エピローグ2

 竜とパナケアが、トコトコと近づいてくる幼女に向かって叫んでいた。


「ここへ来るのだ!フェミィよ!」


「だめだ!あっちは悪の権化ごんげ!化け物だ!こっちにおいで!」


 それはまるで、保育所の父兄参観のような光景だ。もっとも声だけを聞けばの話に限るが。

 一方は全身が鱗に覆われた、四枚羽の巨体を持つ黒き竜。

 もう片方は額から三本の角が生え、尻尾をニョロニョロと有した白ずくめの女魔王だ。


「ゴンゲいやなのーー!」


「パナケア!貴様はなんて事を!言って良いことと悪いことがあるであろう!」


「勝負の世界は非情なのさ!」


 幼女は進路を変えて、パナケアの方に足先を向ける。


「我はゴンゲではない!神だ!いや、トカゲだ!」


 竜の恥も誇りも捨てた言葉に、幼女はクルクルと回ってから方向を変え直した。


「あはー!トカゲすきーー!」


「それで良い!そのままここへ来るのだ!」


「騙されたらダメだ!奴の名はゴンゲ!生まれた時から死ぬまで雌たらしのゴンゲだ!」


「いつ我が雌をたらし込んだと言うのだ!?言ってみろ!」


 竜が睨みをきかせて詰め寄るも、パナケアはそれを無視。


「フェミィ、こっちだよ!君の好きなおっぱいもあるよ!」


 見えない事は分かっているが、パナケアはマントを開いて豊満な胸をアピールした。


「おっぱい好きーー!!」


「卑怯だぞ!パナケアーーーーッ!!!」


 竜が悔しそうに雄叫びをあげる。

 そうしてーーーー幼女は、パナケアの足元に抱きついたのだった。


「ふっ。これが母性ーー雌の力というものさ」


 パナケアは幼女を抱き上げ、勝ち誇った顔を竜に突きつける。


「これで三戦三勝だ。五戦する前に、僕の勝利は確定したね」


「うぬぅ……」


 竜が顔をしかめた。

 第一戦、どちらが触り心地が良いかはーー竜の敗北。

 第二戦、どちらが良い匂いがするかもーー竜の敗北。


 この決着で第四戦目を待たずにして、パナケアのストレート勝利が決まってしまったのだ。


「約束は守ってもらうよ」


「待て……待ってくれ……」


 たじろぐ竜に対して、パナケアは妖艶な笑みを浮かべる。

 ここからが、パナケアが描く“愛の策略”だった。ただ、繁殖行為を行う。それで満足するのは知能の低い動物だけだ。

 パナケアは雌の竜らしく、秘めた理想があった。黒き竜とのーーロマンチックな“愛”のある営みを。


「満点の星の下で、君と僕が夜に溶け合うように絡み合い、骨の髄まで愛してくれるなら……この三戦は水に流して、次の勝負に勝った方が勝者で良い」


「ぐぬぬぬっ!!」


 竜が歯を食いしばって葛藤する。

 決して行為が嫌なわけではない。だが、この世界には破壊すべき物はまだまだ溢れ続けている。黒き竜にとって今は、まだその時期ではないと言う事だ。


「どうするのさ?」


「……分かった!我は最後の勝負に賭ける!」


 苦汁の決断を、竜は下した。


「もちろん、内容は三戦の勝者である僕が決めるよ?」


「いいだろう」


 パナケアは舌なめずりをして、竜を見つめる。


「勝負内容はーー“フェミィはどちらの方が好きか”だ」


「……なんだと!?それはあまりにも酷というものではないかっ!」


 この三戦全てを、幼女は好意を持ってパナケアを選んでいる。それは黒き竜から見ても明白だった。最大の武器ーー二つの大きな母性もひっさげてある。


「じゃあ勝負は止めにして、とっとと子作りを始めるかい?別に僕はそれでも構わなーー」


「えぇい!内容はそれで良い!貴様という奴は、いつからそんなに捻くれてしまったのだ!」


「捻くれようが歪んでようが、これが僕の愛だ。そして、そんな自分が僕は大好きなのさ」


 パナケアは尻尾の先をチロリと舐め、フェミィを抱きかかえて第一アピールを開始した。


「フェミィ。君はどっちの竜が好きなのかな?」


「待てっ!結論が早すぎるだろう!」


 懸念する竜に対して幼女は、


「しゃわりたいー!しゃわりたいー!」


 と、はしゃいでまたもやパナケアの胸を要求した。嬉しそうに笑い、顔を埋めて遊ぶ。


「……もう良いだろう。次は我の番だ」


「フェミィは僕を選ぶと思うけど、必要あるのかい?」


「……ある」


 何もしないよりはマシだと。

 竜は諦め半分で、幼女を鼻筋の上に乗せた。


「手を出してみろ」


 幼女は声のする方ーー竜の眉間に歩み寄り、ペチペチと十字傷を叩いた。


「トカゲかたいー!ちべたいー!」


「……」


 竜の瞳がどんよりと濁った。

 もはや勝ち目が無い事など、火を見るよりも明らかだった。

 次に幼女は何が面白いのか、ゲシゲシと竜の鼻筋を踏んで遊んだ。


「あはー!あはー!」


 鼻筋で暴れ回る幼女に、大きな溜め息を吐いた竜。

 それを見ているパナケアはーー必至に笑いをこらえている。

 ふと、幼女は何か忘れ物でもしたかのように、再び竜の十字傷の辺りを触り始めた。


「……いたい、いたいね」


 竜とパナケアが目を丸くした。

 目の見えない幼女が、どうして傷のことを悟ったのか。


「痛くは無いのだが」


「わたしのおめめもいたくないの。でもねっ。いたいの」


「……我は痛くないと言っているだろう」


 竜が遠い目をした。

 十字傷はとっくの昔に塞がっている。しかし、原因となった人間に裏切られた言い得ぬ衝動は、今でも忘れる事は出来ない。

 だが、それに対して恨んでいる訳でもない。欲に目が眩む。保身に走る。己を知らず、守る物が多過ぎる人間など……その程度の存在と、竜は再認識しただけ。

 ーーしただけだと、竜は虚しく自分に言い聞かせた。


「ちがうの」


 幼女が首をフルフルと振った。

 胸を抑え悲しそうな顔を、竜の目玉に向けた。


「トカゲね、ウソつかれてね、ここがね、いたいいたいなの」


「なっ!?」


 竜が口を大きく開けた。

 今しがたの記憶、思考が読み取られた事に気付いたのだ。


「パナケア!!こやつ魔法を使ったぞ!」


 竜が言い切る前に、パナケアが瞬時に移動して幼女の手を掴んでいた。

 すぐにその小さな手の平を確認するとーー特殊な魔法陣が描かれていた。


「……因果の術式。強い絆を確認する魔法だ」


「なんだと!こんな小さな人間がか!?」


 幼女は糸が切れたように、竜の鼻筋でゴロンと眠り込む。思わぬ魔法の発動に、小さな体が耐えきれなかったのだ。

 可愛らしいいびきをかきはじめる幼女。

 それを覗き込む両者は、とある考えに到達した。


 竜との絆を繋ぐ事ができる希少な人間とはーー俗に言う竜の巫女という存在だ。

 かといって巫女に、強大な力が宿る訳でもない。魔法だけで言えば、並みの魔法使いよりも低いレベルの魔法が扱える。

 そんな程度だ。


 竜の巫女の真の役目。

 それは絆が繋がった竜と、生涯を共に歩む運命にあるという事。どれだけ離れても、どれだけ憎み合っても、磁石のように引き合ってしまうのだ。


「我とこやつに絆が生まれるだと……考えられぬ」


「まぁ、だとしてもだ。この勝負には一切の関係がない。フェミィは眠り、勝負は無効……三戦を考慮すれば僕の勝ちだね」


「ーーいや、待て」


 竜が鼻筋の上で眠る幼女を見やった。

 ゴロンと寝返りを打ち、モゴモゴと動かした口の隙間から、


「トカゲ……だいしゅき」


 幼女は夢の中で、最後に竜を選んだ。


「絆のーー我の勝ちのようだ」


 竜の寝床に『グルル』と喉を鳴らす声が響いた。





 ◇◆◇◆◇◆





「治らぬか?」


 竜が干し草の上で眠る幼女を覗き込でいた。

 パナケアが盲目の呪いに向かって、治癒の魔法をかけているからだ。


「あぁ。魂と定着している」


「そうか」


「……盲目の呪いーー毒に関して調べておくよ」


「放っておけ。人間はいつまで経っても学ばぬ。特にこの中央大陸の人間共は救いようが無い」


「じゃあなぜ、黒き竜はこの大陸を見捨てないのさ?」


「……」


 竜が不満気に押し黙った。


「僕はそういう不器用で優しい黒き竜が大好きなんだ。そして、そんな君を好きな自分が……とても誇らしい」


 パナケアは竜に向けて微笑みを見せた。


「言っておけ」


 この日からパナケアは毒に関する資料を世界中から集める事になる。そうやって雪山の寝床には、数え切れないほどの本が並べられていったのだ。

 来たるべき、幼女の治療の為に。


「勝利者として、パナケアに頼みがある」


 竜が唸るように言った。


「何だい?」


「この小さい人間の記憶の消去を任せたい」


 竜の大雑把な破壊魔法では、幼女の全ての記憶を壊してしまう。ここはパナケアが扱える、精神操作系の魔法が得策だと考えた。


「我もここ数十年の記憶ごと破壊する……フェミィとの絆もだ」


 世界を破壊する黒き竜。そんな者との絆など、絶対に戦火は避けられない。多くの人間にも恨まれる。

 いたずらに早死にするだけだろう。そう竜は判断した。


「やっぱり君は優しいね。惚れ直しちゃうよ」


「我は破壊の竜だ。我の壊したいものが、世界にとっての正解である」


「どうだかね。まぁ、僕は負けたんだ。後仕舞いは任せておくれ」


「頼むぞ」


 そうして竜は大雑把に自分の記憶と生まれた絆を壊し、再び深い眠りに入った。


「次に目覚める時まで、僕はずっと待ってるからねーー黒き竜」






 約束通りパナケアは、幼女のこの二時間ほどの記憶と、“黒き竜との絆”を消去した。


「さて、あれが君の父親かな」


 霧を抜けたパナケアが木々の影に身を隠して、一人の男性を見つめていた。

 家から抜け出した幼女に気付いてない父親は、パタパタと呑気に洗濯物を干している。


「もう迷いこんではダメだよ。フェミィ」


 パナケアは幼女の額に愛情を示し、森の中に姿を消した。


 ーー石板を、その場に落としたまま。






 ◇◆◇◆◇◆





「かいつまんで説明すると、これが黒き竜と白き竜。そして、よたよたと歩くーー盲目の幼子の話さ」


 空を駆ける二枚の白い翼。

 竜の体型と成ったパナケアは、首を背中に向けながら飛んでいた。

 背中にはもちろん、盲目に戻った少女がちょこんと座っている。


「正直、君が僕の雪山ーー寝床に現れた時は、心臓が飛び出そうになったよ。一体何のために因果を消したのか……君たちには本当に度肝を抜かれてばかりさ」


 パナケアは『君はバカなのか!』と、つい言ってしまった場面を思い出して、懐かしそうに苦笑した。


「だからリュウさんもパナケアさんも、私の名前を知っていたんですね……」


 少女の胸に、ドクンと熱い脈が打った。


「そう言えば、僕はあの時に石版を落としてしまってね」


「あっ、あのですね!その石版は私が持ってるんです。お父さんが言ってました。小さい時に私が拾ってきたって」


「なるほどね。これで合点がいった。だから絆が戻ってしまったと言う訳か。まぬけだったよ」


 特に驚いた様子もなく、冷静に返事をしたパナケア。


「それって……わざとじゃないんですか?」


 少女は少し考えた後、疑惑を投げかけた。

 パナケアがそんなミスをするとは思えなかったのだ。


「あはは。それは……どうだろうね」


 パナケアは嬉しそうに笑い、ぐるりと空を旋回した。


「ひゃあああ!!危ないです!落ちますよ!」


「これは何の確証もない古い言い伝え。与太話と思って聞いてほしい。竜の巫女は繋がった竜に対して、幸運をもたらすと言われている。黒き竜は絆を消せって言ったけど、僕はもう一度だけ君達の運命を試してみたくなった。もちろん人間が破壊の竜とは出逢わない方が良い。それは分かっている。でも、再び出逢う事があったなら…………それだけの事さ」


 淡々と思い出話を語るパナケア。

 しかし少女には、難しい話を抜きにして、一つだけ聞かなければならない大切な問題があった。

 一人の女性として。


「竜の巫女や絆が私にはピンと来ませんが……あのですね、とても言いにくいのですが、リュウさんはその……私の事が好きなんですよね?」


 言った本人ーー少女が顔を赤らめる。


「だと思うよ。彼がその気持ちを本当に理解しているかは別として」


「だったら……パナケアさんにとって、私は邪魔者なんじゃないですか?」


 最初の雪山での言動。竜に協力した理由。過去の話。統合すると、パナケアが竜に向ける感情はそこらの恋愛話の比じゃない。

ただ一途に。何万年も竜に恋い焦がれている。


「そうだね。君はライバルだ。でも、僕はフェミィの事を嫌いじゃないんだ」


「なぜです?」


「僕の胸をあんなに情熱的に揉みしだいたのは、何万年もの過去を振り返っても、君しか居ないからさ。母性本能ってやつが高鳴ったよ」


 パナケアはうっとりと目を細めて言った。


「ーーっえ!?」


「あぁ、君にはおっぱいという言い方の方が親しみやすいかな?」


「おおっ、おおおっ!?って、ちょっと待ってください!子供の頃の話は恥ずかしすぎます!」


 わちゃわちゃと。両手を前に振りながら少女は顔を先よりも赤らめた。


「仕方ないよ。君には母親が居なかった。だから母性ーーつまり、おっぱいを求めるのは自然な事だ。あの時の夢中でおっぱいを揉みしだく君ときたら」


「ふぇええええーーっ!!おっ、おっぱいを連呼しないで下さい!」


「ちなみに人間の趣味趣向に関しても知識は得ている。同性同士ーーあるいは僕が雄に変身して、行為に及ぶという手段もーー」


「ストップ!どうどうどうです!!パナケアさんはその、エッ、エッ、エッチと言いますか!発言が過激なんですよ!」


「あははは。僕は癒しの竜だからね。そういった気質は特に強いのさ」


 パナケアは甘える子犬のように、少女の体に頭部を擦り付けた。


「私からというか、人間から言わせてもらうと、パナケアさんも十分規格外なんですけど……ん?」


 パナケアの口元を撫でる少女が気付いた。

 手の平の中心に感じる、暖かな温度を。


「何か魔法でもかけましたか?」


 少女が不思議そうに手をパナケアの方に向ける。

ーー古代文字が浮かび上がった、小さな魔法陣を。


「僕との因果を表す魔法陣が現れている……つまり、絆が生まれたって事さ」


「はい?どういう意味ですか?」


「竜の巫女。つまりフェミィは黒き竜とは別に、僕の巫女にもなったということさ」


「ふぇえええええええーーっ!?それってリュウさんに対してだけとか、そんな特別なやつじゃないんですか!?」


「知らないよ。それだけ君がどんな竜にも尻尾を振る、好き者だって事じゃないのかい?」


「ビッ◯ーー!?私が◯ッチーー!?言いがかりです!身に覚えがありませんよ!!」


「まぁ、仲良くていこうよ。フェミィ」


「ひゃあああーー!!変なところだけ強調して言わないで下さい!」


 笑いながらパナケアは、あむっと少女を口の中に放り込んだ。


「ベロベロプレイですか!?さっそく始めるんですか!?」


「記念に一発、と言いたい所だけど。今から中央大陸を隔てる“磁場の嵐”に突入する。だから口の中で我慢しておくれ。ここを抜ければ西の大陸ーー僕らの故郷となる【竜の都】さ!」


 ほっと胸を撫で下ろした少女は、新たに決意を奮い立たせる。


「リュウさん……待ってて下さいね」


 黒き竜を救うため、二人は西の大陸へーーーー。





 《END》




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

少女が竜を殺した理由〜盲目の少女と破壊の黒き竜〜 パンドラキャンディ @pandora-candy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ