第3話 押され、押されて、ここに来た

「……嬉しい?」

怒りを露わにしようと立ち上がった夏希は、言葉の意味を反芻するため、

疑問符をつけて繰り返した。

もしかしたら、先ほどの言葉は聞き間違いなのかもしれない。

疑問符をつけるだけという単純な返答には、そんな期待も含まれていた。


「そうよ、嬉しいの!」

目の前の少女は、目を輝かせて、そう繰り返した。


 あ、聞き間違いじゃなかったんだ……。

呆れると同時に、夏希は目の前の少女は昼の全力疾走少女だと気づいた。

心の中で抱いていた「正気でない」という評価を思い出す。

あの評価は、間違っていなかった。


 であれば、君子危うきに近寄らず。

夏希は、目の前の少女に背を向け、校門の方へ急ぐことにした。

先ほどの影響か、身体の節々がやや痛むが、速度を優先する。


 ……しかし、まわりこまれてしまった!

「ねぇ、待ってよー! せっかくなんだから話そうよー!」

少女は、夏希の前に立ちふさがり、両手を広げて夏希の進行を阻害してくる。

夏希は、どうにかすり抜けようとするが、少女のディフェンスは堅固だった。

睨みを利かせても、笑顔を見せられるだけで、一向に退く気配はない。


「無駄だよ! 永遠のフェンシング部、和久井 舞は、横移動にも強いのさッ!」

勘弁してほしい、それが目の前の少女に対する第二印象だった。

夏希は、普段以上に「関わるなオーラ」を出しているつもりなのに、

目の前の少女、舞はそれを読み取る気配すらない。


「……なんのつもり?」

この膠着状態を破るには、夏希が折れるしかない。

そう感じた夏希は、相手の目をまっすぐ見つめ、感情を押し殺して呟く。

横ステップに対する、通行人の奇異の目が夏希には辛かったのもあり、

対話によって状況を変える事を夏希は選択したのだ。


「へへへ、話をしようと思いまして……」

動きを止めた夏希に、舞は笑顔でそう告げる。

夏希は、精一杯の抵抗で、わざと大きなため息をつき、舞の話を聞く事にした。


************************


「……お、お前なぁ! 何か言えよっ!」

深夜0時ぴったりの学校でイベントの開始を待っている時に、事件は起きた。


 事の始まりは……そう、誕生日プレゼント。

差し出された誕生日プレゼントを前に、私は何のリアクションも取れなかった。

私だけじゃない。何のリアクションも取れなかったのは、横にいた葵も同じ。

葵に至っては、信じられないという顔つきでその場に立ち尽くしている。

目の前の坊主頭の少年、向井 一心は、凍りついた空気を前に狼狽えるばかり。

手にした成人誌、俗称「エロ本」の表紙の女だけが笑顔。

やや羞恥を含んだその笑顔を、冷たく睨む。

……いや、彼女は悪くない。悪いのは全て目の前の男なのだ。


「え、えぇー? なんだよ、俺滑ったのかよ……」

一心に反省の色はなく、ただただ狼狽している。

その様子を愛おしく感じてしまう自分が恨めしい。

父と弟だけという男社会で育った少年にとって、18歳の誕生日はR18の解禁日以外の意味を持っていなかったのかもしれない。

……それが、私、桜井 裕子の誕生日であったとしても同様なのだ。


 再び大きな溜息をつき、隣で立ち尽くしている葵を見つめる。

可愛らしく切り揃えた前髪に、守ってやりたくなるような低身長。

身長に反して豊満な胸、エロ本を目にして、顔を赤らめる純粋さ……。


 それに比べて……。

日に焼けた肌と髪に、大抵の男子を見下ろせる程の高身長。

身長に反して真っ平らな胸……。

一心が私を男のように扱うのも納得できてしまう。


「……お!熟女モノとか、わかってんじゃん! さすが一心!」

凍った空気は、私には辛すぎた。

「あ、あは……あはは。そうそう、なんか好きそうな気がしてさー」

こちらを見つめる葵の視線に、深い悲しみが混じっているのは分かっている。

それでも、私は私の意地を通すしかない。


 18年間生きてきた証が、このエロ本なのだ。

ここで、葵のように悲しそうな顔ができたら━━

あるいは、ここでビンタでもできたなら━━

贈られるプレゼントは、変わっていたのかもしれない。

……訂正、悪いのは目の前の男と、この私なのだ。

目頭が熱くなるのを感じ、横を向いて誤魔化す。


「……え?」


 何が起きたのか、分からなかった。

乾いた、どこか心地の良い破裂音が響き渡る。

それと同時に、一心がその場に倒れこむ。


 それを見て初めて、一心がビンタされたということが理解できた。

正確には助走付きのビンタだが、まぁビンタであることは間違いない。


 ━━誰がビンタを?


 ……葵?

いや、違う。葵も目を見開いて立ち尽くしているだけだ。


「2人の関係性は!ぜんっぜん!分かんないけど!」

怒声が響き渡る。

その怒声を発しているのは、堺さん、堺 夏希さんだった。

……来ないと思ってたのに。


「泣いてんじゃんか!デリカシーが、ない、って……」

そこでようやく、冷静さを取り戻したのだろう。

私たちと同じように、イベントの開始を待っていた生徒たちの目が、全て自分に向けられていることに気づき、声が次第に小さくなっていく。

それと同時に、顔もどんどん真っ赤になっていく堺さん。


 再び空気は固まり、静寂がその場を支配する。


「……やっぱ、カッケェな」

静寂を破ったその声に、その場にいる全員の視線が集まる。

声を発したのは、その場に倒れていた一心だった。


「お待たせしました、皆々さまッ!」

数秒後、近隣住民の迷惑にならない程度のBGMと共に、放送委員長が叫ぶ。

思いもよらない寸劇を見つめていた観客が一斉にそちらを向く。


 当事者である、あたし達4人は、相変わらず固まったままなのだけれど。


「やっぱり夏はッ、これに限るッ!」

「非公式とか、今年でラストだとか、そんなん微塵も関係ねェッ!」

「いくぜみんなッ、公領高校ォォォ!?」

放送委員長が、マイクを聴衆に向けて叫ぶ。


「「「肝試しィィィ!!!」」」


 拝啓、お母さん。

ラスト肝試しは、波乱の幕開けの模様です━━

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推され、押されて、ここに来た ささかま @sasakama015

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