第5話
Aは瞼の重くなったBの焦燥と不満の面を見てとると、糸を伸ばすような息を吐き、こんなつもりじゃなかったんだと、言う。Bの鼓動はいささかの不規則を起こす。Aは、最後くらいなんでもなく終わりたかったんだけどな、とも喋る。なにが? とBは一歩後ずさり、様子を伺う。
Aの返答は要領を得ない。いや、君と軽蔑をやり合うつもりはなかったし、ただ単に伝えるはずたったんだ、顔を合わせるとうまくいかなくなった。Bは肩をあげて、だから、なんの話をしてる? と尋ねる。
Aは静かに、ポッケから手を出し、それをさしだす。BはAの手の中の茶封筒に目を見張る。
これは? と聞く。手を伸ばして受け取り、中を覗くとお札が入っている、それが貸しの返却であることに気づく。引っ越すよ、Aの口から飛び出した言葉に安堵したBは、てっきりナイフでも出てくるもんかと……本音が漏れる。Aは失笑する、まさか! 悪夢っていうのはそのことか。Bは恥じも構わずへたり込む。Aも床に膝をつける。
Aは腹蔵なく話す、俺たちははじめから相性が悪かったよな、まあ、元カノよりは良いんだけどな。Bも鼻を鳴らして、多分尊敬なんてしてないからさ、互いに見下して、決めつけてた、と言う。Aにも思い当たる節があり、ただ頷く。どこまで決めているんだ? Bは尋ね、来月にはでてくよ、Aは答える。そうかと、Bは欠伸をする。
俺はシャワーでも浴びる。とBが言うと、Aはうん、と返事をする。
Bがお風呂から出ると、二人ぶんの夜食ができていて、驚く。食べながら、隣人同士のあどけない話を出来るのが不思議に思われて、むず痒い気分でいる。
そういえば、とBは多少の沈黙にも耐えられずに言う。彼女とは連絡を取っているのか? Aはなぜそんなことを言い出したのだろうかと思うが、いいや、取らない、と簡潔に言って、お前は知ってるんだな、と続ける。Bは頷き、知りたいか? と聞く。Aは、もう必要ないよ、とわずかに眉を動かす。
ひと月後、Aは宣言通り部屋を出て行く。同時にBもよそに移る。今度はちゃんと自分で部屋を借りる。
ところで、これがきっかけとなってAとBの関係が長く続くなんてことはしない。二人は互いにもう会わない気でいる。実際にそうなり、双方もそらでいいのだと思っている。十や二十の年月があっという間に過ぎ去る。
ごくまれに、Aはあの夜のことを思い出して感傷に浸る。平凡な生活の中にいると、Bの存在など話すつもりにはならないが、苦虫を噛んだような若い頃の記憶を誰かに大声で笑いとばしてほしくなる夜があることを知ってしまう。
また、Bの方でも、現在Aの音沙汰など全く知らないし、聞きたいとも思わない。だか、こういう若気の至りが、歳を重ねるごとに良い酒の肴になるのを知ってきて時折浮かれて、周りに嘲笑われつつ、とつおいつする。
とつおいつ 尨犬 @mukuinu
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