第6話 人を救う魔法
オレの息子を見てくれ、と駆け寄って来た男の家に案内され、寝台に横たえた小さな体躯を見つめる。
はぁはぁ、と浅い息を繰り返す、ニアよりも幼い子供。その顎まで、赤紫色の痣がせり上がっている。
「この痣は?」
「この病気の特徴なんです。身体中、この変な痣だらけで、今日、首から顎まで上がって来て」
「そう。ほかに症状は?」
「高熱です。それ以外は、何も。咳も出ねぇし、鼻水も、ありません」
幼子の額を手のひらで触る。本当に、熱かった。あんまり高熱が続くのは良くない。
「それから、症状とは違うんですけど、食欲が全然なくて。何も食べてくれないんです」
「わかったわ」
頷いて、子供の体を触る。
一瞬、父親である男がマアサの手を止めようとした。
「これは死んでしまう病気なんでしょう?治療法も薬も、まだない病気。魔女にでも縋るべき時じゃないの?」
男の浮かした手が、ふらふらと彷徨い、やがて膝の上へと落ち着いた。
「……こんな病気、初めて見るわ。薬を作れない」
臓器に異常はなかった。恐らくは感染性のもの。そこまではわかるのだが、かといって何が効くのか見当もつかない。
それに、あまり時間をかけるわけにもいかない。
薬を作れない、と聞いた男が「そんな……!」とショックを受けていることに気付き、マアサは出来る限り穏やかに微笑んだ。
「大丈夫、この子は治るわ」
「お願いします、この子は唯一の家族なんです。妻もこの病気で死んじまった。この子がいなくなりゃ、おれはひとりになっちまう」
治すことに躊躇いはない。ただ、今マアサにできることは治癒魔法をかけることだけ。
魔法だ。良い魔法だとしても、人が拒否する魔法。マアサは出来る限り、人に理解できる力で、例えば薬草を煎じるとか、そういったことで救いたかった。
「今の私にできることをやるわ。この子を救いたかったら、救って欲しかったら、黙って見てなさい」
1番厄介なのは、治癒魔法を途中で止められてしまうこと。男は、何があっても自分は手出しをしないと断言した。
一番酷い痣のある胸元を中心に、治癒魔法で煽っていく。あくまで補助的に。自然治癒を捕捉するように。
痣が、マアサの手に吸い込まれるように消えて行く。荒かった息が、徐々に治る。
全てを消し去る前に、マアサは手を離した。
「一気に全てを治すと、身体が治っても脳が勘違いしてしまう。だから、今はこれだけよ。とりあえず、命の危機は去ったわ」
「あぁ!リオン!」
息子を抱いても良いという許可を得て、男が素早く幼子に抱きついた。頰を撫で、額に頭を寄せ熱が下がっていることを確かめる。
男は何度も、良かった、と言った。
「ありがとうございます、ありがとうございます。少ししかありませんが」
何度も何度も頭を下げ、男は古いタンスから小さな巾着を持って来た。中に入っていたのは、価値の高いコインだった。
「妻と2人で貯めた金です。なんかあった時に使おうと思ってました」
魔女には金の価値が分からない。だが、それが男にとって大きな額であることはわかった。
巾着を男に返し、マアサは困ったように笑った。
「それでどれだけの物が買えるのか、私には分からないの。それに、この村のどこで何が買えるのかも、知らないわ。だから、お金の代わりに、何か食べ物をちょうだい」
男は困惑したように巾着を見つめ、それからおもむろに立ち上がり、巾着の代わりに布袋を持って帰ってきた。
「これは、この村で評判のアネッサの家で作ってるパンです。それから、これは、イェンツの家のヤギのミルク。これは、」
パンにミルクに、木の実、野菜に干し肉。ひとつひとつ説明を加えながら、男はマアサに差し出した。
「どうもありがとう。……息子さんの病気は、まだ治ったわけではないの。また明日来るから、診せてちょうだいね」
「えぇ、勿論です」
家を出る際、男はマアサをほんの少しの疑いを混ぜた目で見つめた。
「あのぅ。本当に、病気はちょっとずつしか治せないんですか?」
「えぇ。あまり早いとダメなのよ」
「魔法についてよく知らない、おれを騙そうとはしていませんよね?」
「勿論よ」
「そうですよね!疑って、すいませんでした」
疑われるのは、仕方がない。それに、この男はまだマシな方だ。
マアサが魔法を使っても、決して止めなかった。信用してくれた。
「他に、死病に罹った村人をあなた知ってる?」
「はい。2軒隣のとこの、お嫁さんが、たしか」
男が指差したのは、2軒隣という表現が正しいのかも分からないほどに離れた場所にある古い家だった。
「そう。ありがとう、行ってみるわ」
礼を言えば、男は早々に家の中へと引っ込んで行った。
男にもらった食料をしっかりと抱え直し、マアサは言われた家へと向かった。
「こんにちは。マアサ・キャンベルです」
ノックをしても、返事が返ってこない。人の気配はするため、こちらを伺っているのだろう。出て来るつもりはないらしい。
救われたい人間は、自分から声を上げるべきだ。さっきの男のように。
マアサはため息を吐いて、扉から離れた。他の村人を当たろうと考え、歩き出す。ある程度家から離れると、扉が乱暴に開けられる音がした。
「二度と来るな!バケモノめ!」
野太い、男の声。
これが普通なのだ。
肩を竦め、その後何軒か家を回った。ほとんどの家で、門前払いされたが、小さな子供が罹患した親達の内2人は、マアサに救いを求めた。
「あたしらが小さい頃、村に1人だけ魔女がいた。癒しの魔法を使う、良い魔女だった。あんたも、良い魔女だ。良い、救いの魔法を持ってる」
孫を見て欲しい、そう老婆が1人で、村を出ようとしたマアサに会いにきた。老婆以外の家族はみんな、マアサを怖がってバケモノ呼ばわりしたが、それを謝罪し、どうか孫娘を助けて欲しいと家に招き入れた。
「ボケたババアめ。可愛いリィーチェが死んだらどう責任を取ってくれるんだ」
老婆の息子だという男が、扉の外で言葉を投げている。老婆は「賑やかですまないねぇ」と、頭を下げるばかりだった。
最初の男の息子にそうしたように、痣が小さくなるように治癒魔法を行使した。
「掛けすぎると、身体に負担をかけることもありますから」
老婆はよく知っているようで、何度も頷いて礼をした。マアサの持っている布袋の中に、老婆は金を滑り込ませた。
「また、明日来ます」
マアサは一度頭を下げ、そう言った。もう来るな、と返したのは、老婆の息子。治っていないじゃないか!と憤慨してもいた。
老婆にも、最初の男にもした説明を、言葉を変えて何度か説明した後、全て治るまでこの男は納得しないだろうという考えに行き着いた。
初日の成果は、まずまず、といったところか。全ての村人に拒絶されなかっただけ、よくやった方だ。
投げられた言葉の数だけ傷ついた自分の心を、壊死した四肢を切断するように切り捨てた。
箒にまたがり、小さな自分の家を目指し飛び立った。
明日もまた、この場所へ来なければならない。自分1人、引きこもっていた頃が懐かしいぐらいに思えた。
ああでも、と思う。
老婆はマアサの治癒魔法を、救いの魔法と評した。それがどれだけ嬉しかったか、誰にもきっと分からない。
私、悪い魔女だもの。 @near
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