第32話「彼に叫ばせる少女、あいり」

 最上階で止まって、エレベーターの電源は消えてしまった。

 最後に扉を開いて、完全に沈黙してしまう。

 薄闇うすやみの中、阿南宗一アナミソウイチは静かにフロアへと踏み出した。そこはひんやりとしていて、肌寒い。もとより露出の派手なビキニアーマーを着ていて、き出しの肌の感触を再現されているからたまらない。

 そろそろお腹を冷やしそうで怖かったが、そうも言ってられず宗一は叫ぶ。


「あいり! いるのか、あいり! 俺だ、宗一だ!」


 徐々に闇へと目が慣れてくる。

 そして、寒さの正体にも気付いた。

 真っ暗な廊下を、非常灯ひじょうとうの明かりに沿って歩けば、目の前に半開きのドアがある。そこから白い冷気が漏れ出ているのだ。

 本物の世界樹と化した、首都圏全域情報可視化制御構造体しゅとけんぜんいきじょうほうかしかせいぎょこうぞうたい……東京ユグドラシル。

 新たな首都のランドマークとなる、巨大な高層ビルだ。

 最上階のこの部屋は、普段は関係者以外立ち入り禁止の場所なのだろう。その証拠に、人の気配が全くない。今日は施設完成の式典があったが、この場所で異変に巻き込まれた人間の姿はなかった。


「この扉の奥か? ……待ってろよ、あいり!」


 意を決して、踏み込む。

 そこは、無数のサーバマシーンが並ぶ部屋だった。数え切れぬ巨大な演算装置が、小さな光を明滅しながら唸っている。この寒さは、コンピュータの冷却のためだ。

 身長に室内を歩く宗一は、突然の光に目を細める。

 咄嗟とっさに手で顔を庇ったが、部屋の奥に眩しい輝きがともっていた。

 そして……その中に、直視できぬ光景が広がっている。


「っ……あっ! あいり!」


 そこには、彌勒寺ミロクジあいりの姿があった。

 姿に驚いたのは、見慣れたパジャマを着ているからじゃない。

 彼女は今、逆さまに打ち立てられた十字架に、同じ方向へとはりつけにされているのだ。上下があべこめなのが、異変を呼び込んだあいりをおとしめるかのような暗示を感じる。どうやらただの殉教者じゅんきょうしゃを気取った演出には思えない。

 慌てて駆け寄ろうとした時、不意に声がした。


「その声、宗一君だね? やあ……やっぱりあいりが、愛衣裏アイリが君を呼んだか」


 逆さまのあいりの奥から、意外な人物が現れる。

 そして、そこに本当は意外性がないことを知っていた。

 必ずこの場にいるはずの人間……その名を宗一は叫んだ。


「おじさんっ! いや……彌勒寺恭也ミロクジキョウヤ! あいりになにを……なにをしたんだっ!」


 そう、宗一の保護者にして実の叔父おじ、彌勒寺恭也だ。

 彼はゲームに飲み込まれた東京とは、一線を画している。その証拠に、拡張現実オーグメンテッドリアリティが広げたテクスチャを身にまとっていない。いつも御屋敷おやしきにいたころの、あのままの恭也の姿が近付いてきた。

 緊張に身を固くしつつ、宗一は言葉を選ぶ。

 感謝もしていたし、尊敬もしていた。

 あいりの家庭教師の仕事はとりあげられたが、恨むすじなどない。

 だが、彼は真実を宗一にもたらした。

 あいりと呼ばれる少女が何者で、なんのために生まれた……造り出されたかを。


「おじさんっ、今すぐあいりを放してやってくれ!」

「……ふむ」

「おじさんはそんなことする人じゃなかった! 俺の、恩人だっ!」

「おいおい、宗一君。そんなこと、は酷いなあ」


 苦笑しつつ、身動きの取れぬあいりへと恭也は手を伸ばす。

 どうやらあいりは気絶しているようだ。だが、恭也に触れられても全く反応がない。眠らされているにしても、どこか様子が変だ。

 そして……ぴんと伸ばされた右腕の、手の甲へと恭也は指をわせる。

 そこには、あいり本人と一体化したデバイス、レンズ状の丸みが浮き上がっていた。


「宗一君。君があいりと呼ぶのは……誰だい?」

「誰って……おじさんの娘の! あ、いや……でも、そこにいるあいりですよ!」

「ここにいるのは、私が作ったロボットさ。人工知能を搭載した、Artificialアーティフィシャル.Intelligenceインテリジェンス.Robotロボット.……A.I.R.アイリだ」

「そんなの理屈ですよ! あいりはあいりじゃないですか!」

「そう、君があいりと呼ぶのは……実験と製造の過程で生まれた、いわばバグのようなもの。研究者達は愛衣裏アイリと呼んだね。君はその愛衣裏を助けたいのかな?」


 なにがいいたいのか、宗一には恭也の真意がいまいちよくわからない。

 あいりはあいり、A.I.R.でも愛衣裏でもあいりだ。

 だが、恭也はようやくその名を口にする。

 彼自身が願ってやまない、求めて望んだ者の名を。


「この身体は姉さんの……彌勒寺愛衣ミロクジアイのものだよ、宗一君」

「それは、外見が似てるだけでっ!」

「姉さんの記憶と人格、その全てを移植済みだと前に言ったね? そう、本来のこの肉体のあるじは、姉さんなんだ。生体パーツと科学技術の結晶……その肉体に宿るのは姉さんだった」


 あいりは、恭也のゆがんだ愛情が具現化して生み出された。彼は、き姉を幼い頃の姿で蘇らせようとしたのだ。そしてそれは、元々は宗一の父の願いだったのである。

 宗一の母である愛衣は、その死によって道を踏み外した人間を二人ものこしたのだ。

 そして、恭也はゆっくりと落ち着いた声で話を続ける。


「本来、姉の愛衣が目覚めるはずだったのが、この肉体だ。だが、姉の代わりに目覚めたのは、見ず知らずの人格だった。それは、全くイレギュラーな、ありえない存在……あってはいけない存在だった。だってそうだろう? これでは、姉さんは目覚められない」

「だから、あいりを眠らせて、その中から母さんを引っ張り出そうというのかっ!」

「その予定、だったんだけどね。東京ユグドラシルの全システムを使って、あいりを吸い上げ、そこに姉さんを……彌勒寺愛衣を蘇らせる。だが、ご覧の通りだ」


 恭也は自嘲じちょう混じりに話を続ける。

 膨大な要領と処理能力を持つ、東京ユグドラシルの演算装置。その全てを動員することは、ミロクジ・インターナショナルのトップである恭也には容易よういだった。この東京ユグドラシル建設、超弩級演算装置ちょうどきゅうえんざんそうちの構想自体が、彼の会社によるものだったから。

 だが、あいりは自分が肉体から吸い出されることを拒絶した。

 そして、逆に東京ユグドラシルを掌握して暴走したのだ。

 首都全域を包んだ拡張現実は、全てあいりの抵抗の表れであり、SOSだったのだ。


「そこで、だ……宗一君。勘違いしないでほしいんだが、私は君の敵じゃない。そして、君は私の敵ではないよ」

「……勝負にならないって、言ってるんですか?」

「敵対する意味がないし、私にその意思もない。君が助けてくれれば、お互いにいい結末だってあるんじゃないかと思ってね」


 そして、おだやかな笑みで恭也は言い放った。

 敵意も悪意もなく、紳士的で澄んだ笑顔だった。


「手を、貸して欲しい。東京ユグドラシルを使って、この肉体から愛衣裏を分離、保存する」

「誰がそんなことっ!」

「落ち着きたまえ、宗一君。そのうえで……私はこの肉体に眠る姉さんを蘇らせる。そして、愛衣裏には新しいボディを用意しよう。そうだね、君の好みの、その身体みたいなものでもいいだろう」


 恭也が指差す宗一は今、スタイル抜群の美少女の姿をしている。

 言われた通り、宗一がキャラクターメイキングをした時、自分の好みの少女像を多少投影したものになっている。健康的な肉体美は、優雅な曲線で身体の起伏を織りなしていた。

 だが、それとあいりの現実での肉体とは、まるで別の話だ。


「おじさん、そんなの間違ってる! できるできないの話じゃない、やっちゃいけないんだ!」

「……何故なぜかな? 宗一君。この私を納得させられる論理が、君にあるなら聞かせてもらおうか」

「それは……っ!」


 言葉に詰まった。

 倫理りんりと道徳の問題だとは思うが、それを順序立てて説明することは難しい。

 生命をもてあそぶ行為なんだと、創作物フィクションの主人公みたいに叫べない。

 あいりは人工知能、機械の身体に宿った人格なのだ。

 だが、宗一は勇気を総動員して自分を奮い立たせる。

 そんな彼に、恭也はゆっくりさとすように語りかけてきた。


「ネットワークが社会のインフラとして構築され、多くの情報が共有されてきた。ネットの目的は、あらゆるものごとを任意に保存、提供、共有することだ。それも、時間や場所にとらわれないもの……わかるね」

「それは、そう、です、けど」

「ネットは無料のサービスではない。しかし、代価を払えばいつでも、どこでも望むものが手に入る。これは文明の叡智えいち、人類の進歩だ。だから……私にとって欠けていた、欠け続けていたもの……姉さんの生命いのちをこうして、望んでいるだけなんだよ」

「それは、でも、おかしいっ! おかしいですよ、おじさん!」


 声を張り上げ、必死で否定した。

 だが、大声を出すしかできない。

 恭也の言葉に、やんわりと圧殺されつつあるのを感じた。

 それでも、宗一は小さな違和感を感じるから言葉を振り絞る。


「おじさん、いくら便利な世の中になったって……変わらないことだってある筈です!」

「変わらないのは自由だがね、宗一君。変わっていい筈でもないかな? 私のように、喪失そうしつを抱えたままで生きる人間は減る。君みたいに、プログラムが生み出したバグのような人格に感情移入することも、できる」

「あいりはバグじゃない!」

「イレギュラーな存在であったことは確かだよ。大丈夫、ちゃんと別のボデイに入れて、君にプレゼントしよう。私は、姉さんが彌勒寺の家に戻ってきてくれれば、それだけでいいのだから」


 気付けば、寒さを感じなくなっていた。

 むしろ、身体が燃えるように熱い。

 はっきりとわかったことがある。

 それを今、力を込めて言い放つ。


「ネットワークが便利でも、文明が発達してても、おじさんっ! それを扱う俺達は、人間だよ! まだ、どうしようもない人間のままなんだよ……」

「そんなことはない……そんなことはないっ! 違うっ!」


 初めて恭也が声を荒げた。

 だが、宗一は怯まない。


「いいや、違わない! 俺達は、まだ人間だから……どんなものだって、扱うのは人間だから。人間に、他者をどうこうしていい道理はない。母さんの死だって、あいりのこれからだって、好きにしていい理由なんかないんだ!」


 恭也が初めて、言葉を詰まらせた。

 その驚愕きょうがくの顔を、真っ直ぐと宗一は見詰め続けていた。

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