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天崎 剣
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屈強な男たちが集うギルド直営のバー。そこに一人で女が足を踏み入れれば誰だって息を飲む。しかも彼女ときたら、美しい金髪靡かせ華奢な身体に似合わぬ大剣背負って、ぎこちなく女剣士用の武具を身に纏い、それを隠すように丈長マントで身体を覆っていた。
元はどこかの裕福なお嬢さんに違いないと俺は鼻で笑う。ヒューヒューとヤジを飛ばす大柄の男共、いかにも女に飢えていたとばかりに涎を拭う輩にそれを牽制するギルドマスター兼バーテンダーのオヤジ。
真っ昼間っから酒をあおる男衆のいる場所に危険承知で彼女が来た理由、
「東の森に出る赤い魔物を倒して欲しいの」
言って彼女は懐から一枚の紙切れを取り出した。入り口から店内全ての男たちに見せびらかすよう、ぐるっと手を動かして見せつけたその中身、なるほど依頼人だ。懸賞金と賞金首の名。マスターはゆっくり彼女に近付いてその紙を受け取っていた。
「五百万ギル……で、間違いないかい」
バーの片隅、彼女を小馬鹿にするように笑みを浮かべワインをひと含みしていた俺は、報酬額を聞いて思わず大きく吹き出した。
やはりどこかの金持ちだ。五百万と言えば遊んで数年暮らせる金額、近頃思うように仕事が回らず、ろくに稼げなかったのだと思い返せばこれほどおいしい話はない。吹き出したワインを相席の友人に頭を下げながら布巾で拭き拭き、皮算用を働かせる。
「引き受けたい者は」
マスターの声に反応し思わず手を挙げるが、それは自分だけだったと気づいたのは後の祭り。
「エッジ、仕事は選べよな」
友人らに両肩を叩かれた後で彼女の言う“赤い魔物”の正体を知ることになる。
ここ数年、天候不順で不作が続き景気が落ち込んだのを理由に失業者が増え、反比例するように賞金稼ぎが増えた。彼らの窓口、憩いの場所、ギルドに出入りする男らの人数もこのところやたらと増えて、依頼数は大して増えてないのに回ってくる仕事の数がグンと減ってしまっていた。俺はそれこそ十代の頃から筋金入りの賞金稼ぎで、たいした技術は持っていなかったが腕っ節だけは強かった。街道の魔物退治や護衛の仕事、偶に城の傭兵として稼いだりと、何とか不況を乗り越えてきたが、それにしたっていずれ蓄えは尽きてしまう。何か一気に稼げる仕事はないもんかと思っていた矢先、飛び込んできた依頼なもんだから正直選ぶとか選ばないとか、そういうことは一切考えてもみなかったのだ。
彼女と二人別テーブルに移され、初めて知らされる依頼内容。俺は唖然として息を飲んだ。
「東の森の奥に“赤い魔物”が棲んでいると聞く。魔物は夜な夜な森から這い出ては野営する旅人や動物を狩るのだとか。私は森のすぐそばの村から来たのだが、殆どの住人は魔物に喰われて死んだ。誰も魔物の正体を知らない。辺りを全て血色に染めることからいつしか“赤い魔物”と人は呼ぶ。私も例に倣ってそう呼ぶが、世の中ではもう一つ、別の名で呼ぶ者もいるという」
彼女は昔語りでもするように淡々と話してきた。何故彼女がそのような魔物征伐に五百万ギルもの大金をはたくのか。それについては一切触れず、
「武器は用意した。村に古くから伝わるこの剣で魔物を斬って欲しい。そして私自身をその魔物征伐に同行させて欲しいのだ。難しい話ではないだろう」
見れば見るほど美しい。サラと名乗るその女の、どこからそのような強気な発言が出てくるのかと思われるくらいの儚さ。金だけではない、俺は女にも飢えていた。あわよくばと思わないわけがない。彼女もそうした覚悟あってこそ依頼してきたのだろうと眼をギラつかせ、いいだろうと返事する。
突如迷い込んだ大金と女。喜ばぬ男が世の中にいるだろうか。例えそれが恐ろしい魔物退治依頼と一緒にやって来たものだったとしても、決して悪い気はしなかった。
*
日が傾く前に出発しようと街の店々で旅支度を調える。
珍しく女と連れだって買い物する俺に、馴染みの店主たちは
「おおエッジ、いい女抱え込んでどうした」
と大笑いした。
確かに俺とサラとは不釣り合い。彼女が美しく可憐さを称えているとしたら、俺は如何にも汗臭く土気色に日焼けた隆々とした筋肉に一年中まくり上げた袖と破れかかった襤褸ズボン、立てた前髪格好付けるだけのダサ男だ。それこそ野獣が美女抱え込んでニヤついているか、美女に操られた哀れな野獣にしか見えぬわけだ。それでも構わない大金さえ手が入るならと、俺は恥ずかしいのを我慢して店を回る。回りながらふと、この女はそんな大金をとまた考えた。
誰か大切な人を失ったその仇を討って欲しいというのか。隣村とはいえ街道を女一人でここまで辿り、ギルドに依頼してくるなんて余程のことに違いない。しかしこの頑固そうな女のこと、真の意図とやらは最後まで内緒にするに違いない。それでもまあ度引き受けた仕事、責任もってやり遂げる。それが賞金稼ぎってもんなんだから。
さていざ出発という時になって、俺はふと思い出す。“赤い魔物”それはもしかしてこの界隈でも時々話題になる“クリムゾン”という名の魔物とどこか似通ってやしないかと。まさかと思って彼女に訊くと、
「当然知っていたものかと」
逆に笑われる。
勘が鈍いのが俺の弱点。それはよく仲間にも言われてる。そうかそれで誰も手を挙げないわけだ。金も欲しいが命は惜しい。金のために命は張るが、無くすとわかって命を張るヤツはいない。要するに、俺は貧乏クジを自ら引いてしまっていたのだ。
*
夕刻、茜色に染まる空を背に東へ向かう。かつては都へと通じる近道として栄えたこの道も、クリムゾンの出現により今は閑散としている。記憶によれば二年前、突如現れた真紅の魔物は旅人を切り刻み骨まで砕き、それはとても野獣の仕業などではない、悪魔に違いないと噂されたのが始まり。東の街道に出る
「何故“赤い魔物”を」
俺は依頼を請け負った手前知る権利があるに違いないと、日が落ち闇の迫った林を抜けながら彼女に訊く。松明に照らされコントラストを濃くした彼女の影は、問いには答えなかった。無言で俺をただ前へ前へと進ませる。何を急いでいるのか。何故答えないのか。仕方なく一人ブツブツと問答しながら歩いて行く。
森へ入り数時間。フクロウやミミズク、夜行性の動物の唸り声に肩をすくませる。
「魔物が出るのはこの先、あと半時は歩いたところ。泉のほとり、大きな木の下に獲物を喰い散らかしたような跡があったと、これは赤い魔物を討伐に出た私の父が半死状態で村に戻り呟いた最期の言葉。大切なものも何もかも切り刻むあの魔物に打ち勝つにはこれしかないと、村の
鋭い彼女の台詞にうろたえ眼を泳がせる俺。何とかなると誤魔化すように頷いた。
その剣には魔物を裂く
父親の死、それはサラにとってどれだけ最悪の出来事だったか。俺が彼女の父親の代わりに魔物を打てるかどうかも実際対峙してみないとわからないし、第一正体を見たものは全て死に絶えてしまっているというクリムゾンに、俺はどうやって立ち向かったらいいのだろうか。彼女に剣を手渡され両手で握ってはみたものの、それはただの長剣にしか見えず魔力だの
貧乏クジもいいところだ。金に目をくらませるのは今回で終いにしよう。尤も、生きて帰れればの話だが。
*
月が一番高くなる夜更け、赤い魔物が出てくるという時間帯まであと少し。ふとすぐ近くで水の湧き出るような音がし始め、俺は息を殺した。風に揺られ木々がざわめく音に背筋凍らせ、足元で枯れ枝が折れる音に唾を飲んだ。俺はサラを守るように左手を後ろにやって松明を彼女に渡し、右手を背負った剣の柄に添える。両の耳に神経を集中させ、辺りを見回すが、魔物らしき気配というものがないのに焦る。本当に魔物はこの森に、そんな疑念さえ渦巻く。
「おい、サラ。お前はどの程度魔物のことを知っている」
彼女は答えない。俺の背に捕まりながら、ただ魔物を待つ。
「五百万、そんな大金を出してまで何故倒さなきゃならない」
心なしか、彼女の息が荒くなった。
「こんな危険な場所まで、一緒に来る理由は」
――背後に何かの気配を感じ、俺は彼女ごと左へ身体を捻った。
松明の火が揺れ、ぼうっとそれを照らす。ガサリガサリと足音立て近寄ってくる人型。
「誰だ」
俺は威勢よく低い声で脅す。しかしそれは答えず、眼をギラギラと赤く光らせたまま一歩一歩にじり寄ってくる。
背にサラを押しつけて俺は本能で後退りし、それから距離をとった。それはとてつもなく黒い気配を全身から漂わせ、見ているだけで魂を抜き取られてしまうような感覚に襲われる。ぶんぶんと頭を振り、俺は正気を保とうとした。そうでもしなければ一気にそいつの雰囲気に飲まれてしまいそうだったからだ。
「カイン、あなたカインね」
突如として彼女は口調を変えた。それまでの男勝りにつっけんどんだった態度を翻し、急に女性らしい甘い口ぶりに。俺の背の影からそっと顔を出し、目の前の危険な人型に訴えかける。
「どういうことだ」
彼女は火をそいつの方に向け顔を照らす。暗がりに、顔立ちのいい男が浮かび上がった。
歳は二十前後、彼女と釣り合うくらいの若い男で黒い剣士服を身に纏っている。腰に差した片手剣、胸に煌めくエンブレム、城で傭兵をしていた頃によく見た剣士団の一人のようだ。
「知り合いか」
しかしまた彼女は答えない。
『名前など』
男はにやりと白い歯を見せ、
『もう忘れてしまった』
言って剣を引き抜いた。
臨戦態勢をとったその男に、俺も剣を抜く。
後ろに下がるように囁くと彼女は深く頷いて、数十歩後ろの木の陰に隠れた。
『お前も、俺を殺しに来たのか』
ブンと振り下ろした剣先、空気の層を斬って鈍く唸る。両手で構え間合いを見る俺の武器の方がデカいのに、何故かしら勝てる気がせず身震いがした。男が剣士団という肩書きを持っていると推測されるからか。それともヤツから湧き出る覇気に完全に負けてしまっているのか。
「待て。俺は“赤い魔物”を。決してお前を殺しに来たわけじゃ」
震えながら必死に喋る。が、そいつは構わず剣を振り上げた。
受け止めた一振りは恐ろしく重い。力負けし、よろけて思わず左手を離す、続けて右方向から水平に一閃。俺は身体をねじ曲げ、半歩下がる。一瞬で崩された体勢を持ち直すため両足を踏ん張ろうとした瞬間にもう次の攻撃が来ている。速い。そいつは巧みに剣を操り、慣れない重い両手剣に四苦八苦する俺をどんどん追い詰めていく。剣先は時に樹木を掠め、時に幹を切り倒した。ただでさえ枯れ葉で安定しないふわふわした足場は次第に悪くなり、最早避けるだけで精一杯の俺にどう考えても勝ち目はなかった。
息切れし必死に動き回る俺とは対照的に、そいつは息も乱さずニヤニヤと不敵に笑いを浮かべながら迫る。その黒い気配は剣を振る度に強まり、勘の鈍い俺も流石にその正体に気付き始めた。
「お前が、“赤い魔物”か」
途端に男の動きが止まり、
『今頃気づいたのか』
まさか人間が。てっきりそれは獣の形をしていると、どこかで思い込んでいた。あの女、サラは最初からその正体を知っていたに違いない。知っていたからこそ本当かどうか見極めるために一緒に森まで付いてきた。それにしたって何故彼女はその知り合いの男を殺せなどと俺に依頼を。父親を殺されたから、それだけではないように思える。
俺は意を決し、思い切り剣を振るった。風圧でヤツはよろめく。その隙に剣を落とすべく、右手に握られた剣の鍔目掛けて更に一打。片手剣は宙を舞い、クルクルと円を描いて地面に刺さった。優勢を勝ち取りにんまりと頬を緩めた俺だったが、例え魔物と呼ばれる存在だからと言って、人を斬るのは躊躇われる。だってそうだろう。“赤い魔物”は骨をも砕く。ただの剣士の男にそんな所業出来るわけもない。何かの間違いだ。強靱な牙を持つ猛獣でさえ骨を残して喰い散らかすのに。
俺の気の迷いを感じたか剣を奪われた男は奇妙な声を上げ笑い出し、すっと天を仰いだ。それまで空から降り注いでいた月の明かりが闇に消え、木の陰で様子を覗うサラの手にある松明だけが煌々と森を照らす。ピタリと男が笑うのをやめた直後、男の中から赤黒いものがゾワッと広がり始めた。
瘴気だ。
俺は急ぎ腕で口を塞ぐ。毒気にやられたら、魔物を倒すだの言う前に死んでしまう。剣を構えたまま身体を縮め、俺は呆然としてその気が吹き出すのを見ていた。
やがて瘴気は男の身体を包み込み大きく膨らませ、背に棘を生やしおぞましい漆黒の羽を広げて立ちはだかった。爛れた鱗のようなゴツゴツとした赤黒の皮、ギラギラと闇に浮かび上がる赤い眼、耳元までパックリと裂けたデカい口には全てを噛み砕いてしまうだろう牙が何重にも連なって見えた。太い尻尾をまるで蜥蜴のように振り回し、なぎ倒されていく木々。
――“
「サラ、お前は魔物のことをどこまで」
言い終わらないうちに魔物の鋭い爪が俺目掛けて振り下ろされた。転がりながら必死に避け、隙を覗う。が、ヤツの身体は優に俺の背丈の三倍はある。歩く度に木をなぎ倒すような巨体を剣一本で何とかするなんて、それはどう考えても絵空事だ。俺は仕込んでいた短剣を数本ヤツの懐目掛けてぶん投げた。普通の獣なら、短剣が腹に突き刺さりよろめくところだろうが、そいつは違う。分厚い皮が刃先を弾き返し、まるで太鼓の腹に当たったみたいに力なく地面に落ちた。
「どう考えても」
不利だろうがと叫びたくなる。
飛び回り必死に逃げる俺のルートが悪かった。サラの隠れた針葉樹の根元にクリムゾンの尻尾がぶち当たって大きく木が揺れた。驚いたサラは松明を手から離し、気がつくと辺り一面に火が広がってしまっていた。叫び声を上げるサラ。退路を断たれた俺たちはどうすることも出来ず、炎に照らされますます不気味に見えるその魔物の視界で立ち尽くすしかなかった。
「エッジ、早く剣で魔物を斬って! 五百万ギル、忘れたのか」
後ろから騒ぎ立てる女の声。
正直、金などもうどうでもよくなっていた。
「別に、金だけのために、こんな依頼を引き受けたわけけじゃない。俺だって命が惜しい。第一本当の理由も教えないようなヤツのために、何で俺がここまでピンチにならなきゃいけいんだ」
とうとう俺は不満をぶち撒かした。依頼主だと思って下手に出ていれば人を犬みたいに扱いやがって。
「この、人間みたいな化け物みたいなヤツは、一体何なんだ」
少し振り向いて確認した彼女の顔は強張っていた。それは彼女があの魔物に格別な思いを抱いているようにも見えたし、それでもまだ俺には言いたくないと食いしばっているようにも見えた。
畜生と一言、俺は吐き捨て剣を構える。
弱点とやらがあるなら知りたいくらいだが、大抵この手の魔物は後ろが甘い。
俺はサラを火の風上に誘導したあとで、クリムゾン目掛けて走り出した。目指すはその背後。魔物はその牙と爪を向けて俺を喰い千切ろうと襲いかかる。間一髪のところで攻撃をかわしながら、股下に滑り込んだ。成功、そのまま尻尾の棘を掴んで背によじ登り、剣を突き刺そうとするが失敗、ヤツの皮と棘はまるで毒を塗りたくったようで俺は焼け爛れた手を思わず離した。ヤツの皮膚に触れた俺の身体のあちこちが悲鳴を上げる。勝ち目がないにしたって逃げることも叶わない。このまま餌食になってしまうのかと汗を拭ってふと辺りを見回した。
俺の背後、泉が湧き出していた。そのほとり、確かに一際大きな木。その根元は赤く染まり、何かの骨と思しき小さな白い欠片が散乱している。一体何人の肉を喰ったのか。何故男はあのような姿になってしまったのか。再び考えが巡る。
いや、考えても仕方ない。こんな状況で冷静に事を分析しようというのがそもそもの間違いだ。
生き延びるには勝つしかない。そして勝つには、この
なぎ倒された木々が階段のようにヤツの背丈まで届いているのに俺は気がついた。やるしかない。
息を飲み、一呼吸。俺は走った。
重たい剣必死に携え、斜めに倒れた針葉樹の大木の根本からてっぺん目掛けて駆け上がる。その最上部、辿り着いた先に上手い具合にヤツの首。俺は勢いよくそこから飛び上がった。
叫び声と共に振り下ろす、右肩から腹にかけ赤い魔物の身体に亀裂が走る。それは確かに短剣を投げたときとは全く違う手応え。
クリムゾンはぐらりと大きく身体をくねらせた。地を揺るがすような雄叫び一つ、背に生やした巨大な羽をバタつかせ急浮上し、血を吹き出しながら俺を襲おうと大きな口をガバと開けて突っ込んでくる。
死ぬ。
俺は反射的に剣を天辺に突き上げた。
――剣先がクリムゾンの喉の奥を貫通する。
魔物を作り出していた瘴気がバランスを崩し、バラバラに砕け散ってゆく。こぶし大の塊がまるで溶岩石のように森中にバラバラと降り注いだ。
木々の間をすり抜けるように風がビュッと吹き、炎が広がる。
俺はサラの手を引き、泉へ急いだ。火の手から逃れるため全身に水を浴び、びしょ濡れのまま泉の向こう側へと駆けていく。
砕けていく魔物の身体、森を焼き尽くす炎、それらは悪夢を全て消し去るように明け方まで燃え続けた。
*
俺とサラは二人、濡れた防具を身に纏ったまま泉の向こうで森が燃えるのを見つめていた。次第に空は白み、もうすぐ日が昇ることを知らせている。夜行性の獣の声はなりを潜め、代わりに小鳥たちのさえずりがこだまする。灰になっていく森の木々、大木の下で小さく砕けた骨の欠片はもう見えない。硫黄のような灰の臭いが充満し、俺は何度かくしゃみした。あの魔物は砕け焼け死んだのだろうか。黒い気配は嘘のように無くなってしまっていた。
もう何も隠すことはないはずだと彼女に男のことを訊く。その青く憂いた瞳でサラは、
「大切な人だった」
とぽつり答える。
「森に巣くう魔物に囚われ身体を乗っ取られたのだろうと、父は言った。ただそれだけが彼をそうしてしまったのか。私は真実を知りたかった。森で見た彼は既に人の心を失っていた。心の強い人だと信じていたのに。苦しみ必死に耐えている姿を想像してここまで来た私が馬鹿だったのだ。彼は身も心も既に魔物と化していた。その姿を見た途端、私の中で彼の像は崩れた。救いたいと思った、もう一度会ってやり直したいなどと思った私の浅はかさに腹が立つ。この世の迷いを断ち切るため、
水辺に座り込む彼女の言葉に、俺は顔をくしゃくしゃにした。威勢を張っていたか弱い女の本当の目的。全く俺は鈍感だ。そんな目的があるならばなおさらこんな所に来るべきじゃなかったのだ。
俺は彼女のそばに寄り添うように屈み込み、小さく震える彼女の肩をそっと抱いた。似合わぬ防具や武器で固められた彼女の心はどこまでも純粋だった。彼女の言うように俺も愚かな男の一人。金に目がくらんだ、確かにそうだったかも知れない。だけれど、もうそんなことは忘れてしまった。
「言ったろ。別に、金だけのために、こんな依頼を引き受けたわけけじゃない。俺はお前みたいないい女が思い詰めたような顔でギルドに現れたその理由を知りたかっただけだ。さあ、帰ろうか」
今頃あの魔物に取り憑かれた男もきっと後悔している。こんなに美しい女を泣かせてしまったことを。
「……ところで、五百万、いつ貰える?」
俺の悪い癖だ。とにかく鈍い。特に女心というものには縁がないほど疎すぎる。
金の算段始めた途端、彼女は流していた涙をぴたっと止めて振り向いて、俺の頬をグーでぶん殴った。
「結局金が目当てじゃないか、馬鹿男」
さて、依頼主は本当に支払いをしてくれるのだろうか。
俺はぶたれた頬を擦り擦り、おもむろに立ち上がった。
<終わり>
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