先任期 秋

弾丸を込めろ

 東西にかけて1,500mの長さを持つ防府北基地の主要滑走路。戦闘機部隊等が置かれている基地の滑走路がどこも3,000m前後であるところを見ると、防府の飛行場はかなり規模の小さいものと言えるが、練習機を中心に運用するのであれば十分すぎる大きさだ。


 通常の運用であればこの滑走路一本あれば全て事足りるのだが、実は北基地には普段殆ど使われることのない滑走路がもう一本存在する。それが主要滑走路に対して直角に交わる、1,200m程の短い副滑走路だ。二つの滑走路が十字にクロスしている分基地の敷地は縦横に大きくなり、滑走路周辺には木も生えていない草原地区が広がっている。野ウサギの姿が確認されることもある程に自然豊かなこの地区は、他に人が立ち入らないことから外での訓練にはもってこいで、航空機の運用に支障がない範囲で航学群が野外戦闘訓練を行っていた。


 まだ残暑の厳しい中、のどかなエンジン音を鳴らしながら高く飛んでいくT−7。いつもなら思わず空を見上げてしまうところだがこの日はそんな余裕もなく、ゆらゆらと揺れる草原を月音はジッと睨みつけていた。ジリジリと鉄鉢が太陽に熱され、頬を汗が滴り落ちて行く。必死こいて掘った個人用掩体は身体をすっぽりと隠してくれるものの、非常に風通しが悪く地熱が籠もり、まるでサウナにでもいるかのような気分だった。


 風が吹き、草がカサカサと音をたてて揺れる。だがそれが本当に風によるものなのか、それとも小動物なのか、はたまた敵がそこにいる証拠なのか、あらゆる可能性を考えながらゆっくりと銃口を向けた。


「9時方向、なにか見えた!」


 突如、一つ隣の掩体から声があがった。同じように見張りについていた仲間が何かを見つけたようだ。


「なにか、じゃ分かんねぇだろ! 報告は見たまま、具体的にしろ!」


 間髪入れずに小幡1尉の怒声が響き、慌てふためく同期。するとその時を待っていたように草むらの中から敵役の助教が姿を現し、なんの躊躇もなく仲間に向けて小銃を向けた。


「動くなぁ!」


 ほぼ反射的に引き金を引く月音。ニ、三発、銃声が耳をつんざき、軽い反動で銃床が肩を叩く。空砲ではあるものの、まるで実弾を撃っているような感覚。今までの口で「バンッ!」と叫ぶだけの訓練とは比較にならないほどの迫力だ。撃たれた助教は大袈裟に悲鳴をあげながら倒れ、再び静寂が訪れる。それに反して治まらない心臓の鼓動。ツンと硝煙の香りが鼻についた。


「分隊長ぉ!」


 放心している場合ではない。月音はすぐに我に帰ると、警戒ポストからすぐ後ろに位置する本部に向かって叫んだ。


「彼我不明の人物1名に対し射撃を加えた!」


「了解。機動(機動警備分隊)を向かわせる。引き続き警戒監視を行え」


 了解、と月音は銃の安全装置を「ア」に切り替える。ついでに薬莢受けの中身を見て、撃った分の打殻薬莢うちがらやっきょうがちゃんと入っているかを確認した。たとえ撃ち終わった後の空薬莢であっても員数点検を行う自衛隊。無事に訓練を終えたとしても「薬莢を失くしました」なんてことになったらシャレにならない。


 射撃直後の薬莢はまだ熱を持っていて、革手越しでも分かるくらいに薬莢受けはほんのり温かくなっていた。なにも異常がないことにホッとしながらも、月音は再び目を凝らして監視を続ける。一応目の前の危機は去ったとは言え、他に敵が潜んでいないとも限らない。航学群の区隊長らは意地が悪いから、こういう気が弛みそうな瞬間を狙って攻撃を仕掛け、後で「気を抜いてるんじゃない!」と怒ってくるのだ。


 激しく跳ねる心臓を、呼吸を深くして落ち着ける。模擬だとはいえ、自分は今戦場にいるのだという緊張感。本物の戦争がどういうものなのかなんて想像もできない小童だが、そこには外の人達が経験できないような非日常が確かにあった。


「状況終了! 状況終了! 全員、速やかに異常の有無を分隊長に報告しろ」


 区隊長の合図と共に、月音と同じように守備についていた学生たちが草原の中からポコポコと顔を出した。その誰もが身体のあちこちに草を取り付け、顔はドーランをつけて真っ黒になっている。パイロット候補生とは到底思えない、泥臭い格好。だがこれも彼等が乗り越えていかねばならない訓練の一つだ。


「菊池さん、一緒に点検やりましょう」


「うん」


 月音のすぐ傍を守っていた春香が駆け寄ってくる。彼女も他の学生と同様に擬装を施し、パッと見てだと誰だか分からない。彼女の白くて綺麗な肌もすっかり隠れてしまっているが、本人は「日焼けしなくてすむ」と言って笑っていた。


「弾抜き安全点検!」


「1に安全、2に槓桿こうかん、3に弾倉!」


「安全良し、薬室良し、弾倉口良し!」


 一つ一つの動作を呼称しながら確実にこなしていく二人。今彼女たちが行っているのは「弾抜き安全点検」といって、安全かつ確実に戦闘態勢を解除する為の動作だ。ついさっきまで戦闘に使っていた小銃には、全弾を撃ち切らない限りは薬室に銃弾が込められた状態となっている。もちろん安全装置さえかけていれば発射されることはないはずなのだが、それでもちょっとした手違いで誤射というのは起こるもの。それを防ぐ為に、戦闘が終了した際にはこうして銃から残弾を抜く動作が必要となる。


「スライド閉鎖。安全装置「タ」。射線良し」


「ドライファイア!」


 引き金を引き、カチンと音を立てて撃鉄が落ちる。この銃の中に弾が残っていない状態での「空撃ち」までやって、初めて安全は確保される。なんとも面倒な手順だが、警備職のような野外戦闘のプロ集団でも流すことのない基本動作だ。ましてや月音たちはろくに戦いも知らない素人。安全管理を第一に考えなければどんな事故が起こるか分からない。


 なにも異常がないことを分隊長に告げると、少ししてから休憩の指示が出された。休憩…とは言うものの完全に気を抜くことはできず、銃等の装備品を手放すことは許されないのだが、少しでも身体を休めることができるのは有り難い。


 腰に下げた水筒の水を一口飲む。給水した時には冷たかったのに、この熱さですっかり常温に戻ってしまっていたが、それでも美味しく飲むことができた。


「なんだか菊池さん、最近すごく元気ですよね」


 一息ついて、溢すように春香が呟く。


「…そうかな、そう見える?」


「気合いが入ってるというか一生懸命というか、すごく頑張ってるなぁって見てて思いますよ。特にこの戦闘訓練が始まってからは、菊池さんが一番生き生きとしてますし。もしかしてこういうの、結構好きだったりします?」


「好きっていうか、なんだろうなぁ。みんなが頑張ってるから、私も頑張らなきゃって思ってるだけだよ。人より劣ってる分、何倍も頑張らないといけないからね」


 劣ってる、という単語に春香は違和感を覚える。やはり彼女はどこか様子がおかしい。元気であることは間違いないのだが、どうもそれが無理矢理作っただけの空元気に見えてしまって、そんな妙な調子がここ数週間ずっと続いている。


「菊池さんは今でも十分頑張ってますよ。みんなもきっとそう思ってます」


「そうなのかもしれないけど、それじゃ駄目なんだ。それだけじゃ、全然みんなには届かないんだ」


 訓練中とは打って変わった、悲壮感を含んだ声。軽く唇を噛み締めて、絞るように月音は続けた。


「みんな、航学ここに来てから凄く強くなったよね。どんな壁にぶつかっても、みんな自分の弱さを乗り越えてきた。私だけなんだ。私だけが、入隊した時となにも変わってない。いつも誰かの背中に隠れて、自分の力だけで成し遂げたものなんてなにもない。それだけでもいいのかもしれないけど、でもこのままだと私、一生みんなとは肩を並べられない気がするんだ」


 成程そういうわけかと、春香は彼女の横に並んで腰を下ろした。


 恐らく月音は、自分のために頑張るということができなくなってしまったのだろう。ただ楽しかったり、頑張りたいから頑張るんじゃだめなんだという自己否定。そんな降って湧いてきたかのような劣等感に彼女は取り憑かれている。


 そもそも彼女は今日まで、それほど深刻な葛藤を抱えていたわけではなく、むしろそれを自覚せずに抑圧していたから爆発したんじゃないかと春香は考える。別の言い方をするならば、それまでまるで問題として意識されていなかったものを…実際問題とならないのなら問題としなくてもいいのだけれど、ある時から「それ」を彼女が問題と思い込んでしまったのであると。裏を返せばそれまでの月音はそういう観念は希薄で、ただ真っ直ぐに自分が憧れたパイロットという夢を追うことができていたし、それを追うこと自体に充実していた。そして目の前の課題を頑張ること、そこで新たな経験をすること自体を楽しめていた。言わば結果やアイデンティティのための努力ではなく、「過程」そのものを楽しむための頑張りだ。


 それだけで良かったはずなのだ。むしろその方が人間としては普通で、非常に健全な自己肯定感とも言える。だが彼女の周りにいる仲間たちは、様々な壁や葛藤に苦しみながらもなんとかそれらを乗り越えていき、はっきりと目に見える形で成長を続けていたわけで、そういった経験を回避してきた…というよりは経験を積む機会があまりなかった月音とは対になるような存在だった。他の言葉で言うならば、特になにも問題もなく順調に自分の道を進む月音と、どこか欠点を抱え苦しみながらも、それと戦い乗り越えていく仲間たち、だろうか。


 だからこそ彼女は気付いてしまった。自分もなにか大きな壁を乗り越えるようなことを成し遂げなくてはいけない。強くならないといけない。そうでないと自分は、いつかみんなの隣に並ぶことが出来なくなってしまう、と。


 勿論、そんなことで春香たちと月音が関係を断つことなんて有り得ないわけで、他者からしてみればこれは月音の勘違いや錯覚にしか見えない。いわば取るに足らない問題なわけだ。しかしこれこそが、周囲の人間と比べて実に「幸福」な人生を送ってきた彼女にとって生まれて初めて抱く劣等感であり、立ち向かうべき壁だった。


「私は、菊池さんを待ちますよ」


 これは彼女にしかできない、彼女自身が解決すべき問題だ。周囲の人間ができることは限りなく少ない。それが分かっているからこそ、春香はこう返す。


「なんでも相談に乗りますし、いくらでも支えになります。菊池さんの納得いくまでやってみるのが一番だと思います。私だけじゃなく、他のみんなもきっと同じことを言うでしょう」


 だから、と春香は革手を外し、温もりが伝わるように月音の手を優しく触れた。


「約束して下さい。絶対に諦めたりはしないって。自分で自分の価値を下げないで、自分には無理だなんて決めつけないで。まだ気付いていないだけで、菊池さんはすごく大きな力を持ってるんですから」


 少し寄り道になるかもしれないけど、彼女には自分の道を進み続けて欲しい。ちょうど一年前のこの時期、自分も一度は諦めかけたから。誰かを傷付けることが、戦うことが怖くて、自分は自衛隊に向いてないと思い込んで、それでこの世界から逃げ出そうとした。そんな自分を踏みとどまらせてくれたのが、他でもない日和と月音だったことを春香は忘れていない。


「頑張るよ。私、もっと頑張る」


 まるで空回りするかのように月音はその言葉を繰り返す。今の彼女に、一体どれだけ自分の言葉が響いただろうか。少しでも彼女の心が軽くなれば良かったのだが、春香はその手応えをあまり感じることができない。


 小休止の終わりが告げられ、二人は武器をもって立ち上がった。戦闘訓練はまだまだ続く。先程のは拠点防御を目的とした戦闘だったので動きは少なかったが、この後に行われる攻撃訓練では匍匐前進や射撃等を繰り返さないといけない、非常にハードな内容となる。ここで気を抜いてはいられない。


「戦闘準備!」


「安全良し、薬室良し、弾倉口良し!」


「弾込め良し! 照星、照門良し!」


 カチャリカチャリと鳴る武骨な金属音。ものの一分も経たない間に、約4.3kgの鉄の塊は指一本で人を倒せる武器へと変わる。


 銃に弾を込めるように、人の心も簡単に変わることができたらいいのにと春香は思う。だが人は機械のように単純ではなく、部品を付け替えることも新たに加えることもできない。だからこそもがき苦しみ、それぞれが自分あった「弾丸」を見つけ出すのだ。


 月音にとっての、変わるきっかけとなる「弾丸」はなんだろう。本人ですらまだ見つけることのできないその答えが春香に分かるはずもなく、ただ目の前の訓練を頑張ることしかできない。


 頑張る…魔法にも呪いにもなる言葉。なんの為に、なにを頑張るのか。果たしてそれは正しく正解へと向かっているのか。多くの迷いを抱えたまま、少女たちは銃を手に走り出した。





 9月某日0400。まだ朝日は地平線の向こう側にあり、誰もが寝静まるこの時間。不気味な静寂に包まれた航空学生隊舎の前に、完全武装を施した学生隊の基幹隊員が集まっていた。すぐ近くの朝礼場には複数のバスやトラックが停められ、訓練支援の為に同行する郡本部の隊員たちが黙々と資材を搬入している。


「時間です」


 腕時計を睨みながら徹美が言うと、訓練指揮官である学生隊長は静かに頷いた。ここ連日、ずっと戦闘訓練が行われており、基幹隊員たちもかなり疲労が蓄積している。昨日も朝早くから夜遅くまで夜戦も含めた訓練が実施され、今なお状況は継続したままだ。数時間前に一次休息を許可された学生たちは、風呂に入ることもなく汗と泥に塗れた戦闘服のまま、それぞれの居室で短い眠りについているところだろう。


「思い出すな。訓練ってのは時代と共に変わっていくもんだが、こればっかりはなにも変わらん。嫌な思い出だよ」


 自分が学生だった頃を思い出し、苦笑いする学生隊長。それに同調するようにそれぞれの区隊長たちは頷く。


「もはや伝統行事ですよね。私もこれには泣かされました」


「ロックが? 想像できんなぁ」


「私も女ですので。それなりにか弱いんです。そういうアイスさんはどうだったんです?」


「他の奴らはともかく、俺は楽勝だったよ。仮眠もとらなかったな」


「…サイボーグかなにかですか」


「アイスには人の心ってものがないからなぁ」


 笑い合う区隊長たち。だがこうやって談笑できるのも今だけだ。これからおおよそ77時間、彼等は「状況の人」となる。学生たちの前では常に鬼の教官を演じる必要があり、笑うことも許されなければ雑談をすることもできない。その覚悟の表れか、一息置いて彼等の眼が一斉に鋭くなった。いよいよこの時が来たのである。


「始めよう」


 隊長の一言で、学生隊舎に非常呼集の放送が流れ出す。各居室は一斉に蜂の巣を突付いたような騒ぎとなり、数秒もすると完全武装の学生たちがそれぞれの居室を飛び出してきた。



 野外総合訓練。航空学生課程の中で最も辛いと呼ばれる訓練の始まりである。

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