しているので持ち場を空にするわけにもいかない。


「そういうことなら私も行くよ。掩体も、あと偽装をすれば出来上がりだし」


「悪ぃ坂井、助かるわ。これで荷物持ち二人だとして、あともう一人くらいいた方がいいな…」


 彼は軽く周囲を見渡すが、生憎誰も手を挙げようとはしない。たぶん誰もが少しでも体力を温存しようとしているのだろう。情けない話だが、これも自分の身を守る為だ。誰も責めることはできない


「仕方ねぇな、俺が行くよ」


 そう言ってやや面倒そうに立ち上がったのは礼治だ。


「すまねぇな、沢村。お前らみたいな奴がいると分隊長としてはかなりやりやすいよ」


「ていうか、多分これから何回も飯を取りに行くことになるんだろうから、ちゃんと交代制にしといたほうがいいな。俺も日和たちも、次は行かねぇぞ」


「それもそうだ。今のうちに次回からの要員をアサインしとくよ」


「頼む」


 円匙を置き、掩体から出る礼治。額の汗を雑に拭い、軽く身体に付いた土を払う。


「都築、お前が指揮をとってくれ。荷物持ちは俺と日和でするから」


「ええ、分かったわ」


 指揮官を頼まれた冬奈は小銃を持ち、出発する準備を整える。たかが飯を取りに行くだけとはいえ、途中なにもないとも言い切れない。せめて一人くらいは武器を持ち、敵の襲撃に対応できるようにしておくべきだ。


 それから三人は分隊長から本部の位置を教えてもらうと、すぐに装備を整えて出発した。いくら演習場といえども道なき道を進んでいくわけではなく、車両通行用の小道はちゃんと整備されているので迷子になるなんてことはない。


 色々と警戒していた割に道中は平穏でなにも起こらず、むしろ糧食の受け渡しをしていた基幹隊員に「ちゃんと武器を持って行動しているあたり、状況に入れているな」と褒められる程であった。他の分隊には手ぶらで受領に来た者もいたらしく、彼等については「ここは戦場だぞ」と追い返されたらしい。


 支給された食事は缶飯のみ。今日の昼飯はしいたけ飯缶とウインナー缶。そして350mlのお茶缶が一つ。これから基地に帰るまでこんな食生活が続くわけだが、野菜を一切とらないので体調を崩してしまわないか心配だ。


「そういえば…」


 帰り道、ふと冬奈が口を開く。


「沢村学生って、以前から坂井学生のこと名前で呼んでいたかしら?」


「急にどうした?」


「いえ、なんとなく気になってたものだから」


 彼女はあまりこういう訓練の場で世間話をするようなタイプではない。ということはこの三人になるタイミングを以前から図っていたのだというくらいは礼治にも察しがついた。


「坂井学生はまぁ、人のことを名前で呼ぶイメージがあるけども。けど男性を名前で呼ぶのは珍しい気もするわ」


「そうかな? あまり意識したことないから分からないや」


 ということは無意識なのだろう。妙な部分で天然なんだなと礼治は半ば呆れつつ、なんとか上手くこの話題を流せるような言葉を探す。


「先に名前で始めたのはこいつだよ。それで俺もなんとなくで「日和」って呼びだしたら、いつの間にか定着したってだけだ」


「なんとなく?」


「そう、なんとなく」


「特別な意味などなくて?」


「やけに突っ込んでくるな。なにか気になることがあるなら言えよ。らしくない」


 いえ、と冬奈は目を逸らす。


「なら、いいのだけれど」


 どうだったら「良くない」のか。だが彼女が言わんとしていることは分かる。単刀直入に言うと「お前たち二人は付き合っているのか」と訊きたいわけだ。


 結論から言うと「違う」。だがそう思われても仕方ないくらい、日和との距離が近くなっているという自覚はある。これは彼女が意図せず近寄ってくるからというのもあるが、少なからず礼治自身が彼女を意識しているからというのもあった。


 いつからか、というのははっきりしない。そもそも惚れているのかどうかも分からない。そもそも彼女とは入隊当初から何度もぶつかっていて、なんでも首を突っ込んでくる面倒な奴だと鬱陶しく感じることはあった。だがその衝突のおかげで自分の性格は随分と丸くなり、同期とのコミュニケーションも円滑にとれるようになって、結果として航学生活を上手くやれている部分はある。


(こいつは…なにも感じちゃいないんだろうけど)


 隣を歩く日和をちらと見る。十数人分の飯缶が詰まったダンボールは重たそうで、普通の女の子なら弱音の一つでも吐きそうのところだが、彼女は平然として汗一つ流さない。そもそも手伝ってあげようにも、自分の手はおかず缶とお茶缶によってすでに塞がれていた。


 彼女は強さと自分の弱さを同時に感じ、礼治はグッと奥歯を噛み締めた。


「そのうち、貴方と話したいことがあるわ」


「うん?」


 ボソリと冬奈が呟くが、なんと言ったのか聞き取れなかった。その直後、彼女の足が止まり軽く拳を掲げる。止まれの合図だ。


「なにか聞こえた…」


「あ?」


 周辺に住居などなにもない演習場。聞こえてくるのは風の音や獣の声ばかりで、人工的な音がすればすぐに気付く。そう例えば、身体につけた装備品がぶつかる金属音とか…


「誰かっ!」


 突如草むらから飛び出してくる誰何すいか(彼我不明の者に対し問いただすこと)の声。この時すでに銃口は自分たちへと向けられており、下手な動きをすれば射殺されてしまうのだが、そこは自衛隊慣れしている冬奈である。


「5分隊、都築学生他2名!」


「あれっ?! 冬奈ちゃん?」


 冬奈が答えると、そのすぐ後に先程とは違う声が返ってきた。とても聞き慣れたその声は、そこにいるのが自分たちの敵ではないことを教えてくれる。


「その声は菊池学生ね? なんだ、お互い学生同士じゃないの」


 出てこいと呼びかけると、草むらの中から月音を含めた数人の学生が姿を表した。その中で小銃を持っているのは一人だけで、あとの学生は糧食等の荷物持ち。どうやら状況はこちらと変わらないようだった。突貫で偽装を施したのだろう、その辺りからむしってきた背の高い雑草が、身体のあちこちに雑に付けられている。


「お前らも飯の受領に行った帰りだったのか。てっきり基幹隊員たちが見回りでもしてるのかと思って、慌てて隠れたよ」


「まだ戦闘フェーズに入ったわけじゃないから、そこまで警戒する必要はないと思うわ。でもまぁ、用心に越したことはないわね」


 一時は高まった緊張がほぐれ、いつもの雑談が始まる。そちらの掩体は掘り終わったのか、これから誰が分隊の指揮をとるのか。他愛もない話だが、今後分隊間での連絡は殆どとれなくなってくるので、こういった情報共有は重要だ。


「日和ちゃんはどのフェーズで分隊長をやるの?」


「今日の夜戦からだよ」


「私とおんなじだ! 一緒に頑張ろうね!」


 日和と月音は別の分隊なので戦闘訓練中は基本的に敵同士なのだが、夜間戦闘だけは基幹隊員が敵役となり、それを学生全員が迎え撃つことになる。だが全員と言っても分隊ごとの陣地は離れているわけで、結局は連携などとらずに各個で戦う他ない。


「それにしても、月音が元気そうで良かった。もう疲れて音を上げてるんじゃないかって心配だったよ」


「まっさか! これくらいじゃへこたれないよ!」


 ニッと歯を見せて笑う月音。どんなに辛い訓練でも決して絶やすことのないこの笑顔に、どれだけ心を癒やされてきたのだろうか。だがそれを離れて見ていた礼治は、彼女になにかが欠けているかのような違和感を覚えた。


「見ててね! 私、頑張るから。絶対明日の朝まで生き残るからね!」


 別れ際にそう言い残し、彼女たちの分隊は自らの陣地へと戻っていった。ふと時計を確認すると10分近く話し込んでいたことに気付き、自分たちも早く帰ろうと冬奈は言う。今頃陣地構築で腹を空かせた仲間たちが飯の到着を待っていることだろう。


「それにしても菊池学生は…なんか妙な感じだったわね」


 こいつも気付いていたかと、礼治は冬奈の隣に並んだ。その数歩後ろを日和がついて歩く。二人の声を聞いているのかいないのか分からないくらいに。


「空元気ってやつかな。パッと見は確かにいつも通りのあいつなんだが、なんというか…無理矢理笑っているように俺は見えた」


「ああいう顔をする人を、新隊員課程の時に見たことがあるわ」


 冬奈の言う新隊員課程とは、自衛官候補生や曹候補生として入隊してきた隊員が最初に受ける教育のことだ。おおよそ3ヶ月という、航空学生課程と比べると非常に短い教育期間だが、ここでも戦闘訓練等といった厳しい訓練が実施される。


「急に折れるのよ、あのタイプは。本当は辛いはずなのに…本人もそれには気付いてないんでしょうけど、それでも平気そうに振る舞って、ある時急に電池が切れたみたいに動けなくなるの」


「動けなくなるっていうのは…」


「文字通りよ。私が見た子は、行進訓練の最中に突然歩けなくなったわ。直前まで元気そうにしていたから驚いたわよ」


「そいつ、その後どうなったんだ?」


「その子だけ訓練を中断して、それから数日したら辞めていったわ。別の班の子だったからあまり関わりもなくて、詳しい話は分からないのだけれど、同じ班の人たちも不思議がってたわ。あんなに優秀だったのにどうして…って」


 彼女の顔が悔しそうに歪む。おそらく、あまり関わりがなかったというのは嘘だろう。本当は自分にもなにかできたはずなのに、班が別だったからという理由をつけて無理矢理割り切ろうとしているのだ。


「菊池学生も同じパターンだと言うつもりはないわ。けど、最近の彼女を見ているとどうも嫌な予感がする。杞憂だといいけれど、手遅れになった時に後悔だけはしたくない」


 そう言って冬奈はちらと後ろを歩く日和に視線を向けた。周囲を警戒しながら歩き、こちらの話は聞いていないように見えた。


「坂井学生はなにか気付いているのかしら」


「さあな。あいつは勘が鋭い時と鈍感な時があるから」


「その上行動力はあるから、時々考えもなしに動いちゃうのよね」


 そこが良いのだけれど、と二人は口を揃える。周りの人間を振り回してでも、正しいと思ったことは迷わずに実行する活力。そんな彼女に、今まで何度救われてきたことだろうか。


 そしてその本人はというと、恐らく月音たちの陣地が構築されているであろう、丘の向こう側をジッと見つめていた。


 私って、本当の意味で強くなれているかな。


 いつか月音がこぼした、悲鳴とも言うべき言葉を思い出しながら。

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