夢に見たあの目の

一つ目の怪物が言いました。「どうして発言は発言となるのでしょう」と。誰もそれには答えられません。それは、発言が発言であることを誰も咎めることも定義することもできないのだから、です。

わたしたちには言葉が存在しています。存在するとはいかようにどのようなことでしょうか。ある、と定義されることでしょうか。観測されることでしょうか。知られることでしょうか。あるいはそのすべてでしょうか、全てでないのでしょうか。

升目に敷かれていく細胞たちに夢を託していく仕事をしていて、思うのは、升目に敷かれなければ言葉にならないのでは、と思うのですが、果たして、そしてはたして、ここにある升目というものは本物なのでしょうか。

祈りが響いていくと、教会が形成されますが、中庭にはニワトリがいて、いつも朝早くに朝を知らせてくださいます。監視されて、ニワトリは鳴かざるを得ないからです。大きな生首が気持ちよさそうに落ちています。ここは処刑場です。日の当たる、とても緑の広々とした処刑場です。命はここに埋められて、かつて動かしていた体は地中に埋もれ、観測されることはもはやないのです。

人は夢を、記憶の保存と、もしくは整理の為に使うらしいですね。その中に、言葉はあるのでしょうか。夢はどこまで覚えていられるものなのでしょうか。命は芽吹くのでしょうか。問いは絶えず波打ち際のように押し寄せます。穏やかではありません。

ところで、升目の中に住まう命は、どこへ消えたというのです。升目の中で確かに息をしていた、それらは、電気に座を奪われてしまうのでしょうか。それは悲しいことであります、が、悲しくとも、移り変わっていく定めなのだからね。


一つ目の怪物は言いました。「どうして人は剣を振りかざさないと息もできないのでしょうか」と。常に戦って、そして疲れて、人はいつも剣を傍らにおいて寝ているのですが、剣の名で表されるそれこそが、本当は人そのものかもしれないですね、目は閉ざされ暗黙の中に在り、響くは命を灯す胸の奥の音。植物ですら眠るというのに、人は夜を越えて朝まで起きようとしている。それはおこがましいよ、とだけ追記しよう。または、朝をも夜をも越えていこうとするならば、それこそ倫理に反しているとも言えようかな。

一つ目の怪物は人の中で生きている。それは太陽のように生きている。夕暮れ時の公園で、ふと腹の空くのを覚えて、駄菓子屋に走るのだが、持つものも持たず、目を盗んでしまおうと、手に取って走っているとき、声はそっと耳に挟まれるのだ。


─お天道様が、見ているぞ─

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