男は魂と語らう

篠岡遼佳

かすかな救済

「あいー、ワンタン麺と餃子一皿お待ちー」

「ども」


 目の前の赤いテーブルに、ごく普通の見た目のラーメンと、羽根つき餃子が置かれた。

 まずは中細麺の醤油味のワンタン麺からだ。箸でひとすくいし、一気にすする。少々熱いが構わない。急いでレンゲでスープも飲む。鼻に抜けていく醤油の香り、胃袋に強く訴えるこの味。

 続く手作りのワンタンは大きめでもっちりとしていて、中の肉もとてもおいしい。

 これだよ、これ! 私は大きく息をついた。

 よく食べてたラーメン、また食べられるなんて思ってなかったな。


 今日ここに連れてきてくれたのは、半分無職のような顎髭のお兄さんだ。猫背で、なんとなく風貌が怪しい。そう言うと、「だったらよそへ行け」というような人だから、半分無職なんだろう。愛想がないのだ、愛想が。

「どうだ、うまいか?」

 おいしい、すごく。喉とかおなかの底が熱くて、ものを食べてるって感じがする。

「満足いただけたようで何よりだよ。俺は個人向けサービス業だからな、顧客満足度が口コミを呼び、そして次の客が来てくれるわけだ」

 ――でも、あなた今日遅刻したわよね?

「いや、すまん、バスを降りたところが1階なのか地下なのかわからなくてな……ああいうデッキ構造は慣れてないんだ。君もさ、見つけづらいんだよ。もともとあまり目立つ方ではないんだろ」

 もーのすごく失礼な言われようだけど、まあ、そうね、あなたからすれば私は半透明かも知れない。

 だって私、幽霊だから。


 というわけで、私は幽霊だ。ふわふわ好きなところにいけるから、浮遊霊ってやつかも知れない。

 幽霊になるって、普通、恨みとかしっかりとした原因がありそうだけど、別に特別なことはなにも必要なかった。ただ何らかの理由で死んで、「まだしたいことがある」と思っていたら、現世に薄らぼんやり残っていたってだけ。

 私はそんなわけで、あの世(あるのかな?)にもいかず、ふらふらしていた。

 そんなときに、風の噂で聞いたのが、除霊士だという怪しいお兄さんだった。


 お兄さんは大体アラサーぐらいで、私よりちょいちょい年上かな。

 なんか、実は国家公務員みたいなものらしい。半分無職って言ったのは、仕事が割合少ないから。

 お兄さんは「そういうの」が寄ってきたり、さらにそれを自分の身体に取り憑かせたりできる才能の人だ。

 だから、お兄さんはそれを生かして、「自分に取り憑かせた幽霊の心残りを実行して、除霊する」という仕事をしているそうだ。国にはいろんな仕事があるものだ。本当かはわからないけど……。

 私も、契約書にサインして(なんと、幽霊にも持てるペンというのがあるのだ! 貴重品らしいからもらえなかったけど)、「心残り」ってやつを消してもらうことにした。


 まずはさっきのワンタン麺。お兄さんは私にしょっちゅうしゃべりかけてくるが、半分くらいは念話じゃなくてほんとに口に出している。怪しさこの上ない。コートがヨレヨレなのが悪いんだよね、彼女がいない証拠でもある。


 次にバッティングセンターに行ってみる。行ったことなかったから。見た目はお兄さんなのに、中身が違うから、バットの持ち方も打ち方も女子そのもので気味悪かっただろう。隣の人たち、ごめんね。

 ウインドウショッピングは、買ってもしょうがないからほどほどにして、次はスイーツのお店。ティラミスがおいしいから、それをなんと3個も食べた。やってみたかったことってけっこうそういうことだ。最後に、一番好きなシュークリーム屋さんに行って、お土産も買う。お兄さんに食べてほしいなぁと思って。


 そうこうしていたら、もう夕方近くなってきた。

 近くの河川敷まで行って、遠くの街に暮れかかる夕日を、ベンチで見た。

 そろそろ街灯がつくかな、というところで、お兄さんが、がぶがぶとシュークリームを食べながら言った。


「――それで? お前の本当の心残りはなんなんだ?」


 ……やっぱり、ばれてた?

「俺はサービス業と言っただろう。相手の気持ちをくんで、行動を解釈して、そうじゃないとこの仕事はできないからな」

 そうかー、そうだよね。私も全然ごまかす気はなかったけど……言ってなかったってことは、そういうことだもんね。ごめん。

「謝る必要はない。それも仕事の内だ」

 シュークリームうまいな、なんて言いながら、お兄さんは手と口をナプキンで拭いた。

 ……うん、このシュークリームの味も、懐かしい。ずっと食べたかった。

 ラーメンも、お買い物も、ケーキ屋さんも、ぜんぶ。

 あの人と行きたかった。

 もっと何度も、行きたかった。

 何度だって。


「聞いてるから、喋ってくれ」

 お兄さんは、嗚咽を堪える私に優しく言ってくれた。

 私は当時のことを思い出しながら、心で話す。


 ――事故なんて一瞬だもんね。相手もこっちも悪かったって裁判で決まっちゃったし。

 彼はもう気付いたらいなくなってた。

 あの人には「心残り」はなかったのかな。

 私は、ねえ、まだ、ここにいるよ。ここで、あなたを、ずっとずっと思ってるよ。

 ……想っていたかった。


 あなたが死んでしまったら、きっと泣いて暮らすと思ってた。

 でも、実際あなたが死んでしまったら、泣き暮らすどころじゃない。

 あなたを覚えていなくちゃ、最後に隣にいたあなたを覚えていなくちゃ、あなたが私の中から消えてしまう。

 それが怖かった。

 だからずっとただよってた。


「だったら、『なぜ君は自分から俺のところに依頼に来た』んだ?」


 そう、私は自分でこの生活を終わらせることを決めた。

 薄ぼんやり眠り、日中は様々なところへ行き、ただどこにも彼がいないだけ。

 でも私は思ったんだ。

 彼のことを、私がずっとずっと幽霊のまま思ってたら、なんにも変わらないのね。

 いろんなことを新しくはじめなくちゃいけない。

 何度も桜を一人で見たけど、彼がいなくちゃどうしようもないの。

 だって好きだったから。すごく好きだったから、そばにいたかったから、そばにいたから。

 


 だから、次の世界を信じることにしたんだ。あなたの噂のおかげで。

「俺の噂?」

 そうだよ。あなたに「除霊してもらえる」ってことは、「その先がある」ってことでしょ。

「……そうだ。あの世は確実にある。除霊士や退魔士にはわかっているんだ、別の世界があることを。けれど、誰もその世界には行って帰った者はいない。だから、目的の人に会えるかはわからないし、生まれ変わりについても詳しくはわかってない。

 ――そんな曖昧な内容なら、噂になると思うが……」

 夕日を見つめながら、そう正直に返してくれる。

 お兄さんは、やっぱり噂通りいいひとだね。

「いい人か……ま、サービス業だからな」

 あのさ……、さっきから、ちょっと鼻水垂れてるよ。なんだよ、泣くなよ。

「個人向けサービス業は、第一に顧客のことを考えまず」

 語尾が濁ったお兄さんは、ごそごそとハンカチを取り出す。

 そして、じっと真摯なまなざしで言った。

「――だってさ、一番泣きたいのは、君だろう?」


 ――――。


「君の代わりに泣いてるし、君のことを思って泣くとも。除霊士は、まあ、そういう変わったかたちの『おしまい』をたくさん知ってるからな。あとは年食った所為か、最近涙もろいんだ」


 瞬きすると、夕日が涙でにじんだ。

 ああ、これが最後の夕日なんだ。

 全部ほんとに、最後なんだ。

 ただそれだけなのになんでこんなに泣けるんだろう。

 私は両手を広げて、金色の夕日に向かう。


「――じゃあな、元気で。『さようなら』」

「『さようなら』」


 その契約の言葉で、私はするりとお兄さんから抜け出る。

 お兄さんは顎髭を撫でながら、浮いている私と軽くハイタッチした。


 夕暮れ高く昇っていく私は、きらきらと最後の涙に送られて、この世界から消えていった。




 

 

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男は魂と語らう 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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