14 めぐる春

 里葎子さんは仕事が早い。


『ちょっとどういうこと!? 本当なの?』


 夕食時で忙しいはずなのに、電話はメッセージを送って間もなくかかってきた。実際忙しいらしく、背後で旦那さんと咲月ちゃんがなにやら大騒ぎしている。


「やだな、里葎子さん。カッパなんて嘘に決まってるじゃないですか。今日はエイプリルフールですよ?」


『ついにカッパを捕らえました!』

 またつまらない嘘をついた4月1日。捕らえたカッパでせっせと海苔巻きを作った。酢飯は面倒だから普通の白ごはんだけど、ツナマヨも一緒に巻いたから味はなかなかおいしい。


「上手だなー」

「スーパーで働いてる友達にコツを聞いたの。海苔の端までごはんを敷いて、ごはんとごはんを合わせるように巻くのがポイントなんだって」


 しみじみと晴太が感心してくれたのがうれしくて、聞かれてもいないことまで嬉々として披露する。


「カッパ、うまいね」


 ただのキュウリだとバカにせず、さらにひとつ放り込んだその顔を携帯で撮影した。そして、どうだ里葎子さん! 私の彼氏はダメ男じゃないぞ! という気持ちを込めてその写真を送り付けた。その直後の電話だ。


『カッパの話じゃなくて彼氏のこと!』

「彼氏できたのは常々言ってるじゃないですか」

『その彼氏が小川君だなんて聞いてない!』

「小川君?」


 首をかしげながら晴太を見ると、呼ばれた本人はちょうど4つ目の海苔巻きを飲み下したところだった。


『小川晴太君でしょ? 私の同級生なの』

「ええーーー!! うそーーー!!」

『私はエイプリルフールなんてやらないよ』


 見つめ合ったまま絶叫する私を見て、晴太がはっきりと不安な表情になったので、携帯をそのまま渡した。


「職場の先輩の水田里葎子さん。晴太と同級生なんだって」

「……もしもし?」


 受け取った晴太は出自の怪しい漢方でも飲むように恐る恐る携帯に話し掛ける。


「━━━━━ああ、木村さんか。その節はどうも」


 ホッとした晴太の顔を見ながら、里葎子さんの旧姓は『木村』なんだな、とポイントのずれた感想が頭に浮かぶ。


「━━━━━え? ああ、そうそう。━━━━━はあ、まあ、いろいろあって……

 ━━━━━へ? そうなの? ━━━━━いや━━━━━そんなことはないよ。━━━━━大丈夫。━━━━━はい。それはもちろん……あります。━━━━━はい。━━━━━がんばります……」


 徐々に力なく、またかしこまっていく晴太の耳元では、里葎子さんのけんけんという強い口調が感じられる。けれど、内容はわからない。戻ってきた電話は、すでに通話が切れていた。


「なんか、娘さんが泣いたからって切られたよ」

「忙しいのに悪いことしちゃったね」


 珍しく私の言葉を素通りして、晴太は自分の携帯を熱心に操作しながら口元を綻ばせる。


「そういえば、食べたなー、ツチノコ」

「………は? ツチノコ?」


 自分のカッパ発言を棚に上げ、この人正気か? と疑いの眼差しを向けた。そんな私に晴太は『ツチノコ』画像を突き付ける。


「ほら、これ覚えてる?」


 晴太が差し出した携帯にあったのは、発信者『里葎子』で送られている至極どうでもいいメッセージ。

『今日の夕食はツチノコでーす!』

 少し下の方にはアジの干物の写真もある。そのアジがのってる白い長方形の角皿には、右下にピンクのお花がひとつだけついていた。とても見覚えがある。なにしろ、今現在そのお皿にはカッパ巻きが並べられているのだから。


「去年、突然木村さんからこのメッセージもらって、その日アジの干物食べた」

「………………」

「『よかったらツチノコの後輩紹介するよ』って花見に誘われたんだけど、残業で間に合わなくて」

「………………」

「ずいぶんご縁がありますね? ツチノコの美夏ちゃん」


 笑った顔には、あの夜見たものと同じえくぼが浮かんでいる。去年、いらないです、興味ないです、と拒絶していたのは、この笑顔だったらしい。


「相手が晴太だったなら、里葎子さんに紹介してもらえばよかったーー!!」


 過ごした時間はどれも愛しいけれど、人生に限りがあるのなら、一秒でも早く出会いたかった。きっと、どんな形で出会っても、私はこの人を好きになったのに。ごめんなさい、里葎子さん。あなたの言うとおり、出会いの形にこだわるべきではなかったです。


「木村さんに『美夏ちゃんを弄んで捨てようとした挙げ句、バレンタインに泣かせたクズ男はあんたか!』って言われた」

「誤解です……」

「『私の頭越しにかわいい後輩に手を出したんだから、相応の覚悟はあるんでしょうね』って」

「うちの先輩がすみません……」

「だから『あります』って言っておいた」

「…………本当に?」

「さあ? 今日はエイプリルフールだからな」


 カッパ巻きに手を伸ばす晴太の膝の上に乗って、シャツの胸元をきゅうっと握った。


「嘘だったら泣く」

「それは困る」


 困るって言うくせに、晴太のえくぼが深みを増した。


 いつだって、予感なんてない。


「……キスも、カッパの味だね、小川君」

「カッパ食べたからね、美夏ちゃん」


 恋は嘘みたいな幸せをはらんで、


「来年は宇宙人にして」

「え……宇宙人? なんだろ? クラゲの炒め物とかかなー?」


 私のとなりに、いつもある。








fin.


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きらり、きらり、 木下瞳子 @kinoshita-to

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