第4話 ほんとうの夜明け

「ねぇミツキ、飛ばしすぎじゃない?」


「んん? そんなことないけどね」


 インジケーターを確認すると時速一〇〇kmをすこし超えたくらい。法定速度もクソもないこの世界であってみれば、高速でちょろっとターボチャージャーをオンにしたくらいではどうということはない。でも。


 あせりの気持ちがあるのは確かだった。

 アクセルを緩めて、私はふぅ、と息を吐いた。

 今さらじたばたしても仕方ない。わかっていたはずだった。


「昼過ぎには着くと思うけど」


 私たちは都市部を離れて、避暑地でもある高原へとミニを飛ばしていた。

 今日もあきれるほど天気が良い。純白のサマードレスに身を包んだ猫耳美少女も、強い日差しを遮ろうと手をかざしている。


 ――気まずい沈黙の刃が二人の会話を寸断してしまうようだった。


 情けないことに、何を言ったらいいのか分からない。言葉が言葉になる前にほどけて消えてしまう。

 辛い思いをしているのはキサラのはずなのに、と思うと、余計に気が急いて考えがまとまらなかった。


「ねぇミツキ、あたし……」


「なに?」


 そこでキサラは言葉を切った。不自然な沈黙が流れる。


 低いエンジン音。カーオーディオから響く洋楽の物憂げなメロディー。細く開けたウィンドウの隙間から吹き込む風に揺れる猫耳。


「ソフトクリームが食べたいな」


了解ロジャー


 私はどこかホッとして、パーキングエリアへと意識を向けはじめた。




 生まれて初めて作ったソフトクリームはかなり不格好だったけれど、キサラのお気には召したらしかった。


 満足そうにソフトクリームを舐める猫耳少女を眺めるばかりで、自分の分には手を着けられない私。


「どうしたの? 美味しいよ」


「うん……」


 もそもそとソフトクリームを平らげる。あまり味はしなかった。


「ミツキ、元気ないね」


 そりゃあね、と言おうとして、それもなんだか変な響きがしそうな気がして、結局何も言えない。


 そんな私を見て、猫耳少女はちょいちょいと差し招く真似をした。

 そばに寄ると、さらに近寄っての合図。

 頭ひとつは低いキサラに合わせて、少しかがみ込むような姿勢になる。顔が近づく。


「元気が出るおまじない」


 キサラは目を瞑って口をすぼめている。


「…………」


 私たちはそっとついばむようなキスをした。キスは、はっきりと甘い味がした。




 高原の夜は思いのほか涼しくて、すこし寒気を感じるくらいだった。


 満天の星空。

 星のひとつひとつが輝いてその存在を主張し、頭上をおおう闇のヴェールに無数の炎を灯している。

 眼下には市街地が広がっているはずだが、人工の明かりはほとんどなかった。


 草原に二人並んで座り込み、星の海を眺めながら、私たちは最後の時を待っていた。


「綺麗だね」


「うん」


「ねぇミツキ……したよね。約束」


 星空を見上げながら、キサラが問う。


「……うん」


 私はあの指切りを思い出す。


「生きてね、ミツキ。もしかしたらこの世のどこかに、誰かが……」


 いないよ。そう口に出そうかと思った。あんたの代わりはどこにもいない。


 ふっとキサラの指が私の手に触れる。どちらからともなく手を握った。


 長い沈黙が流れる。


「もう行かなくちゃ」


「やだ……」


 私の声は震えていた。


「なんだかとっても眠いんだ」


「行かないでよ……」


「ごめんね、ミツキ」


「…………」


 とさっと音を立てて、キサラが仰向けに寝ころんだ。

 つられるようにして私も横になる。視界いっぱいの星が目にしみた。


「いろんなところへ行ったよね。いろんなものを見られたし……そりゃ、やり残したこともあるけど。

 でもミツキと会えなかったら、あたし、研究所の中で一生、暮らしてたんだし……」


 ほう、とキサラはため息をついた。


「あたし、幸せだったよ」


「うん……」


「ありがとう、ミツキ……もうちょっぴりだけ……一緒に……」


「…………」


 ふっ、と私の手を握る力が緩んだ。


「キサラ……?」


 私は身を起こしてキサラの顔をのぞき込んだ。


 星明かりの中、私の頬からこぼれ落ちた涙がひとしずく、キサラの綺麗な顔に触れる。

 それでもキサラは目を覚まさなかった。寝息はあくまで静かだった。


「キサラ……」


 私は泣いた。泣き疲れて眠り込んでしまうまで、涙が途絶えることはなかった。




 ふっと目を覚ます。夜明けだった――。


 隣から聞こえる静かな寝息に混じって、猫の鳴き声がした。いつの間にか、周囲に猫たちが集まっていた。


 私は起きあがると、懐をごそごそと探った。ピルケースを取り出す。蓋を開けた。

 そこには赤い錠剤と青い錠剤がひとつずつ、行儀よく収まっている。


 愁いをたたえた灰色の雲が朝焼けの空を走って行く。

 雨音が遠く聞こえてくるような気がした。


「もう、いいか……」


 つぶやいて、ピルケースを力なく投げ捨てる。猫たちが身をかわした。


 立ち上がり、眠り続ける猫耳少女の身体を抱えてミニの助手席へと運ぶ。運転席に座ってハンドルに頭をもたせかけた。


 ひとしきり泣いて、それから私はミニのエンジンキーを静かに回した。


 ――猫は今も増え続けている。


〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

にゃんこの烙印 八ッ夜草平 @payopayo84

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ