第33話「宗一が叫ぶ名、あいり」
いつでも温厚で穏やかで、そして優しかった恭也。彼が実の
だが、だからこそ道を誤ってほしくない。
彌勒寺あいりを、実の姉を蘇らせるために扱ってほしくないのだ。
「おじさんっ! 目を覚ましてくれ……俺みたいな馬鹿にだってわかる! 死んだ人は二度と戻ってこない。戻ってきちゃいけないんだ!」
「君は……宗一君、母親に会いたくはないのかい?」
「あいりはあいりだ、俺の母さんじゃない」
「
「母さんは、誰かの犠牲を得てまで蘇りたいなんて、きっと思わない!」
「犠牲ではない、あいりはバグだ! 君に姉さんのなにがわかる!」
話し合いは平行線だ。
尽くしても尽くしても言葉が足りない感触に、宗一は
そして、それは恭也も同じのようだ。
あいりの右手の甲、直接身体につけられたデバイスが光り出す。
「もう気付いているだろう? 宗一君……この異変の中では、想いの強さがそのままデータとして変換される」
徐々に光が強くなって、薄暗い部屋の冷気を輝かせてゆく。
そう、この世界はハンティング・ファンタジアを再現したただの
ゲームを始めたばかりの
一連の異変の中心であるあいりは、拡張現実の中でそれを拾っているのだ。
だが、強過ぎる想いも
「保護者として、少し君に直接教育する必要があるようだね! 宗一君っ!」
徐々にスーツ姿の恭也が、その輪郭を崩してゆく。
そこにもう、温和な叔父の姿はなかった。
普段は絶対に見せぬ、
そこには、
闇より尚も深い漆黒を
ガシャリと一歩踏見出し、恭也は
対して、宗一は武器もなく丸腰だ。
「いやっ、こいつがある! 使わせてもらいますよ、
ゲーム仲間のデルドリィードこと、
だが、この手のレアアイテムは不用意に低レベルのキャラクターで振り回せぬよう、レベル制限が付与されている。その武器に
背から下ろした魔剣ダインスレイヴを、宗一は想いを込めて握る。
あいりを助けたい……この異変を止めたい。
そして、恭也の間違った心を救いたい。
だが、
『装備可能レベルに到達していません』
「知ってる! わかってるんだ! でも……今の俺にはこれしかないっ!」
『キャラクターのレベルが足りません』
「そこをなんとか……あいりっ、お前を助けたいんだ!」
だが、最強の魔剣は
そうこうしているうちに、恭也の振り上げた刃が、宗一へと真っ逆さまに落ちてきた。慌てて身を投げ出せば、さっきまで立っていた床が砕かれ断ち割られる。
あっという間にフロア自体が、ガラガラと音を立てて崩れ始めた。
これが恭也の想いの力だとすれば、自分はその域に達していないのか?
弱気な気持ちを必死で振り払って、宗一はとりあえず鞘ごと剣を構える。
その時、声が走った。
「……宗一。
あいりが
逆さまに
海と空とを重ねたような、宝石のような青みがかった
彼女の
「黙れ、バグめ! すぐに姉さんの身体から吸い出してやる! そのまま永遠に、この東京ユグドラシルのデータ領域に深く、深く深く沈めて封印してやる!」
「……そんなことをしても無駄です。さあ、宗一」
「黙れと言っている!」
徐々に恭也の鎧姿が、その全身が
暗黒の騎士はあっという間に、魔王にも似た姿へと膨れ上がった。
その剣から、衝撃波が放たれあいりを襲う。
建物自体が揺れる中で、宗一は絶叫した。
「あいりっ!」
「当ててはいない! あれは姉さんの大事な身体でもある。さあ、宗一君!
「嫌だっ! ……俺はまだ、あいりに言ってない! 伝えていない!」
「なにを……バグで生まれた偽物の人格に、なにを伝えようというのか!」
恭也の一撃が襲い来る。
それをそのまま、鞘をかぶったままの剣で受け止める宗一。
そして、先程の言葉が頭の中に反射して響く。そう、まだ伝えていない……助けたいと願った、救いたいと思った気持ちは本当だ。しかし、この異変の中で、なにが彼を突き動かしたか。
ずっと前から、知っていた気がする。
そのことを今、はっきりと自覚した。
「俺は……俺はっ、あいりが多分、好きだ!」
「機械のロボットに宿った、
「人間だって、神経に電流が走ってるだけで、怒ったり泣いたり……似たようなもんだろ! おじさん!」
「違うッ! 違う違う、違うっ!」
「なら……その機械の身体、人工知能として
一瞬、恭也が怯んだ。
その瞬間に宗一は、身を超えにして叫んだ。
「あいりっ! きっと多分、恐らく確実に……俺はあいりが好きだ! とっくに好きになっていた! お前の声を……言葉を聞かせてくれ! あいりーっ!」
その時、奇跡が起きた。
奇跡と言うには、あまりにもチープでありきたりな……それを人は皆、王道と歌った。
王道にして正道、宗一の切なる想いが言葉になった時、その力をあいりが強さへと変える。
魔剣ダインスレイヴの鞘が、無数のヒビを走らせ木っ端微塵に割れた。
キラキラと破片が舞う中で、宗一は
「ば、馬鹿な!」
「馬鹿はおじさんだ! こんなことして……本当に馬鹿だよ、あんた! でも……俺にはわかる。人を好きになったら、あとはやれることをやってみるしかないんだ!」
「知ったようなことを!」
「もう知った! そして、あいりにも教えたいんだ! 直接!」
恭也を押し返すと同時に、魔剣ダインスレイヴを振りかぶる。
ドン! と踏みしめた足元が
そして、宗一は自分のキャラクターが持つ最大の奥義を解放する。
「いくぞ、おじさんっ! 俺の全身全霊、全力全開の力……うおおっ!
限界まで引き絞った筋肉が、解放されて躍動する。
一気に振り抜いた魔剣ダインスレイヴの
バリン! と兜が割れた時、そこには普段通りの穏やかな表情が泣いていた。
そのまま一気に、一撃の勢いそのままに宗一は駆け抜ける。
急いで駆け寄れば、あいりは寂しそうに
「……強く、育ちましたね。宗一」
「えっ? あいり、なにを……ま、まさか!」
「私は彌勒寺……いいえ、
拘束を解かれて抱き上げられるあいりは、その表情はいつものあいりではなかった。
そして、彼女は宗一の母だと名乗ると、事情を説明し始める。
「東京ユグドラシルの演算処理能力を使って、弟は私とあいりを分離しようとしました。ですが、それを拒んだのは……あいりではなく、私なのです」
「ど、どうして」
「……弟にこれ以上、人の道を外れた行いをさせてはいけません。だから私は、眠りを選ぶ中で自分の
研究者達が
そこには、弟の愛を知りながらなにもできなかった、一人の女声の苦悩があった。
「私は弟の気持ちに気付きながらも……家ではなく、あの人との人生を選んでしまった。でも、その結果生まれた宗一、貴方がここにいます。だから、とても嬉しい」
「母さん! 俺……なんて言えば、でも、俺だって!」
「今から、私とあいりを分離します。私がこの東京ユグドラシルに眠りましょう……さあ、宗一。生まれも育ちも違えど、あいりは貴方の妹とも呼べる存在です。それ以上を望むのであれば……弟のように、間違ってはいけません。いいですね……」
抱き上げるあいりの身体が、その何万分の一かの質量が抜けて軽くなった気がした。
そして、一度目を閉じたあいりは……再び目を見開くと、宗一を見詰めて微笑むのだった。徐々に周囲が現実の世界へと戻る中で、宗一は母と初めての別れを経験し、大事な人との再会を果たしたのだった。
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