インターネットの片隅で、愛を叫ぶ獣のように
新緑に包まれた霊園の、丘をひとつ越えた最奥部で僕はゆっくりと手を合わせた。走行中はちょうど良かった薄手の革ジャンも、メット片手に10分も歩いたら額に薄っすらと汗がにじむ。
たったひとりの葬儀から今日で1年。今回も本当はお寺さんでも呼んで、ちゃんと法事をしなきゃダメなんだろうけど。親父の親戚は僕たちを煙たがって近寄らなかったし。
日系イタリア人だった母の実家の人たちは、話せば来てくれたかもししれないけど。そもそも文化が違うし、変に負担をかけたくなかったから。
――結局また誰にも連絡しなかった。
母にごめんねと心の中で呟きながら、あの時のことを思い浮かべる。
正直…… あの日、母を看取ったときは何にも考えることができなかった。頭の中で、なぜかマイムマイムが流れたのをよく覚えてる。
高校の頃、親父が死んだときは結構な借金があったから、まだましだった。中退して働いても、受験勉強して大検受けて、なんとか大学卒業できたし。
人間なんでもいいから目標があった方が、救いがあるのかもしれない。
姉からの手紙で事情を知って、慌てて帰国して、覚悟を決めて…… 転職と引っ越しをして数か月後。
ちょっと早すぎるだろって、マイムマイムのリズムに合わせて医者と母に突っ込んではみたけど。2人とも何にも言ってくれなかっなあ。
後で調べて分かったけどマイムマイムって、乾いた大地に水が湧き出た喜びの歌なんだって。
あの時僕になにが湧いたのか? 今でも謎だよ。
――涙すら出なかったのにね。
それから、この1年の報告。
母さん、まあそれなりに僕は元気にやってるよ。
職場での人間関係の行き違いや、慣れないひとり暮らしがたたったのか。
体調を壊して…… このままじゃダメだと考えなおして。趣味だったバイクを購入して。WEB小説の執筆も再開した。
何かしてないと死んでしまいそうになるのは、きっと親父のせいだろう。変な性分だけ似ちゃったみたいだ。
バイクはアメリカで乗ってたHarleyでもYAMAHAでもなく、古いSUZUKIを買った。かつて伝説のライダーが乗ったレプリカのレーサーマシンは、倉庫で20年以上眠ってたそうだけど。僕が叩き起こしたら、不満そうに動き出してくれた。
メンテナンスに異常な時間がかかるけど、今の僕には大切な相棒だ。
WEB小説はアメリカにいた頃、日本語を忘れないように始めた物だけど。連載が軌道に乗って、読者がつき始めたら。相互評価クラスタの誘いがあって。それを断ったら、今度は連中から変な攻撃受けて……
――いやになって、半年以上も放置してたけど、なんとか再開した。
きっと僕は、誰かに何かを伝えたいんだと思う。
1年たってないけど、やはりWEB小説は素晴らしい。
そこにはいろんな人々がいて、とても多彩で素敵な物語がある。
今この日本で保育園作って、園長さんしながら小説を書いてる人。
この人は、いつも優しさに満ちた物語を書く。
最近不倫物やBL物にはまってるようだけど、そんな作品にも愛が満ち溢れてる。
主婦でネイリストで、WITに富んだ日本語を操る女性。
僕と同じで一時期ネットを離れてたけど、最近ぽつぽつとTwitterで見かける。
またいつかあの人が書くオシャレで、でもどこか温かい物語を読んでみたい。
他にも……
美しい空気感で、独特の恋愛小説を書く男性にOFF会でお会することができた。
敏腕ビジネスマンそのままの容姿は、最後まであの作品とイメージが合わなかったけど。言葉の隅から……
やはり作品と同じ、美しい空気が感じられて。
人としての魅力は作品に出るんだなあと、ついつい感心してしまった。
東日本大震災の実体験エッセイで注目していた人は。
そこからは想像もできない、SFハーレムものの大巨編を書いている。
でもその作品や、彼の書き残したコメントを注意深く拾ってゆくと。やっぱり人生に対する考えの奥深さが、僕の気持ちをつかんで離さない。
この人にもオフ会でお会いできたけど、やっぱり素敵な人だったよ。
そして……
マイムマイムしか聞こえなかった僕の耳に、彩をもたらしてくれた物語をおくってくれた人もいる。感謝とか尊敬とか…… ああそうだ、そんな言葉じゃない。
これは間違いなく「愛」だ。
その作品を読み返す度に、僕は勇気と温かな何かが心に宿る。
他にもたくさんインターネット小説の作家さんと交流が持てた。
まあ、電子の世界の交流だけどね。
今の僕の日課は。
仕事が終わって自宅に着いたら、無口な猫にエサをやって……
ビールと肴を片手にパソコンの電源を入れたら、まずその人たちの作品をチェックして。
相変わらず変な誘いや、悪意を持った書き込みも見かけるけど。そんなのは、サラッと無視。 ――パソコンの前で、プロットを書きなぐったスケッチブックに目を落として。
そうしてると、頭の中が次第に異世界に移転して。
僕は誰かに伝えたい、ありふれた物語を書く。
――それが今僕の大切な場所のひとつになっている。
バカバカしいかな? でもね、本当に楽しいんだ。
新作が完成したら、また来るよ。
――僕はそこまで報告すると。
また霊園の丘を、駐輪場に向けてゆっくりと下りた。
心地良い午後の風を楽しみながら、山道を1時間ほどライディングして。
借家に帰って郵便受けを開けたらエアメールが1通、サビた箱の中でポツリと不思議な輝きを放っていた。
+++ +++ +++
その手紙は、サウスダコタのスーフォールズ市から送られていて。住所の下にある丁寧な筆記体で書かれた女性の名前は、初めて見るものだった。
メットを片手に持ったまま、玄関先でその封筒を開けた。そこにはきれいに折りたたまれた便せんが1枚入っていて。
――僕は急いでそれを読み始めた。
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親愛なる、おしゃべりな少年へ。
大佐がいきなりこの老人ホームに訪ねて来た時には、本当にびっくりしたわ。
突然「俺の息子の大事な人は、貴方でしょうか?」なんて言い出すから、比喩なんかじゃなくて、本当にパニックになったもの。
貴方が日本語で書いたインターネットの……
これは
それを翻訳したのを見て、さらにおどろいたわ。
大佐はどう見ても黒人だし、貴方は日本人だと言っていたし。その内容はどう見ても、あたしのお店の話だったからね。
あたしが「間違いないわ」って、答えたら。
大佐が突然私を抱きしめて、大喜びして…… 施設の警備員まで飛び出す騒ぎになったんだから。
――本当に、あの時は困りましたよ。
それ以来、月に1回ぐらいのペースで彼が訪ねて来てくれます。
あなたが書いたフィクションやSNSの翻訳をもってきてくれるので、2人でそれを読んでます。
今のあたしの大切で安らかな時間です。
大佐は、「このフェイクと言う老シスターのモデルは貴方じゃないか」とか。「セーテンとかカイエルと言う武人のモデルは俺だろう」とか。独特の楽しみ方をしているようですが。
あたしはいつも。
貴方がいつか約束の場所を見つけて、幸せに暮らすことを心から願っています。
――貴方のフィクションのファンより。
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無口な猫が僕の脚に身をすり寄せて、なにかをねだるように見上げるまで。
僕は玄関に立ち尽くしたままだった。
そう…… 僕のフィクションの登場人物には、たくさんのモデルがいる。
大きな戦いに巻き込まれて封印された伝説の古龍のモデルは、SNSでよく美味しいお好み焼きの写真をアップしている。
特殊な能力のせいで人間不信になっていた巨乳シスターのモデルは、学術誌で論文とインタビュー記事を見かけたけど…… 名字が変わっていた。
――幸せだったら、僕も嬉しい。
ヒキコモリ伯爵令嬢のモデルは、相変わらず素敵な物語をインターネットにアップしてる。更新が待ち遠しくってしかたがない。
そして大佐の勘はだいたい当たってるけど…… 何故こんな事になったのか?
そう言えば一度だけ、前の職場にいた同じ日本人の友人に、「WEB小説を書いてる」って話をしたことがあったけど。
まわりまわって、こんな手紙が届くなんて。
きっと本当に、世の中には『縁』が存在するんだろう。
そして、約束の大地は…… どこかに実存するのかもしれない。
不安そうに見上げる無口な猫の頭を撫ぜて。
「待ってて、いまエサをあげるから」
僕はキッチンに移動して猫缶を開けると、自室に戻ってパソコンのスタートボタンを押した。
そして、僕は一匹の獣になって、大声で叫ぶ。主人公とリンクしながら…… 愛を。インターネットの片隅で、大声で愛を叫ぶ。
今の物語の主人公は、片目に闇を宿し両手に伝説の聖具を持ったハードボイルドな男で。片っ端から女性を救いまくる。 ――僕とはかけ離れたナイスガイだ。
でも、そんな物語りのテーマでも、いつか誰かにきっと届くと。
今僕はそう確信している。
そしてこの気持ちを、ちゃんと誰かに伝えたい。
だってほら、「WEB小説」って……
――そういう場所なんだから。
君におくる物語り 木野二九 @tec29
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