第17話 僕と照の一件落着

 僕は未だに寝ることができなかった。

 原因はさっき聞いた母さんの話のせいだ。

 その言われたことが僕の頭でまとまることなくぐるぐると回っている。

 眠気なんて忘れて、僕はさっきのことを思い出す。


『照ちゃんはねえ、光のことが大好きなのよ』

「そうなのか?」

 今まで――高校に入るまで、僕と照は『家族であって家族じゃない』ような生活をしていた。別に仲が冷えきっていたというわけではない。むしろ仲はよかった方だろう。

 なんというか、接する機会が少なかったのだ。

 照はいつも部活やら勉強やら遊びやらで忙しくしていたし、僕も僕で遊んだりしていた。なのでもはやどちらがどちらとも『家にいる人』という認識になっていたと思う。『家族であって家族じゃない』というのはこういうことだ。

 だからこそ僕は母さんの言ったことが信じられなかった。だって、あっちは僕のことなんか気にしていなかったし。

 でも母さんは何をいまさらといった感じで話を続ける。

『本当よ。照ちゃんは光のことを大がいっぱいつくほど大好きなのよ』

「……なんか根拠でもあんの」

 母さんは電話の向こうで『うーん、これでも駄目かー』と考える素振りを見せてから、

『普通に見ててもわかるけどね。勘ってやつかしら。まあ強いて言うなら……』

 ふふっ、という笑い声とともに母さんは続けた。

『照ちゃん、光のことをよく私に言ってたのよ。「お兄ちゃんカッコいい!」とか「お兄ちゃん優しい大好き!」とか』

「そうなのか……」

『そうなのか!?』にならなかったのは僕が驚きや喜びの前にショックを受けたからだ。

 なんで放任主義で家にいないこともしばしばな母さんが知ってて僕が知らないんだ!

 思わず心で叫んでいると母さんはまあまあ、と付け足してきた。

『女の子には同性にしか話せないことだってあるのよ』

「ねえ、母さんって超能力者なの?」

『いきなり話が飛んだわね』

 これは心を完全に読まれたことに対するツッコミなのだが母さんには通じなかったらしい。何言ってるのと怪訝な声で言われた。

「……もういいや。続けて」

『なんなのかしらこの失望された感じは……。ともかく、照ちゃんに好かれてることはわかったでしょ?』

「ああ、うん」

 そう、ここまではただの前座。おさらいというか確認といった感じの段階だ。ここからが重要なのだ。

『だから照ちゃんが暴走してるかと思ってたの』

「どんな感じに?」

『うーんとね、お兄ちゃん好き好きーみたいなオーラ全開で、ピッタリくっついて、デレデレしてる感じかしら』

「……」

 本当に母さんは超能力者じゃなかろうか。まさに今僕が置かれている状況の説明の模範解答にできるくらいだ。

「ど、どうしてそう思ったの?」

 とりあえず超能力じゃなくて論理的に考えたのだと考えてつっかえつっかえにも訊ねる。

『まあだいたいはビビッて来たんだけど』

 おっと、まさかの本物だったか。そんな風にたまげていると母さんはそのまま話す。

『ほら、照ちゃん、今まで全然光と遊んだりできてなかったじゃない?』

 どうやら勘と一緒に根拠もあるようだ。あー焦った焦った。

『そのツケが今に回ってるんじゃないかってね』

「ツケ?」

『これはたぶんなんだけど』

 そう前置きして母さんは自分の見解を披露した。

『きっと、前から光とはベタベタでいたかったんだと思うの。でもほら、あの子要領いいから。私たち親の前で――特にお父さんね、とか、友達の前で、とか状況から判断しちゃってしたくてもできなかったんだと思うの』

 ただ興味がないから今まで関わってこなかったという僕の考えたとは逆の考えだった。興味はあったけどできなかった。だから溜まっていた、という考え。

 僕はいつのまにか母さんの話に聞き入っていた。

『小さい頃からずっとそんな感じだった。だから照ちゃんは溜まっていたと思うのよね。ヘイト、は意味が違うから……ラブがね。でも今だったら家に二人きりだし、それはチャンスでしょ。だからそう思ったの』

「ふーん……」

 でももう今となっては学校でもすごいことになってるよ母さん。そのセリフは呑み込んだ。

『だからもし照ちゃんが暴走したら光、あなたが頑張らなきゃ駄目よ。今まで光は努力もしなければサボりもしない、どっちつかずな性格だったけどお願い、今回だけは頑張って欲しいの』

 どっちつかずな性格って子供に堂々と言えるあたりやはり母さんだな。

「でも、頑張るって?」

 何をどう頑張ればいいんだろう。今の照になった原因はわかった。でもこれを解消するには何かをしなければいけない。そんな何かを母さんは持っているようだった。

 でもそんなに話はトントン上手くいかないものだ。

『そりゃあねえ。光が自分で考えるに決まってるじゃない。少しはお兄ちゃんらしいところ見せたれよ』

 まさかのここまで来て答えを教えてくれない案件が発生した。母さんはこういうからかい方というかはぐらかし方をするから嫌なんだ。

「はあ……」

 照がなぜあんなキャラになったのかは理解した。でも解決策は全く見えてこない。ほぼ無理ゲーなこの状況、どうしてくれるんだと言いかけたところでまた母さんが先読みしてくる。

『まあ、これじゃあ可哀想よね。だから光には特別にヒントをあげまーす』

「そういうことは初めに言ってくれ」

『あ、そんなこと言うなら教えてあげませーん』

「それはご勘弁!」

 必死に謝罪すると母さんは冗談よ、ふふ、とイタズラが成功した子供のように笑うと懇切丁寧にヒントを出してくれた。


『照ちゃんは光の何になりたいかを考えてあげて』


「うん?」

『意味は自分で考えてねー。だってヒントだし』

「あ、はい」

『じゃあもうそろそろ切るわね。……ってお父さん起きてたの。今電話を――ってお父さん朝っぱらからこんなことをキャッ――!』

 楽しそうな悲鳴が聞こえたところで電話は切れた。どうやら僕の両親は想像以上にイチャラブハネムーンを過ごしているらしい。

 はあ、やっぱり帰ってこなくていいかも。近くにこんなバカップルがいたら鬱陶しい。


 ――というわけで、僕は今さっき言われたヒントとともに物思いにふけっているというわけだ。

 照は僕の何になりたいか、か。

 そんなこと考えたこともなかったな。だって照はただ僕の出来が良すぎる妹なわけで。

 さっき言われた大好きも、どうせ兄妹としての好きだろうし。

 だからつまるところ照は――ん!?

 そこで僕は前に照に言われたことを思い出していた。

 まさか……照がなりたいのは……。


 *


「……ハッ!?」

 うつ伏せの状態からバッと顔を上げるとチュンチュンとスズメのなく声が聞こえた。いつのまにか寝てしまっていたらしい。

 カーテンを開けるとまだあまり明るくなかった。どうやら中途半端な眠りをしてしまったらしい。

 どれ、二度寝でもしようかとウトウトしながら考えていると下のキッチンのあたりからジュージュー何か焼く音が聞こえた。

「ん……」

 きっと照が朝ごはんを作っている音だろう。昨日思いついたこともある。早めに会っておいて損はないだろう。

 階段を降りると、読み通り照が料理中だった。

「あ、お兄ちゃんおはよー……」

 照も眠そうだ。まだ完全には覚醒していないのだろう。昨日のデレデレキャラもまだない。

「うんおはよう」

 僕もまだまだ眠かったのでそのまま洗面所へ直行した。冷たい水で顔を洗う。これで心も体もスッキリだ。

 よし、今こそ照に言うべきだ。

 キッチンに戻りながら僕は切り出す。

「あのさ、照――」

「お兄ちゃん、今日は外に出るからね」

 だけど言う前に遮るように言われた。

「外ってどこに?」

 照は寝ぼけまなこでフライパンを振り、それでもこれだけはハッキリしているというように言った。

「せっかく今日は快晴の予報なんだからピクニックにでも」


 料理が終わって朝食の席になると照はいつも通りに戻った。いや、いつも通りではないか。デレデレキャラに、だ。

「今日はお出かけだね」

 ふんふんふーん、と陽気に鼻歌を歌いながらワクワクした面持ちで照はぴょんぴょん跳ねている。……かなりカオスだなこれ。

 とにかく、一刻も早く昨日考えたことを言わないと。

「あのさ、照――」

「あのね、お兄ちゃん」

 かぶせるように、というかほぼ同時に僕たちはしゃべった。

 どうぞ、と照にレディーファーストの精神で譲るとなぜか恥ずかしそうに顔を赤くしてキョロキョロと視線をさまよわせた。

「あ、あのね、すごい言いにくいんだけど……」

「ん?」

 なんだろうこの雰囲気。まるで告白の手前みたいだ。……って。何考えてるんだ僕は。仮にも、というか事実として照は妹だぞ。そんなことがあるわけないだろ。

「えっと……その……」

 気を紛らわすように指をチョンチョンしながらチラチラとこちらを窺ってくる。な、なんなんだ本当に。

「あ……」

「あ?」

 なかなか切り出しそうにないので僕はお茶を口に含む。気長に待つとしよう。

「……………………………………赤ちゃんができたの」

「ブフッ!?」

 いきなり飛び出してきた爆弾発言に僕は噴き出してしまった。お茶なんて飲むんじゃなかった。

「な、なな、なんななな、なんだって!?」

 噴き出した影響で鼻が変な感じだけど関係ない。もっと重要なことが目の前にある。僕は動揺して慌てふためきながらもどうにか訊ねた。

「実は……お兄ちゃんとのあいだに新しい命が」

「ま、まままま、待て。僕は決してそういうことはしてないぞ!」

「そういうことって?」

「それはつまりあれだよ」

「あれじゃわかんないよ」

 い、いきなり何言い出すんだこの妹は!?

 そして赤ちゃんができたとか言ってこのとぼけ方はないだろ!

 と、矛盾点とそれは不可能だと言うことに気づくとだんだんと落ち着きも戻ってきた。

「お、お前、それ嘘だろ」

「うん嘘だよ」

 ほらみろ。ニッコリ満足そうに笑ってやがる。

「ははは、お兄ちゃんの動揺の仕方すごすぎだよ」

 その笑いはいつしか爆笑になって腹を抱えて笑われた。いや、あの恥ずかしがる顔はマジだったって。誰が聞いても信じたって。

 まあホッとしたのは事実だけど。

 照は一通り笑い終えたあともニヤニヤして僕に言った。

「今年一番面白かったよ。さて、もうそろそろ準備して外行こ」

 そこで照は急に真面目な顔になって、

「お兄ちゃんが話そうとしてたことは今日のクライマックスでね」

 どうやら何もかもが照には筒抜けらしい。ひょっとすると亘理よりすごいと思う。

 とにかく、全て照の掌の上というわけか。

 はは、一生勝てる気がしないや。


 *


「じゃあしゅっぱーつ!」

 そんな陽気な声とともに向かったのは結構遠い場所だった。

 まず最寄りの駅まで一直線。そこから電車に乗って揺られること約三十分。ゴールデンウィークもあって人はかなり多かった。揺られるではなくギュウギュウの中、照は僕の手を強く握っていた。まあ昨日からのキャラからすると普通か。

 目的の駅で降りるとそこからまた歩いた。

 目的地がどこか未だにわかっていない僕は照の手を引くままについていった。ああ、こんなとこ目撃されたら笑い者だな。亘理あたりに見られたらかなり面倒だぞ。というか外出時に知り合いに会う確率高いし。

 そう思っていたけど遠くということもあるのか全く知り合いとは会わなかった。それどころか進むにつれ人通りも少なくなってきた。もしかして照はそこまで考えているのだろうか。

 もうしばらく歩くと大きな公園に到着した。桜の木がところどころに植えてあって、地面は芝生のそよ風吹く気持ちのいいところだった。

「来たかったのはここか。なんだか時期が違う気もするけど」

 そう、今は四月をまたいで五月だ。桜の花はとうに散り、今は青々とした葉桜並木となっている。

「いいの。私葉桜の方が好きなの。ほら、桜ってピンクピンクしくてたまらないでしょ」

 珍しい感性ですこと。でもたしかにこっちの方が目にいい感じはする。

「……まあいいか」

 ずっと家にいて息に詰まるよりかはマシだろう。

 僕たちは木陰まで移動してレジャーシートを敷き、そこに寝転がった。

 木漏れ日と健康的な緑が目に優しい。五月になって暑くなってきたところだけど木陰だからそよ風がとても気持ちいい。

「はぁー……」

 僕たちはしばらくこの気持ちよさを堪能することにした。

 なーにか忘れてる気がするけどいつか思い出すだろう。今だけは大自然の中で寝たい気分だ。

 僕は目を瞑るとたちまち眠りに落ちていった。


 空を飛んでいる夢だった。

 きっととめどなく吹いているそよ風からこのイメージが反映されているのだろう。

 開放感溢れる夢だ。

 夢なら大いに楽しもうじゃないか。僕は気ままに空を飛んだ。

 いつのまにか僕の家にたどり着いていた。

「あ、お兄ちゃんおかえり」

 家にはもう照がいた。出かけてるはずなのに……まあ夢だからあたりまえか。

「ん」

 ふと思い立って僕は自分の部屋に移動することにした。

 部屋の中は僕が記憶しているのと同じレイアウト。この家は僕の記憶が反映されているらしい。やけにリアルだ。

 そして部屋に入ると机にあったスマホから音声が流れる。ホラーっぽかったが声が母さんだったので全然怖くない。

『照ちゃんは光の何になりたいかを考えてあげて』

 それがずっとリピートしていた。

 そこで僕は心地良さで忘れていたことをやっと思い出した。

「あ、照と話すことがあるんだった」

 今後に関わる大事な話が。

 僕は照のいたリビングに戻る。

「なあ照、あのさ」

「んー?」

「実は話すことがあるんだ」

「なにー?」

 ここでまたハッとなる。馬鹿じゃないのか僕は。ここは夢の中だっての。

「いや、なんでもない」

 そういって僕は外に出た。

 妹と話をするために。


「んあ……」

 目を覚まして起き上がると照も寝ていた。時間はもう昼前をさしている。かなりの時間寝ていたようだ。

「んー……」

 僕が話すことのイメージトレーニングをしているとタイミング良く照も起きた。

「あ、寝ちゃってた……」

 照がそういってまぶたを擦っているとグゥ、と腹がなった。

「もうそろそろお昼か。作ってきたから食べよ」

「そうだな」

 というわけでひとまず腹ごしらえをすることに。朝から話すのが先送りになってるなあ。


 照が作ってきたのは美味しそうなサンドイッチだった。

 見た目通り美味しいサンドイッチをつまみながら、ついに僕は話を始めた。

「なあ、照が昨日から変わったのって――いや、高校からいきなりキャラチェンしたのってさ」

「……うん」

 僕が話すことがだいたいわかっているのか照は先を促した。

「僕と照の関係を変えたいって言ってただろ。その意味がやっとわかった気がしたんだ」

 そうだ、遊園地のあの時、照は僕が照のことを軽く嫉妬したりしているのを変えたいから、と言っていた。

 そして照が言いたかったのはその嫉妬をなくすことだけじゃなかったんだ。

「答え合わせだね。言ってみてよ」

 穏やかな笑みを浮かべ、照は耳を澄ませていた。

 僕もそれに答えるように母さんからもらったヒント、照の今までの行動から考えた結論を口にした。


「照はさ、僕にしっかり『普通の妹』として接して欲しかったんだろ?」


 それを聞いた照は満足そうに微笑んだ。

「正解。……まあ随分気づくのが遅かったけど。そこは減点ね」

「いやあ、照も照だろ。わかりにくいって。昨日とか特に勘違いするから」

 照と僕が交互におどけるように言うと、二人揃って笑った。

 そう、照が求めていたのはこういうことだったのだ。

 僕は今まで照のことを出来のいい妹、だとか人間離れした才能の人、だとか若干兄妹として照を見ていない節があった。

 そして照はその見方が嫌だったのだ。だからこうして変な一面を見せることによって普通に兄妹として見てもらおうとしていたのだ。

「まあ、そっちでもよかったんだけどね。どちらかになってくれただけいいとしますか」

 照はブツブツと何やら言っていた。なんのことかわからないがきっと満足のいく結果だったのだろう。

「とにかく、これからは照のことなんの偏見もなく妹として見るから」

「うん、よろしい」

 照は図々しく腕を組み偉そうに言った。表情が嬉しそうなのは見間違いではないだろう。

「じゃあもう仮面をかぶる必要はないかな」

「それって前みたいな優等生に戻るってことか?」

「そう。お兄ちゃんのために今までやってきたんだから」

 不思議ちゃんキャラがなくなっていつもまともな優等生照が戻ってくる。それは僕にとってとてもいいことだ。だって振り回される心配がなくなるのだから――

「それは続けてくれよ」

「え?」

 でも僕は自然と口が動いて否定していた。

「それのおかげで僕は高校が始まってから大変だったけどさ、それと同時に楽しかったんだ。色んな性格のみんなと一緒にいるのがさ」

 そうだ。たしかに疲れるし、実際に倒れたこともある。でも振り返ってみると総じて何もかもが『楽しかった思い出』なのだ。

「……ふーん。まさかお兄ちゃんからそんな言葉が聞けるとはねえ。今日は予想以上の成果だね」

「別にいいだろ。本当にそう思ったんだから」

「うん、いいよ。続けてあげるよ。また倒れないように気をつけてね」

 照はそういってニッコリと笑った。

 今まで照と接してきたなかで一番生き生きとした綺麗な笑顔だった。

「任せろ。どこまでも平凡な僕が頑張ってやるよ」

 それにつられて僕もニッコリと笑った。


 これで一通り僕の抱えた問題が解決したわけなんだけど、ゴールデンウィークはまだまだ日にちが残っている。

 そんな時、美術部のメンバーから遊びに誘われた。

 返事はもちろんオーケーだ。

 照のこともここ一ヶ月でいくらか知ることができた。

 きっとこれから嬉しいこと悲しいこと疲れること楽しいこと色々あると思う。

 でもめげずに僕は日々を過ごしていきたいと思った。


 高校生活はまだ始まったばかりだ。


 始まりの春〜完〜

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