最終話「これから始まる、あいり」

 東京全土を巻き込んだ、AR空間暴走事件から三日が経った。

 ミロクジ・インターナショナルの彌勒寺恭也ミロクジキョウヤは、かねてより提携予定だったハンティング・ファンタジアの、拡張現実オーグメンテッドリアリティを用いたイベントのデータが流出、事故だったと説明し沈静化を計った。

 そこには、しっかりと自分を取り戻した阿南宗一アナミソウイチの叔父の姿があった。

 もう、あの人はいびつ妄念もうねんとらわれたりはしないだろう……そして、やっと自分の姉に対して、向き合っていけると思う。宗一にはそれがわかる。


「なるほど、そうであったか……事実は小説より奇なり、であるな。クククッ」

「でも、みんなが無事でよかったわ。なにせ、ものすんごい事件だったもの」


 今、宗一は自室でVR用のゴーグルを装着して、ハンティング・ファンタジアをプレイ中だ。眼の前には、無事だったデルドリィードとバズンが立っている。

 見慣れた酒場は、わずか数日でいつもの賑やかさを取り戻していた。

 むしろ、突然AR空間で再現されたハンティング・ファンタジアは、今後の大型アップデートで誰もが拡張現実を楽しめるかもしれないと、噂になっている。そのせいで、人気が加熱して新規ユーザーも大勢増えていた。

 そんな喧騒の中で、女騎士エンジュは一振りの剣を取り出した。


「デルドリィードさん、これ返します。魔剣ダインスレイヴ」

「ほほう、いいのか? お前が持っていても構わんのだ……なにせ、われ魔導師まどうし、大魔導師! ……この手の武器は装備できんのだ。なのに、我がドロップでゲットする不思議」

「あら、それって物欲センサーよ。アタシもよく、僧侶用の武具が手に入るもの」


 宗一はデルドリィードこと山田三郎ヤマダサブロウに、超がつく程のレアアイテムを返却した。なにせ、あのあとゲーム内ではやっぱりレベルが足りなくて、一度も鞘から抜けたことがないのだ。

 それに、緊急時だからこそデルドリィードはこの剣を貸してくれたのだ。

 彼ほどの高レベルプレイヤーならば、売却して自分用のアイテムがゴマンと買える。

 デルドリィードは受け取った剣を、そのままデータに戻してしまった。


「さて、我が友エンジュよ」

「ああ、わかってる。今回のこと、真実は俺達の中にだけ……そのことで今日は、お二人にもお礼を言いたいんです。本当におせわになりました! ありがとうございます!」


 現実で頭を下げれば、ゲームの中のエンジュも同じポーズで礼を述べる。

 だが、顔をあげると二人の仲間はニヤニヤと締まらない笑みを浮かべていた。


「あら、いいのよ……だってアタシ達、仲間でしょう?」

「そうだぞ、我が友よ。我らの友情は常に鉄血のきずな! いかなる時も友のために、だな」


 なんだか様子がおかしい。

 二人共、普段はそんな暑苦しいことなど言わないのだ。ゲームの仲間、気が合う友達である以上の関係は、今まで互いに望んでこなかった。時間が合えば一緒に遊ぶ、それだけのサバサバした仲間だったのだ。

 それが、やけに上機嫌である。


「お二人とも……なんかあったんですか? その……ちょっとキモいです、けど。あ、でも、嬉しいです。改めて、本当に友達になれた気がして……って、え? ええーっ!?」

「じつはね、エンジュ。ほぉら、お姉さん大満足よん? 大漁、大漁」

「我もまた同じく……試練の報酬としてはまあ、打倒なところだろう」


 巨漢の戦士バズンこと四条真瑳里シジョウマリカが、目の前に大量のレアアイテムを広げた。周囲の冒険者達もギョッとするくらいの、それは財宝の山。キラキラ光るアイテムを前に、バズンは完全に女子モードになっている。

 そして、その隣のデルドリィードもまた、同じように戦果を誇る。


「実は、あのあと東京ユグドラシルへとエンジュを送り出したあと……ね、デル?」

左様さよう……我等はベテランプレイヤー、協力すればどんな敵も退けることが可能ぞ。消耗してはいたが、事件が沈静化するまで戦い続けられたのだ」

「もぉ、無限湧きするモンスターを千切ちぎっては投げ、千切っては投げ」

「物凄い量のドロップアイテムをせしめることに成功したのだ! クク、ハハハ……アーッハッハッハ! 経験値も金もがっぽりとなあ!」


 流石さすが玄人くろうところんでもただでは起きない。

 なんというか、あきれながらも頼もしいと宗一も笑った。

 二人はそれぞれ、収穫の品々を自慢しながら笑ってくれる。

 そして、意外な幸運に恵まれたのはこの二人だけではなかった。

 背後で不意に、聞き慣れた女性の声がする。


「阿南先生! まあ、貴方あなたという人は……ゲームしているひまがあるなら、御屋敷おやしきに来てくださいな。旦那様だんなさまも改めてお話がしたいと、ずっとお待ちしてますのに」

華梨カリン、ゲーム内ではキャラの名前で呼んであげようよ。ね、リン」

「わかってますわ、カナメ……じゃない、キャナリア」


 武道家リンと騎士キャナリア……プレイヤーは彌勒寺の御屋敷で働く小鳥遊華梨タカナシカリン仁科要ニシナカナメだ。二人もあれ以来、ゲームでちょくちょく会っている。

 特に、華梨がしてるらしく、会うたびにギョッとするレベルになっていた。

 彼女達二人から、時々叔父おじの恭也のことを聞いている。

 そして今日は、その後の顛末てんまつについても要が教えてくれた。


「宗一君、僕も事情を聞いたけど……君のお母さん、阿南愛衣アナミアイさんの人格と記憶は東京ユグドラシルに保存されている。時々旦那様が出向いて、なにか色々話してるみたいだ」

「そう、ですか……凄いですね。俺も話した時、あんまし記憶にないのに母さんだって思えました。母さんは、あいりの代わりに自分が東京ユグドラシルのサーバに移ったんだ」

「うん。旦那様も少し元気になって、事件の後始末に精力的に動いてる。君にも、改めて会って謝罪したいって。ま、心の整理ができたらまた、御屋敷に遊びに来てよ」


 宗一は二つ返事で要の頼みを快諾する。

 テクノロジーが発達し、ネットワークが普及した現代でも……やはり、生身の人間として自分を育ててくれたのは恭也なのだ。彼は一時、夢を見た。悪い夢だったかもしれない。その夢を覚ました者として、宗一も改めて人間同士で向き合う必要を感じていた。

 それに、恭也が聡明で優しい人物だということは、ずっと前から知っているから。


「さ、話はここまでですわ! 今日はもっと高レベルのダンジョンに挑みましょう」

「わぉ、リンちゃん……まーたレベルアップしちゃって。なになに、ゲーム気に入った?」

「バッ、バズンさん! こっ、ここ、これは……そう、御嬢様おじょうさまのためです! 御嬢様がゲーム内でも安全に楽しめるよう、わたくしもメイド長として、警護の人間として」

「はいはい、そゆことにしときましょん? じゃ、エンジュ、五人で……エンジュ?」


 その時、不意に焦げ臭い臭いが宗一の鼻孔にけむってきた。

 それで彼は、一度ゲームを抜け出るむねを伝える。


「すみません、ちょっと……今、千依チヨリが来てくれてるんです」

「あら、そなの。じゃあ……また今度ね、エンジュ。千依ちゃんにもよろしくん!」

「では、我等はゆこうぞ……四人で新天地、新たなる冒険の舞台にな!」


 四人の冒険者が、酒場から旅立ってゆく。

 それを見送り、宗一はログアウトした。ゴーグルを脱ぐと、そこはいつものアパートの狭いリビングだ。そして、奥のキッチンがなんだか騒がしい。


「ちょっと、あいり! 焦げてる! 焦げてるって!」

「大丈夫ですよぉ、千依ちゃん。って、ネットで調べて知ってますから」

「そのおこげじゃないの! もぉ、パンケーキが真っ黒じゃないの。貸しなさいっ!」

「あっ、千依ちゃん。わたしにやらせてくださぁい……特訓中なんですからあ」


 実は、彌勒寺あいりは宗一の家にいる。

 あれから御屋敷に帰って、その後は宗一の家に居候いそうろうしているのだ。彼女は戸籍的には、以前同様に恭也の娘であることを望んだ。まだ、恭也を父様と呼んで慕っている。しかし、事情を知ったが真実はまだだ。

 彼女は生体パーツと新素材で作られた、ロボット……人工知能AIで動いているのだ。

 そのことをいつか、宗一は彼女に告げなければいけない。

 だが、今は従姉妹いとこで、愛衣の人格が生んだデータという意味では妹だ。

 そのあいりは最近、水瀬千依ミナセチヨリのもとで家事を特訓中だ。

 千依も以前の元気を取り戻し、頻繁に宗一の家に来るようになっていた。


「おーい、二人共……なあ、おやつ食えそうか? その、食えるやつを頼むな?」


 エプロン姿で振り返るあいりは、眼鏡めがねの奥で大きな瞳を輝かせている。

 再び彼女は、伊達眼鏡だてめがねをかけて暮らし始めた。

 父親の恭也に言われたからではない、自分でそっちの方がいいと決めたらしい。やっぱり、人と違う瞳の色、誰が見ても驚く綺麗な碧眼へきがんを気にし始めたのだ。

 以前より少し、あいりは大人になった気がする。

 だが、エプロンを脱いでたたむ彼女を見ると、ちょっと自信がない。


「先輩っ、宗一先輩っ。あ……えと、宗一お兄ちゃん? が、いいですかぁ?」

「なんでもいいって、あいり。好きに呼びなよ」

「じゃあ、先輩でっ!」


 家でゴロゴロしてることが多いので、あいりは今日もパジャマ姿だ。

 だが、それももうすぐ終わりである。

 宗一、千依、そしてあいり……三人は三者三様さんしゃさんように、再び旅立つ日を迎えつつあるのだ。


「ほら、宗一! テーブルの上、片付けて。ゲーム、邪魔!」

「あ、ああ、ごめん」

「千依ちゃんとわたしで、パンケーキを焼いたんですよぉ。綺麗に焼けたのだけ、みんなで食べましょうっ」


 こうして、平日の午後を優雅にお茶してられるのも今のうちだ。

 誰からともなく、一人一人で決めて表明し、誓ったことがある。


「ま、明日から学校だしな……今日くらいは家でゴロゴロしててもいっか」

「そ、そうよ! アタシも、学校、行くから……宗一と一緒に。って、あいり! ちょっとアンタ、メイプルシロップかけすぎ! ああもう!」


 宗一は自分で考えた結果、再び学校へと通うことにした。行けば、以前自分をいじめていた連中とも顔を合わせることになる。その時にどうなるかは、正直考えていないが憂鬱ゆううつでもある。

 ただ、今度は千依も一緒だ。

 そして、千依を守れる程度には強くなりたいと思う。

 それと、もう一つ。


「あいり、中学校の準備はできたかー? あと、お前のその右手な」

「あ、はぁい。このデバイスは人前では絶対に使わないでっす! 先輩との約束、守りまぁす」


 あいりはこれから、一人の人間として学校に通うことになったのだ。恭也も了承してくれたし、これからは普通の人間としての生き方も学ぶだろう。

 いつか、自分がロボットだということを知る日が来る。

 それまでは今もずっと、彼女は自分で自分をアナログハックしているのだ。

 だから、宗一は誓う……彼女が従姉妹で妹で、そしてこれから家族であるために。そのために、彼女の未来への道筋を切り開き、その先へとあいりをみちびこうと。

 今、ネット社会が完全に覆った地球の片隅で……人ならざる命が広い世界に解き放たれようとしているのだった。それを祝福する、一人の人間の少年と共に。

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電脳パジャマ ながやん @nagamono

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