第1話 推されて、引いて、そこにいる

 窓の外で、蝉がぎゃあぎゃあ鳴いている━━

そして目の前では、2人の女がぎゃあぎゃあ……。


 さすがにこれは失礼か。

そう思いながらも、夏希は窓から視線を外さない。


「堺さんも参加しようってぇー。絶対たのしいよぉー?」

ポニーテールを振り乱しながら棒読みで叫ぶ、目の前の少女その1。

名前は確か、桜井 裕子。

それしか知らない、知る必要もない。


「肝試しに?」

目の前の少女たちが、誘うのを躊躇したくなるよう、わざと気怠そうな声を出す。

ほっといて欲しい、というのが、偽らざる私の唯一の気持ちだ。


「う……。そ、そう! 堺さんが参加してくれたら、その、嬉しいなぁって……」

発した私ですら引くほど気怠そうな声に、目の前の少女その2は激しく狼狽。

小柄な体型によく似合う、首元までのボブカット少女、横山 葵。

泣きそうな声で、しどろもどろになりながら話す健気な女子には罪悪感が募る。


 視界の端で、横山 葵が廊下側に激しくアイコンタクトを送っている。

その送り先にいるのは、確か、えぇっと……。

そこそこ目立つ坊主の少年、その名は、えぇっとぉ……。


「そ、そうだよ! 堺さんが来てくれたら、とっても嬉し……って」

「堺さん!? 大丈夫!?」

眉に手を当て、自分自身が設定した思わぬ難問と格闘していた私を、

目の前の少女その1、桜井 裕子は具合が悪いが故の仕草と感じ取ったらしい。

先ほどとは別人のように真剣な声で、私の体調を心配している。


「あ、それは大丈夫!……ありがと」

真摯な言葉には真摯な言葉で対応しなければ! と、視線を向け、素の声で返事。

私と桜井裕子の目が合い、その瞬間、心が通じ合った。

お互いに「あ、コイツ、さっきまでの対応は演技だ」とはっきり理解したのだ。

……であれば、話は早い。


「そ……そっかー。大丈夫ならよかったー」

桜井裕子の声が、再び酷い棒読みに戻る。

「あ、あんまり乗り気じゃないみたいだし、無理に誘うのは良くないよねー」

桜井裕子の視線は、完全に坊主の方向を向いている。

視線の先の坊主は、裕子の発言と表情から失敗を悟ったのだろう。

絶望的な表情を浮かべた後、がっくりと項垂れた。

その様子は、まさしく最後の地区大会での敗北を悔しがる高校球児。

だいぶ前に行われた引退試合で、既にそのポーズは予習済みなのだろう。

表情の変化、流れるような項垂れるモーションには、高い芸術点を与えたい。

……とはいえ、名前は思い出せないのだが。


「え、えぇ!? 裕子ちゃん! もうちょっと粘ろうよぉ!」

孤軍奮闘の予感を感じ取った横山葵が、桜井裕子に激しく耳打ち。

どうやら、自分の感情処理に精一杯で、私の「演技」を見ていなかったようだ。

もはや、ひそひそ話とは言えないような音量で必死に作戦会議を試みている。


 その様子を見て、私は再び窓の外に視線を移す。

相変わらず、窓の外では、蝉がぎゃあぎゃあ━━━

……なんだ、あれ?


 陽炎揺蕩う校庭で、制服姿の少女が、全力疾走━━

と思ったら、停止。

と思ったら、再び全力疾走━━


「今日は、全国的に記録的な猛暑となりそうです」

朝食を摂りながら聞いていたニュースでは、確かにそう言っていた。

……いや、その言葉を思い出すまでもないほど、窓際は暑い。

公立高校特有の、弱いクーラーが効いた教室ですら感じる、この暑さ。

その中で全力疾走? 熱中症って知ってる?


 全力疾走と停止を繰り返すトレーニング━━

いわゆるインターバルトレーニングを終えた少女が、肩で息をしている。

その表情は、とても苦しそうだった。


 ……当然だ。

夏希は、インターバルトレーニングの過酷さを知っている。

普段より何倍も力強く脈打つ心臓の痛みを知っている。

それを、どうして炎天下の下でやろうと思った?

夏希の注意は、完全に窓の外の少女に向けられており、

無謀にも説得を続ける横山 葵の言葉は届く気配すらない。


 窓に張り付くように少女を見つめていた夏希の目が、大きく見開かれる。

なんだ、アイツ……。

なんで、そんなに楽しそうに、笑えるんだよ……。


 視線の先の少女が、かつての夏希の姿に重なる。

かつての、陸上のユニフォームに身を包んだ夏希と同様に、楽しそうな笑顔。

おそらく、堺 夏希の人生で最も輝いていた、あの頃の笑顔━━


「……バカみたい」

夏希が、吐き捨てるように呟く。

「そんなぁ……」

夏希の言葉を、自分に対するものだと受け取った横山葵が悲しそうに呟く。

しゃくりあげる横山葵を慰めながら、桜井裕子は夏希の側を去って行った。


 とにかく、視線の先にいる少女は正気でない。

それが、堺夏希が、和久井 舞に抱いた素直な第一印象であった。

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