幕間 望みの糸 (黒髪さま視点)

(今回は黒髪様視点のお話です)


 この奇跡を、どう表現したらよいか分からない。

 こたびの巡り会いは、言葉では形容できぬほど大いなるものだ。

 かつて私は、この世でなにものにも代えがたい子と実にひどい別れ方をした。

 だからたぶんもう二度と永遠に、あの子とは出会えぬだろうと思っていた。


『大っ嫌い!』


 それが最期にもらった、訣別わかれの言葉だったからだ。

 だからがんなどかけてみたのだ。我々を引き離した、あの赤毛の子の首を取れば。我が罪をつぐなえば。私は、ゆるされるのではないかと。

 

 思い立ってからずいぶん、いろいろ手を尽くした。

 なれど赤毛の子の守りはかたすぎて、ひとりで事を成すのは不可能だった。

 つてを頼ってやむなく、大陸随一の武力を誇るすめらの太陽神殿に身を置いたが、十年かかっても結果は出せなかった。

 それが一転し、赤毛の子に傷をつけるという金星をとれたのは、この娘に会えたからだろう。なかばあきらめかけていた私の望みを、この娘は鮮やかによみがえらせてくれたのだ。

 なにも映さない瞳が。

 透きとおったしろがね色の髪が。

 なによりその身の奥にひそんでいる、すみれ色の魂が。

 私に再び命を吹き込み、燃え立たせてくれたのだ。

 ひどく懐かしいその魂の色合いは我が心に深く染み入り、そっと寝かせていた数多の喜びと悲しみを想起させた。

 まるでついさっき起こった出来事のように、あの悪夢のような瞬間が、私の眼前によみがえった。

 

『嫌い! 嫌い! 大っ嫌い! さよなら!』


 竜蝶の戒めの糸で動けなくされ、涙まじりの悲鳴を浴びせられ。星空へと溶けゆく星舟を見送るしかすべがなかったあのとき。言葉にできぬほどの怒りと悲しみが、我が身を焼き尽くした。そうして私は、漆黒の消し炭となった。

 いまだにブスブス燻っている、真っ黒なものに。

 赤毛の子が余計なことをしなければ、私の伴侶は今も生きていて、天の浮き島でつつがなく、平穏なる日々を重ねていたはずだった。私もこんな真っ黒いものにはならなかっただろう。

 しかしそれでも、喜怒哀楽を感じることはできる。

 我が心はいまや、歓喜の渦の中にある。

 この喜びを百の形容詞に変えても、まだ足りぬ。娘の顔を見るたび、年甲斐もなく感極まって、声を湿らせてしまう……



「あの。へいかによばれたって、いいましたよね」

「む……」


 りんごの良い香りが窓辺から流れ込んでくる中。

 午睡からさめた私の袖を、口を真一文字にした娘がしきりに引っ張ってくる。

 なんだか泣いているような怒っているような変な顔だが、かわいらしいので胸にひたりと引き寄せてみる。

 悲鳴をあげる口を口づけでふさごうとしたら、いきなり両手で突かれて防御された。


「だめ! だめです! はやくいってください。どうかてんしさまのもとにいるりゅうちょうのこと、しらべてきてくださいっ」


 君以外の子のことなど、どうでもよい。

 という、一発で嫌われそうな本音を言うのは控えた。

 ようやくあのくそったれな聖印を無効にできたのだから、あとひと月ぐらい楽しまねば気が済まぬ――という、確実に軽蔑されそうな本音を言うのも我慢した。

 なぜなら、この娘と私の距離はまだ、縮まっていないからだ。

 私は最大限に自重して、娘が必死に隠す唇をむりやり奪うのをあきらめた。

 まどろみの韻律を紡いで、眠らせることもやめておいた。

 ゆっくり寝顔を眺め、そこかしこに口づけの印を付けてやりたいのはやまやまだが、あとでばれて嫌われたくない。

 なにしろこの娘は勘がいい。目が見えない分、他の感覚がすばらしく発達している。なんと魔力も、そこそこある。超鈍感だったあの子とは比べようがないほど、鋭い感性の持ち主になっている。

だから下手に手を出してはいけないと、我が本能が盛大に警鐘を打ち鳴らしたのだ。

 とはいえ……我ながら実に、自制が効いていると思う。

 昔の私であったなら、情け容赦なくこの子の純潔を奪っていただろう。 

 


「明日の朝、発つよ」

「そうおっしゃって、もうみっかもたちました!」

 私に唇を奪われまいと口を塞いだ両手からもごもごと、たどたどしい声が漏れる。実にかわいらしい。

「必ず明日には」

「いますぐいってくださいっ。ていうか、あたしをはやく、くろのとうにもどしてくださいーっ!」

 あの安普請の塔の安全性は、はなはだ疑問なのだが。

 ……まあ、まがりなりにも大陸随一の腕を持つ技師ご自慢の塔の複製だから、他の施設よりはましではあるか。

 口づけできぬのは嫌なので、私は渋々娘を鉄の竜二ノ瀬、天の浮き島から黒の塔へ戻った。

 腐れ竜に破壊された寝室はすっかり直されていたが、新しい塗料の匂いがきつかった。気分が悪くなったとごちて、仮病で一晩引き延ばそうと画策するも、娘は果敢に私の瀬をぐいぐい押して、寝室から追い出した。

「どうぞ、いってらっしゃいませっ!」

 


 それにしても、まだ幼体なのにしろがねの髪とは。

 あの子よりもずいぶん、純度が高い。いったいどこの血筋であろうか。

 血の濃さから察するに、アリステルかレイスレイリか、アイテリオンか。そこらへんの大変厄介な家系であるのは、まずまちがいない。

 大陸中に胤をばらまいた白き魔王、アイテリオンの子孫である可能性が最も高いか。つまり肉体的にも、リオンの子であるあの子と繋がりがあるのかもしれない。

 すなわち、竜蝶の古き王家の血だ。

 もしそんな血が混じっているとしたら、その遺伝子展開は不安定で変動する。成人する年が三十年寄りなのか、それとも純血のごとく六十年寄りなのか、皆目見当がつかない。

 古王家の血統で確実なことが、ひとつだけある。羽化の成功率が極めて低いことだ。これは覚悟しておかねばならないだろう。

 ひとつ気がかりなことは、娘の体が女性体だということだ。

 一般に竜蝶は人でいうところの男性体しかおらず、羽化すると両性具有となって生殖能力を有する。つまりこの娘は、竜蝶としてはかなり特殊な個体である。

 特殊個体についての記録は、かつて北五州のさるところにあった〈メニスの隠れ里〉に住まったときに見つけた。

 まれに女性体として生まれ、羽化しても精巣をもたない竜蝶がいるらしい。

 つまり「完全なる女性」の竜蝶だ。

 伝説では、紫の四の星から来たりた竜蝶は、「原初の女王」と呼ばれる「完全なる女性」から生まれたという。

 この「女王」のごとき女性体は、竜蝶の古王家、アリスやアイテの純血の血統から、ごくまれに生まれ出るらしい。蛹になったときにほぼ死んでしまうが、もし無事に羽化できたら、その受精能力は孕みやすい留鳥の中でも群を抜いたものになるといわれている。望めば、どんな生物の子でも宿すことができるらしい。たとえ子種のない者の子でも――


 まさか……それを狙って〈・・・・・・〉生まれ直したのか?

 娘が再び・・竜蝶に生まれてきたことは、私を慮ってくれたに違いないと断言できるが……

 

「外套を忘れた」

「おめしになってるはずです! そのまままた、まわれみぎしてくださいっ」

 

 くそ。見えぬせいで、気配を感じる能力がすさまじい。

 耳も、それに魔力の感度も非常に良い。

 犬猫ウサギ並みで、まったく隙がないじゃないか。

 しかしなぜ、今にも泣きそうな貌をするのだろう。

 失ったあの子のなは口にせぬよう努力したが、悟られてしまったのだろうか。

 喉の奥から何度も昇ってきた名前を。

 なれど田舎娘よ、私が愛惜するあの子は、君の……

 いや。今はなにを言っても信じないだろう。

 

 ひと目みればそうとわかる――


 奇跡の縁を言祝ぐあの求愛歌を唄っても、なにも反応がなかったのだから。

 娘は呆れるほどどっぷりと、忘却の天河に浸かってきたようだ。

 覚悟はしていたが、いや、実を言うとそうなればよいと密かに願っていたが、こんなに見事にまっさらになれるものなのだろうか。

 私にとって、これは大いなる恩寵というものだろう。

 何もかも忘れていてくれているなら、これほどありがたいことはない。

 挙げたらきりのない失態が。あの子を傷つけた言葉が。そして最後の最後に犯した「あの罪」が。すべて洗い流されているのなら……

 だからといってのうのうと、この喜びに浸りきることはできない。

 喜びの光が輝きを増すほど、我が身はさらに暗くなる。黒き影の色が増していく。

 娘を見るたび、罪を購いたいという願いは、強まるばかりだ。


「ああ、髪にゴミが付いているよ」

「ふえっ? ちょっ……なにしてるんですか?」

「ああ、もつれていたからほぐしてやった。鳥の巣みたいになっていたから」

――「ケッ。ナニ往生際ノ悪イコトシテヤガル。ハヤク乗リヤガレ、我ガ主」


 黒ノ塔のいただき近く、舞台に待機する腐れ龍が憎まれ口を叩く。

 まったくとんでもない奴だが、その力は侮れぬ。こいつがいたからこそ、赤毛の子を守る獅子に対抗できたのだ。聖炎をまとう古き神獣、黄金の獅子レヴツラータに。

 腐れ龍の力はまだまだ有用だ。ゆえに今は、残念ながら封印はできぬ。だが娘を喰らう気満々だから、いずれ消さねばならぬだろう。


「ああそうだ。この糸巻きに、私の無事を祈ってくれ」


 私は赤い糸巻きを出して願った。糸に歌を振りかけて欲しいと。

 深い思いが込められている糸に、自分の歌声なぞかけてよいのだろうかと、娘は躊躇していたが、私は大丈夫だと微笑んでやった。


「歌の願いは蓄積される。あの子は毎日糸巻きに祈りを込めてくれた。君がさらに思いを込めてくれたら、このお守りはもっと力を増す」

 

 耳を当てればきこえてくる。透き通った歌声。娘はとても複雑な貌をして、あの子を声を聴いていた。

 

 あいしてる。

 あいしてる。

 あいしてる……


「合わせて歌ってくれ。同じ言葉をこの糸に」


 無理だと青ざめつつも、娘は私の望みを叶えてくれた。あの子とよく似た声で、糸巻きにぼそぼそ声を吹き込んだ。


「ぶ……ぶじに。どうかぶじに……かえってきて、ください」  


「嬉しいな。涙をこぼすほど別れを惜しんでくれるのか」

「ちが……ちがいます。これは――」

「糸巻きが輝いているよ。ありがとう」

「あの、それよりその、どうかどうか、てんしさまのもとにいるりゅうちょうのこと、おねがいします!」

「ウッセエ! オマエハ俺様ガ帰ルマデ、モット太ッテオケ、メシコォ!」

 

 たしかに娘はとても細い。腐れ龍のはばたきに煽られて、今にも吹き飛びそうだ。

 娘の生まれ故郷は飢饉に襲われたらしいが、もとからあまり豊かなところではないのだろう。村は竜蝶の隠れ里で間違いないだろうが、相当な山奥ということしか分からない。

 ふもとにある町の名は豊山というが、ありふれたもので、すめらには同名の町が二十カ所ほどある。州名で区別から行政上不便はないが、特定の場所を割り出すのは難しい。

 月の大神官トウイはすでに、娘の村を手中に収めているにちがいない。竜蝶の入手先は完璧に隠蔽し、今後もことあるごとに利用しつくすだろう。


「ナァ主。アンタ、メシコノ仲間、助ケテヤルツモリダロ」   


 空に舞い上がった我が翼は、くつくつ笑ってきた。


「田舎娘にも言ったが、異国人の私には、権力も人脈もない」 

「トカナントカ、イッテッケドヨ。メシコノ願いイ通リ、月ノ女ハ殺サナカッタジャネエカ。殺セバヨカッタノニ、ホント大迷惑ダゼ。オマエ、メッチャ冷テエゾ! コゴエルワ!」

「我慢しろ。とにかく今回はさすがに無理だ。この国は、竜蝶に関する法が厳しすぎる」

「ソウソウ、竜蝶ナンテ、メンドクサイゼ? 天子ニヤラナインナラ、トットト俺ニ食ワセロッテ!」

「黙れ。いいから急げ」

「ヨクネエ! 冷テエノダケハ、ナントカシロー!」


 まさかまた、炎ノ聖印に邪魔されるとは思わなかった。つくづく、あの呪いの技とは縁があるようだ。

 しかしあんなものをつけるとは、まったく非人道的なこと、極まりない。

 月の女は、あれで田舎娘を生け贄にした罪を減じたつもりでいるのだろう。

あれもどこかのくそ導師と同じく、善き賢者気取り。まったくうんざりだ。

吐き気がする。

 あんなものがついていては、ろくに撫でてやることもできない。あれほどたちの悪い呪いはないというのに……


「やはり……殺せばよかったな」

「ダロウ? 俺様ノ言ウ通リニシヨウゼ!」

「天子に、天倉院てんそういん、すなわちすめらの宝物殿を、ちらと見せてもらった。噂どおりに橙煌石とうこうせきだけでなく、空飛ぶ絨毯じゅうたんも保管されていた。今度金星を取ったら、あれをいただくとしよう。うるさくわめく龍が必要なくなるようにな」

「言ッテロ! マッ黒クロスケガ! ッテ、オマエマタ、アノ赤毛ヲネラウノカ? 怖エェケダモノガ、ガチデ守ッテル、アレヲマタ?」

「この手で殺すまで、何度でも」

 

 あがなわねば。

 なにもかも失い、そしてまた、聖印をつけられた子に。植えることさえ、忘れてしまった子に――


 懐から先ほど娘に声を入れてもらった糸巻きを出す。


『どうかぶじに……かえってきて、ください』


 かわいらしい声がささやく。

 良い声だ。小鳥のさえずり。まるで澄んだ鈴のよう。とても和む。

 だが、この言葉は不本意だ。ほしかったのは、この言葉ではない。


「やはり、抱いてしまうべきだったか?」


 田舎娘からひとこと、あの言葉が欲しい。

 多くは望めぬ身だが、これだけは叶えたい。

 楽しい駆け引きをする時間はあまりないが……精一杯努力するとしよう。

 たぶんまた。あと数度は、会えるだろうから。



 





 

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黒の舞師 身代わり巫女は月夜に舞う 深海 @Miuminoki777

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