第15話 上野戦争は菩提寺を壊すことが目的だった

 慶応4年5月15日(1868年7月4日))の上野戦争は江戸上野(東京都台東区)において彰義隊ら旧幕府軍と薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍の間で行われた戦いであって結果として寛永寺の主要伽藍を焼失しています。

 上野戦争の目的はこの寛永寺の大部分を消失させることにあったのではないか?そのことにより、德川家の威信を失わせるのが本当の目的だった。

徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に寛永寺を建立しましたので徳川幕府の象徴であるため、新政府にあっては取り壊す必要性から上野戦争は起こされた。

こわすにあたり、最新式の国産大砲を試したと思われる。

旧幕府軍の江戸の守りの中心であった彰義隊の解散をも目的とされ、戦争がはじまるとその敵である彰義隊の逃げ口も用意されており、人の被害は最小におさえられたものと考えられる。

 西郷は戦死者をそのままにして非道者といわれていますが、戦は最小期間に終わらせる必要があり、外国人もふくめて人びとに酷い戦いであることも印象付けることも重要であったので死体の放置をせざるを得なかったと思われます。

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