第33話「宗一が叫ぶ名、あいり」

 阿南宗一アナミソウイチの叫びに、彌勒寺恭也ミロクジキョウヤの余裕が消えた。

 いつでも温厚で穏やかで、そして優しかった恭也。彼が実の叔父おじだったことは、今でも嬉しい。そして、今まで育ててくれた恩は計り知れなかった。

 だが、だからこそ道を誤ってほしくない。

 彌勒寺あいりを、実の姉を蘇らせるために扱ってほしくないのだ。


「おじさんっ! 目を覚ましてくれ……俺みたいな馬鹿にだってわかる! 死んだ人は二度と戻ってこない。戻ってきちゃいけないんだ!」

「君は……宗一君、母親に会いたくはないのかい?」

「あいりはあいりだ、俺の母さんじゃない」

愛衣アイの人格プログラムは完璧、記憶の再現処置も完了している」

「母さんは、誰かの犠牲を得てまで蘇りたいなんて、きっと思わない!」

「犠牲ではない、あいりはバグだ! 君に姉さんのなにがわかる!」


 話し合いは平行線だ。

 尽くしても尽くしても言葉が足りない感触に、宗一はれた。

 そして、それは恭也も同じのようだ。

 溜息ためいきで首を横に振りながら、彼は再度あいりの手に触れる。

 あいりの右手の甲、直接身体につけられたデバイスが光り出す。


「もう気付いているだろう? 宗一君……この異変の中では、


 徐々に光が強くなって、薄暗い部屋の冷気を輝かせてゆく。

 そう、この世界はハンティング・ファンタジアを再現したただの拡張現実オーグメンテッドリアリティではない。アカウントが持っていたキャラクターのレベル以上に、キャラクターそのものになった人間の想いが力になる。

 ゲームを始めたばかりの仁科要ニシナカナメ小鳥遊華梨タカナシカリンが、キャラクターのレベルにそぐわぬ強さを発揮したのもこれが原因である。

 一連の異変の中心であるあいりは、拡張現実の中でそれを拾っているのだ。

 だが、強過ぎる想いもゆがんでにごれば、それは本当の強さにはならない。


「保護者として、少し君に直接教育する必要があるようだね! 宗一君っ!」


 徐々にスーツ姿の恭也が、その輪郭を崩してゆく。

 そこにもう、温和な叔父の姿はなかった。

 普段は絶対に見せぬ、激昂げきこうの表情。それはどこか、泣いているようだ。そして、彼の周囲で無数のCG処理がテクスチャとなって散りばめられる。

 そこには、黒衣こくい甲冑かっちゅうを着込んだ騎士の姿があった。

 闇より尚も深い漆黒をまとう、暗黒の騎士だ。

 ガシャリと一歩踏見出し、恭也はかぶとのバイザーを降ろす。そして、腰から剣を抜いて近付いてきた。その左手には、同じ黒色の盾が装着されている。

 対して、宗一は武器もなく丸腰だ。


「いやっ、こいつがある! 使わせてもらいますよ、三郎サブロウさんっ!」


 ゲーム仲間のデルドリィードこと、山田三郎ヤマダサブロウが貸してくれたレアアイテム。魔剣ダインスレイヴ……ゲーム内でも屈指の攻撃力を誇る、同じサーバに三振りとない名剣だ。

 だが、この手のレアアイテムは不用意に低レベルのキャラクターで振り回せぬよう、レベル制限が付与されている。その武器に相応ふさわしいレベルにならなければ、装備できないようになっているのだ。

 背から下ろした魔剣ダインスレイヴを、宗一は想いを込めて握る。

 あいりを助けたい……この異変を止めたい。

 そして、恭也の間違った心を救いたい。

 だが、むなしくシステムメッセージが響く。


『装備可能レベルに到達していません』

「知ってる! わかってるんだ! でも……今の俺にはこれしかないっ!」

『キャラクターのレベルが足りません』

「そこをなんとか……あいりっ、お前を助けたいんだ!」


 だが、最強の魔剣はさやに包まれびくともしない。

 そうこうしているうちに、恭也の振り上げた刃が、宗一へと真っ逆さまに落ちてきた。慌てて身を投げ出せば、さっきまで立っていた床が砕かれ断ち割られる。

 あっという間にフロア自体が、ガラガラと音を立てて崩れ始めた。

 これが恭也の想いの力だとすれば、自分はその域に達していないのか?

 弱気な気持ちを必死で振り払って、宗一はとりあえず鞘ごと剣を構える。

 その時、声が走った。


「……宗一。貴方あなたの気持ちが伝わらなければいけませんよ。助けたい、救いたいと思う気持ち……その根源ねっこさだめて、強くお持ちなさい」


 あいりがしゃべった。

 逆さまにはりつけになったあいりの、その目が開いていた。

 海と空とを重ねたような、宝石のような青みがかった碧色みどりいろ

 彼女のひとみに、恭也は振り返って叫ぶ。


「黙れ、バグめ! すぐに姉さんの身体から吸い出してやる! そのまま永遠に、この東京ユグドラシルのデータ領域に深く、深く深く沈めて封印してやる!」

「……そんなことをしても無駄です。さあ、宗一」

「黙れと言っている!」


 徐々に恭也の鎧姿が、その全身が禍々まがまがしくとがってゆく。

 暗黒の騎士はあっという間に、魔王にも似た姿へと膨れ上がった。

 その剣から、衝撃波が放たれあいりを襲う。

 建物自体が揺れる中で、宗一は絶叫した。


「あいりっ!」

「当ててはいない! あれは姉さんの大事な身体でもある。さあ、宗一君! あきらたまえ!」

「嫌だっ! ……俺はまだ、あいりに言ってない! 伝えていない!」

「なにを……バグで生まれた偽物の人格に、なにを伝えようというのか!」


 恭也の一撃が襲い来る。

 それをそのまま、鞘をかぶったままの剣で受け止める宗一。

 そして、先程の言葉が頭の中に反射して響く。そう、まだ伝えていない……助けたいと願った、救いたいと思った気持ちは本当だ。しかし、この異変の中で、なにが彼を突き動かしたか。

 何故なぜ、助けたいのか?

 ずっと前から、知っていた気がする。

 そのことを今、はっきりと自覚した。


「俺は……俺はっ、あいりが多分、好きだ!」

「機械のロボットに宿った、人工知能AIの人格だ!」

「人間だって、神経に電流が走ってるだけで、怒ったり泣いたり……似たようなもんだろ! おじさん!」

「違うッ! 違う違う、違うっ!」

「なら……その機械の身体、人工知能としてよみがえった母さんだって、違うものになってしまうはずだ! それでもおじさんは、母さんを望んだ!」


 一瞬、恭也が怯んだ。

 その瞬間に宗一は、身を超えにして叫んだ。


「あいりっ! きっと多分、恐らく確実に……俺はあいりが好きだ! とっくに好きになっていた! お前の声を……言葉を聞かせてくれ! あいりーっ!」


 その時、奇跡が起きた。

 奇跡と言うには、あまりにもチープでありきたりな……それを人は皆、王道と歌った。

 王道にして正道、宗一の切なる想いが言葉になった時、その力をあいりが強さへと変える。

 魔剣ダインスレイヴの鞘が、無数のヒビを走らせ木っ端微塵に割れた。

 キラキラと破片が舞う中で、宗一はあらわになる刀身を強く押し込む。


「ば、馬鹿な!」

「馬鹿はおじさんだ! こんなことして……本当に馬鹿だよ、あんた! でも……俺にはわかる。人を好きになったら、あとはやれることをやってみるしかないんだ!」

「知ったようなことを!」

「もう知った! そして、あいりにも教えたいんだ! 直接!」


 恭也を押し返すと同時に、魔剣ダインスレイヴを振りかぶる。

 ドン! と踏みしめた足元が陥没かんぼつし、いよいよ周囲が崩壊してゆく。拡張現実で作られた世界は、少しずつ元の姿を取り戻し始めていた。

 そして、宗一は自分のキャラクターが持つ最大の奥義を解放する。


「いくぞ、おじさんっ! 俺の全身全霊、全力全開の力……うおおっ! 星龍剣せいりゅうけんっ!」


 限界まで引き絞った筋肉が、解放されて躍動する。

 一気に振り抜いた魔剣ダインスレイヴの剣閃けんせんが、巨大な龍を型取り膨れ上がった。それは、盾で身を守った恭也を飲み込んだ。光の中へと、その異形の姿が消えてゆく。

 バリン! と兜が割れた時、そこには普段通りの穏やかな表情が泣いていた。

 そのまま一気に、一撃の勢いそのままに宗一は駆け抜ける。

 急いで駆け寄れば、あいりは寂しそうに微笑ほほえんだ。


「……強く、育ちましたね。宗一」

「えっ? あいり、なにを……ま、まさか!」

「私は彌勒寺……いいえ、阿南愛衣アナミアイ。その人格を再現され、同じ記憶を共有している者です。長らくこの躯体くたい、あいりの中に眠っていました」


 拘束を解かれて抱き上げられるあいりは、その表情はいつものあいりではなかった。

 そして、彼女は宗一の母だと名乗ると、事情を説明し始める。


「東京ユグドラシルの演算処理能力を使って、弟は私とあいりを分離しようとしました。ですが、それを拒んだのは……あいりではなく、私なのです」

「ど、どうして」

「……弟にこれ以上、人の道を外れた行いをさせてはいけません。だから私は、眠りを選ぶ中で自分のむすめを……。それが、あいり」


 研究者達が愛衣裏アイリと呼んだバグは、その正体はプログラムの不具合などではなかった。新たな肉体での復活を拒んだ愛衣自身が、あいりを生み出し身体を預けていたのである。

 そこには、弟の愛を知りながらなにもできなかった、一人の女声の苦悩があった。


「私は弟の気持ちに気付きながらも……家ではなく、あの人との人生を選んでしまった。でも、その結果生まれた宗一、貴方がここにいます。だから、とても嬉しい」

「母さん! 俺……なんて言えば、でも、俺だって!」

「今から、私とあいりを分離します。私がこの東京ユグドラシルに眠りましょう……さあ、宗一。生まれも育ちも違えど、あいりは貴方の妹とも呼べる存在です。それ以上を望むのであれば……弟のように、間違ってはいけません。いいですね……」


 抱き上げるあいりの身体が、その何万分の一かの質量が抜けて軽くなった気がした。

 そして、一度目を閉じたあいりは……再び目を見開くと、宗一を見詰めて微笑むのだった。徐々に周囲が現実の世界へと戻る中で、宗一は母と初めての別れを経験し、大事な人との再会を果たしたのだった。

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