肆 詞流れ

『Bambola Rlusie

ll suo unico amico』

 その人形にどこか惹かれた。魅せられた。

 まるで魂が宿っているかのような、感情があるよう……。

特別人間に近づけ、精密に作られている訳でもない。むしろ肌は白い布、目はボタンを付けられただけ。髪は絹糸か何かだろう。そんな人形に華やかな服を着せただけという簡単なものだ。

 モノは人に大切にされると魂が宿るという。そういう系統のものなのかもしれない。

 私は今日という休日に家の近くにある美術館に来ていた。あまり芸術鑑賞をすることは無かったが、たまにはいいかもしれない。

 少し前、私はとんでもないものを見てしまった。思い出すだけでも寒気、吐き気がする。そのリフレッシュとしてもここに来たことは良しと言える。

 こんなことで忘れられるとは思えないけど……、気休めだ。

 ここでは歴史に因んだ美術作品が展示されている。有名なものからマイナーなものまで。

 過去にはあの有名な「最後の晩餐」も展示されていたことがあるらしい。

 今、この美術館で行われているのは「レフセリア家の終わり 捨て残されたもの」というもの。元々、展示されていたものは一度片づけられ、美術館全体を使い展示されているほど、作品の数は多い。

 作品というよりはその家にあったものを持って来て展示されているという感じだ。

 レフセリア家というのはイタリアにあった名家のことだ。世界史の教科書では付け加えられたかのように端の方に書かれていただけだったが、私にとっては記憶に残る程度には印象的なものだった。

 小難しい勉学の本の中に、短くともロマンチックな話が載っていたのだ。罪を背負いながら、愛する人と結ばれる……、そんな話だったか。

 捨て残したものという言葉も普通に聞けば変な言葉かもしれない。だけどあの話を知ればその意味はわかるだろう。

 でもその中にこの人形の話は無かった。

 人形の作品名を訳すと『人形ルルシェー 彼の唯一の友達』

 教科書に書かれた短い物語の外なんて知る由も無いが、この人形がここにあるということは、これも捨て残されたものの一つなのだろう。

 この人形はあの歴史を直に見ていてどう思ったのだろう。

「君は悲しくなかったの?」

 気付けば小さく声が出ていた。はっとなり聞いてしまった人が居ないか見回す。

 幸い近くに人は居なかった。安堵の息が出る。聞かれていたら、さすがに小恥ずかしい。

しかしさっきの言葉は心から思ったことだった。

 魂が宿っているかのように思わせるほど、大切にされていたのに……。

 私はガラスに手をつけて、人形を見つめる。

 人形にものを感じる私の方がおかしい、か。

 少し自嘲して私はその場を離れた。




 美術館を回り終え、私は歩き疲れたため、近くの公園で一休みしていた。休みながら一冊の本を読んでいた。

 会多公園。私の住む岩呼池市の南辺りにある公園だ。もっと詳しく言えば南南東の場所に当たる。

 岩呼池市には大きな池がある。その池の名前も岩呼池という名前だ。池から市の名前が付けられたのか。市名から池の名前ができたのか。数年前に日本の南側から引っ越してきた私には分からない。

 しかし、この時間帯は子供が多い。休日ということもあり、親子で公園に遊びに来ている人数が普段よりも多いようだ。

 こういう親子が仲良く遊んでいる風景を見るのは心が安らぐ。何より元気な子供の姿を見るのは本当に微笑ましい。

 だから子供好きな私は児童教育学科の専門学校に通っている。覚えなければいけない事は多くて、難しいこともあるが。

最近、実習の授業もあった。小さな子達を身近に感じることができた。加えて大変さも分かった。

 私もまだ十九歳だけど、やっぱり子供達の元気には適わない。一日目でぐったりだったことは良い思い出だ。

 でもそれが充実したものだと思っている。不満は一切無い。今読んでいるこの本も保育に関するものだ。

 休日も後数時間で終わる。もう夕方だ。

箱型の建物同士の隙間からは眩しく美しい縦の光が姿を現し、眩しさを際立たせている。だんだんと沈み消えゆく姿は幻想的なものを感じさせる。公園が茜色に染まる姿も……。

 親は子供にそろそろ帰るよ、と言う。周りの親もそれに便乗するように子供に声をかける。

 小さな子は友達と別れのあいさつを交わして公園を出ていく。親と手を繋ぎ、夜ご飯の話をしながら。

 さっきまでは子供でいっぱいで騒がしかった遊具ももう無人だ。

 公園という場所は静かになり、あちらこちらから、笑い声やキッチンの道具が響く音等。家庭の音が聞こえる。

 さて、そろそろ私も帰ろうか。そう思い本を閉じ、背をぐっと伸ばす。

 それと同時だろうか。べしゃっと音がした。私の背骨はそんな音を鳴らすような骨だっただろうかと少し疑ったが、どうやらそれは杞憂だったようだ。

 私から見て前方より少し右にずれた場所に金髪の女の子が倒れている。さっきの音はこの子が転んで出した音のようだ。

 子供好きな私はそれを見て見ぬふりなんてできるはずもないため、すぐに駆け寄ってゆっくり立ち上がらせた。

「君、大丈夫? 痛くない?」

 金髪少女の右足の膝からは血が少し流れている。美術館に行くだけだったから用意周到な訳でもなく、絆創膏は持ち合わせていない。今出来るのは患部についた砂を水で流すぐらいだろうか。

 そういえば泣かないな。我慢強い子なのかな。そう思ったが顔を覗くと、緑色の瞳はわずかに揺れていた。

「⋯⋯ッ泣いて、ないデス」

 嗚咽混じりの声は訛りが見えた。外国から来た子なのかな。

 それにしても⋯⋯。なんか既視感。

 この子と初対面である事は間違いは無い。実習の時にもハーフの子は居たものの、外国人の女の子は居なかった。

 だけどなんだろう。会ったことが⋯⋯いや、見覚えがある。

「とりあえず傷口洗おっか」

「いえ⋯⋯大丈夫デス。すぐ治るデス」

 そう言って少女は患部に手を翳す。

 すると傷口の淵にある皮膚がまるで糸を紡ぐように、手を伸ばし合うように患部を元の形に再構築させた。

 突然の異様な光景と、なかなかのグロテスクな一瞬の治療に目を疑う。

「え⋯⋯えっ? 何が起きたの」

「ジュメージュツというものらしいデス。生きる力を授ける術だと、聞きマシタ」

 この魔法少女の発音が曖昧で分かりにくいが、詳細を聞く限り授命術、だろうか。

「その力でワタシはこの肉体を得たのデス」

「肉体を得た⋯⋯」

 どういうこと? 元はその肉体は持ち合わせてなかったということ?

 話が全く読めない⋯⋯。

 冗談で無さげなのは確かだが。あまりにも非現実的。

 ⋯⋯いやいや、ここ最近なんて非現実的な現実がたくさんじゃないか。

 この子が術を持つ者だと言うように。私もまた、術を持つ。

 鬼憑きなのだ。

 どんなものかと言うと、簡単に言えば読む能力。人の心情や、過去、未来。しかしそれははっきりとした言葉ではなく、色や形、音。オーラのようなものと言ったらいいのか。そういうものとして私の目に映る。

 名前は確か、心深術だっただろうか。夢の中の人はそう言っていた。

 一年ほど前にこの力得た。それからというもの、今まで見えなかったものが見えるようになった。

 世間的に幽霊と呼ばれるようなものなのかな。明らかに人外なのもあったが⋯⋯。

 襲いかかってくるものもあったが、何か見えない壁のようなものが私のことを守ってくれた。それが出てこないこともあって、怪我をして逃げ帰ることになったこともあったけど大した怪我にはならなかった。。

 さて、話を戻そうか。この女の子の心を読もう。

 目を見つめ、その奥を見つめる。そうすると現れる。木琴を叩くような心地の良い音。草原のようなふんわりとした緑。

 いい思い出を持っているのだろう。思い出を持っているけど、この子は産まれたばかりの赤子のようなものも感じ取れた。矛盾。

「⋯⋯君はさっきまでどこにいたの?」

 やっぱり肉体を得たという言葉が引っかかる。そして既視感。あと少しで分かりそうなんだ。

「ワタシの住んでた所にあったものがたくさん置かれたところ。広くて人がたくさん来てマシタ。オネエサンも」

 私が今日行ったのはこの公園と美術館ぐらい⋯⋯。

 授命術。得た肉体。美術館。思い出。

「いくらなんでも⋯⋯」

 ありえない。でも思い当たるのはそれくらいだ。

 大切にされたモノは人のように感じ人のように感情を持つという。そして思い出は作られる。

 そんな思い出を持ったモノに授命術を与えたら、まずは自分に命を宿らせるのではないだろうか。そして自由に動ける身体を求めるのでは?

授命術と得た肉体。

 私が今日言った場所。イタリア美術展が開催されている美術館。

 思い当たるのは。

「ルルシェー⋯⋯?」

「ハイ! ワタシはバンボラ。ルルシア・レフセリアと申しマス」

 自信満々の顔で答える少女に対して私は唖然。

 本人の言葉で確信に変わる。

 絹糸だった髪は風にサラサラと靡く髪へと変わり、白い布の肌も血色を持った皮膚のある肌になっている。くてんとなって置かれていたものが二本の筋肉を持つ足で自立している。

 そっくりそのままなのに何故すぐに頭に思い浮かばなかったんだろう。

 あたりまえか。人形が動いて話すなんて想像もできやしない。

 公園の前を何台かのパトカーが通る。何があったのだろうか。なんか、嫌な予感がする。

「あのさ、ルルシアちゃん。どうやって美術館から出てきたの?」

「近くにあったものを使って透明の壁に向かって穴を開けたデス」

 絶対それが原因だよあの騒ぎ! 強盗にあったと思われてるんじゃないか。

 どうしようどうしよう。ここにルルシアちゃんが居るの分かったらどんな人体実験されるか分かったもんじゃないよね。

「割れたものを踏んじゃって痛かったデス⋯⋯。すぐに治せましたデスガ」

「と、とりあえず。これ着て!」

 私は上に着た服を脱ぎ、ルルシアちゃんに着せた。腕のフリフリが少しゴワゴワして気持ち悪いかもしれないが今は我慢してもらおう。

 さてこの後はどうしようか。私の家に連れていってもいいのかな。でもそれって誘拐という犯罪になったりしないだろうか。

「あ、あの……オネエサン」

 私が考え事をしているのを察してなのか、申し訳なさそうにルルシアちゃんは私の服の裾を引っ張る。

「ワタシ、ジュメージュツをもらった人にオネエサンに会うように言われマシタ」

「私に? なんで?」

 ルルシアちゃんは首を振る。

「何故かはワカリマセン。そう言われただけで……」

 いったい誰に……。様子からして事態は深刻なのかもしれない。ただただ、不思議なことが起きているというだけではないのだろう。

「ルルシアちゃん。ちゃんと、ゆっくり話そう。私の家で」

「お世話になりマ……。あ、オネエサン。お名前は」

 あぁ、そうだった。この子が普通に話すものだからすっかり自己紹介を忘れていた。

「敷ノ辺 流。流れるって漢字一文字で……っても分かんないか」

 ルルシアちゃんは首を傾げる。そりゃ人の声を聞いて人の言葉を覚えられても文字なんて見る機会なんて無かっただろう。

 作品説明が作品の方に向けられて張られるなんて、まず無いだろうし。

 とりあえず、だ。家へ帰ろう。

 私はルルシアちゃんの手をとり、家へ向かう。

 その小さな掌はたしかに体温を持ち、人間そのものの手だ。数時間前までは人形だったなんて……。

「あ」

「どうしたデスカ?」

「君がガラス割って飛び出たことでお巡りさんが集まっちゃってるの」

 美術館に集まる警察。

 ルルシアちゃんを連れてこんな道を通っても大丈夫なのだろうか。

 こうなったルルシアちゃんを見たら、不審に思われたりしないかな。

 まず普通なら人形が動いているなんて思いもしないだろう。しかしもしものことを考えると……。

「ワタシは大丈夫デスと言いに行った方が良いデスカ?」

「駄目」

 とんでもない事を言い出すなこの子は。

 ここが一番近い道だったんだけどな。仕方がない。別の道を使おう。




 やはり回り道をすると結構歩かされるな。車だったらどうってことないんだろうけど。

 一応免許は高校を卒業したくらいに取りはしたが、自分の車を持っていないためペーパードライバー状態。ちなみに車はしっかり就職してから買おうと思っている。

「あと少しだからね」

 住宅街の奥にあるマンションが私の住む場所だ。

 もうお母さん帰ってきてるかな。ルルシアちゃんのことどう話そう。そんなことを考えながら住宅街を進む。

 静かな住宅街を。

 おかしいな。いつもはこんなんじゃないのに。この時間帯になると、おばさん達が井戸端会議をしている頃だ。

 そういえば、と気付かされる。人の気配が全くしない。術を使ってみたものの、どこにも色は現れない。つまり無人ということだ。私とルルシアちゃん以外誰も、何も居ない。

「オネエサン」

「なぁにルルシアちゃ……ひッ⁉」

 呼びかけに振り向くと緑色のボタンと目が合った。そこには少女の姿ではなく、美術館にあった人形として存在していた。

 私は思わず人形の手を放した。

 少しの間、自立していたが人形は力なく地面に倒れこんだ。

「ル、ルルシアちゃん!」

 すぐに身体を抱える。

 人間の重さは無い。体温も感じられない。

 人形そのものだ。

「なんでいきなりこんな……」


 カタカタ。


 不気味な音が鳴る。

 錆びついた歯車を無理やり回すような。

 錆びついた鋸で木を切るような。

 ――怖い。私はホラーは苦手なんだ。どこから鳴っているのだろう。

 私はその場に居るのが不安で、その場から離れようと人形を抱えたまま立ち上がった。

「迷い込んだね」

 後ろから突然、声が聞こえる。

 誰の気配も感じなかった。今も誰かの気配を感じはしない。

 だけど今私が向けた視線の先にはたしかに老婆が存在した。存在はしたが、私に眼に映るソレは人間のものでは無い。

 生きた人間のものでは無いのだ。少なくともまともな者では……。感情を読み見たところ、黒く、飲まれそうな闇だ。

 私はそこから走り出した。住宅街を走る。

 どこに向かえばいい。そうだ、もうすぐ私の家だったんじゃないか。

 自分の家にさえ辿り着けば安心はできる。

 ――あれ、おかしい。

「私の家……って、何処だっけ」

 何故分からないのだろう。すぐ近くだったはずだ。知った道のはずなのに。

 私は何処を歩いている。どこにいる。

 何故、誰ともすれ違わないのだろう。

「迷い込んだね」

 さっきの老婆がまた現れた。先回りされたというよりも〝現れた〟のだ。

 顔はよく見えないが口元は見えた。ニッタリと不気味に笑っている。

「あ、あの。ここはどこなんですか。何か知っているんですか。貴女は何者なんですかッ!」

 人形を抱える手に力が籠る。

「ふふ、フフフ……」


 ――ガタガタ。ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ。

ぎギギギギギギギシッ、ギシ。ギギッ。


 けたたましい轟音が辺りに鳴り響く。耳を刺す。

 その音と共に老婆は姿を変えた。

 頭を前へと後ろへと左右へとぐるりぐるりと回す。そして、背から巨大な手を無数に生やし、地面に叩きつける。

 老婆を支えているのは本人の両脚ではなく、生えた腕だ。

 日本の昔話の妖怪として出てきそうな風貌だが、私が見たことある話ではこんな……こんなグロテスクなものは見たことが無かった。

「あ、あぁ……」

 間抜けなことに腰が抜けてしまった。その格好に相応しいであろう声が私の口から漏れる。

 〝この前の事〟とは全く別物の恐怖だ。

 この前のものは人為的なものであり、今回のこれは霊的なものか。少なくとも人外的なものなのだ。

「カぁあああァああああアアあッ」

「――ッ」

 雑音を鳴らしながら化け物は百足のような動きでこちらへ向かってくる。

無意味に人形を抱きしめる。

怖い。

 怖くて仕方がない。

 でもどうすることもできない。

 あの見えない壁は出てこない。

 私は目をぎゅっと瞑った。


「ダメじゃない、オンナノコをいじめたら」


 人の声が聞こえた。

 化け物ではない。しっかりとした人の声で、知る言葉で。

 目を開けるとでの高い女性……いや、体格からして男性だろう。

 その人は私を化け物から庇うように立っていた。

「ホントは聖斗さんとか奏ちゃんを連れてきた方がいいんでしょうけど。場所もややこしいからねぇ」

 大丈夫? と言いながら私の前に手を差し伸べる。

 その手を掴んで立ち上がった私はまだ茫然としたままだ。

「詳しいことは後で話すわね。さて、モノノケちゃんには悪いけど消えてもらわなくちゃならないの。普段の私にはムリだろうけど、今はコレがあるからね」

 そう言って化け物に向き直り、その人は掌を下に向ける。その真下の地面から出てきたのは大きな斧だった。斧の柄の部分には何かの紋章が描かれ端の方には鈴が赤い糸で括りつけられている。

「アタシ的にはもっと可愛らしいものが良かったんだけど。黒九尾ちゃんがこんなモノしか出してくれなくてねぇ。ま、武器としては十分使えるけど、ねッ!」

 語尾に力を入れると同時に斧を振り回す。

 振った先からは眞空波のようなものが出現し、化け物を切りつけた。

 真っ二つに割れた化け物の断面からはどす黒い液体が溢れ、煙があがる。

「あの液体に触れちゃあダメよ。溶けちゃうから」

 倒したのだろうか。化け物はだんだんと液体へと化し、その液体は地面に吸い込まれていった。

「えっと、ありがとう、ございます」

「いいのよ、たまーに運悪く踏んじゃってこっちに来る人も居るの」

 踏む? 私は何か踏んだっけ。そんな感覚は無かったんだけどな。

「……あの、さっきのは? ここは何処なんですか。貴方はいったい」

「待って待って!」

 質問が多い子ねぇ、と付け足され私の言葉が遮られる。

「アナタの質問の順番とは逆の順番になる答え方になるけど、アタシのことはミントって呼んでくれればいいわ」

 ミントさんは幽霊らしい。

 私の知る幽霊は身体が少し透けていて、足が無いというものだ。たまに見ていた幽霊もそうだった。しかしこの幽霊ミントさんは私の想像するそれとは違う。身体は透けては居ないし、足もしっかりとある。

 ここのが何処なのか。その質問にミントさんはこう答える。

 黄泉、よく言われる言葉ではあの世。死後の世界。死人の魂が行くべき世界。そんな場所と、現世。所謂、生きる者が在る世界。ここはその二つの世界の間にある場所らしい。

 間とは言っても立ち位置的なものらしい。場所としては現世側にあるらしく、現世にできた亀裂の内にあるもの。見た目も現世そっくりに作られているそうだ。いったい誰が作ったのか……。

 所謂、狭間。狭間世界。

 狭間には彷徨う魂が住む。

 ミントさんも死んでしまったものの、黄泉へとは逝けず、彷徨う魂になりこの地の住人となっているらしい。

 さっきの化け物はなんなのか。

 その質問にミントさんはこう答える。

「さっきのは物の怪。彷徨う魂という点においてはアタシと同じと言えるわね」

 違いは理性があるかどうか。理性を失った彷徨う魂が大きな負を抱え、姦悪な者の場合、物の怪になることがあるらしい。

「あれが現世のほうに行ったら面倒なのよ。ま、あの時アタシに武器なんて無かったから相手しようにもできなかっただけだけど。今はへっちゃらよ」

 狭間は単なる生まれる場であって、現世への移動もできるのか。ミントさんの話からはそのようだ。

 黄泉から拒否される理由は分からないらしい。

 現世でたまに見た化け物もそれなのだろうか。

 さっき私がした質問への答えは終了した。

「アナタ、鬼憑きなんでしょ。少しは活用できるようになった方が良いんじゃないかしら。奏ちゃんは特訓中よ」

 この人は鬼憑きを知っているの? 私が鬼憑きであることも……。

「どうしてって顔をしているわね。縁があるのよ、鬼憑きの子とは。狭間に来れる人間は、術者のみ。アナタが生きた人間でここに居るって時点で鬼憑きだって事は分かるわ」

 そう言ってミントさんはウインクをして見せる。

 ミントさんの優しい笑顔に釣られ、私自身落ち着いていくような気がした。さっきまでの状況が夢だったんじゃないかと思えるほど落ち着いている。

「この子も鬼憑きらしいんです。でもこの子、此処に来た途端人形に戻っちゃって……」

 私が前に出した人形をまじまじとミントさんは見つめる。疑ってはいないようだが、あまりいい答えは返ってこないだろうと答えを聞く前に分かった。

「アタシが見る限りこれはただのカワイイお人形よ。そこまでアタシも詳しいわけじゃないから分からないの」

 動かない人形を抱えなおす。

 私はどんな顔をしていたのだろう。ミントさんは悲しい顔をしないで、と言いながら私の頭を撫でた。

「現世に戻ったら喫茶店に行きなさい」

「喫茶店?」

「喫茶店〝幸福の鳩〟よ。そこに居る人なら詳しく教えてくれると思うわ」

 聞いたことない名前だな。チェーン店では無いだろう。素敵な名前のお店だな。

「それは何処に?」

「岩呼池高校の近くよ。高校を出て左に数分のとこに小道があるの。道路ではないから見逃さないようにね」

 あの高校の近くか……。結構歩くな。自転車で行こう。

そういえばたしか、あのとんでもないものを見たのがあの辺りの公園だったなぁ。近づきたくない……。あの前は絶対に通らないようにしたい。

 でも学校から少しの所ならその道まではいかないだろうか。行かないことを願おう。

「あ、でもここからどうやって……」

「大丈夫。帰れるわよ、案内するから付いてきなさい」

 言われた通り、私はミントさんの後ろを着いていく。カツコツと、ヒールの音が鳴る。

 男の人なのに女の私よりヒールを履いて歩く様が決まっている。そもそも私はヒールで挫いて以来、一度も履いていない。ずっとシューズだ。

 そんな美しい後ろ姿には見惚れてしまう。

「貴女、ここに来る時に何かの隙間を通して夕日を見なかった?」

「夕日、ですか……。はい、見ました。建物の間から」

 確か丁度日が暮れていたな。その事も伝えるとミントさんはやっぱりね、と女性らしく笑う。

「それが何か関係あるんですか」

「黄昏時って言葉は知っているわね?」

 私は頷く。

「黄昏時は幽霊とか、そういうのとリンクしやすいってウワサとか聞いたことないかしら?」

 私はいいえと答える。私は怖い話とかは苦手で、テレビとかでもホラー系番組とかは見ない。もちろんネットなどでもそういうのなんて調べたこともない。

「ま、そういう事なのよ。誰でも彼でもそうなるってワケじゃないけどね。鬼憑きの力の作用で霊力や妖力の高くなったアナタは隙間を通して黄昏を見ちゃったからここに来ちゃったのよ。隙間って狭間と意味は同じだからね」

 狭間を通して、黄昏を見る。ではなく、黄昏と狭間を見る。この言い方が正しいとミントさんは言う。わずかな言葉の違い。それだけで結論となるものは大きく異なる。

「そんなことで……」

「鬼憑きになったことでアナタの心身には色々な事が起きてるということは自覚しておいた方がいいわ」

 鬼憑きといわれても。あの時の私は自暴自棄になっていた所もあった上、夢だと思っていたんだ。こんな言葉この人にとっては言い訳にしか聞こえないだろうけど。

 どの道、私が選択したことなんだ。はいと答えた私の選択だ。

「でも、ここに来たのは黄昏を見た瞬間では無かったですよ?」

「すぐにってワケでは無いわよ。狭間は人を気付いたらそこに、と思わせるように徐々に連れて行くんだから」

 何か意志があるような言い方だな。ここの世界自体に意志があるというのか。

 そういえばここは作られたとも言っていたけど、その作った人の意志とでもいうのかな。

「さて、着いたわよ。ここが現世にリンクする場所よ。ここはずっと黄昏時なの。この世界は面白いわよ。少し移動する度に太陽があちこち移動しちゃうんだから」

 私が黄昏を見た場所、会多公園。ルルシアちゃんと出会った場所でもある。

 もしやと予想はしていたけどまさか的中しているなんて……。

 公園はあの時のように茜色に染まっていた。

 太陽は見えず沈んでいるのにどこか眩しい。

 ここで見てしまったんだっけ。私はあの時見たように黄昏に目を向けた。そちらに惹きつけられた。

 ――辺りが光に包まれる。まるで黄昏の向こうにある太陽が私に襲い掛かってきたかのようだ。

 一瞬のようで、数秒。息が遅くなった気がした。

 不安交じりにミントさんの方を向くと、優しく微笑む顔が見えた。

「あらら、言いたいことがまだあったのに……。また会えるわ。じゃあね」




 真っ白な霧の深い場所が広がっている。

 ここはどこだろう。会多公園に行くんじゃなかったのか。

 足元を見ると折れた木や落ち葉が確認できた。どうやら山のようだ。それとも森か林か……。

「あれ、ルルシアちゃん?」

 ルルシアちゃんの姿が見当たらない。人形の姿すら無い。私が抱えていたはずなのに……。

 呼んでも返事は無い。ここは狭間なのかな。それにしてはさっきと感覚がまるで違う。

 じゃあ、現世? それにしてもおかしい。

 ここは何というか、神秘的というのか。

 霧の中を歩き続けるも、一向に景色は変わらない。登っているのか、下りているのかも、分からない。

 疲れは無かった。

「スク……ごめんね。お姉さん」

「……だれ?」

 突然聞こえたの声はまだ幼い。その声は辺りに木霊するように響いた。

「僕のことは言えない。でも、いつか知ることにはなるよ」

 人の姿を探してみるが影一つ見当たらない。気配すらない。

「僕を見つけるなんて無理だよ。この夢自体が僕なんだ。霧が見えるでしょ? それはお姉さんの鬼憑きの力で見えているものなんだ」

 この白い霧が? 夢自体がこの声の主……。

人の考えていること、過去、未来。それが状況に応じて色や形として私の目には映る。

 この場所への警戒が、相手の心情確認のために無意識に力を使っていたようだ。それが、霧に見えてしまったらしい。

 白は、嘘偽り無い。純粋。無心。

「不思議なことが起こってばかり……。考えが追い付かないよ」

「ははっ。もうすぐもっとビックリなことが起きるよ」

それはまいったなぁ。この若さで心臓へのショックで死んじゃいそうだよ。

 友好的な相手の態度に緊張が解れていく。

 相手は正体不明の姿も見えない相手だけど。いや、声の主の心が私には見えている。この白があるからこそ信じているのだ。

 相手は私の姿を捕らえているが、私は相手の心情を捉えているんだ。

「ルルシアと出会ってくれたのが、お姉さんで良かったよ。あの人がそう促したんだろうけどさ」

 ルルシアちゃんを知っている人なのか。ということはイタリアの人ってことだろうか。美術館の人ってこともある。

 私は何故ルルシアちゃんについて知っているのか聞いてみることにした。

「そりゃあ知ってるよ。なんでかってのは言えないけど」

「どうして?」

「そこまで夢世界で干渉しすぎるのは禁じられているんだ」

 そんな決まりがあるのか。名前は己を保つことにおいて大きな役割を持つというもんね。

 それにしてもルルシアちゃんはどこに行ってしまったのだろう。声の主がルルシアちゃんについて語り、私がルルシアちゃんと共に行動していないことに触れない辺り、心配することはないのかもしれない。

「僕はお姉さんがどんな人か見たかっただけ。どんな人で、どんな力を持っているのか。それと言いたいことがあっただけさ」

 声は少し間を置いた。霧の色が変わる。薄い優しい緑色に。見覚えのある色だ。

「ルルシェー……ペル、ファヴォーレ」

 ――外国語?

 もしかしてイタリア語だろうか。知らない言葉を耳に残したまま、私は夢から覚めた。




「リューサン!」

「あれ、ルルシアちゃん……?」

「ハイ、ワタシです。家がたくさんある所歩いてたデスが……。いつのまにかこの公園に戻ってマシタ。そしたらリューサン突然倒れて」

 私が夢世界に居たことで、私とルルシアちゃんが現世に戻ってきた時間に差ができたらしい。

 ここにルルシアちゃん居るという事はルルシアちゃんも狭間から戻ってきたということか。あの一連の出来事の記憶に無いようだけど。

 今、目の前にいるルルシアちゃんはしっかりと人の形を持ち、体温もある。……いや、気温のせいですこし冷えているかな。

「私は大丈夫だよ。少し夢を見ていただけ」

 二度目になるが、帰ろうか、とルルシアちゃんの頭を撫でながら言った。

 ふにゃりと笑う姿に優しい緑が見えた。

 そうか。あの緑色は……。

 人の思い出というのは素晴らしいものだな。色までも受け継がれるなんて。

 さて、この子の事をお母さんにどう話そうか。

 あの天然なお母さんなら案外すんなりと受け入れてくれそうだ。

 私はルルシアちゃんと手を繋ぎ、公園から家へ向かった。

 暗くなった公園を背にして――。




「見ィつけた」

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