第16話 妹が壊れたリターンズ

 言い忘れていたけど、実は今日から一週間ゴールデンウィークだ。

 そして実は昨日は祝日なんだけど、うちの学校は珍しく最初の一日を登校日にすることでそこから連続の休みにするという特殊な体制を取っている。

 だから今日はおちおち休もうと思っていたんだけど、どうやらそうは行かなさそうだ。

 別に部活のみんなと集まるとかではない。

 もっと身近なあいつだ。

 ほら、今僕の部屋に侵入して僕の上に馬乗りになっているこいつ。

「どうしたんだよ照?」

 僕はとりあえず聞いてみた。なんか思いなと起きて見た途端のこれだ。何も整理できていない。

「いやー、休みを満喫しようと」

 僕は時間を見た。まだ七時になろうかというところだ。

「こんな朝早く?」

「もう早いとは言わないでしょ」

 言われてみればそうか。まあ平日時間に照らし合わせたら、だけど。休日なら八時九時でやっと朝と言えるだろう。

「……で、なんで照は僕の上に乗っているんだ」

 つまるところ今一番聞きたかったのはこれだった。たまに部屋に入ってきて起こしてくれるなんてことはあったが、馬乗りになってくるのはごく稀、というかないに等しい。

 何か嫌な予感がする。昨日感じた何か起こりそうな不穏な感じも相まってその印象はいっそう強まる。

「えー?それ聞くー?」

 実際照の口調や仕草、雰囲気も僕と二人の時になるまとも照とは違っていた。

「お寝坊さんのお兄ちゃんを起こすため、だよ☆」

 言いながら照は馬乗りの状態からこちらへ倒れてくる。抱き合うように絡まってけしからん状態になった。

「ど、どうした!?」

 さすがに戦慄を感じずにはいられない。これは不思議ちゃん照でもないぞ。こんなにスキンシップが激しいのはあの照が壊れた初日以来か。

「お兄ちゃん……」

「!?」

 今度は唇に唇を重ねてきた。ああ、そういえば初日もこんなことになってたな。

「やめろって!」

 とにかく親類でこれはまずい。僕は照の肩を押しのけてその状態から脱却する。

「うわお」

 怯んだ隙にベッドから脱出、照と距離を取った。

「本当にどうしたんだよ照」

 照がなんの考えもなしにこんなことをするわけがない。何か理由があるはずだ。そう思って聞いたのだが照の表情は先ほどと変わらない。

「別に、可愛い妹がカッコいいお兄ちゃんと戯れてるだけ」

「いつもやってないだろそんなこと!」

「いつもやってほしいの?」

「そういうことじゃない!」

 本当にどうしたんだ照。お前はそんなうっとり恍惚な顔をするやつじゃなかっただろう。

「と、とにかく朝ごはん食べてくる」

「いってらっしゃーい♪」

 僕は逃げるように部屋から出た。まずは時間稼ぎをしなければ。

 どうやら照は二回目のキャラ改変したらしい。

 いや、言い方を変えよう。


 また、妹が壊れた。


 *


 まずい。

 朝ごはんを食べている時もずっとそれだけが頭をぐるぐるまわっていた。

 あの調子からして今日は一日中あれだろう。

 そして今日学校はないので緊急脱出もできない。しかも美術部の人たちとも遊ぶ予定は立てていない。

 つまり僕は今日一日中照に付き合わされることになるということだ。

「どうすれば……」

 照のあのキャラ――仮にデレデレキャラと呼ぶことにしよう、あれはきっと故意的にやっているものだ。そりゃそうだろうけど。

 あの照が意味もなくこんなことをするわけがない。何か裏が、必ずあるはずだ。

 それにしても……。

「なんであんなキャラになる必要があるんだ?」

 別に僕と二人なんだからこんなことはしなくてもいいのに。本当にどういうつもりなんだろう。

「まあひとまず一番に考えるべきことは」

 どう考えてもこれからの対応だろう。

 今の照に何を言ってもおそらく曲げないだろうから。

 デレデレキャラにどう対応したものか。

 不思議ちゃん、人見知り、性格悪、など色んなやつらに適応してきた僕だけど今回のこれは全くビジョンが浮かんでこない。まあ今までは変な対応に常識性富んだ(?)僕がさりげなくツッコミを入れるだけでよかったんだけど。

 あからさまに迷惑をかけてくるでもなし、というか男子高生にとってお得なことをしてくる照にはどうしてやればいいのだろう。

 思いっきり拒否反応をするか、受け入れるか、それとも……?

「あーわかんない」

 僕は頭を抱えた。駄目だ、全然考えがまとまらない。

 平凡な僕がやるべき一番のことは……。

「中途半端にやる、か?」

 拒否するでもなく包容するでもない。どっちつかずな対応がこれから先の兄妹関係とか倫理的には一番いいように思える。

 よし、だいたいの方針は決まった。

 となると次に考えるべきことは。

「なぜ、の部分だよな……」

 なぜ、照は急にこうなったのか。理由はなんなのか、だ。

 少し考えてみるが全く何も思いつかない。

 そして時間もごはんを食べているにしては長くなっていることに気づいた。とりあえず戻った方がいいだろう。朝ごはんはとっくに片付いていた。

「ひとまず保留か……」

 モヤモヤとしている頭をどうにか切り替えながら僕は自分の部屋へ向かった。


 まだ、一日は始まったばかりだ。


 *


「あ、お兄ちゃん遅かったじゃんー」

 部屋には相変わらず照が居座っていた。僕のベッドでゴロゴロ転がっている。

「……なんで自分の部屋に戻らないんだ?」

「だってつまんないもん」

「どっちも同じようなもんだろ」

「こっちにはお兄ちゃんがいるじゃん」

 くう、こうやってサラッと胸が高鳴ることを言うからタチが悪い。

 気を紛らわそうと寝転がっている照を見る。

 こうやって改めて見る照はスタイルもいいしルックスだって悪くはない。というかむしろいいほどだ。華奢だけどそれでいてしっかり芯が通っているというか、そんな印象だ。

 ふと、僕と本当に兄妹なのか考えてしまうほどだ。

 なんで兄妹なのにこんな差が出てしまうのだろう。

 ――おっと。これ以上考えるとキリがないぞ。

 そんなことを考えてクールダウンしたことで冷静な頭が戻ってくる。

「で、結局なにをしに来たんだ」

「お兄ちゃんと一緒になるため」

「それ以外では」

「ギュッとしてもらうためとイチャイチャするため」

 駄目だこいつ。頭の中がお花畑にでもなってしまったようだ。どうせ演技なんだろうけど。

「だからさ」

 照がベッドから起き上がり、思いっきり僕を引っ張った。いきなり力をかけられた僕は為す術もなくそのまま引っ張られる。勢い余った照はまたベッドに背中からダイブして、僕はそこに覆いかぶさるように四つん這いになった。

「……」

「いいんだよ?」

「……」

 何かムラッと来なかったと言えば嘘になる。実際理性が吹っ飛びそうになったし体も熱かった。それは人並みのものだ。

「よっこいせっと」

 だけど僕はこのメシウマな状況の中、何もしなかった。四つん這いから起き上がり、ベッドから降りる。

 それは、またしても人並みな感情。いやまずいだろ、という冷静な常識な見方からだった。

「……お兄ちゃん?」

 守りたくなるような声で照が聞いてくる。駄目だ、振り向いたらやばいことになりそうだ。

 僕は照とは反対方向を見て言った。

「……ゲームでもやるか」

「はい?」

 やっぱ唐突すぎたか。今のさっきでいきなりこう言われたら誰もがこんな反応するに決まっている。

「だからさ、最近二人で休日過ごす日あんまりなかっただろ?たまには照とも遊ぼうと思ってさ」

 もっとも、今の状況から脱却するための時間稼ぎ兼話題逸らしなのだが。

 照はそれを聞くなりキョトンとした顔をした。やはり唐突すぎて理解が追いついていないのだろうか?

 と思っていたら表情がパアッと明るくなった。

「いいよ!」

 ふう、なんとかなったようだ。

 まあ、そうは言っても問題は山積みなんだけどさ。


 *


 ゲームはやはり何をやっても照が勝った。

 なんだか負けるたび屈辱感が増していくので協力プレイのゲームをすることにした。

「なんか新鮮だなあ。あ、お兄ちゃんそこ早く出て」

「よっと。何が?」

「改めて考えてみるとこうしてしっかりお兄ちゃんと遊んだの初めてな気がして」

「え、小さい頃なんてよく遊んでたじゃん」

「……そういうことじゃないんだよなあ」

 ぷー、と照が膨れた。そんな姿を見て僕はホッとしていた。いや、ぷんすかさせるのが趣味というわけではない。さっきまでのデレデレキャラが影を潜め普通な照に戻っていたからだ。

 はあ。このまま時が進めばなんの問題もなく一日が終えられるんだけど――

「よっこいしょ」

「照、画面が見えないよ」

 そう上手くは行ってくれないようだ。照は座っている僕の上にどかりと座り込んできた。

「本当に画面見えないから。普通に並んで座って」

 とか言ってるあいだに僕の操作しているキャラがボフンとやられてしまった。

「ちぇ、やっぱ駄目かあ」

 そんな僕の様を見て照は大人しく横に並んで座った。そして異様に距離が近い。というか触れ合っている。

「なんなんだよ……」

「にへへ……」

 変態みたいな笑い方をしながら照は僕の肩にしだれかかってくる。

 なんだろこの状況は。まあ仲のいい兄妹だからで説明できる許容範囲内ではある……はず。

 どうやら今日はとことんデレデレキャラでいるつもりのようだ。照の甘えを全て捌かなくてはいけない僕の気持ちも察してくれよ。

「ほら早く助けてくれ」

 僕の操るキャラクターはシャボン玉の中に入って『ヘルプミー!』と叫んで画面内を漂っていた。僕が復活するには他のプレイヤーがこのシャボン玉を割らなければいけない。

「あ、そうだ」

 はい、嫌な予感しかしません。

「お兄ちゃんギュッてして」

 そういって照はコントローラーを置いて両手を広げてきた。

「な、なんでだよ」

「助けてあげる見返り」

 なんだよそのカップルがやるようなイチャイチャイベントは。

「そんなことしてたら照もやられるぞ」

「……もう、意気地無しだなあ」

 照はまたぷくーと膨れてコントローラーを手にする。流れるような手つきで僕のキャラクターを救助してくれた。

「サンキュ」

「あとで、だからね」

「はいはい、あとであとで」


 この時、僕はまだ自分が発言した言葉がまさか実現してしまうとは思いもよらなかった。


 *


 ゲームというのは時間を忘れさせてくれる。

 夢中になっているうちに時刻はもう夕方を過ぎていた。

「……もうそろそろごはんとか作らなきゃな」

 夕焼けのオレンジから徐々に薄暗くなっていく外を見ながら僕は呟いた。

「……だね」

 そんな呟きを聞いた照も外を見てハッとなったように言った。

「今日は僕一人で作るから照は休んでて」

「……うん」

 不満そうながらも僕の真剣な眼差しが通じたのか了承してくれた。自分の部屋に行くのか、リビングから出ていくのを見た。

「さてと。じゃあ作るか」

 とはいっても大それたものを作るわけではない。ありきたりなよくある晩ごはんを普通に作るだけだ。

 それに、今日一人でと言ったのは一人になりたかったからという意味合いが強い。

 理由は言わずもがな。

 そんなわけで僕は冷蔵庫から食材を取り出し切って炒め煮込んだ。

 今日作ったのはごはんに味噌汁、野菜と肉の炒め物といういたってシンプルなものだ。

 できた料理を器によそったあたりで浴室からドアが開く音が聞こえてきた。どうやら先に風呂に入ってきたようだ。

 そのまま足音がダイニングまで来てドアが開く。

「ちょうど良かった照、今できたところ――だ?」

 最後が疑問形になってしまったのは目の前の光景に唖然としてしまったからだ。

「お兄ちゃん……」

 現れた照は何も着ていなかった。

「早く服を着ろ!」

 というかまだ全然濡れている気がする。本当にタオルで拭いたのかこいつは?

「ぎゅー」

 そんなことを思っていると不意に照が僕に抱きついてきた。

「や、やめろ濡れる!」

「だってさっき約束したじゃーん」

 まさかさっきのあとで、が今だっていうのか。よりにもよってすごい濡れている今。

「……とりあえず体を拭け。そして服を着ろ」

 僕は衣服が濡れた気持ち悪さから真顔になって言った。

「……はーい」

 つまんないの、といいたそうな顔で照は引き返した。

 やれやれ、僕も先に風呂に入らなきゃいけなくなってしまった。

 さすがに裸で登場してくるとは思わなかった。というか普通タオルとか巻いてくるだろ。

 心の中で悪態をついているとふと思うことがあった。

 ……そういえばなんで押し倒された時はドキリとして今は何も感じなかったんだろう?

 ま、シチュエーションか。妹の裸を見たところで何も始まらないもんな。ドラマじゃあるまいし。


 照が改めて体を拭き服を着て出てきたあと、僕も続いて風呂に入った。

「はぁー……」

 疲れが溜まっていた僕は大きく息をつく。

 今までの疲れもそうだけど、今日の疲れも半分くらいを占めている。

 まあこれで一日は終了したようなものだろう。少し早いけど今日も一日お疲れ様、僕。

 いやーそれにしても今日の照は変の一字につく。

 どうしていきなりあんなキャラになったのだろう。結局、ここまで来ても全然分からなかった。

 あんな完璧な照にもストレスが溜まるものなのだろうか。それを解消するための今日だったのでは?今日はそういう甘えたい気分だったのでは?と僕の頭の中では様々な憶測が飛び交う。

 まあ結局憶測は憶測にしかすぎないので考えても意味はないことはわかっているけど。でも何もしないよりは落ち着くものだ。

「……ああ、そういえば今ゴールデンウィークだっけ」

 忘れていたけど今日は火曜日だ。連休は今週が終わるまでぶっ通しである。四月も終わり、もう五月。ああ、一ヶ月って早いものだな。

 って、そんな感傷に浸っている場合じゃない。

 僕は思いついてしまった。気づいた、の方が正しいか。

 とにかく、今週は休みが続く。そして今日はほんの初日にすぎない。

 つまり、僕が今気づいてしまったことはこれからの休みもこの調子が続くのではないか、ということだ。

 あの調子だと、それはありかねない。そしてそれは僕の精神の崩壊を意味する。これは比喩でもなんでもない。これが続くなら十中八九崩壊する。どう崩壊するかは僕にもわからないけど。

「……なんとか原因を見つけてできるだけ早く解決しないと」

 照の行動はいつも因果応報だ。何か理由があるはず。その理由を突き止められれば今のデレデレキャラが止められるかもしれない。

「よし、頑張るぞ!」

 僕は思いっきり湯船から立ち上がった。


 浴室のドアを開けてタオルを手に取った瞬間、

「あ」

 タイミングが良すぎる頃合いで照が入ってきた。

 僕はひとまずタオルを巻いて隠すところを隠す。

「随分長かったね。今呼ぼうとしたの。ごはん冷めちゃうよ?」

「ああ、ごめんつい気持ちよかったからさ」

「ふーん、何が、とは聞かないけど」

「ん!?」

 今、何か照がものすごい勘違いをしたと思ったのは僕だけだろうか。

「とにかくごはん冷めちゃうから早くしてね」

「あれ、まだ食べてなかったのか?」

「そりゃそうだよ。ごはん食べる時はいつも二人で、でしょ?」

 ……。

 こういう健気なところに少しドキリとする僕はシスコンになってしまうのだろうか。

「待っててくれてありがとう照」


 *


 その後もさんざん照のデレデレキャラは続いた。

 とにかくピッタリと引っ付いていた。

 そしてついに午後十一時を回った頃。

「やっと寝たか……」

 今日のお勤め終了である。

 ここは照の部屋だ。僕が部屋に行くと絶対ついてくるのでそれだったらと僕から照の部屋に乗り込んで寝るのを待っていたのだ。これなら僕は自分の部屋で一人で寝られるからね。

 すーすーと寝息を立てている照を尻目に僕は部屋をあとにした。

 しようとしたのだが。

「?」

 立ち上がろうとしたときに引っ張られる感覚。まさか照が起きたのか、とびっくりしたけどそうではなかった。

 照は今も絶賛爆睡中だ。どうやら寝る前に僕の服を力強く握りしめていたらしい。

「寝たあともデレデレキャラは続きましたと……」

 起きないようにゆっくりと指を一本ずつ外して今度こそ部屋をあとにする。


「今日は疲れた……」

 いつもの学校の二倍は疲れた自信がある。

 妹がデレデレキャラになるのはウハウハな展開だと思うかもしれないが、実際になってみると実感は全然違う。

 なんかこう、疲れるのだとにかく。言葉で表すのは難しいけど。

 なので僕は自分の部屋に戻るやいなやベッドにダイブ。

 このまま寝てやろうかと思ったが生憎とそうはいかなかった。

 ピロピロピロリーン、と着信音が鳴ったのだ。だいたいのことはメール方面で済ませる僕にしては珍しく通話の。

「こんな時間に誰だ……?」

 連絡と来て当然浮かぶ顔は三つ。亘理、燈、江成さんの誰かだろう。

 そうたかを括っていざ画面を見るとなんとそのどれでもなかった。

 画面には『母さん』と表示されていた。

「?」

 この頃全くの音信不通となっていた母さんだ。僕はてっきりハネムーンを満喫していて息子たちのことなど忘れているのでは、そう考えていたけど何の用だろう。

 とにかく電話をとってみないことにはわからない。

 とりあえず僕は通話開始ボタンを押した。

「もしもし」

 電話の向こう側からは陽気な声が聞こえてくる。

『もしもーし?』

「いきなり何の用?」

『あのね、元気にやってるかなーってさ』

「……ねえ母さん、そっちは今何時?」

 割とどうでも良さそうな用っぽそうだったのでお説教タイムに移行する。ちなみに母さんがどこに行っているかは僕は知らない。

『えっと……九時頃かしら』

「……そうかそうか。で、時差って知ってる?」

『お母さんを舐めないで、それくらい知ってるわ――ハッ』

 母さんはやっと自分の失態に気づいたようだ。

「ちなみにこっちは午後十一時あたりなんだけど」

『ああっ、私はなんてミスを!』

「もうやっちゃったのはしょうがないけどさ。じゃあ手短に。父さんは?」

『まだ寝てるわ。お寝坊さんなのよ』

「それこそ時差ボケじゃないのか?」

『まあ私たちは元気にやってるわ。安心してね。で、あなたたちはどう?』

 僕はここで正直に愚痴やら悩みやら全部ぶちまけたい衝動が芽生えたが僕はそれを封殺した。

「こっちもいい感じだよ。高校生活って感じ」

 ああ、今僕のおかれている状況から一番遠いことを言ってしまった。

 一方、そんな僕の中の葛藤なんて知らないだろう母さんはまあ、とキャピキャピしていた。

『それはよかった!』

「まあそんなとこで。できるだけ早く帰ってきてよ。それかずっと帰ってこないか」

『ふふっ、光は冗談が上手なんだから』

 本音でもそう思ってるけどね、という思いは呑み込んで電話の向こうの母さんに別れを告げる。

「じゃ、夜も遅いから寝るよ」

 そういって僕は大きな欠伸をした。やはりかなり疲れているらしい。早急に睡眠をとって回復しなければ。

『そうね。てっきり照ちゃんが暴走してるかと思ってたけど楽しそうで何よりだわ。それじゃあ光おやすみなさ――』

「ちょっと待ったー!」

 今重大なことをサラッと流れるように言ったぞ。

『わっ、何かしら?』

 母さんは驚いたように声を上げた。

「今なんて言った?」

『え、何っておやすみなさいって』

「その前!」

『照ちゃんが暴走してるかと思ってたけど楽しそうで何よりだわ――』

「そうそう、そこそこ!」

 この発言は今日の照の異変を示しているように聞こえたのだ。

「そこ詳しく」

 この状況を打開する鍵になるかもしれない。

 そんな僕の切羽詰まった感じで察したのか、それとも無頓着にただ聞かれたからか、母さんは話し始めた。

「照ちゃんはねえ――」

 聞いた内容に僕は眠気なんて忘れて目を見開いていた。

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