第15話 スレットハンター

「オリヴィアか。無茶をしたな」


 会社の前には何の妨害も受けずに到着した。エリックたちが何か手を回したわけではないので、その実行犯はおのずと絞られる。

 氷の女王の異名は伊達ではない。今でこそ感情豊かに振る舞っているが、彼女は元々軍が重宝していた殺戮兵器だ。必要に応じて誰だって殺す。以前は軍というものさしで判断していたが、今は一般的な倫理観に沿っている。


「人が多いな」


 ビルは従業員でにぎわっていた。支店のみならず窓口もあるようで、ホロでの会話に苦手意識を感じる世代や、自分の番まで待ち続けるのが嫌な人が直接出向いていた。

 エリックたちが待ち合わせをしている相手はそこにはいない。敷地内にあるセキュリティセンターだが、被害が及ばないとは言い切れない。

 エリックは拡張現実内でハックコマンドを使おうとして、その前にビル内で火災警報が鳴り響く音を聞いた。


「行くぞ、エリック・ウィンストン」


 先行してブランクが歩き始める。肩を竦めて、エリックはブランクの後に続いた。

 やるべきことは一つだけ。より細かく識別するならばタスクは複数あるが、それでも本命はたった一つだけだ。

 カリナを救う。あの時と同じように。



 ※※※



「警報ですか」


 黒沢は本社ビルの映像を眺めた。社員や利用客や委託業者が必死に逃げまどっている。危機は常に傍にあると彼ら彼女らは知っている。なのに、保険の適用に関しては足踏みしてしまう。

 それは非常に愚かなことだ。今日発生した損失を誰が補填するのか。

 ……誰も保証はしてくれない。そのための保険に加入していない限り。

 保険があれば全て解決する。なのに、人々は愚かだ。

 いや、今日ここに来た人々を愚かとすることこそ愚の骨頂か。彼らは保険を求めてきたのだから。知恵は足りていないが。


(想定通りではあるが)


 例えエリックたちが警報を鳴らさなくても――その可能性は限りなく低かったが――黒沢は民間人を避難させるつもりでいた。不用意に一般人の死者が出れば会社の評判が下がってしまう。

 しかし人々を円滑に避難させ、顧客情報を完璧に守護し、テロを企てた実行犯を見事撃退することができれば、セカンドライフカンパニーは数多の顧客を獲得できる。競合他社と契約している人々もこちらに鞍替えするはずだ。エリック及びブランクとの対決は良い宣伝になる。

 警備会社や軍の警備網を突破した凶悪犯を、セカンドライフカンパニーが抱える保安部隊が打ち倒す。これ以上にないプロパガンダだ。


(デメリットとしては戦力を分散せざるを得なかったことだが、私には保険がある)


 黒沢はもう一つ映像をコンタクト内に表示させた。人質が何もせず、椅子の上でぼうっとしている――ように見える。

 だが、その企みはお見通しだ。大方、渡したゲーム機を利用してハッキングしているはずだ。

 それでいい。

 予測不可能な事態に見舞われても問題ないように保険を掛けている。だが、やはりある程度予測可能な状態に誘導しておくのが賢明だ。

 カリナは見え透いた罠に引っかかった。後はブランクとエリックを始末するだけだ。


「予測通り、軍にも借りを作れそうですしね」


 黒沢は状況が動くのを見守り続ける。

 保険がうまく作用していることに満足しながら。



 ※※※



 センター内に侵入するのは容易だった。警報によって混乱した人々の波を潜り抜け、警備員を打ち倒し、物理型のハードディスクが保存されている敷地内に足を踏み入れる。

 中に入っても目立った妨害はない……今のところは。


「手詰まり、というわけではなさそうだが」


 黒沢は戦う気でいる。そうエリックは予想していた。なぜなら宣伝になるからだ。サーカスは言うなれば広告なのだ。街中であちこちに展示されているホログラムといっしょだ。

 この演目が奴にとって良い金づるになることは間違いない。だから、何かしら奥の手があるはずだが、それがなんなのかはわからない。


「もはや足踏みしている時間はない」


 通路の先から複数の足音が聞こえてくる。人の足音だけでなく、ホバー音や重量感のある機械音も含まれる。

 カリナが誘拐されてからというもの、ずっと同じ光景ばかりだ。


「そろそろ飽きて来たな」

「同感だ」


 意外な同意にエリックは目を見張る。


「お前も飽きるんだな」

「当然だ。人間だからな」

「じゃあ、そろそろ新鮮味のある景色を見に行くとするか」

「ああ」


 例えば、黒沢の死体を見に行くとか。銃撃音が通路に響いた。



 ※※※



「ばれてる? ばれてない? ばれてる……ばれるか、これは」


 技術的ミスではなく心理的推理によって、カリナの反抗作戦は察知されているだろう。恐らく、今ハッキングに用いているゲーム機も仕組まれた罠なのだ。

 これを使われることを想定している。その状態ではダメだ。保険屋の予想を超えなくては、勝つことなどできない。

 自己防衛が、できない。


「こなくそ……案の定、範囲はすごい狭いし……」


 流石、セキュリティセンターの名前を付けただけはある。接続できればカリナにハッキングできないものなどない、と断言してもいい。しかし、そもそもまともに繋がっていないのであればどうしようもできない。

 古巣の時と同じだ。病原菌が嫌なら、無菌室に引きこもるという選択。

 それはハッカーが弱点であると声高に宣言しているようなものだが、とにもかくにも入れなければ意味がない。

 唯一覗けた監視カメラの映像をチェックする。銃撃戦が行われていた。

 エリックが戦っている。彼の視線を辿ると、時折何もない空間に目を向けているので、ブランクも傍にいるのだろう。


「やるだけ、やってみよう」


 諦めるという選択肢はない。偽造映像で何の変化もないことになっている監禁部屋の中でカリナを解決策を模索し続ける。

 あの時みたいな、無力感はこりごりなのだ。



 ※※※



 エリックという男を案内した結果、地下基地周辺に展開されていたジャミングは消えた。卓越した頭脳と戦闘力、ハッキング技術を持っていた彼は瞬く間に敵を制圧し、殺すべき相手を殺し、殺さなくていい相手を生かした。

 大人を無力化し、子どもを救ったエリックは子どもたちを連れて出口へと移動した。

 そして、死体と対面する。カリナのルームメイトを殺し、エリックが発破を掛けた男だ。


「オクト……」


 こじ開けられたゲートに寄り掛かるようにして死んでいる死体。エリックはその傍に寄った。そして、瞠目してホルスターに手を伸ばす。カリナが不審に思った瞬間、その小柄な体躯が軍人によって拘束される。


「きゃ!? 何!?」

「その手を離せ馬鹿どもが」


 エリックが警告する。躊躇いなく味方であるはずの軍人に銃を向けている。機構拳銃ではなくマテバだ。システムに囚われない……責任を委ねない、オートリボルバー。

 そこへ割って入るようにして、ピシッとした軍服を着た赤髪の男が称賛した。


「よくやったぞエリック。ターゲットを無事に確保したな」


 だが、エリックは睨み付けるだけだった。マテバの撃鉄を起こす。


「オクトを殺したな」

「この能無しが悪い。興奮して銃を握ったガキがいたのでな。抵抗の意志をみせる子どもなど殺しておくに限るだろう? なのに、オクト少尉は庇ったのでな。もろとも殺しただけだ」


 エリックが無残な姿になっている子供の死体に目を向けた。カリナも暴れながらそっちの方を見る。銃を握りしめているが、よく見るとセーフティが掛かっているし、マガジンすら装填されていない。

 それに、その拳銃と同じ物が、今まさにカリナを拘束している軍人のホルスターに収まっている。


「そういうことにして殺したんだろ。俺に通用すると思ってるのか」

「保護するために来たんじゃ、ないの……?」


 少なくともエリックはカリナにそう説明した。あの言葉に偽りは感じられなかった。だが、軍は違ったのだ。カリナを獲得するために攻撃した。

 ここの死人は自分のために死んだのだ。そして、恐らく同じ理由によって生存者は減るだろう。


「銃を仲間に向けるなエリック」

「その言葉そっくり代えさせてもらおうか、少佐。お前たちもな」


 エリックはカリナを抱えている軍人に向けた銃口を下げない。カリナが視線を挙げると、ヘルメットの隙間から覗く男の顔に緊張が滲んでいた。隣で威嚇のためにアサルトライフルを構える男にも同様の空気が漂っている。

 彼らはエリックという男をカリナよりも知っている。どんな展開になるか知っているのだ。


「反旗を翻す気か? 銃殺刑だぞ」

「逆に訊くがね、少佐。その程度で俺が止まると本当に思っているのか?」


 周りに集った兵士たちから焦燥感が滲む。勝利者たちから防衛本能が溢れ出している。中には苛立ちを隠せない者もいた。エリックに対してというより、せっかく生き残ったのに仲間割れで死ぬ可能性が出て来たこの状況に苛立っているのだろう。

 五島は譲る気がなく、またエリックも引く気を見せない。それを止めたのは後からやって来た女性だった。


「ちょっとよろしいですか、皆さん」

「オリヴィアか?」


 エリックは軍人の頭に狙いをつけたまま彼女の名前を呼ぶ。その女性はライフルを背負ったまま、一触即発の状況の中に堂々と足を踏み入れた。


「銃を下ろしましょう。死人が出ないと解決できない事案でもないでしょうし」

「そうだな」


 エリックが五島を睨み付ける。彼はしぶしぶと言った様子で部下に銃を下ろさせた。エリックはカリナを拘束する男に視線を送る。この忌々しい男はようやく自分を解放してくれた。


「それで、どうするというんだ?」


 五島少佐が怒りを隠さずに聞く。オリヴィアと呼ばれた女性は状況を緩和させてくれたが、直接的な解決策を提示したわけではない。

 そもそもエリックに自分を助ける義理などないのだ。軍はその義務を放棄してしまったようだし、つまるところ自分を助けてくれる存在などこの世にはない。

 都合の良い助けなど来ない。やってくるのは都合の悪い敵だけ。それが現実。そう思い込もうとした瞬間だった。


「なら、こいつは俺の養子とする」

「な――」「はぁ!?」


 五島よりも遥かにカリナの方が驚いた。戦地で出会っただけという希薄な関係性である自分にこの男は、いやこのおっさんは何を言い出すのか。

 バカじゃないの、という罵倒は五島の怒りに満ちた声音に上書きされた。


「血迷ったか? そんなことをしたところで、軍の決定は――」

「覆りますね」


 同調するオリヴィアは笑顔の中に隠された冷たい眼差しを五島に注いだ。


「軍の養子制度がどういうものか、忘れたわけではないでしょう」

「それをわかった上で私は――」

「であれば、盲目的だと言うしかありません」

「なんだと?」

「軍における人材育成の大切さを、少佐は誰よりも理解しているはずでしょう。カリナ・キャンベルの能力を鑑みれば、彼女は光る原石です。適切な家庭環境で最適な教育を受ければ、成功は確実と言っていいでしょう」

「ゆえに私のセクションで引き取り――」

「少佐は形式上、特殊作戦群セキュアのシャサールセクションに在籍中です。再教育部門にも顔が利くようですが、今はただのコマンダーとして登録されています。つまり、立場としては双方、特殊部隊の人間が一人の子どもに対して養子申請をしているに過ぎません」

「そのような屁理屈を」

「屁理屈でも理屈ですよ。さて、ここまで話せばどういうことか、あなたもわかりますね」


 にこりとオリヴィアは微笑む。不思議と笑顔の質が先程とは違う気がした。

 エリックはカリナを見つめているだけだ。自分の養子になれ、などと誘導しない。対して五島は自分の容姿になった時のメリットを並べ始めていた。

 正直なところ、いきなり養子になれなんてめちゃくちゃな話だ。理不尽に思うが、それでもこれは絶好のチャンスになり得ると理解している。

 人生におけるターニングポイントだ。自分の元いた組織を壊滅させた連中の子どもになること。……自分のことを、よく考えてくれる……いや、それだけでは不足だ。

 正しい道を歩んだうえで、自分のことを気にかけてくれる人の側に付くべきなのだ。

 答えは最初から決まってた。選択肢を阻める魔法の言葉を呟く。


「自己防衛……」

「何?」


 五島だけが訝しんだ声を上げた。その単語に嫌な思い出があるのかもしれない


「私は……エリックの、養子になる……形としては、不本意だけど」


 カリナは不服そうに、しかし嬉しさを滲ませながら告げた。



 ※※※



 あの時のカリナの選択が正しかったことを証明する責任が自分にはある。

 そのことだけを念頭に入れて、エリックは黒沢と対峙した。無駄に広いエリアだ。客を招待する用の部屋には思えない。奥には厳重な扉が見えるので、ここが最終防衛ラインだろう。本来なら遮蔽物と大量のアンドロイドやドローンと相対するはずだが、一人の男がいるだけだ。出入口はロックされている。


「待ちくたびれるところでした」

「これでもだいぶ予定を短縮したんだがな」


 黒沢は相変わらずスーツを着込んでいた。だが、ジャケットで隠れるスーツベルトの右側からちらちらとホルスターが覗いている。銃を所持しているようだが、奴の保険がそれだけとは思えない。

 ……動く前に終わらせる。エリックと同時にブランクが拳銃を構えた。


「なるほど。保険屋には動く自由を与えない。動機や言い訳を聞くこともせず、無残に撃ち殺すと。いやはや恐ろしいですね、スレットハンター」

「今の俺はスレットハンターじゃない。ただの犯罪者だ」

「そうでした……いや、そうだったと言うべきか。なら、私も昔の自分に戻るべきようだ」

「させるか」


 エリックは間髪入れずに引き金を引く。が、黒沢は初弾を回避し、拡張現実内でなんらかの操作をした。天井からなにかが現れて機銃操作を行う。ガンカメラかと思われたそれはドローンよろしく飛翔するが、どうやらドローンとも違うようだ。


「空中戦用のホバーバイク。なぜ軍の物置などに立ち寄ったのか気になっていたがこのためか」


 バイクの先頭に搭載された二連装の機銃を避けたブランクは、ウイルスバレットをバイクに撃ち込んだ。が、効果はない。咄嗟に彼は近場に自身の姿をコピーしたホログラムを表示させる。ホバーバイクが幻影を撃ち抜いた。まともな遮蔽物がないこのエリアではデコイを作ることが最大の防御となる。


「やはりダメか。自動操縦では君たちに敵わない。エリック・ウィンストンとグレイハッカー。では、かつて軍事コンサルタントとして生き抜いてきた経験を生かすことにしよう」


 ホバーバイクが黒沢に向かっていき、彼はバイクの上へと飛び乗った。銃撃したが、避けられる。バイクに跨った黒沢はマニュアル操作でエリックへと突撃する。


「くッ!」


 弾丸がコートに穴を空けた。回避できたが、いつまでも続けられるとは思えない。

 ブランクが拳銃で応戦している。だが、銃弾の回避方法などよく知り尽くしているのだろう。黒沢は卓越したハンドル裁きで避け、ミサイルを発射してきた。


「くそッ!」


 ブランクは走りながらミサイルを拳銃で撃ち落したが、最後に残った一発が近距離で爆発し床に身を投げ出された。黒沢がとどめを刺そうとしたが、その瞬間に軍用ドローンが強化ガラスを突き破ってエリア内に侵入。彼は迎撃を余儀なくされる。


「そんな物もあったな。だが」


 易々と黒沢はドローンの攻撃を回避し、機銃掃射を浴びさせる。ドローンは爆発したが、強烈な閃光と室内を満たすだけの煙幕を張った。

 ブランクと示し合わせていたエリックはハッキングを開始。自分たちが入ってきた部屋のドアのロックを解除しようとした。ここでの戦いは不利だ。

 しかしロックは厳重で即座に解除できない。アクセスポイントも分断されている。


(こいつはまずい……!)


 エリックが焦った瞬間、バイクのブースト音が室内を反響した。煙の中を黒沢が突っ切って来たのだ。流石に機銃を命中させることはできなかったようだが、肉薄する距離まで詰めてきた黒沢は腰のホルスターから拳銃を抜き、対応しようとしたブランクへと撃った。ブランクが苦悶の声を漏らして倒れる。


「ブランク!」


 エリックはマテバのシリンダーを回転させたが、視界不良の中で命中させることは難しい。すぐに弾切れの音が聞こえ、リロードする前に煙が晴れ始める。空調システムが作動し排気されたのだ。

 無防備の状態で攻撃手段を失い、凶悪な兵器に跨る黒沢の前に姿を晒す羽目になる。ブランクは倒れたまま動かない。死んでしまったのかもしれない。


「さぁ、これで詰みだ」


 黒沢はご機嫌だった。リロードする前にこちらを射抜く自信があるのだ。

 エリックは愛銃を見下ろして、ため息を吐くと放り投げた。

 持っていても仕方ない。


「降参かな? 保険が足りなかったな。あれほど重要性を説いてきたのに。戦場を駆け抜けた君なら、保険の大切さが誰よりも身に染みているはずだが」

「軍のちゃっちい保険を見てたら保険なんてものはむしろバカバカしく思うもんだ。おまけに俺の場合は軍に金を絞られたんでね。カリナの養育費もまともにもらえなかった」

「それは君が軍を辞めたからだろう」

「軍にいたら結末は変わらなかったからな」


 カリナを養子としたすぐ後に、エリックは軍を辞めた。あのまま軍に所属していたら、カリナの未来は変わらない。カリナには選択肢を与えたかった。世界を見た上で軍人になると決意するのなら――反対はしただろうが――恐らく止めることはできなかっただろう。そして、まだその過程は半ばだ。カリナはまだ選択の最中だ。自分には最後まで見届ける義務がある。

 彼女の自己防衛を。だから、エリックも自己防衛をすることにした。

 ずっとお荷物だった機構拳銃を抜いて構える。

 黒沢が失笑した。


「そんなものを私に構えてどうしようと? 私は健全な市民でね。発砲許可など下りないぞ」

「だろうな」


 エリックは機構拳銃の警告を聞く。――審議を拒否。警告。彼は一般市民です。攻撃対象ではありません――。

 それでもエリックは引き金を引いた。

 放たれたスマートバレットが、ホバーバイクのエンジンを撃ち抜く。


「何――」


 コントロールを失ったバイクが壁へと激突した。ミンチになる前に黒沢は脱出したが身体を強打し、呻いて動けなくなる。エリックは機構拳銃を投げ捨て、マテバを拾い直すとポケットから弾丸を一つだけ取り出した。薬莢を床にまき散らしながら、黒沢の傍へと歩む。最後の弾丸をシリンダーにセットし、閉じた。


「カリナ・ウィンストン……なるほど。施設内にハッキングできないなら……人物にハッキングする……エリック・ウィンストン……その機構拳銃に」


 頭部から血を流す黒沢は拳銃を探すが、落下の衝撃で離れた場所に落ちていた。

 重傷を負った彼の顔を見下ろす。笑っていた。


「私を、殺すか? 私を殺せば君は確実に表世界で生きられなくなる」

「それがお前の最後の保険か? だとしたら、足りないな」


 同感と言わんばかりに黒沢は頷く。


「そうだ。これは下の下、最低最悪の、保険だな――」


 黒沢の吹っ切れた笑顔を見た後に。エリックは黒沢の頭を撃ち抜いた。

 彼の絶命を確認した後、ブランクの方へと振り返るが、彼は消えている。よく見るとロックされていたはずの扉が解除されていた。


「全く……」


 肩を竦めると、前方から足音が聞こえて来た。少女のそれだ。


「カリナ……っと」

「エリック!!」


 走ってきたカリナはエリックに抱き着いた。滅多に泣かない奴が涙を流している。

 正直なところエリックは対応に困っていた。こういう時はどうすればいいんだったか。わからないので、いつも通りに応対する。


「待たせたな、カリナ」

「……っ」


 顔を上げたカリナもまた悩んでいるようだ。彼女もまたこういうことは苦手なのだ。エリックより進んでいるように見えても。

 なので、彼女も似た選択をしたようだ。


「本当……遅いよ!」

「悪かった。謝るから許してくれ」

「許す……許すよ。謝らなくても。私にも悪いところはあったから」


 カリナは目尻に溜まった涙を拭い、


「それはそれとして欲しいものがあるから買ってよ!?」

「善処する」


 にやりと笑って、カリナの頭を軽く撫でる。もうここに用はなかった。


「じゃあ、行くか」


 普段の調子で促したが、カリナが不安を滲ませる。


「心配するな。今から自己防衛をしに行く」

「そう、だね……。うん、行こう。自己防衛に」

「ああ」


 エリックはカリナと共にセキュリティセンターを後にした。

 行くべきところ……警察署へ。自己防衛をしに。



 ※※※



「逮捕? なんのことですか?」

「なんだと?」


 事務的な口調でそう告げたオリヴィアには、流石のエリックも驚かされた。


「好き勝手に暴れたんだ。責任を取らなくちゃいけないだろ。だから――」

「だから、そもそもあなたは指名手配されていません」

「何をバカな」

「軍は日本自治区東京近郊で軍事作戦なんか展開していませんし、セカンドライフカンパニーで起きた爆発事故については件の会社の自己責任です」

「手を回したのか?」


 それはまさにエリックの嫌いな軍のやり口だ。不快感を露わにするとオリヴィアはくすりと笑った。事務的な口調から普段のそれへと戻り、


「ちょっとお話しただけよ。軍は敗北記録は残さない主義だし、セカンドライフカンパニーも社員による誘拐事件及び陰謀が公表されるよりも、現状維持でいることを選んだの。やり方はまずかったけど、黒沢の計略は確実に会社に利益をもたらしていたからね。だから、情報統制を敷いたのではなく、勝手に口を噤んだだけ。そして訴えがない以上、本当に事件を起こしたかわからない人間を逮捕するキャパシティは警察にはない」

「証拠があるだろ」

「ないわよ。きれいさっぱり消えてる。まるで空白みたいにね」

「ブランクめ……」


 これでは例えエリックが望んだとしても、警察は逮捕してくれない。自首をしようにも証拠も被害届もないのだ。どうしても逮捕されたいなら別件で犯罪を起こすしかないが、そんなことをする理由は見当たらなかった。


「あなたは自分にできることをした方がいいわ。昔のようにね」

「言われなくても」

「じゃあ、これ返すわね」


 オリヴィアが一度返却した機構拳銃を返してきた。大した役に立たない銃だが、言わばこれはライセンスだ。この銃があるからエリックはスレットハンターとして活動できる。

 今までも、これからも。それに全くの役立たずでもなさそうだ。


「俺にはマテバがあるが……」


 気心知れた笑みを浮かべながら機構拳銃を受け取る。


「カリナちゃんによろしく」

「ああ」


 いつかと同じように、そしていつもと同じように。

 エリックは警察署を後にした。




「エリックお帰りー」


 家に帰ると、気の抜けた挨拶が響いてくる。

 リビングに入ると、カリナがソファーの上で寝転がっていた。顔は見えない。

 だが、不安のようなものが漂っている。


「どうだった?」

「どうも何もない」


 エリックは肩を竦めた。カリナが顔を輝かせて飛び起きる。


「じゃあ」

「おい、あまり喜ぶなよ? 結果的に放免となっただけなんだからな」

「あ、う、わかってるし!」

「まぁ、そこのところは信頼してる」

「……っ」


 カリナは少し驚いて、


「ふ、ふーん。おっさんにしては気遣いができるようになったんだ」

「だから俺はおっさんじゃない」


 日課であるカリナが収集していた情報をチェックする。と、カリナが画面をのぞき込んできた。ピックアップされていた犯罪予測情報の中から怪しいデータを指し示す。


「たぶん、これ」

「いいのか?」


 エリックは聞きそびれていたことを訊ねる。

 カリナは見返してきたが驚いてはいなかった。


「いい。やることにしたから。もしかしたらいつか別にやりたいことが見つかるかもしれないけど、今私がやりたいことはこれだから」

「そうか。ならいい」


 エリックはデータをダウンロードする。犯罪発生予測時間はおよそ二時間後。すぐにでも出発した方が良さそうだ。


「今日ぐらいゆっくりすればいいのに」

「犯罪は待ってくれないからな」


 エリックはホルスターのオートマチックリボルバーの動作をチェック。異常がないことを確認し、予備弾薬数を確認。機構拳銃のシステムを一通り調べて、問題なしと判断した。


「頑張ってね、自己防衛」


 その応援にエリックは不敵に笑う。


「ああ。行ってくる」


 そうして、エリック・ウィンストンは街へと繰り出した。

 相棒であるカリナ・ウィンストンのバックアップを受けながら。

 スレットハンターとして。

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スレットハンター 脅威を狩る者 白銀悠一 @ShiroganeYuichi

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