第14話 江戸城無血開城は新政府支持の世論作り
西郷隆盛と勝海舟が初めてあったのが第一次長州征討の最中で、4カ国連合艦隊との和解が成立した8月14日から一ヶ月後の元治元年9月15日とされています。
この二人はそれぞれ幕府と反幕府の全権を託された人と解釈されますので、ここでの会談は、どのように武家社会を終わらせて行くのか今後の具体的な方法を討議したと思われます。
社会を変えようというのですから、武家社会に慣れ親しんでいる特権階級の人たちや今の世を支持している人たちが大勢いるなかで一足飛びに変えることには無理があります。
人々の支持がなければ成立も存続も不可能ですから世論づくりが必要となります。ですが、欧米列強がすでにこの地に来ており日本としては二回も列強と戦闘を交えた状態ですから事は急がなければなりません。説得してる時間などない状態でした。
それゆえに武家社会を変えたいというトップと身分制度に不満を持つ下級武士たちが協力し変革を押し進めるという外からはわかりにくく、国内はもちろん外国にも秘密裏に行う必要があったと言えるでしょう。
この二人はお互いに敵どうしという立場で対峙していなくてはなりません。それぞれの立場でその役割を演じてゆく必要がありました。そのため直接会うにしても連絡するにしても、公にできるのには制限があり必要最低限にしておかなければならないという条件が課せられています。
2回の会談が公には存在していますが、それぞれ以下のような内容ではなかったかと想像するところです。
第1回目は、第一次長州征討の終結から江戸城無血開城までの会談
第2回目は、内戦での兵士育成と新政府の構想についての会談
勝海舟は新政府軍が江戸に迫ろうというなかで、江戸の火消し頭たちに、「会談決裂の時は江戸に火を放せ」と言っているのは、江戸が大火になっても新政府軍の責任とならないように配慮したものと思われます。大火にならなかった時には新政府軍のおかげとなり江戸市民から喜ばれます。いずれにおいても、新政府軍への支持が寄せられる事になるわけです。
ですが、西郷と海舟の二人は江戸大火は絶対に避けなければならないと考えていたと思われます。不測の事態で火事になった時のもしものことを考えての海舟の動きと見ることができます。もしもの事態が起こるとすれば、それは、新政府軍に敵意を持っている勢力の仕業である事は疑いのないところです。
特に、薩長との交戦を望むフランスに対して警戒する必要がありました。薩摩はイギリスに対して江戸を大火にする事は国際法上違反であることを確認していますのでイギリスは江戸大火は望んでないことがわかります。大火が起こった場合に一番に疑われるのはフランスという事になります。
海舟は慶喜の亡命をイギリスに頼んでいます。つまりイギリスと日本が手を組む条件が揃った事で、フランスの動きを止める効果があったと思われます。
日本にとって江戸大火などという、そんな時間も金も列強との政局も許されていないので海舟は万全の策をとったと言えるでしょう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます