S‐GAME

らきむぼん

S‐GAME


【読者様に当てて頂くのはあくまでもこのゲームの主たるルールになります。

 背景、ストーリーに惑わされぬようご注意ください。】



 初夏の朝、東京某所にあるファミレスの扉をゆっくり開けて、若い男が店内に入る。男は銀の細縁メガネに赤みがかった金髪、そしてクロスアートのイヤリングが左耳にだけ付けられているのが特徴的だ。黒い半袖のTシャツにインディゴ色のジーンズの出で立ちで、左腕にはシルバーのブレスレット、右手にはGaGaの腕時計が付けられている。

 ポケットから唯一携帯している所有物である黒色の携帯電話を取り出すと昨日受信したメールを確認した。待ち合わせる場所や時間などがそこには書かれている。

 店内を見渡すと、目的の女性を目の端に捉えた。観葉植物の陰に隠れて姿は詳しく判らなかったが、午前中の店内では客の人数も限らている。人違いではないだろう。

 男が女の座る席に近づくと、彼女は男の容貌を数秒見つめ、短く手を振った。男は緊張を隠すように、前髪を僅かにいじった。これは男の癖である。

 男は改めて女を見た。黒の瞳に、高い鼻、髪は長い黒髪で、相当の美人だった。肌は白く、服装がベージュのワンピースであるのに関わらず、生地と肌の色のコントラストがはっきりとしている程だ。年齢は二十歳を少し過ぎたところだろうか。男と同じく、左耳にだけ黒いクロスアートのイヤリングを付けている。

 両者が席に着くと、店の指定カラーと思われるオレンジ色の制服を着たウェイターが注文を催促しに来た。男はテーブルの上に女が注文したと思われるダークブラウンの飲物があるのを一瞥して、口を開いた。

「あー、えっと、俺もブラックコーヒーで」

 すると女は微笑しながら言う。

「いいえ、これはブラックティーよ」

「……。うーん、じゃあ、やっぱり俺も紅茶にします」

 するとウェイターは「かしこまりました」と応え、店の奥に消えた。

 女は紅茶を一口飲むと、自己紹介をした。

榎本紗英えのもとさえです」

 榎本は丁寧に頭を下げ、男も軽く会釈をした。

「遅くなってすいません、鈴木真司すずきしんじです」

 鈴木は妙に緊張し、顔を赤らめた。男が見た女性の中で、榎本は最も美しい容姿をしていた。そのせいか、酷く調子が狂う。

「顔が赤いですよ、真司さん」

「……きっと、あなたがお綺麗だからですよ。吃驚しました」

 男は苦し紛れにそう言うと、女は笑みを浮かべ、冗談めいた口調で返す。

「苦言を呈するようですけれど、邂逅して早々にそんなことを言う人は信用できませんね。それに、私、綺麗じゃないです」

「謙遜しないでくださいよ。それに邂逅ではないんじゃないですか、これは。ある意味必然というか、逢うべくして逢ったような感じがしますけれど」

「これは立派な邂逅ではなくて? 私はこのようにして人と出逢うのはあなたで初めてですけれど、こうやって逢うには多少の条件が要りますでしょう? 真司さんは過去にご経験は?」

「さあ……ざっと四、五人は。ただ、あなたみたいな上品な方は初めてですね。なんというか、こう、悪女みたいな雰囲気のある人はいましたけどね……」

 鈴木は苦笑しながら過去を振り返った。丁度その時、ウェイターが紅茶を運んできた。

 ティーカップの中の紅茶は湯気を立てて液面を震わせた。

「……しかし真司さん、ブラックティーと聞いてよく紅茶だって解りましたね。私、ブラックコーヒーという言葉につられて、ついブラックティーって言ってしまったのですけれど」

「好きなんですよ、紅茶。なので紅茶の呼び名はわりと知ってる方なんです。紗英さんは外国にいた事があるんですか? あんまりブラックコーヒーにつられてブラックティーって言っちゃう人は見たことないですけど」

「先月に帰国したのですが、半年ほどイギリスに。ただ、イギリスの方は紅茶はティーと言うと思うので、あまり関係ないかもしれませんね」

「それって紗英さんが変ってことじゃないですか。もしかして天然だったりします?」

「偶に言われるのですが、私は自身を天然とは思ってないですよ。私がずれてるんじゃなくて世間がずれてるんです」

 榎本は少し怒ったような表情を作って、鈴木から目を逸らした。その仕草が可愛らしく、鈴木は軽く動揺した。完全に榎本に主導権を握られているようだった。

「超自己中じゃないですか、その考え方がそもそもずれてますって」

「つまらないことを言うんですね、真司さん。私はそれを個性と呼びたいところですけれど。でも、真司さんもちょっと変わってますよね。右手に時計している人、少数派じゃないですか?」

「って、思うでしょ? でも最近右手に時計する人増えてますよ。俺はギターやるんだけど、右にブレスレットしてると邪魔になっちゃって、デザイン的に時計だと大丈夫なんですけどね。沙英さんは楽器とかの趣味ないんですか?」

「……特にはないですね。幼い頃にピアノとかやりましたけれど、相性が悪かったのかすぐに辞めてしまいました」

「なあんだ、ヴァイオリンとかやってそうなイメージだったんだけどなぁ。……あ、俺、ちょっとお手洗い行ってきます」

 鈴木は尿意を覚え、席を立った。榎本が相手では話も長くなりそうだと感じた鈴木は我慢せずにトイレに行っておくことにしたのだ。会話が連続したときに席をたったら集中力が切れそうだった。早めにリフレッシュしておいた方がいいという判断だ。


 用を足して、手を洗いながら鏡を見ると、鈴木は右腕の時計に目をやった。本当のところ、鈴木はギターなどやっていない。右手に時計をしているのもある事情で仕方なくそうしているだけであった。

 おそらく榎本紗英が音楽をやっていないというのも嘘だろう。よく見ると榎本の左の鎖骨の少し上に、赤い痕があった。それを見つけた鈴木は、その痕がおそらくヴァイオリンをやっていて付いた痕だろうと推測した。

 しかし、彼女はそれを隠した。別に何の意味もない。単にその時隠そうと思ったからに過ぎないだろう。そんなことをいちいち気にしていたら、そもそも彼女の名前さえ偽名かもしれないし、イギリスにいたというのも怪しいところだ。

 鈴木は頬を叩いて、トイレを出た。


 席に戻ると、相変わらずの佇まいで榎本は微笑している。その微笑は妙に魅惑的で、つい口元に目がいってしまう。この状況でここまで落ち着いているのは逆に怖いものがあった。

「人気ないんですかね、このお店。私は好きなんですけどね。あんまり人が来ないですね」

「微温(ぬる)くなった紅茶を飲まないといけないところとかが原因では? 俺、ドリンクバーがないファミレスって初めて見たな。紅茶一杯で長時間居座るのも嫌でしょ?」

「ネットカフェとかの方が良心的ですね。でも、紅茶一杯くらい新しいの頼んだらどうですか? けちな人間だと思われてしまいますよ?」

「飲み物にお金を使うのって、なんだか抵抗ありませんか?」

「払いたくないお金を払うのはいささか気分が乗らないことではありますね。でも、紅茶はお好きなんでしょう?」

「一つずつ注文するのも嫌じゃないですか、紅茶一杯だけオーダーしたら、ちょっと申し訳ない気分になると思うんですけど」

「二つならどうですか? 私の分も頼んでおいて下さる? 今度はアイスコーヒーを。私もお手洗いに行って参りますので、その間に」

「変な人だなぁ、さっき俺がいない間に行って来ればよかったのに。ま、いいっすよ、頼んでおきます。アイスコーヒーね」

 鈴木が微笑みかけると、榎本もあの魅力的な微笑を返して、席を離れていった。

 ――今度は、彼女が休憩タイムってわけか。

 瞼を閉じて深く息を吐いた。相変わらず疲労感の溜まる会話だ。

 鈴木は榎本が姿を消したのを確認し、ウェイターを呼んだ。アイスコーヒーと紅茶を一つずつオーダーし、微温くなった紅茶の残りを飲みながら一息いれることにした。

 しばらくすると、飲み物を持ったオレンジの制服を着たウェイトレスが鈴木の席の隣に来た。ウェイターしか見かけていなかったが、どうやらウェイトレスもいるらしい。

「ホットコーヒーをお持ちしました」

「……あれ? 俺が頼んだのアイスコー……」

 言いかけて、鈴木は戦慄した。眼前で起きた出来事が信じられない。あまりに信じがたい光景だった。

 ウェイトレスの顔は榎本紗英に驚くほどに似ていた――否、それは同一であったのだ。黒の瞳に、高い鼻、しかし、目の前のウェイトレスが彼女であるなんてことは鈴木には信じられなかった。何しろ、それは鈴木の負けを意味してしまうのだから。

 それに、目の前の女はショートカットの茶髪だった。決して、長い黒髪などではない。それが、鈴木が疑いさえ向けられなかった原因だった。

「…………待てよ、まさか、嘘だよな……?」

 鈴木は震える声でそう言った。最早、自問であるとも言えたかもしれない。

「その言葉は、少々遅すぎましたね」

 ウェイトレスはそう言うと、微笑した。それを聞いて、そして見て、鈴木は自分の敗北を自覚した。その微笑は、まさに榎本紗英の魅惑的な微笑だったのだ。

「かつらと服はトイレに隠してあったの。なかなか楽しかったわ。来世では気を付けなさい?」

 ウェイトレスに扮した榎本はそう言い残し、その場を去っていった。彼女のその笑みは最後まで消えることはなかった。


 その日、黒い携帯だけを持った若い男の遺体が、発見されたという。



 了




 あとがき


 読了感謝いたします。


 この作品は2011年に執筆した一種のなぞなぞのようなものです。冒頭に注釈したルールを当ててほしいという意味は、裏を返せばその他の部分はいかにでも想像できてしまうということでもあります。


 まずタイトルは『Syllabary‐GAME』が正式名称になります。

 syllabaryとは音節文字表のこと言います。

 the Japanese syllabaryで日本語の五十音図を意味します。


 結論を言ってしまいますと、鈴木と榎本は互いがその場に居るときはその全ての会話を五十音順に成立させています。会話に際して、最初の一文字が指定されるわけです。

 鈴木が最初に「あー、えっと、俺もブラックコーヒーで」から会話を始め、次に榎本は「いいえ、これはブラックティーよ」と返しています。次の鈴木の言葉は、ルールに従うと「う」からはじめなければなりません。当然、鈴木は「……。うーん、じゃあ、やっぱり俺も紅茶にします」と返しています。


 僕が彼らの服装に関して詳しい説明を入れたのも意味があります。

 彼らは初対面ですが、あらかじめ、メールによってゲームの開催場所、時間、相手の特徴を知らされています。

 右手に時計をしているのは、それが少数派であり、榎本が鈴木を特定できるようにするため。二人に共通している左耳のクロスアートのイヤリングはダメ押しの共通項です。


 榎本がヴァイオリンの経験を隠したのは、単に次の指定音が「と」だったため、「特にない」と言う方が楽だったからです。二人は、質問をしたり、それに即答したりして、互いにプレッシャーを与え合っています。


 最後は、榎本が勝利します。

 指定されていない服装に関しては変更が可能ですから、榎本はウェイトレスに扮して鈴木の前に現れます。直前で鈴木は「変な人……」と言っていますので榎本は「ホットコーヒーを……」と返したわけですが、鈴木は榎本ではないと勘違いしていたため、「ま」で始まる言葉を返せませんでした。


 後に鈴木が「…………待てよ、まさか、嘘だよな……?」と言ったのに対して榎本は「その言葉は、少々遅すぎましたね」と返しています。これは「ま」で始まる文章を言うならもっと早くに言っておくべきだったと皮肉ってるわけです。


 彼らが過去について語る場面がありますが、このゲームは背後になんらかの黒幕が存在すると考えられます。鈴木は初めてではないような様子ですし、登録者をランダムに戦わせるゲームが開催されており、二人のゲームはその一つであると推測可能です。ラストシーンから、負けたものは死に、勝ったものは何らかの報酬を得るというルールであろうと思われます。


 以上がこのゲームの種明かしになります。

 見破れたでしょうか。

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