ミスタスノーマン
ミヨボ
第1話
「どうして皆春を望むの?」
無垢な君が私に問うてくる。
純白な君は少し寂しそうだ。
「春は暖かいからかな」
「それとも、桜が綺麗だから?」
私は何も答えないでいた。そんなことよりも、私は君とこうして抱き合っている時間の方が大切だからだ。
「冷たくない?」
今日は雪がよく降る。私の赤くなった頰を、君は心配そうな目で見つめた。
「いいえ、冷たくありません」
「本当に?」
「本当に。暑いくらい」
君と居れば、寒さなど感じはしない。そんな私の思いを、彼は汲み取ることが出来ているだろうか。
病弱な私には、友達が居なかった。
窓の外から眺めるだけの外の風景。雪の中を寒そうに歩く人々の気持ちを、ベッドの中から動けない私が理解できるわけも無い。
「猫さん、今日は何処へ行くの?」
美しい白い猫が足跡を残しながらベランダを通っていく姿だけが、外を見る私の唯一の楽しみだった。
その猫も突然現れなくなり、私の楽しみもなくなった。
「エリーゼ。君はもうすぐ手術をする」
主治医が私の部屋を訪れたある日のこと。
「はい、分かっています」
「君の心臓はとても弱い。手術をしても、助かるのかどうか分からない」
「はい」
「それでも、何故僕が手術を決行しようとしているか、君に分かるかい?」
主治医の唐突な質問に、私は首を傾げた。「先生が決めたのではないの?」と問うと、主治医は首を横に降る。
「僕の家のベランダにね、毎日コインが置かれるんだ」
「コイン?」
「そう。最初は悪戯か鳥が運んでいるのかと思ったんだけれどね、随分と経つうちに分かったんだ。これは君の手術代だとね」
私のために?友達が居ない私に、一体誰が。謎を深めるだけの私の手に、主治医がそっと自分の手を重ねた。
「僕はこのコインの主人に誓ったんだ。絶対に成功させてみせる」
力強いその言葉に私は勇気を与えられ、手術に同意した。
「やぁ、エリーゼ」
手術日を控えたある日の朝。ベランダに1人の、いや1つの雪だるまが居た。
「今日も寒いね、雪は止みそうにない」
クルミで出来た目に、にんじんの鼻。立派な、しかし小さな雪だるまは、「僕は君の友達だよ」と言った。
「ミスタ。今日も楽しい話を教えて?」
「そうだなエリーゼ。なら今日は、向かいの婆さんの犬が庭を駆け回って居た話をしよう」
ミスタの話はとても面白く、また話題が尽きなかった。いつも新鮮な話を、1日中私に話してくれた。友達の出来なかった私は、その時間がとても幸せだった。
「ねぇミスタ。私、本当は怖いのよ」
「大丈夫だよエリーゼ。僕が付いている。君はきっと元気になるさ」
ミスタは表情を変えることはないが、それでも彼が笑顔なことは声色で分かる。
「エリーゼ。元気になったら、僕と外へ出てみよう。デートだ」
「デート?」
「そう。僕と外で楽しいことを、その目で見よう」
「約束よ?ミスタ」
「嗚呼。僕はいつまでも待っているからね」
私はミスタにキスがしたかった。それでも出来なかったのは、雪のミスタが溶けてしまわないようにだ。
次に目を覚ましたら、ミスタの頬に少しだけさせて貰おう。私はそう思って目を閉じた。
「エリーゼ」
「ああエリーゼ、僕は君に恋をしてしまったんだ」
雪が降る街の真ん中に、私は1人立って居た。冷たさが分からない。これが夢だと気付くのに、そう時間はかからなかった。
「君がいつも物憂げな顔をして外を見ているから、僕は君が気になって仕方なくなったんだ」
声の主はハッキリと分かる。私の友達。名前がない、ミスタだ。
「ミスタ」
「そんな君が外に出たら、どんな笑顔を見せるんだろう。僕はいつの間にか、君に恋をした。君が大好きになってしまったんだ。エリーゼ」
彼の声色が次第に悲しげな声に変わっていく。
「愛しのエリーゼ。どうか目を覚ましておくれ。僕が溶けてしまう前に……」
エリーゼ、そう呼ばれた声に誘われて、私は目を覚ました。
「エリーゼ、おはよう」
ベランダの彼は、随分と小さくなっていた。片目が取れ、自慢の鼻も歪んでしまった小さなミスタ。
「良かったエリーゼ。本当に良かった」
「ミスタ……」
長らく眠っていた私の足は自由に動かない。それでも私は這いずりながら、ベランダに向かった。小さなミスタを、迷いなく手に取る。
「ミスタ……嗚呼ミスタ」
「君が眠っている間に、綺麗な桜が咲いたよ」
ミスタの頭に桜の花びらが付いていた。
「ミスタ、ずっと待っててくれたのねミスタ。私が起きるまで、春が来ても待っててくれたのね」
ミスタとの最後の言葉を話す時間を、少しでも長引かせるように、春の空に雪が降る。
「ミスタ。コインを持ってきてくれたのは貴方ね。毎日ベランダを通って、先生に持って行ってくれたのね」
いつしか居なくなってしまった綺麗な白い猫。夢の中で見たミスタは、とても綺麗な猫だった。
「どうして皆春を望むの?」
愛しいミスタの純粋な声。彼の最後の言葉を、手から流れる水のように溢れていく。
「私はねミスタ。冬が好き」
私の目からも溢れる涙に、彼は冷たいキスをした。
「私は冬が好き。ミスタと会えた冬が、初めての友達が、初めての好きな人が出来た冬が好き」
クルミの目が溶けて、微笑んだように見えた。
それだけで幸せだ。
それだけで幸せだった。
「ミスタ、私は貴方が好き」
ミスタスノーマン ミヨボ @miyobo
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