第2話 アイツは、いきなり、やって来た

 夕焼けに染まる、ボロい校舎。

夏希は、今朝ポケットへ無造作に突っ込んだイヤホンを耳につけながら、

校門の方へ、やや早足で向かっていく。


 夏希にとって、ごくありふれた、退屈な日常。

別に、早く帰ることで残り1年をとうの昔に切っている受験勉強に勤しむわけでもないが、特に放課後に残ってする事もないから選んだというだけの日常。


 満足感はない。

━━しかし、不満という訳でもない。


 そんな事を考えていた夏希の視界に、ジャージ姿の集団が飛び込んで来た。

校舎周りをぐるぐると走り回るこの集団を、夏希はよく知っていた。


「公領ォー!ファイオ、ファイオ、ファイオー!」

集団は、かけ声をあげながら夏希のすぐ側までやって来ている。


 そのかけ声を聞いて、夏希は、血の巡りが良くなったような気がした。

今すぐ走りたいような、そんな気持ちが、無意識に━━


 その瞬間、集団の先頭の少女と目があった。

太陽の恩恵による小麦色の肌と、短いショートカットが特徴的な、その少女と。

ウォーミングアップのランニングすら楽しそうにこなす、その表情━━


 夏希にとって、それは眩しすぎた。

だから、その場でピタリと足を止め、俯いた。

その反応を見て、少女の表情が暗くなったことは、関係ない……。


************************


━━蝉が、ぎゃあぎゃあ泣いている。


「なんだよ、今日の昼はもっと喧しく聞こえたのに……」

俯いたまま、夏希は呟く。

誰に対するでもなく、そう呟く。


 そう、、呟いたのだ。


 だったから、目の前へ近づいてくる少女に気づけなかった。

急速に━━いや、高速で、猪突猛進に近づいてくる少女、和久井 舞に━━


「おわっ!」

顔を上げた時、すぐ間近まで接近していた舞を、夏希は、間一髪の所で避ける。

その必死な回避運動に、夏希のやや鈍った身体は悲鳴をあげる。


 すぐに屈んで踵の上を触り、異常がない事を確かめた後、夏希は舞を睨む。

それにも関わらず、舞は謝ることもなく立っていた。


 いや、それどころか、なんとも間の抜けた顔で、ぽかんと口を開けている。

目を見開き、口を大きく開けたその表情は、青天の霹靂という言葉を連想━━


 いやいやいやいや、おかしいだろ!

夏希は憤慨していた。

99%自分が悪い状況なのに、謝ってこないとは何事か! と憤慨していた。

その怒りには、回避行動に伴う身体の痛みが関係していたし、

運動不足を痛感させられた夏希のショックも、見過ごせない程に関係していた。


 だが、これは、やつあたりではない!

夏希は、目の前の少女に対して憤慨する正当性を十分に有していた。

そこに、な、やつあたりがあろうと、夏希は怒っていいし、

目の前の少女は、ぽかんと口を開けている場合ではないのだ。


 だから、夏希は肺に空気を精一杯送り込み、怒鳴るつもりで立ち上がった。

その途中で、最近ハマったクレープ屋巡りで体重を増えたのかなぁ……とか、

そういえば、最近ストレッチしなくなったなぁ……とか思ったりもしたのだが、

とにかく、目の前の少女の不注意を嗜めるために立ち上がったのだ。


 だが、そんな考えは全て、目の前の少女 舞の言葉で、遥か彼方に吹っ飛んだ。


「……嬉しい」


 ぽかんと開けた口を、やっと閉じたと思ったら、それ?

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