第18話 西南戦争は英国との全面戦争を検証する戦いだった?
薩英戦争で薩摩が英国に大打撃を与えたことは世界中に知られることになり、島津久光と西郷隆盛の存在もまた注目をあびた事とおもわれます。
明治10年の節目で西南戦争が起こっていることは、国内の軍を徴兵制を持って育ててきたその実力を実戦で試し、鍛えるために仕掛けられた戦争ではなかったかとおもわれます。そして、その方法として西郷隆盛率いる薩摩軍が英国との全面戦争に至ったときの最終的な戦い方を考えていた計画が選ばれたと思われます。
その論拠の一つに、政府軍の兵員輸送にあります。
熊本に行くのに最短の方法は、宮崎県の延岡市から熊本の向かう方が良いと思われるのに、実際は長崎に向かっています。電信線は延岡から熊本に向かって引かれているにも係わらずです。
このことからも、熊本・延岡ラインは重要な軍事ラインであったことが伺えます。
薩摩の藩士達が熊本城を包囲して、場内の政府軍と戦ったのは、薩英全面戦争の計画としては、場内に立てこもることも想定していたのではないでしょうか。
恐らく、城内の政府軍が薩摩で、囲んだ薩摩兵士が英国軍であったなら、この計画はどれほどの効果を持つ物であったのかを検証した物と思われます。
また、田原坂での戦闘は、台地の上を占拠した薩摩兵士と政府軍の戦いとなりましたが、これは、薩英全面戦争時に山都町にある白糸台地に最終的な陣地を築いた時の戦い方を検証したものではなかったかとおもわれます。
田原坂での戦いは政府軍が元士族である薩摩藩士達を中心に抜刀隊として組織され、斬り合いの結果政府軍が優勢になったとありますが、この抜刀隊を組織することを提案したのは西郷隆盛でなかったかと思われます。彼の命令がなければ薩摩藩士を武士として斬り合いの戦場に動かすことは不可能では無かったのではないでしょうか。
この事は、池田屋事件を連想させるものとなっており、彼らの明治における新しい日本への期待を死を持って示さざるを得なかったことをとても悲しく思います。
とんでも妄想幕末記 ーもしかしたら真実かもしれないー 坂本信二 @Cota_Cyan
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。とんでも妄想幕末記 ーもしかしたら真実かもしれないーの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます