AI-TRAS 2030 寝台特急ラストラン

井二かける

AI-TRAS 2030 寝台特急ラストラン

第1話

※本作品は2011年に執筆したものです。



 午前十時三十七分。東海道本線の下り外側線を一本の新快速が疾走していた。電車は旋風を巻き起こしながら、新逢坂山トンネルへと突入する。このトンネルを抜けると京都府だ。若い車掌は、真新しいアイトラスの乗務員用端末を操作していた。

 新運行管理システム『アイトラス』には、主に三つのシステムが統合されている。信号機や分岐器を指令室で遠隔操作するためのCTC、駅の電光掲示板や自動音声での案内を行うための旅客案内システム、そして、ダイヤが乱れたときに素早く臨時ダイヤを組み上げ、遅延を回復するための運転整理システムである。アイトラスには生体コンピュータ技術を応用した高度な人工知能ユニットが搭載されており、ダイヤの乱れに対して自動的に臨機応変な対応をとることができる画期的なシステムだった。

 そして、全列車の車両システムは沿線無線WANを通じてアイトラスと接続されている。遅延の情報を車内の電光掲示板や液晶画面に表示させることはもちろん、逆に列車の混雑度などの状況をアイトラスが把握し運転整理の参考にすることもできる。ダイヤに変更があれば、随時、乗務員用の手持ち端末に配信される。


 車掌の端末上には、強風による湖西線の遅延情報が表示されていた。

「また湖西線か……」と、彼は呟く。

 湖西線といえば、そこを寝台特急『日本海』の最終列車が走っている頃だ。彼も時代の移り変わりを感じずにはいられなかった。彼は鉄道マニアではなく、むしろ鉄道マニアが大嫌いだったが、歴史のある列車には、鉄道員としてそれなりの思い入れがあった。

 しかし、今日は危険な行動に及ぶ鉄道マニアもいることだろう。いつも以上に安全に気を配らなければならない。ノスタルジックな気分に浸っている場合ではないのだ。


 トンネルの暗闇を抜けると、橋脚のすぐ横をすり抜けながら、電車は徐々に減速しはじめた。彼はいつものようにマイクを握る。

『ご乗車ありがとうございました。まもなく山科、山科です。お出口は右側、一番のりばに到着いたします。湖西線、京阪線、地下鉄線はお乗り換えです。お出口は右側です』

 そのとき、彼は違和感を覚えた。とっさに窓を開け、前方を確認する。その瞬間、彼の違和感は確信へと変わった。電車は分岐点を直進して通過線に進入しまっている。本来ならば、その分岐点を右側に行かなければならない。

 非常ブレーキがかかる。電車はホームから線路一つ離れた通過線で急停止した。このままでは乗客の乗降ができない。車掌は腕時計を気にしながら、運転士に連絡した。

「運転士さん、何があったんですか?」

『お、俺にも分からん。場内信号はいつも通りだったんだけどな』

 運転士の声が動揺している。

「……困りましたね、どうしましょうか?」

『……とりあえず後退するしかないな』

「ちゃんと指令に連絡して下さいよ」

『はいはい。そっちは案内しといてね』

「分かりました」

 受話器を置いた車掌は、客室から殺気を感じていた。今、客室に振り返れば、怒りに満ちた無数の目がこちらを睨んでいるに違いない。目を逸らそうにも、ホームからは、鉄道マニアたちの無数のカメラがジロジロとこちらを見つめている。よりによってタイミングの悪い日に、と彼はため息をついた。彼は思い切って客室に振り返ると、アイスピックのように鋭い視線を体に受けながら、マイクを握った。


「お客様にお詫びいたします。ただいま、信号機のトラブルのため、間違った線路に入っております。そのため、ただいま運転再開の打ち合わせをしております――」


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