仁川路永扇短編集

仁川路永扇

決定される升

ひとつ、人には話したこともない話をしてみようか。それらは夜の談話に使っても構わない秘密文書。もしくは、これからを描くための塗料として。筆に呼ばれたからというありきたりで何もないような、塗料として血を用いたいと願う、このインクをどうして光に透かさないことか?秘匿された彼らの命はどこにあるのだろうか?

ひとつ、数えられ挙げられる名を残したまえ。たれそ、たれぞ、言葉は祈りを描いている。我が世の描きたることの、無しと思えば、升目は埋まり、今日の息もできるように、空気が澄んでいくのを。耳を閉ざして、目を閉じて、矢印たちは鼓動している紙に向かう。原稿用紙の上に神が座っている。筆を呼んだものは座っている。

ひとつ、数字を進めさせたまえ。時計はどれだけ回っても、結局は同じところを巡っている。来週の土曜日に最も遠い曜日は、今週の土曜日のように。かすれた文字盤たちが歌うのは、巡り巡っても土曜日と土曜日が逢えないような、その虚ろさを。


ふたつ、人が理解できない話をしてみようか。この彼らの話達は、話半分に聞かれてもいい。そもそもそれが目的であり、理解できないということが理解されればそこで話は終わりだ。夢に干渉する願いは在りしも、眠りを妨げることはない文章を。

ふたつ、呼吸のように残存させたまえ。はらえ、はらえども。隠匿の中に種明かし。明かされるのは心の鍵穴、開くのはあなた、心臓の中に解き放たれた自我があって、自我は心臓の中に閉じ込められている。開放するそれが死であると。

ふたつ、数字を進めさせたまえ。堂々巡りの日々を送りつつ、この堂々巡りの本文章に目を通しつつ、微睡を迎えよう。日光は人を呼ぶ。月光は鬼を呼ぶ。人は明かりの中で生きる。月光の中にはいられても、それは長々といられるものではない。


みっつ、人の観測の話をしてみようか。人は観測しなければ存在しないと思っている。聞いたこともない、見たこともない、嗅いだこともない、触れたこともない、食べたこともない、そのものをどうして存在させ得られるだろうか?すべて、人が想像した時点では生きていて、存在しているというのに。

みっつ、連なりを意識した紙の構成。人間と平面は友情で結ばれている。しかしそれは恋愛ではない。あくまでも清らかな平面。立体になるにつれて窪みにたまるインクのかすれは、付き物となる。円環の中に、本質を置き去りにして。

みっつ、数字を進めさせたまえ。昏迷の中に人の在って、人はその中にただ存在しているだけ。それでいい。存在することには多くの負担がある。ただそこで横たわっていて、存在することと、息をすること、をすればいい。


ある一定の法則の上にこれら文書が交わっているとすればそうであろう。しかし、ただわたしが「法則も何もなしに」「ただ書き殴っただけ」と言っても、証明は容易だろう。文章を綴ることと、ビーズに糸を通していくことは似ている。一定の法則があるから飾りは成り立っていく。見えない糸の手によって、操られる文字たちの、踊りを傍観し、全てはそのようだ。

おやすみ、ねえ、おやすみ。次の日はどんな息ができるのだろうか。

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