サンドリヨンの棋士
#00
窓から眺める景色。
それが、私にとっては、世界のすべてでした。
***
───どこか懐かしい匂いを感じて、それで目が覚めました。
連日のように続いた猛暑も9月の半ばを過ぎる頃にはようやく落ち着きを見せ始め、窓の外に映る景色の色は、瑞々しさを感じる緑から、秋の香りを引き連れた茶色や黄色へと変わっている途中です。
薄く開いた窓から風が入ると、ふわりとカーテンが舞って、それを掴もうと頑張って手を伸ばしては引っ込めてを繰り返すのが最近の私の楽しみです。
先日、安形のおじさまがいらっしゃった時にもしていたのですが、「優華ちゃん、まるで猫みたいだねえ」と言ってくださったのは、褒められた、と解釈してもよろしいのでしょうか? もしそうなら、とても嬉しいです。猫さん、好きなので。
「……よい、しょっと」
身体を起こすのにも一苦労です。
腕をつっかえにしようにも、うまく力が入らなくて。それで何度も何度もベッドに突っ伏してはを繰り返して、やっとの思いで起き上がれば既に息が上がってしまっています。
「……っ、ぁ……はぁ……」
看護師さんたちが私の寝ている間にリハビリテーションを行ってくれてはいますが、だからといって毎日毎日十全に動けるわけではありません。なにせ、私の身体を動かす時間<私が眠っている時間、ですので。その動かす時間すら日に日に減っていくものですから、いやむしろ、こんなに動けるなんて逆にすごいのでは? などと最近は思っています。えっへん。
「……は、ふぅ。……さて、と」
息もようやく落ち着いて、身体もそれなりに動けるようになった頃───つまりは目覚めて30分後。
一日の数少ない活動時間を、さらに削ってしまった分を取り返すべく、私はベッド脇のサイドテーブルに置かれたものへと手を伸ばします。
それは一冊の文庫本とどこにでも売っているポケット将棋。
本当は……本音を言えば、自宅から愛用の盤と駒を持って来たかったのだけど、いざ持ち出そうとすると重いわ、場所を取るわ、そもそもベッドの上から動けないんだから邪魔でしかない、ということに気づいてしまい泣く泣く我が家でお留守番をしてもらっている。うぅ…… ごめんよ、盤太、駒子…… アタシ、病気治ったらちゃんと迎えに行くけんね……!
「……っと。それじゃあ──」
あと一時間と少々。つぎ込める時間はきっと、他の人の何十分の一でしかないけれど。
それでも。
いまこの時間、この瞬間は。
私が、今までの私としていられる時間だから。
「──始めますか」
だから、せめて。
忘れないように。
失くさないように。
何かを残せるように。
楽しい夢を、見させてください。
***
・患者名……白菊優華。女性。25歳。
・職業……女流棋士。現在休場中。
・病名……ブロンシュネージュ症候群。
※これは端的に言えば「活動時間(起きている時間)」が時を経つにつれ短くなっていく病気(仮)です。(仮)としているのは、その特異性から『人間の進化の一つでは?』と示唆されているためです。 現在、世界におよそ50万人ほどの罹患者がいるとされています。……が、未だこの病から快復したものはおらず、故に致死率は100%となっています。
短篇集 真矢野優希 @murakamiS
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