後編 猫園公園
麗らかな日差しのなかの昼寝を邪魔するものはなにもないし、キラキラと光を反射させながら流れる噴水はたゆむことなく僕たちの喉を潤す。
僕は気持ちよく髭をそよがせて、二本の尻尾を揺らして、新緑に囲まれた園内の道を二足で歩いていた。
今日は僕がお迎えをする日だ。お迎えの日にはいつも心が浮き立っている。
うまくできるだろうかという不安もあるけれど、あたらしい仲間に出会えるのは貴重だから、やはり嬉しい気持ちが強いのだ。
毛並みを充分に整えて、公園の入り口に立つ。ここから外に出るのは、お迎えの日だけだ。僕はすこうし緊張して、尻尾を立てた。だって今日のお迎えは、特別だから。
この日のために、僕はこの世界を選んだのだから。
○
「こんにちは、おかげんいかがですか?」
窓際でうつらうつらとしていたら、不意に声をかけられた。
部屋の中に、どうして猫が? と思ったけれど、眠くて眠くて、疑問に思うのも億劫で。
「ごらんのとおりだよ」
そう応えると、猫はフンフンと鼻を鳴らしてあたしの顔を覗き込む。
「そろそろですかねぇ」
「うん、そろそろだね」
気のない返事を返すと、猫はトン、と軽い音を立てて出窓から床に下りた。
部屋の中をぐるりと回って、またフンフンと鼻を鳴らす。
「ご家族はどちらに?」
「おとうさんはしごと。おかあさんは、クスリを取りに行くって」
そこまで言って、ああこの猫はおかあさんがドアを開けた隙に入ってきたのかと納得した。あのひとは、存外そそっかしい所があるから。
「薬って、あなたの?」
「そうよ。元々あたしは体が弱いから。歳もだいぶんとったし」
あの忌々しい苦い白い粒と、それを差し出す温かい手を交互に思い出す。
もうアレを飲まなくていいのかと思うと、ほんの少しだけさみしい気持ちになった。
――そろそろだ。
「ねえあんた、あんたさえ良かったら、あたしの後釜になってよ」
うん、これはすごくいい考えだ。おかあさんはヒエショウで、あたしがいないと凍えてしまうのだ。おかあさんをあっためてあげられなくなるのが、一番の気がかりだったから。
「それはとても魅力的なお誘いですが……僕は、あなたをお迎えに来たんですよ」
そう言って猫は、あたしの目の前で二本の尾を揺らした。二又の猫を見たのは、はじめてだった。
「お迎え?」
「そうです。死に際——と言っても今ですが、あなたに二つの道を選んで頂きたいのです」
「二つの道って?」
「はい。一つはこのままこの家で、ご家族が見守るなか、お亡くなりになること。ご家族に埋葬されたあなたは、しかるべき時の流れののちに、この世界に新たな命となって生まれてくるでしょう」
「もう一つは?」
「はい。もう一つの道は、僕と共に猫園公園に来ること」
「ネコゾノコウエン?」
「はい。猫園公園では、この世界で死んだ猫が暮らしています。園内は広くて人間もいないので自由に過ごせますし、望めば僕のように二又になってこちらの世界に来ることもできます。まあ、人間には僕の姿は見えませんが」
「すごい、楽園みたい」
「はい。暮らしている皆さんそう仰います。ただし――」
「ただし?」
「ご家族――人間に、あなたが看取られてはいけません。猫園公園は、人間の想いも世界を構築する大きな力のひとつです。人間が、あなたがどこかで生きているかもしれないと思う気持ちが必要なのです」
あたしには世界がどうとかなんて分からないけれど、ようするに、今すぐこの家を出ろということらしい。
「それはイヤ」
「即答ですね」
一息ついて、あたしは二又猫を
「あたしはね、公園に捨てられていたのを、おとうさんとおかあさんに拾われたの。そのとき一緒にキョウダイがいたみたいだけど、あたしの方が、体が小さくて死にそうだったからって、助けるためにあたしを選んだ。弱ってる猫なんか拾っても、面倒なだけなのに。……今までたくさんわがまま言ったし、外に逃げ出してみたこともあったけど、やっぱりあたしは、最期はここにいたい」
「そうですか……」
「うん、だから帰って」
命を救われた恩義なんかじゃない。あたしは、あたしの気持ちに正直にそう言った。最期に話すのは、こんな二又の黒猫じゃなくて、おかあさんとおとうさんがいい。
それに、あたしがもしいなくなったら、あのひとたちはずっとずっとあたしを探し続けるだろう。おとうさんは仕事で疲れていても
気付くといつの間にか猫は消えていて、あたしは、うつらうつらしながら玄関の開く音を聞いた。あの足音と扉を開く音は、おかあさん。
「おかえりなさい、おかあさん」
その鳴き声は音になるまえに、やわらかな空気の中に溶けていった。
○
「見事に断られちゃったねえ」
立派な髭をそよがせて、白猫の尾が僕の背中を撫でる。外から戻って、木陰で丸くなっていた僕は、尾だけ立てて白猫を触り返した。
お迎えを失敗した僕に、白猫はいつもやさしい。野良猫の頃とおんなじだ。
ぶっきらぼうな物言いで、でも、いつも気にかけてくれている。
「妹だったんだよね? あのチビ、長生きしたんだなあ」
僕と一緒に箱に入れられて、公園に捨てられたキョウダイ。僕をいつもあたためてくれていた、毛布のなかのイモウト。ちいさくて死にそうだった、僕のもういっぴき。
「いいんだ。なんか、しあわせそうだったし」
僕よりもずっと長生きをして、幸せな時間を過ごした僕の妹は、またきっとあの世界で、幸せな命を授かるのだろう。
僕は大きなあくびをひとつして、すでに隣で寝息をたてはじめた白猫の体に顎を乗せて、静かに目を閉じた。
猫園公園には、いつでもぽかぽか日が照っている。
後編 了
猫園公園《ねこぞのこうえん》 くまっこ @cumazou3
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