つなぐ

内藤義康

つなぐ

8月、夏まっさかりの観光シーズンだが、この村に人の気配はほとんどなかった。ここ田後村たごむらは、山脈から奥へ進んでいったところにある人口260人ほどの小さな村である。その村の役場では、財政難で村が合併されてしまうような危機に陥っていた。


そんな中、村人達はどうにか観光資源を作り、観光客を取り入れられないものかと考えていた。村の村長、内藤義康ないとうよしやすはけん命にどうにかならんものかと考える。まわりの者達も考えているように見えるが、よく見ると寝ていたりペンをいじったりしているものがいる。そんな事をしたうえで、「いやー、やっぱり観光資源なんてこの村にゃむりっすよ。」と言う。


こういう事が、村長の頭にくる。お前達は遊びにきているのかーと、思わずこう言った。「何か少しでもいいものがないか考えているのか!」その言葉にざわつきが起きた後に、村人の誰かがおそるおそる「ない事はないのですが・・・」と言う。あるならさっさと言え!と心の中では思ったが、切れやすい村長と言われるのがいやなので、落ち着いて、会議を中止し、そのない事もないという場所へ連れて行かせようとした。しかし、何か行きたくないのだのブツブツ言う。車で行くからいいだろと言うが、車では行けないと、妙な事を言っている。


だが、何がなんでもその場所に行きたい。仕方なく数人を連れて暑い中を歩いていくことにした。歩くこと1時間。それらしき物はない。

「あとどのくらいだ?」「あと10分ほどです。」即座に答えたのでうそではなかろう。10分なら体が持つな。10分後、何かはあった。一瞬は大きさに期待したが、すぐにその気持ちは消え、ためいきをした。ない事はないというのも無理はない。


そこにあったのは谷の間のボロボロのなんとか落ちていないようなつりばしだった。多分2,3人同時に乗ると落ちてしまう。しかも町から1時間かかる。ないこともないというよりは、ここは登山道の一部にすぎないような橋であり、観光用ではなかった。しかし、これ以外に大した物はなくて、新しい建物を建てる予算もない。せっかくここまで来たのだから、いっそのことここを何とかしよう。そう決心したのだった。


 9月前半、県に観光予算をもらえないかと求めるものの、ことごとく断られて、むしろ隣町との合併の話まで上がった。これは話にならんとあきらめ、次に橋までの交通の便を良くするために、バス会社を一同で訪ねた。

バス会社の中に入り、幹部に必死にアピールをした。受けはよく、近くまでバスを引いてくれそうではあったが、どうやらそもそも近くまで運行させる道路がないらしい。まともな道路が通り次第、バスを通すという条件で提携を組んだ。


他にも色々な会社に出資を求めるが、結局提携したのはバス会社だけであった。ほとんど観光地化は不可能ではないかと村の人々は思いだして、徐々に支援をする者も減ってきた。そんな中、唯一県から許可され、予算がおりた物があった。橋と村をつなぐ道の舗装である。舗装をできればバスが通る。バスが通れば橋へと行きやすい。橋へ行きやすくなれば出資してくれる所があらわれる。すなわち、成功への一歩目である。村長はすぐに舗装を開始させた。


 3月後半、よりによって期末で役所が珍しく忙しい時に舗装が終了した。できれば4月になってからバス会社へ行って運行計画を進めたいが、贅沢は言っていられない。仕事を任せ、バス会社へ向かって行った。社長と会うと、すぐに舗装完了を報告して、スケジュールを練った。30分間話し合いをし、最終的には15分毎で運行する事で決まった。


これで交通という面はクリアだが、肝心の橋を修理しない事にはどうにもならない。しかし、修理には相当な費用がかかる上に、最近は建築があーだこーだと法律が厳しいので、出資してくれる会社がない事にはどうにもならない。

必死で出資を求めるが、小さいその辺りの中小企業が少し参加したのみで、予算は数百万円ほどしかない。もう思い切って村長達はなんとなく勘で決めた超大手のコンビニ、エイトテンに行く事にした。場の雰囲気に少々ビビリながらも説明すると、なんと、出資は断られたが、その橋の近くにコンビニを出してくれるそうだ。

こんな運のいい事に、村長は自分は運がさえてるんじゃないかと思った。しかし、こういう時に調子に乗ると運が落ちてしまうので、一度村へ帰り、少ない予算で橋の工事を開始した。


 そして5月、橋やその周辺もきれいになって、安全面も確保されて、それなのにスリルがあり、とても揺れるという理想的な橋ができた。本来ならこのまま広報したいところだが、この橋は5年ほど前から安全のために通れなくなっていたので、再度国に申請しなければいけなかった。面倒ではあるものの、安全面には絶対的な自信があったため、誰もが許可されると思っていたが、結果は違った。なぜか許可が下りなかった。なぜかと聞くと、何だかんだとうそっぽい事を言う。


後々帰ってから調べると、どうやらつりばしで有名なとなり町の戸島市としましが、客を独占するために上と組んで許可しなかったらしい。村の者達はあせった。このままだと費やした金が全て無駄になってしまうのではないかと。だが、村長は屈しなかった。


すぐに国土交通省にこれを通報し、もう一度検査をしてほしいと言った。それは通り、再検査を国交省の幹部が自らで行った結果、前回の結果を謝罪すると共に、観光の使用が許可された。これにより、正式につりばしの観光化がされ、広報を行い、橋にはにぎわいができて入場一人350円という形で資金も集まり、事は済んだはずであった。

が、観光客を取られた戸島市がこれをだまっているはずがなかったのである。国の許可が下りていないのだのといううその情報をこっそりとネット上に流したり、村の人々を買収して騒音がうるさいのであまり人をこさせないでほしいという事をさせたりするなど、いやがらせが相次いで、それにより安全面が心配だとかいう事を言われはじめて、戸島のつりばしの方が観光客がまた多くなってきて、収入も赤字に戻りつつあった。しかし、戸島市もそうはいかなかった。


内部告発により、全て戸島市がいやがらせをしたものであると発覚して、名誉毀損罪という形で指示をした一部の者が書類送検され、市長も責任を取って辞任した。

また、そのニュースは全国的に報じられて、色々なマスコミが橋に来てくれたため、スリルがあるつりばしとして、全国的に橋知名度はアップした。それにより、観光客はオープン当初の15倍ほどにまで跳ね上がり、おかげで村は大きくなった上、店が多く村にやって来て大都市からの国道も通り、移住してくれる者も増えて、人口20,000人にまでもなった。


そして、これにより、田後村は田後町になり、さらに、つい昨年までこちらが合併されてしまいそうであったというのに、たったの1年で合併できる地位にまで登りつめて、実際に周りの小さな村、そして何と、あの戸島市までも田後町と合併して、田後市となり、人口25,000人にまでなった。


こうなれたのも、ふりかえれば全てあの橋のおかげである。そう、あの橋がこの市の命をつないでくれたのかもしれない。

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つなぐ 内藤義康 @daikonoroshi

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