暴走
高騎高令
第1章 小淵沢グランプリ
1)障害飛越競技・中障害Aクラス。
国体山梨県大会の馬術競技場は、中央高速道の小淵沢インターから、小海線小淵沢駅からもざっと5キロほどの斜面に、道路を挟んで下側に外来厩舎と上部に競技場をぐるりと周回する走路と、その内側に、上段下段とに障害競技用馬場と、通路で分けられ右と左に馬場馬術競技用の馬場と、障碍飛越競技用の馬場で、それぞれ準備運動馬場も併設されてある。
標高1000mと言うが、初夏の日差しは紫外線の強さを否応も無く感じさせるが、日陰に入ればガラッと爽やかになる。
私は競技本馬場の一段下の準備運動場から、愛馬のカルーゾをゆったりと歩かせて、本馬場を仕切った待機馬場へ入った。
待機馬場には、既に出番が先の4頭の人馬が、それぞれ思い思いに軽く準備運動を行っていた。
「ガツン がらがら」本馬場からの大きな音と、「わーっつ」という歓声に馬を停めて、馬場一杯に並んだ各種障害物の合間に、音源を目にする、どうやらコンビネーション障害Cのオクサー(平行横木障害)のバーを引っ掛けて落下させたようだ。
「やったな、あそこはロングになって居るから、完歩を気を着けないと」先番の栗毛馬に乗った埼玉の選手景浦が感想を告げた。
「そうらしいな、手前の垂直を大飛びしないようにな」と私は相槌を打って愛馬カルーゾに、速歩発進を促した。
この競技は、中障害A、コース障害は第1障碍から第11障害まで、しかしダブルとトリプルのコンビネーション障害が有るので、14個の障害物が並んでいる。
コースデザイナーは、競技補助員の苦労を忖度したか、箱障害を交えず、全て横木の障害物を並べた。
コース全長は560m規定時間は分速350mとして114秒、制限時間は倍の228秒だ。
優勝賞金は50万準優勝30万、3位20万円4位以下は賞金無し、先ず目の前で一人が脱落した。
障害飛越競技に於いて、馬の1完歩(1ストライド)とは、馬の大小と言っても、そう大きくは変わらないので、大よそ次の計算式で算出する。
1ストライド= 速度(m/分)/100
速度のカッコ内の数字はその障害飛越コースを分速何秒で走行するかを規定した数字、普段の競技では分速350mでコース全長が350mであれば、走行タイムは60秒だ。これは余計な事だったが、上の計算式で算出すると、馬は凡そ1ストライドは3.5mと算出され、障碍間の距離によって、一つの障害から次の障害へのストライド数が計算される、障碍を飛越する為に、障碍の手前何メートルで馬を踏切させるかは、障害物の高さの2分の1と計算される。
障害物の高さが1mなら手前0.5mのところで馬を踏み切らせると言うことになる。
ただ漠然と馬に障害物を飛ばさせている訳では無い。
障碍飛越競技のコースは、権威ある認定されたデザイナーによって設計され、大会の審判団や技術代表によって、馬に悪影響等が無いか、出場人馬の技量能力レベルに合ったコースかどうかチェックされる。
順番が進んで、私より先の出番の人馬4頭が走行を終え、私の出番が巡って来た、先の走行した4頭は、1頭が無過失でコースを走行し、既にジャンプオフに残った3頭に加わった。
いよいよ私の出番で、本馬場左手、下段の馬場側にある審判棟から、出番の番号と騎手の名前、所属クラブ名、そうして馬名がアナウンスされ、本馬場へ入場するように促された。
入場口のスタッフの合図で、私はカルーゾを促して本馬場へ常歩で勧めた。黒鹿毛のサラブレッドの国内産馬だ。遠くヒカルメイジの血筋にまでさかのぼれる。
本馬場に入り、ゆっくりとカルーゾに本馬場の雰囲気を感じ取らせるように馬場中央へ導こうと歩を進めると、いつもの癖なのか、カルーゾは緊張し両耳をちらちらと動かし、鼻面を空へ向けて嘶き、脾腹から後躯へ掛けて皮膚を稲妻が走るようにけいれんさせた。
緊張すると高らかに嘶くので、私はこの馬と出会って愛馬としたときに、かの名オペラ歌手カルーゾソーの名を貰って付けたのだった。
カルーゾの嘶きに応答するように、待機馬場の他の1頭からも、嘶きが返って来た。
参加者が多いので、競技進行係はスタートのベルを鳴らしたので、私はカルーゾの首を軽く愛撫し、軽く扶助を与えて駆歩で発進し、スタートへ右手まで進めた。
スタートとフィニッシュゴールの位置は、入り口から近いところに有るので、待機馬場の柵に沿って進め、大きく右へ回転して、スタートラインを切り、第1障碍の垂直横木障害、高さは110cmに向かった。
スタートライン脇には、計時機のセンサーがあり、傾斜面の観覧席の正面にデジタル計時機が表示されていて、スターと共に秒数が、刻々と刻まれて行く。
カルーゾは指示に従順に従って、軽いキャンターで目の前の障害へ向かい、そのままのリズムで踏切り、問題なく第1障碍を飛越し、次の障害へ向かった。
前肢が着地し、右前肢が1っ歩前へ伸びると同時に後肢が着地する瞬間に、私は馬腹を圧迫し上体を起こし次の障害への準備をした。
このタイミングを狂わすと、飛越と同時に後肢で上部の横木を蹴って落下させかねない。
まず、第1障碍を気持ちよく飛越し、カルーゾのリズムにも乱れが無い事を感じ取り、第2障碍へ向かう、少し距離があり、完歩を整えないと失敗する。
第1障碍を落下とか失敗するのは、多分にメンタル的に問題があると言われている。
第2障碍、赤白に塗り分けられた横木の垂直、高さは120㎝、第3障害は飛越後、急角度で右へ回転し、回転の角度によって、障碍までの距離が変わって来る。下手に大飛びすると急回転は難しく、左へ大きく膨らまざるを得なくなる、距離と僅かながらタイムのロスも加わる。
この馬場の左端、中央通路側に大きく根を張った樹木が切られずに頑張っている。根の周りは盛り土されて柵で囲まれているので、樹木はコース上の旗門のような役目を果たし、樹木の馬場内側を回れば、次の障害への角度と距離が難しくなる。大きく向こう側を回れば距離を取られ、完歩数もタイムも多少変わって来る。
頭の中ではそんなコース上のネックを考えながらカルーゾを走らせ、一つ一つ障害をクリアし、最後のコンビネーション障害へ向かった。
馬場内の樹木の向こう側を左へ回って、審判棟前の直線コースに置かれた三つの障害、A障害は高さ125㎝の平行オクサー幅は140㎝B障害は130㎝の垂直、AB間の距離7.5m、C障害は高さ130㎝のオクサー、BC間の距離は10.5m完歩に注意しないと、拒否されるか落下の恐れがある。私はカルーゾに任せたぞと言ううように拍車を入れ、前方に三つ並んだ障害へ向かった。
最初のオクサーで大跳びしない様に抑え気味に踏切、着地と同時に馬首を上げさせ次の垂直障害を、角度を取った山なりの放物線で飛越し、最後のオクサーまでの距離を多くとって、余裕を与えてカルーゾに踏み切らせた。先ずは無事ゴールしてジャンプオフに残った。
観覧席からの拍手に送られて待機馬場へ退いた。
私の後の出番で、専ら優勝候補の一頭と目されている、千葉の黒沢とドイツ・ハノーヴァー種のチャンセラーサード。
逞しい胸元と肩の動き、そして待機馬場から本馬場へ入場する時の、段発力をみせつけるような、後躯の動きを見送る。
千葉中央ライデイングファームのクラブ所有の馬で、数々の競技で入賞し、馬術界においても入賞賞金王と、多分に揶揄の意味も含まれるが、そんな呼称を着けられるほど、乗り手の黒沢と共に、確かに入賞賞金を誰よりも稼いでいる。
黒沢は入場口へ入ると、直ぐに馬を止めて鞭を持った右手を胸元に捧げて敬礼した。同時に審判棟からスタートのベルが鳴らされた。
黒沢はチャンセラーサードを促すと軽いキャンターで第一障碍へ向かい、軽くクリアし次々とコース上の障害をリズムよく飛越して行き、最後の直線コースのトリプル障害へ向けて、馬場の端の木の根元を左へ回転していこうとした途端、何に驚いたのかチャンセラーサードは両耳を背負うように倒すと、其れこそ大きな目を吊り上げるようにして、がつっと騎手に逆らって後肢で立ち上がると、ひっくり返るように反転し、待機馬場の入場口へ狂奔した。
鞍上の黒沢は、咄嗟の事で、慌て気味に手綱を絞り、銜に逆らうように前方へ鼻面を伸ばそうとするのを食い止めようとしたが、1馬力には1人力では抗しきれず。チャンセラーサードは更に昂奮して、頸を上下左右に振りながら盲滅法、方向定めずと言うくらいに疾走した。そんなチャンセラーサードに更に追い打ちを掛けるようにあちこちから犬の一斉咆哮が場内を圧した。
障害物へ向けて走行し、その障害物を飛越せず他へ走ったりすると、馬の反抗として減点を与えられ、20秒以上その反抗が続けば失権となってしまう。
突然の狂奔に呆気に取られたか、審判席からの失権を告げるベルの音も、「失権ですので、速やかにご退場ください」とのアナウンスも、黒沢の耳に入らないのか、勿論馬の耳に念仏、チャンセラーサードは聞く耳を持たない。
大型犬の腹に響く吠え、小型犬の喧しく甲高い吠え声が呼応する。
あっちこっちから「銜を外せっつ」「引っ張るなあっつ」とか叫ぶ声が犬の咆哮にに被さった。
馬場内の競技運営スタッフは、狂奔する馬を止めようと、右往左往しながら一旦は大手をひろげたりして、馬の進行の前へ立ちはだかったが、馬はそんなものを無視すように、口元に泡を吐き出し、頸から胸元に白汗を噴きだして突っ走ったので、スタッフもまともに馬にぶつけられたのではたまらんと、寸前で身をひるがえすか、馬の方が傍を掏り抜けて、馬場内を走り回った。待機馬場の残った私をはじめ、ジャンプオフに残った人馬と、未だ出番を待つ2~3頭の人馬が、境の柵の前へ集まって、狂奔する馬が柵を飛越しない様に、柵の前で停止するようにと見守ったが、そんな事では馬は収まらず、周囲の関係者や観客が、口々に驚きやああしろこうしろなどとと言う大きな喚声にも刺激されたか、中央通路の方へ突っ走知って行き、頑丈な馬場柵を飛越しようとした。
馬場の外ではスタッフや、チャンセラーサードのオーナーでもあり、所属クラブのオーナーでもある笠木と、クラブのスタッフと会員の何人かが、口々に喚きながら柵に沿って走り回った。
馬場柵の向こうはコンクリート製の男性のトイレ棟があり、飛び越えて勢い余ってその建物にぶつかりゃしないかと、待機馬場の境の柵の前で見守っていた私は思わず要らぬ心配をした。
乗り手の黒沢は、馬場柵の手前で何とか止めるか、方向転換させようと右手の手綱を思い切り引いて、馬首を右へねじ曲げようとしたが、馬は鼻面を空へ向けて振り上げ、そのまま馬場柵に激突した。
思い切り右手を引いて、馬上でバランスを崩していた黒沢は、馬が馬場柵に激突して急停止したため、馬上から放物線を描いて馬場の外、トイレの前の通路の砂利の上に頭から突っ込んで行った。
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