第5話



『指令室へのリンクを復活させるので、待機を』

 電話の向こうの技術者が言った。作業開始から十分ほど経った頃だ。

 スクリーンに五秒ほど『再接続中』と表示された後、真っ白な画面が表示された。右下に『AITRAS 路線図』という文字と、時計が小さく表示されている。だが、路線図自体は表示されていない。

 総括指令長が顔をしかめる。

「なんで路線図が表示されないんだ。それに時計狂ってるぞ?」

 表示されている時刻は午前三時。旧運行管理システムの『サントラス』から『アイトラス』に切り替える直前の時刻である。

 技術者は説明する。

「……これから始発前の状況を再現する準備をしているんです。まだ路線情報も入力していません」

 指令員の一人が手を挙げる。

「あの、端末が切断されたままですが……」

「……はい。相性問題の可能性も考えて、スクリーンと私のノートパソコン以外は、物理的に接続を切断しています」

 それは、接続する機器を物理的に限定して、ハッキングやクラッキングの可能性を極力除去するためでもある。この状態ではいくら天才的なハッカーでも入り込む余地はないだろう。仮に不正アクセスが可能であったとしても、今、それを行えば個人を特定されてしまう。

 技術者は、念のため通信内容を解析した。指令室とアイトラスの間では、不審な通信は流れていない。

「……指令室、異常ありません」

『よし、ここまでは順調だな。ダイヤをインポートしてみる』

 電話の向こうの技術者は、路線情報とダイヤ情報をアイトラスに入力する。これでアイトラスは始発前の状態に戻るはずだ。

 ところが、アイトラスはダイヤを受け付けなかった。画面やスクリーンに何も反映されないのだ。異常発生である。技術者は心の中で歓喜の声を上げた。原因を絞り込む手がかりを得たからだ。

「ダイヤが反映されてません!」

『ああ、確認した。ダイヤ入力の直後、何かが消去してるんだ』

「今起動しているシステムは?」

『基本システムと、指令室との接続だけ。それ以外とは繋がってない』

「となると、かなり絞り込まれてきますね」

 意外にもハッキングやクラッキングの可能性は排除された。時刻に関係なく異常が起こるということは、時限式のコンピュータウィルスでもない。また、列車の位置情報を受信してはいない状態なのだから、特定の路線の状態が異常を引き起こしているわけでもないようだ。

「あれ?」

 ふと、彼は、スクリーン右下の時刻表示が、いつの間にか午前三時から、午前十一時五分になっていることに気がついた。確か、それはシステムをリセットする直前の時刻だ。だが、システムがその時刻を知っているはずがない。なぜなら、時計も含めて全てリセットしたからだ。

 では、彼自身のノートパソコンが時刻を調整するコマンドを送ったのだろうか。急いで通信履歴を確認するが、時刻調整に関連するような通信は一切行われていない。仮に行われていたとしても、今現在の時刻が反映されるはずで、十数分前の時刻が反映されるはずがないのだ。ということはサーバールームの技術者だろうか。

 彼は尋ねた。

「……あの、今、時計触りましたか?」

『ん? 何の話?』

「時刻表示がいつの間にか、十一時に戻ってるんです」

『ちょっと待った、そっちから時刻修正コマンドは送ってないよね?』

「ええ」

『今調べる』

 電話の向こうでキーボードを叩く音が聞こえる。

『記録を見たところ、ダイヤ入力の直後、誰かが時計を調整してるな。えっと、実行者は……』

 電話の無効の技術者が言葉を詰まらせた。

「何か分かりましたか?」

『それが……「SYSTEM」となってる』

「……無人電車と同じですね」

『ああ。でも、全部リセットしたんだ。ハードディスクも交換したし、メインメモリも電源を切ったときにリセットされた。内部時計もリセットしたし、ケーブルの接続も必要最小限。他に何か時刻を記録しているものはあるかな?』

 二人は「あ!」と声を上げた。

「生体コンピュータユニットだ! あれなら簡単にデータ消せないですし、交換もしてませんよね」

『ああ。あれなら、主体的にデータを弄る機能があるな』

「もし必要だと判断すれば、だいたいの時刻を覚えておくことぐらいは出来ますね」

『確認する』

 電話の向こうからキーボードを叩く音が聞こえる。指令室のスクリーンでは時刻表示が三時と十一時を行き来する。おそらく、時刻を上書きする命令を生体コンピュータの人工知能が送っているかどうかを確認しているのだ。今回は対象が絞り込まれているだけあって、確認は簡単だろう。

 やがて、彼は結論を出した。

『……ああ、確かに、それが原因だよ』

 犯人は文字通り内部にいたのだ。だが、それは人間ではない。システムの主幹を成す生体コンピュータユニットだったのである。きっと、アイトラスはU@techの実験を覚えていたのだろう。だから電車を遠隔操作できたのだ。

 だが、それは同時に絶望的な状況であることを意味していた。生体コンピュータは長期間にわたって学習させる必要があり、修理は簡単ではない。旧システムのサントラスに戻そうにも、今日中に作業を終えるのは難しいだろう。まさに、最悪の事態だった。生体コンピュータ技術はブラックボックス的な要素も多い。それが仇となったのである。

 技術者は頭を抱えた。

「……総括指令長には僕から伝えておきます」

『ああ、こっちは至急CTCだけを分離する応急措置をとれないか試してみよう』


  *

 長岡京駅から二人の駅員が、山崎駅に向かって線路脇を歩いていた。指令からの情報に基づき、無人電車の様子を確認するためだった。無線連絡が正しければ、途中で停車している無人電車に出会えるはずだ。必要であれば、これ以上の暴走を防止するために、パンタグラフを下げて手歯止めを設置するなどの対処を講じるためでもある。


だが、いつまでたっても電車には出会えない。彼らは慌てて線路を走ったが、ついには山崎駅に到着してしまった。

山崎駅の新人駅員は、汗だくの二人に驚いて尋ねた。

「一体どうされたんですか?」

「無人電車は通りませんでした?」

「え? 回送なら今……」

 頼りなさそうな新人駅員は、へらへらとした笑顔を浮かべながら線路を指さした。

長岡京駅の駅員は顔を真っ青にした。

「無線を! 今すぐ!」


  *


 技術者は総括指令長に振り返った。

「……あの」

「何か分かったのか」

「……ええ。異常の原因はアイトラスの人工知能である可能性が非常に高いんです。信じられないことですが、これは、いわば、人工知能の反乱です」

 指令室が静寂に包まれる。

 次の瞬間、総括指令長が腹を抱えて笑い始めた。

「SF映画の見過ぎだろう」

 彼は一頻り笑ったが、指令室に彼の笑い声しか響いていないことに気づき、気まずそうに咳払いをした。

「たかがコンピュータだろう、いくら人工知能とはいっても、そこまでできるもんか」

「出来ないとは言い切れません。コンピュータとはいえ、一部に生体コンピュータ技術を応用しています。今朝、アイトラスが作成した臨時ダイヤをご覧になりましたか?」

「湖西線のか。ああ、あれは確かに立派だったが」

「臨時ダイヤの作成には、主体的な判断が必要ですよね。たとえば、あえて運休にするとか、発着番線を変更するとか、新快速を各駅停車に変更するとか」

「ああ」

「生体コンピュータによる人工知能はそのために組み込まれています。ある意味で、アイトラスは意志を持ってるんです。もちろん、僕たちの言葉は話せませんが」

「にわかには信じられんな」

「……僕もです」

 総括指令長は技術者を睨んだ。技術者は震え上がる。

 指令員の一人が会話に割り込む。

「だとして、一体何が目的なんですか?」

 技術者は答えた。

「……それは分かりません、直接しゃべれるわけではありませんから。ただ、確かなことは、ダイヤを入力しても、アイトラスが消してしまうということです。『電車を動かしたくない』ということでしょうか」

 総括指令長は咳払いをする。

「いや、結果を考えれば分かる。関西全域の電車を止めてうちは大損害だ。ブルートレインが止まれば鉄道ファンからも大ブーイングだろう? それに、電車が暴走し、作業員を轢き殺しかけたんだ。会社としての信用はがた落ちだ」

 指令長の数人が頷く。

「つまり、私怨ですな」

「技術者の中に私怨を持った奴がいたんだろう」

「もしくは、アイトラス自身がそう思っているのかもしれません」

 と、技術者。

 総括指令長はため息をついた。 

「こうなったからには、安全が確認されるまで全線運休だ」


 そのとき、指令員の一人が叫んだ。

「暴走! 無人電車が、また暴走してます! 山崎駅からの連絡です」

「何だと?」

「また、無線連絡がありました。今、無人電車は警笛を鳴らしながら摂津富田せっつとんだを通過中です」

 技術者はしまったと思った。アイトラスをリセットしたとき、無人電車は止まるどころか暴走を続けたのだ。その間に踏切はいくつもある。事故が起きなかったのが奇跡だ。

「おい、お前、路線図をスクリーンに映せないのか?」

 と、総括指令長は技術者に言った。

 技術者は電話を取る。

「至急、列車の位置をスクリーンに映して下さい」

『なぜ? 今全て復旧させるのは――』

「いいから早く!」

 数十秒後、スクリーンに路線図と列車の位置が表示される。無人電車は摂津富田駅から茨木駅に向かっていた。しかし、茨木駅一番のりばには、既に新快速電車が止まっている。その電車は回送扱いになっておらず、そこにはまだ乗客が残っている可能性があった。追突されれば死傷者が発生するに違いない。

 ただちに、指令員が無線に叫ぶ。

「三四三五M、直ちに発車してください! 三四三五M直ちに発車してください」

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