他人、その中にいる、自分。

いきなりの自分語りで恐縮ですが、
メンタリズム的振る舞い、
自分の仕事に活かせるよなぁ、
そう常々感じています。

要は接客業ってことなんですけどね。

そんな自分が冒頭でいきなり、
見事に操作されました。
「八割の人間が操作される」
問である、との事ですが、
ここで「残り二割であること」
に喜ぶのも、
またメンタリストの掌中である、
そう物語は語ります。

自分でない他人を操る。
思ったように動かないあの人を
思ったように動かす。

多分、人と関わる人なら、
永遠の願望でしょう。

この作品は、物語ですから、
どうしても因果応報的に
展開を寄せざるを得ません。

それはそれで事実だと思います。
激烈な幸福を志す人間は、
激烈な不幸を味わう覚悟か
求められるのでしょう。


ただ、この物語を読んでいても、
痛烈に感じられることがある。

結局、他人を理解できなきゃ、
他人は操れません。

物語が進むにあたって、
その辺りの要素が、
だいぶ上級者向けになっていきます。
っが、俺のように
「他人を意のままに見抜きたい!」
的スケベ心でこの物語を覗く方には、
予め申し上げておきます。

他人に寄り添えないやつは、
他人を操れやしないよ。

良くも悪くも、ここが真理なのです。

何故、そうなのか?
では、最後までこの物語を読んでください。

他人は、鏡合わせの自分です。