第2話


 新大阪総合指令所は、関西の主要路線の列車を司る中枢である。

 大きなスクリーン、ずらりと並ぶコンピュータ端末、そして、無線を飛ばす指令員たち。指令室の中央には正方形の机があり、それを囲むように数人の指令長たちと総括指令長が談笑していた。

 総括指令長の森山は言う。

「本当に我々が臨時ダイヤを作らなくて大丈夫かね」

「でも、『アイトラス』は優秀な人工知能が入っとるらしいですよ」

「それが怪しいんだよ。コンピュータって奴は融通が利かんからな。前の時はトンチンカンなダイヤばかりだっただろう」

 総括指令長にとって、コンピュータが臨時ダイヤを作成できるなどとは、とうてい信じがたいことだった。それは、まさに職人技が必要だからだ。

 ダイヤグラムとは列車の運行時刻を、一本の列車につき一本の|線で表したグラフのことである。列車の本数が多ければ多いほど、線は複雑に入り組んでゆく。ダイヤが乱れた時は、その無数の線を書き換えて臨時ダイヤを作成しなければならない。たかが線引き作業とはいえ、それには膨大な知識が必要だ。一人前になるには、少なくとも十年はかかるのである。

 指令長の一人が笑いながら答える。

「まあまあ。確かにそうでしたね」

「コンピュータの手にかかれば、今日の『日本海』だって遠慮なく運転を打ち切ってしまうんじゃないか?」

「まさか、それはないでしょう」

「そうだ、実際ダイヤがどうなったか見てみてみましょうよ」

 指令長の一人が、指令員に声をかける。

「ねえねえ、君、湖西線の強風の件はどうなった?」

「回復運転中です。『アイトラス』が作った臨時ダイヤを印刷しましょうか?」

「ああ、頼む」

 印刷された臨時ダイヤグラムを見て、指令長たちは舌を巻いた。それは完璧なダイヤだった。湖西線で発生した遅れを一時間以内に回復できる。しかも、それは、ただのコンピュータがはじき出すような理想主義のダイヤではなかった。見事なダイヤの間引きは言うまでもない。乗客の乗り継ぎや、遅れが拡大しやすい場所が考慮されており、さらには、乗務員の癖までもが反映されていた。

 指令長たちは深いため息をついた。

「なかなかやるじゃないの」

「はあ、これで我々もリストラ対象だな。新幹線〇系、ブルートレインがなくなると思えば、その次は我々指令員か。時代も変わるもんだな」

 総括指令長は自嘲気味に笑うと、力なく椅子に座った。


「あ!」

 指令員の声が響く。彼が指差す先には、山科駅の線路配線図が表示されていた。全員がスクリーンに釘付けになる。

「新快速が山科駅の下り通過線に止まってます!」

「何!?」

 指令長の焦った声が続く。

 総括指令長の脳裏を悪い予感がよぎった。山科駅は東海道本線と湖西線との合流駅であり、寝台特急『日本海』の通過駅でもある。もし、この異常が重大なものであれば、『日本海』の運転をここで打ち切らなければならない事態となるかもしれない。


 新快速の運転士からの無線が響く。

『こちら三四三九M運転士、新大阪輸送指令どうぞ』

 我に引き戻された指令員は慌てて応答する。

「こちら新大阪輸送指令、三四三九M運転士どうぞ」

『三四三九M運転士です。えー原因不明の分岐器の異常により、誤って通過線に進入しました。後退してもよろしいですか? どうぞ』

 指令員が担当の指令長を見上げると、指令長は頷いた。

「三四三九M運転士、分岐器の操作を完了するまで、停車して待機してください。どうぞ」

『停車して待機の旨了解』

 指令員は画面上に後続の列車がいないことを確認すると、コンピュータを操作して分岐器の方向を切り替えようとした。既に一番のりば側に戻っていた分岐器を、再び通過線側に向けなければ、その新快速電車が後退したときに脱線してしまう危険があるからだ。

「あれ?」

 指令員が首をかしげる。分岐器は凍り付いたように動こうとしない。彼は、再び同じ操作を繰り返すが、結果は同じだった。

「分岐器の操作ができません」

「では、前進して一旦本線に出してから、山科駅に後退させてみよう」

「京都方の分岐器も操作できません」

「つまり、三四三九Mは通過線に閉じ込められたってことか……」

「はい」

「臨時ダイヤ入力で何とかならないかい?」

 指令員はコンピュータ端末を操作するが、臨時ダイヤの入力すら受け付けようとはしなかった。

「だめですね」

 指令員が無線を飛ばす。

「こちら新大阪輸送指令、三四三九M運転士応答できますか、どうぞ?」

『こちら三四三九M運転士、どうぞ?』

「分岐器の操作ができないため、現在の位置で待機して下さい、どうぞ」

『え? 待機ですか?』

「はい、待機です」

『こっちはお客さんが待ってるんですよ!?』

「分岐器の操作ができませんので――」


 しかし、それは序の口でしかなかった。

 その直後から、列車無線に怒号が飛び交い始めた。管内の全域で同様の異常事態が発生しているのだ。予期せぬ線路に進入した列車や、安全装置が誤作動し急停車した列車。信号機という信号機が赤になる。それは関西全域の鉄道網が麻痺状態に陥ったことを意味していた。


 総括指令長の森山は、昨日までCTCの制御盤が置かれていた場所を見つめた。その部分の壁だけがやけに白い。もし、その制御盤が残っていれば、手動で信号や分岐器を操作して列車を運行することができたはずなのだ。

 だが、アイトラスに異常が起きた今、アイトラスの一部となったCTCもまた制御不能だった。これでは、寝台特急『日本海』の最終列車を運転するどころか、列車一つとして運転することができない。

「言っただろう、だからコンピュータは……」

 と、彼は呟いた。

 とはいえ、いつまでも電車を止めていくわけにはいかなかった。秒針が進むごとに億単位の損失が発生してゆくのだ。もし夕方のラッシュ時までに復旧できなければ、公共交通機関としての信頼も失墜するだろう。それに、寝台特急『日本海』は何としてでも最後まで走らせなければならない。

 総括指令長は、テーブルにダイヤグラムを広げ、胸ポケットから定規とペンを取り出した。今こそ職人技が必要とされる時だ。

 彼の声が指令室に轟く。

「動かせる列車は、片っ端から動かすぞ!」

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