第2話 始まり2
僕はゲームが好きだ。特に命を賭けるゲームは最高に好きだ。肌を突き抜ける痺れの感覚。倒れたくなるような身震い。生を賭けた時にしか味わえない感覚が良い。
だけどいつの日かその快感は感じなくなってしまった。命を賭けたゲームはいつの間にかただの一方的なゲームと化してしまったからだ。
なぜか?答えは単純だった。僕が強すぎたのだ。
そして、死に対する恐怖心が薄れてきて快感も薄れてしまったよ。徐々に日々にも退屈を覚え始めてきていた。
しかしそんな時だった。あの男に出会ったのは。
あの日は咎人で作られた組織の任務でいつものようにターゲットとゲームをしていた時、対異者局の人間が現れた。女の子みたいな顔をしたやつと生真面目そうなやつ。男二人で現れた。あちらの任務は僕がいじめていた人質の救出。
僕たちは三人。せっかくのことだし遊んでやろうといつもの通りゲームを持ちかけると、生真面目そうな方が一笑して僕の所に突っ込んできた。僕と一対一。残りは男の娘と。
この戦闘は印象的で今でも瞼を閉じれば蘇る。
殺し合いが好きだ。それはいつの間にか
二ノ園の男、錬次とのゲームは自分の予想よりを遥かに越えるゲームとなった。自分はこれまでに負けたことがない。その信念が一番の強みであり根源。だから錬次とのゲームだって……。
だが、勝てなかった。
彼は異様だった。
今日まできて戦ったことのない強さ。自分は初めて『化け物』という言葉を発した。薄れていた死に対する恐怖が沸き上がり、それと同時に久しい快感を感じた。
別にこれで終わってもいいとさえも思った。
しかし、そうはならなかった。
一撃が振り下ろされる瞬間、死を覚悟していた数瞬の時に止まった。
一瞬のうちに息が白みががるほどの濃霧が空間を支配してしまったのだ。両者呆気にとられていると隣に気配を感じる。その人物はのそりと座り込む。最近組織に入団した齋漣と名乗った女だった。
『なぜ君がここに……』
小声で問いかけるが彼女は無視し左手を地面に置くばかりだった。
『―――!』
僕は目を見開いた。
魔具を使用していないのに地面が凍りついる。魔具にはいくつか属性が存在していて、中でも氷属性は発動時に特有の音を発する。それに、効果範囲は半径三Mの円型のはず。こんな一直線に氷柱状には伸びない。
どう考えても新入りくんが生み出したとしか思えない。
彼女はにやりと微笑むと深い霧が立ち込めた、錬次がいるであろう場所に走って行ってしまう。もう呆然と眺めるしかなかった。数M先では、暗色の何かが弾け剣戟の音が響く。それに被さるように錬次の仲間の声が聞こえてくるけど、あちらも戦闘中。
それからのこと、不意に音は止み濃霧も晴れて、視界が良好になった頃。霧と一緒に齋漣未琴の姿は消えていた。
『錬次……錬次!しっかりしてくれ。死ぬなよ。 おい!!』
急に怒号が届く。
視線を戻すと深々と胸に穴を開けた敵の姿があった。血がドロドロと垂れ出て、辺りは血の海と化し、中心では錬次が倒れてそれを抱えるように女男が叫んでいた。
彼女が殺ったのかと思考を整理していると、刀の切っ先のように鋭く彼が睨んでくる。
僕は治癒魔法で癒した体を引きずり起こしながら撤退を試みる。逃げたほうが得策だと本能が言っているから。
幸いにも彼が襲ってくることはなかった。
時間をかけて組織本部に戻りすぐに治療に入った。そして、完治した僕は迷うことなく新入りくんを探し回り見つけると同時に質問の嵐を浴びせてあげた。
しかし、彼女は『知らない』の一点張り。困った困った。思い悩んだ僕は暇があれば問いかけてしつこく攻めていたら。ついに折れた齋漣くんが僕の好きなゲームを持ちかけてくれた。
ゲームの内容は相手に峰の一撃を身体に当てたら勝利。仲間同士の争いは禁止だから
試合が開始して十分も経たない内に僕は負けた。人生で二度目の敗北だった。こんな短期間で二度も。強い悔しさが這い上ってくる。
でも彼女はなぜか知りたかった秘密を教えてくれた。齋漣未琴と二ノ園錬次という人間の強さを。すべて知ることができた。
そして僕も―――
殺伐とした空気が体育館に充満している。教師たちが全滅したことにより、打ちひしがれた生徒たちは絶望に顔を歪めていたが、中にはこれでは学園の学生としてダメだと思い、各々の武器を握りテロリストの前に立ちはだかった。
その様子に自らを闇影於茂登と名乗る咎人は実に嬉しそうに笑うと疾駆してくる。多勢に無勢という言葉が存在するはずだが、悪魔には通用しないようで多くの生徒たちが倒されていく。闇影は戦闘を楽しんでいる。いや、遊んでいるかのように刀を振るっている。すべて峰で受けているのか生徒たちが血を流すことはなく地面に伏しすぐに立ち上がっている。
「ハッ……!」
鋭い気合いが隣で響き火花が飛び散る。
「さすがは黒上院のお家の人間だね。さばくのが一苦労だよ。それに…お隣の君もなかなかのものだ」
闇影は口では大変と言いながら汗一つ流す様子もなく颯天と玲奈の一撃一撃を見事に跳ね返していく。
決定的な打開策がない。いつまで耐えていれば、任務に出た生徒会、教師たちは戻ってくるのか。これでは死へひた走っているだけである。
焦燥満たす空間であるとわかっているが玲奈は場違いながらも昔の記憶が蘇っていた。
私はいつも守られてばかりだ。幼い頃からの異者の訓練ではいつも兄さんに守られてばかりで背中に隠れていた。
だからという訳ではないけれどこの時だけは自分の力を奮い、誰かの役に立ちたい。もう守られる存在は嫌だ。
―――カーンッ
一撃が重たい。
闇影の攻撃は一つ一つが洗練されている。だからといってここで逃げるつもりも死ぬつもりもない。自分の強さを確立するために恐れてはいけない。
早く春夜のもとに急がなくては。治癒魔法を施さなければ春夜は……
「ハッ!! ―――颯天くんっ!」
気勢を発すると横合いから颯天が鋭敏に反応し姿を現す。玲奈の刀を流しながら颯天の斬撃を一心に受ける闇影の表情はにやついたままだった。
テロリストは玲奈たちを交互に見据えながら告げる。
「君たち、見事なコンビネーションだね。本当に学生にしてはいい動きをしているよ。でも…でもね、まだ足りないかな、君たちの刃は僕には届かないよ」
「それはどうも…悪名名高い咎人の闇影於茂登にそんなことを言われてしまうなんてね。それに僕たちの目的は時間稼ぎだよ。最初っからあなたに勝てないことは重々承知の上です」
玲奈はその言葉を聞くと前線から離脱する。目を奪われた闇影は数瞬の隙を突かれ颯天の蹴りを
この流れは他の生徒たちが闇影と対立している最中に颯天が玲奈に共闘を持ちかけた時に話し合った作戦。颯天が闇影を押している隙を狙い走る。
「絶妙なコンビネーションだね。もしかして二人はそういった関係なのかな?」
「いいや…彼女には僕なんかより相応しい人がいるよ。それよりも訊きたいことがあります……あなたは悪魔所有者ですか?」
髪の色と同色の真っ黒な虚無が広がる瞳に一瞬だけ光が帯びる。しかし、すぐに色が褪せ口許が微かに歪む。
そして―――
「知りたいのかい?知ってしまったら君は僕に負けてしまうよぉ」
闇影の声音に思わず背筋が凍るが、すぐに意識を戻す。が、気づいた頃には遅かった。於茂登の双眸が紅く光る。
これで証明されたみたいなようなものだ。悪魔に憑依されている者は力の発動時に目が紅く光ると聞いている。僕も黒上院の嫡男である以上、悪魔と契約することになっている。しかし、まだ未契約。それに闇影於茂登は悪魔と契約している様子。それでは颯天の勝率がぐーんっと下がってしまう。
「後悔はしないでくれよ?」
「くっ……」
微笑を放つとこちらが優勢だったはずが劣性にもちこまれてしまう。さっきよりも格段に一撃一撃の速さや重さ、太刀筋が全然違う。
今のうちに春夜のもとに東城さんが急いでくれれば……
「僕は強い人とゲームをするのは好きだけど、長時間戦は嫌いなんだ。だから、君にはもう寝てて貰おうっかな!」
嫌になるほどの速さで突きが迫ってくる。これを弾くことができないと、心臓を貫かれるのは確実。だけど、悪魔の本命は突きではなく真下から準備している蹴りのはず。同時に二つを受け止めるのは不可能。死ぬか気絶か二つにひとつ。この男はなぶり楽しみたいのだろう。
―――僕はこれからこんな人たちを相手にしていくのだろうか……。
「お休み……」
「キィ―――ン!!」
「颯天くん……!」
意識が……。東城さんごめん…春夜を……。
気を失った颯天の体は幸いにも生徒たちの方へ飛ばされ、周りの生徒たちが治癒魔法をかけていく。
闇影の虚無広がる瞳が獰猛に玲奈を捉え、一言。
「次は君だよ」
にんまりと笑い、一気に距離を詰めてくる。体育館の広大な面積が仇となし春夜との距離はまだまだある。
時間が足りない。ここで闇影を倒さなくては私はきっと死んでしまうだろう。そして春夜も……。私は何もできないまま終わってしまうのだろうか。
それだけは―――
「それだけは嫌なんだ……!」
烈火の如き気合いが迸り、それに押されるかのように玲奈の刀は凄まじい速さで下段から走る。
だが、
「遅いっ―――!」
頬を掠めながら避けた闇影は、刀の速度を利用して玲奈の武器を遥か遠くに弾き飛ばし、首根を掴みあげる。
「あっ……くっ、あ……」
「アハハハハハハハ!いいね、いいよ。その絶望に歪められた顔はいつみてもいい!」
青息吐息と耳をつんざくような高笑いが体育館一帯を支配する。その光景を見ていた闇影於茂登の仲間である、齋漣未琴が口を開く。
「おい、於茂登。悪魔に主導権を取られているんじゃない!集中しろ!!」
「黙れ……!僕は僕だ。悪魔なんかに意識を侵食されていない。お前は黙ってみてろ」
「バカが完全に奪われている。 ―――?」
玲奈の首を握っている左手にいっそうと力が込められ、その度に喘ぐ声が耳朶に届く。そして、深く冷たい嘲笑も。
「クククッ…お前はあの男が大事なようだな。だけどあいつはもう死んでいる。優しい優しいこの僕が彼のもとに贈ってあげるよ」
「はる…やは、お前……み…たいな…やつよりも…ずっと強い……」
「へぇ~そのお強い方はそこで……」
「於茂登、避けろ!」
壇上に屹立している齋漣の絶叫が響き渡り、呼応するかのように闇影は後方に。そして、玲奈は―――
「おい、これはデスゲームなんだろ。俺はまだ死んでないぞ!」
二ノ園春夜に抱きかかえられていた。
「はる…や……春夜!」
色を失っていた瞳に光を宿し玲奈は抱きついてくる。少しの気恥ずかしさを覚えながら『ごめん』と告げてゆっくりと玲奈を床に降ろして、闇影を正面に捉える。
「おかしいなー?君のことは確かに心臓を貫いたはずなんだけど、何で生きているのかな?」
「俺もわからない……だが、はっきりとしていることは復讐を果たせるということだ――!」
父から受け継いだ刀を強く握りしめて一直線に走る。胸を貫かれて生きている理由は自分でもわからない。その上、身体が死にかける前よりもとても軽い。脳裏に響くように聴こえてきたあの幻聴のことも気になる。だが今はどうでもいい。
これは死に損ないの俺に与えられた、たった一度のチャンス。無駄には絶対にできない。
未だににやけている面輪に向けて下から切り上げると上段から斬り降ろしてくる。先程までは力の競り合いに負けていたはずなのに軽々と弾くことができた。驚きで目を見開いている於茂登に追撃を加え、初めて深手を負わすことに達成したが、さすがはと言うべきか高速で体勢を立て直して襲いかかってくる。しかし、動きにむらがあり遅く見える。それでもすんでではあり、避けることに成功しても傷は負う。
一旦後ろに飛ぶと於茂登も後方へ後退する。
ぴりぴりと空気が痺れるなか、互いに
邪魔をされる。
互いの間が五Mと縮まったときに、青みがかった流星が視界の中心に入り込む。齋漣が拘束用魔具で闇影を捕らえ、
「もう時間だ。悪いがこれは無効試合とさせてもらう」
蛍光色ネットが電撃を放ちながら捕らえた悪魔の体力を奪っていく。当の本人はギラギラと瞳に光を帯ながらノイズ混じりの低い声を放つ。
「僕のゲームを邪魔をするな女……」
「闇影於茂登、お前は悪魔に飲み込まれてる。お前のせいで任務は失敗だ、反省しろ!」
齋漣は於茂登に鋭く叱責するが、電撃を浴びているはずの本人は気絶するどころか、まして興奮しながら何事かを喚き散らしている。
その時。
体育館全体が大きく鳴き始める。揺れ止まることなく永続的にとどまることなく鳴り響いている。
そこで初めて冷静沈着を保っていた齋漣未琴の表情に焦りの色が生じ、舌打ちを放つ。
「クソっ……こんな状態の時に。おい、於茂登、って気絶して…いや、好都合か。下手に暴れられるより……」
「逃がすかよ!」
すぐ近くで独りごちるテロリストに向けて剣を振りかざすが、
「今は相手をしている暇はないんだ、二ノ園錬次の息子よ。……だが、また会うことになる。その時まで期待しておけ」
軽々と渾身の一撃を片手で弾き飛ばされてしまう。
ネットで捕らえた闇影と共に体育館を立ち去ろうとするため、後を追う。だけど、身体が動かない。それどころか、意識さえも遠退いて……。
「はる、や……春夜!」
「………」
玲奈の呼ぶ声が聞こえる。
視界が歪みむ。そして、シャットアウトする。
―――すまん。玲奈、また心配を……。
目を覚ましたときに最初に感じたのは身体の気だるさと重たさだった。
気だるさは、異者のなかでも異質な咎人との先の戦闘によるもののはすで。重たさは、現在横たわっているベッドの端っこで顔を埋めている一人の少女によるものだろう。
どうやら戦いで気絶した俺は学園の治療室に運ばれたみたいだ。首だけを動かして辺りを見渡すが時計がなく時間が確認できない。しかし窓際だったため、詳しい時刻はわからないもののざっとなる察しがつく。もう陽は落ち始め空は紅く染まっていた。
結構長い時間気を失っていたみたいだ。
その時、ごそりと左側でベッドが軋む。重たいまぶたを右手で擦りながら、玲奈が目を覚ます。
「………」
「………」
覚醒した者同士目が合う。
「やぁおはよう」
途端に瞳が揺れ動いた玲奈はおもむろに立ち上がり、
「なーにが、おはようよ!このバカっ!!私がどれだけ心配したことか……」
「痛い、痛い、痛いです。首を絞めないでくれ…ごめん、心配させました」
胸ぐらに掴みかかっていた玲奈は頭からもたれかかるように寄りかかる。
「でも…本当によかった。春夜が死んじゃうんじゃないかって……気が気でなくて」
「本当にごめん……」
玲奈は顔を布団の被った胸元に埋めて沈黙する。こんな時、幼馴染として男としてどうするべきなのだろうか。頭に手を優しく当てて撫でるのか。俺も何も喋ることなく天井を見上げるべきなのだろうか。それとも両方を……。
俺は右手をゆっくりと持ち上げて茶色の柔らかそうな頭に近づけると……治療室の扉がガラガラと開き――
「………」
「………」
扉の前で屹立している男子生徒と目が合う。
「………」
瞳を赤くしている玲奈も目が合い。
「失礼しました。ごゆっくりどうぞ……」
ガラガラと閉まっていく。
「「ちょっと待って!」」
「えっ?入ってもいいのですか?」
妙な敬語はやめてもらいたい。勘違いしている感がまざまざと感じられる。
「颯天…君は変な勘違いをしていないか?」
「してないよ。全然全然。うん、全然……」
後半声が小さくなってるよ。
颯天は爽やかに笑うと治療室に入る。
「様子を見に来たんだけど……元気でよかったよ」
さらに俺のベッドの後方、足側へ寄って、金具に両手をかけた颯天は一度玲奈を見て俺を見る。
「東城さん、春夜が倒れてからずっと一緒だったんだよ。今まで独りで看病を――」
「なっ…!は、颯天くん」
充血した瞳よりも顔を真っ赤にして玲奈はぐわっと立ち上がって颯天を睨めつける。
「それは甲斐甲斐しく……」
「わぁ~!春夜は聴くなバカー!」
玲奈が勢いよく両手で俺の耳を塞いでくる。衝撃で頭が痛いというよりも先に仄かに良い香りが鼻腔をくすぐりどうでもよかった。それに二つの柔らかい山が……。
「ごめんごめん。ふざけすぎました」
後頭部を押さえながら颯天は頭を下げる。
恨めしそうに玲奈は顔を赤くしながら、体勢をもとに戻す。その際に無意識的に「あっ……」と声が漏れたことは聴かれなくて良かった……。別に先の状況を堪能したかったわけじゃないから!
颯天は近くにあった椅子を持ってくると玲奈の隣に並べて座る。
「俺気絶してからどのくらいたった?」
今の状況を理解するためにぼそりと呟く。
「だいたい六時間ぐらいかな……それと、事件を起こした咎人、闇影於茂登と齋漣未琴は逃走。駆けつけた職員と二、三年の先輩がたによって事件は収束したよ」
俺が詳しく訊こうと口を開きかけたが颯天が続けて話してくれる。
俺は窓から差し込む温かな夕陽を浴びながら数秒沈黙する。
「他の生徒はもう帰ったの?」
「うん。今回の事件についての説明が生徒会からされて、帰されたよ。みんな無事だったけど……あの場にいた先生たちはみんな――」
「いいよそれ以上言わなくて」
玲奈が辛そうに話すので左手で制する。
また沈黙が満たされるのは嫌だったので次の話題を振ることにした。
「生徒会長も戻ってきたんだろ。会えたのか?」
それだけで玲奈は察したようで、
「兄さんには会えなかったよ。相変わらずどこへ行っても忙しいみたいで」
「兄さんって……あぁ、もしかして東城さんは
「そうだよ、苗字がいっしょだからうすうす気づいている人もいたんじゃないかな」
「それにしても少しぐらいは玲奈に会ってやってもいいよな。後、頑固者だし」
面白くなさそうに俺が吐き捨てると、玲奈は夕陽を遠く眺めながら苦笑する。
「それでも兄さんは優しい時もあるよ?仕事があるんじゃ仕方がないよ」
「玲奈は優しすぎるよ。ちょっとはわがまま言っても
「いつかね……」
玲奈は困惑顔をしながらも、心のどこかではそれも悪くないんじゃないかというように微笑んでいた。
幼馴染みである俺は知っている。玲奈はどんな時も言うことを聞いていた。自分にとって楽しみにしていたことがあって、それが親の都合で潰れても嫌な顔せずに従っていた。
だから俺は俺だけには素直でいてもらいたい。好きなことをやってもらいたい。
「身体もすっかり良くなったし帰るか」
俺は二人に対して提案する。
そのあとは颯天も寮生活だと言うので三人で寮へと足を向けた。
俺は今日の朝のことを思い返す。玲奈とした約束。今日は無理だとしても後日、絶対に行こうと心に決めた。
初めての寮生活はなかなかに不便なものだった。
まずは部屋にある荷物を片付けることからはじまり、お腹の虫がなったことにより食堂へ。食券を買って厨房に向かうがずっと奇異な視線が身体に突き刺さり気持ち悪かった。うどんの載ったトレーを両手で持ちながら辺りを見渡す。
席はもちろん空いている。
一人で……と思ったが、数少ない友人を探す。颯天は男子生徒と女子生徒――主に女子が多いが――に取り囲まれている。玲奈は早くも友人が出来たようで数人の女友達と食べていた。
部屋で食べよう……。あんなアウェイな場所ではせっかくの食事も味がわからなくなる。
引っ越し荷物の残る部屋で夕食を終え。
汗を流すために寮に併設されている、男女別の温泉へ行こう……なんて一瞬でも思った自分が愚かだった。自室ので充分。
翌日の火曜日は朝早くに玲奈が部屋を訪ねてきたので、一緒に朝食を摂り。東場学園に登校。
昨日はあんなことがあったというのに、朝の風景はケロッとしていた。人間の恐ろしい所はどんな環境にも順応してしまうところだな。
昇降口で上履きに履き替えて騒がしい教室に入り込むと何人かの鋭い視線や内緒話をされる。いちいち気にしても仕方がないので無視するが。
席に座って十分を経たないうちに機械音が騒々しい教室全体を支配する。
「一年A組の二ノ園春夜くん。校内にいましたら学園長室まで来てください」
というアナウンス。
まだ朝のホームルームまで時間がある。こんな早くに放送が入るということはよほど重要なことなのだろう。
周りの視線が集まる最中、肩をトントンと玲奈に叩かれる。
後ろを振り向く。
「何かしたの?」
訝しむような眼差しを玲奈は送ってくる。
「いや…なんだろう。玲奈は何だと思う?」
「ん~昨夜に女の子の入浴を覗いたことがバレたとか……?」
可愛らしく首をかしげる。
「お前は人を何だと思ってるんだ……ま、行けばわかることだし。――学園長室ってどこにあるの?」
歩き出してからふと気づく。
この学園に来てから二日目。学校の構造を把握していない。それは玲奈も同じはずなのに得意気な顔をしながら説明してくれる。
「四階だよ。といっても、新校舎じゃなくて旧校舎にあって。それも奥の部屋。遠いけどがんばって」
にこやかに微笑む。
「なぜそんなに詳しいの?」
「兄さんが知っていて損はないからと言って私に教えてくれたの」
「左様で……」
なら納得だな。
重たい足を引きずりながら廊下を出て、四階の旧校舎に続く連絡通路へと向かう。
この学園はただせさえ広大な敷地に建つ広汎な学校というのに。どうしてまた奥という極端な場所に部屋を設けるのか。
―――まったくもう。
独りごちっていると連絡通路を渡りきる。
右に曲がる。
すると向こうから一人の生徒が歩いていることに気づく。白髪の女子生徒。陽光が髪の毛に溶け淡く輝いている。身長は玲奈と同じぐらいだろうか。
すれ違い様に顔を確認する。けれども見たことがない。昨日の入学式にもいなかったはず。
しばらく眺めていると女子生徒は立ち止まり俺の方を仰ぐ。視線に気づかれただろうか。
「あの、何か?」
「君……いえ何でもないです」
俺の質問に女の子は首を横に振って立ち去っていく。
何だろうか。
しかしそんなことよりも目的地に急がなくては。
足早に動いて何分ほどが経過しただろうか。右へ左へ歩きに歩き回ってやっとのことで学園長室を見つけ出す。
息を整えながら二回ノック。室内から声が掛かってきたのでドアノブをゆっくりとひねった。
「失礼します。一年A組の二ノ園春夜です。先程の放送を聞き伺いました。どのようなご用件でしょうか?」
部屋の中には袴姿の長く白いアゴヒゲを生やした長老が俺を見ていた。
「おぉ、よく来たな春夜。随分とでっかくなって、男前になったの」
しわしわでも堅くまるで木の幹のような手が俺の肩に置かれる。
「えっと…すいません憶えていないのですが」
「そうだな、君と会ったのは数回程度だしどれも幼かったからの。記憶にないのも当然だな」
ガハハ、と豪快に笑い飛ばす。それから、
「春夜には感謝しておる。咎人相手に奮闘してくれ、その上多くの者を救ってくれた。さすがは錬次の息子だけあるの」
賛辞を述べてくれた。
しかし俺は自分の復讐を叶えるためにやっただけだ。私欲のために動いただけ、感謝されるほどのことではない。
と、その時だった。背後で扉の開閉音が耳朶に響いたのは―――
「ただいま参りました。学園長」
「いやいやー遅れてすみません学園長」
部屋に響く、重く堅い声とどこか抜けているお気楽な声。
俺はこの声の主をどちらも知っている。
背後には現生徒会長東城要と元対異者局職員であり父の相棒だった八重原司が屹立していた。
司は俺を発見すると相変わらずの声音で声をかけてくる。
「久しぶりだね春夜。元気かい?」
「ぼちぼちかな。要先輩もお久しぶりです」
「………」
無視ですか。相変わらずだから構わないけど。
そんな要が年に似つかわしくない威厳のある声で学園長に尋ねる。
「今回はどういったご用件でしょうか学園長?」
「そうじゃったの――」
一度呼吸を整えて続ける。
「君たちにある任務を頼みたいのじゃが……やってくれるか?」
「えぇ…またですか。昨日駆り出されたというのに?」
「そういうではない司よ。安心しろ、簡単じゃから」
「あなたの言う簡単は、俺たちにとっては容易じゃないんですよ。それでどういった仕事ですか?」
毒吐きながら司は尋ねる。
すると学園長は机に何やら数枚の紙を置くので俺を含めた三人が覗き込む。
「これから君たちにはこの家に向かってもらいたのじゃ。どうやら、封印されていた悪魔の術が解除されそうでのう」
「あれ…これって…?」
隣で司が呟くが俺も……。
「あれ、これって俺の家じゃない?」
こうして…厄介な初任務が始まったのだった。
現(うつつ)と異界(いかい)の境界で 青猫 @aoineko
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