第5話 バケモノ魔女


 翌日、朝早くにマアサは家を出た。

 家を出る前、きちんとニアには声を掛けた。彼はあのスープを飲んだきり、マアサの料理に口をつけない。

 自分で料理ができるらしい。もう料理はするなと冷たく言われた。


 出かけてくると行ったマアサに、「あっそ」とだけ素っ気なく言い捨て、寝台に潜り込んでしまった。


 ニアが、狙い通りにマアサを憎んでくれているのか、よく分からない。マアサを好いてくれていないことは確かなのだが、だからといって、殺そうとしてくることもない。

 ただ、マアサの瞳が赤くなる時だけ、剥き出しの憎しみが出て来た。


 魔女と言えば箒、なんて安直ではあるが、正しい。正確には箒でなくとも、飛ぶことを連想させるものならなんでもいいのだが、ほとんどの魔女が箒と飛ぶことを結びつけているから、箒が良い。

 箒に横座りし、地面との重力を断ち切る。足が地面から離れた。


 ここから1番近い、徒歩で5時間の村。そこから人が来るのだろうから、そこへ向かえば良い。

 そこまでの道は、いわば森であり、歩くのに向かない。それなのに、わざわざ魔女を迎えに来るということは、カラスのいう通り生け贄を選ぶように、選ばれた娘が来るのだろう。

 時折、思う。魔女よりもよほど邪悪なのは人間ではないかと。


 やがてポツポツと民家が見え、村の手前でマアサは降り立った。魔女を拒否する人間の前に飛んでいくなど、流石に賢くない。

 少しの距離ぐらい、歩かねば。


 村の方へ向かって歩くと、向かい側から、死にそうな顔をした若い娘が歩いて来た。お互いに目が合い、向こうの娘は悲壮な顔で頭を下げる。

 マアサが魔女だと気づかなかったのだろう。____何せ、本当の魔女は三角のとんがり帽子を身につけていないし、怪しげなおばあさんではないし、古い木を杖として常に携帯していない。____そのまま、通り過ぎようとした娘を、慌てて「待って」と呼び止めた。


「な、なんでしょう。あたしはこれから、魔女を迎えに行かなきゃいけないんです。少しでも遅れれば、あたし、殺されちゃうかもしれない」


 途端、泣きそうな顔になった娘が、とても哀れだった。


「大丈夫よ」


 いや、本当はちっとも大丈夫じゃないかもしれない。彼女が今、目の前に立ったこのマアサこそが魔女だと知ったら、失神してしまうかもしれないのだから。


「……私が、魔女だから」


 あぁ、やっぱり。大丈夫なんかじゃなかった。娘は、「ま、まじょ」とだけ呟いて、後ろへと倒れ伏した。

 マアサはやっぱり、と呟きながら、娘を助け起こし、倒れる時ぶつけただろう頭を軽い治癒魔法と共に撫でた。

 すぐに意識を回復させた娘は、マアサと目が合い、甲高い悲鳴を森の中に響かせた。もしかすると、村へも聞こえたかもしれない。


「こ、殺さないでください。魔女さま。どうか、ご慈悲を」


 飛び退く勢いでマアサと距離を取り、地面に頭を擦り付けて命乞いをする。

 魔女を見た人間の反応は、大きく分けて2つ。理解の範囲外にあたる力で殺されないよう懇願するか、石を持って酷い言葉とともに投げ付け、魔女を追い出そうとするか、だった。

 娘は前者であるらしい。


「殺さないわ。聞いているでしょう?私は、医者がいないこの村で、医者代わりをしにきたの。なのに、村人を殺したら、矛盾してるじゃない」


 そもそもマアサは、指先1つ、瞳を赤く光らせるだけで人を殺せる力など持っていない。治癒魔法は人を殺すようには出来ていないのだ。

 良い魔女がどれだけ人を憎もうが、その力は害にならない。

 良い、悪いの呼び名は決して中身、性格や考え方の話ではない。使える魔法が、悪いように使えるかどうかの話でしかないのだ。


「聞いて、ますけど。どうせ、魔女の気まぐれなんでしょう。メサメドの街が、一晩で燃えたって聞きました。魔女のせいだって。そんなことができる魔女を、どうしてあたしたちが受け入れなきゃならないの⁉︎」


 話している途中で、怒りが湧いたのだろう。握りしめた拳を、自身の太ももに叩きつけ、そう叫んだ。


「……そうね。その通りだわ。どうしても受け入れられないのなら、私は帰るわ。人を救いたいわけじゃないもの」


 下を向いていた娘が、はっと顔を上げた。


「ま、待って。待って。待ってください。ごめんなさい、助けて。助けてください。違うの、あたしたちは、医者が欲しかっただけなの。死病からあたしたちを救って欲しかっただけなの。なんでもいい、悪魔でも、魔女でも。あたしの弟を、助けて」


「死病?どういうこと?」


 そもそも、魔女が村へと招かれたのは、皇王の意思も絡んではいたが、大きな理由は最近その村とその村周辺に蔓延し始めた流行病のせいだった。進行が早く、罹ると必ず死に至る病。

 普通の医者では歯が立たず、村に来てくれた唯一の医者も匙を投げた。それどころか、医者自身も病にかかり、故郷に帰る前に村で亡くなった。

 別の、優秀な医者を村へ、とこの辺りを治める領主に嘆願書を送ったところ、近くに住んでいて、治癒魔法を使える『良い魔女』であるマアサが呼ばれることになったのだった。


 一連の経緯を説明しながら、娘はマアサの前に立ち、村までの道を引き返していく。


「あたしが魔女さまの元へ行くことになったのは、家族全員が死病にかかったせいなんです。もしかすると、途中で死病を発症して、死んじゃあかもしれないから、魔女さまに殺されてもどちらか判断がつかず、あたしを送り出した大人たちは罪の意識を感じずに済む。それに、発症して魔女さまに死病をうつせるかもしれない。そしたら魔女は来れなくなる。死んでくれるかもしれない。魔女でも歯が立たない病気なら、皇都の偉いお医者さまが来てくださるかもしれないから」


 娘が死んだ時の言い訳を、人々は既に考えてある。何も生け贄を選んだわけではないと。

 こんなことで、人と魔女が和解できる道なんてあるのか、今すぐ皇王陛下の元へ行って聞きたかった。それをしたら、それこそその人の思うツボだと分かっているから、何も聞きになんて行かないが。


 それにしても、なかなか厄介そうな話だった。治癒魔法は何にだって効く。死にさえしなければ。訳の分からない死病にだって。

 ただ、それでは根本的な解決にはならない。

 マアサの手の届く範囲しか、治せない。その手の届く範囲だって、拒否されたらどうしようもない。

 マアサの知っている知識で、薬を作ることができるだろうか。


「シェイナちゃん!」


 村人が1人、叫んだ。いつの間にやら、村へと入っていたらしい。


「はよう、こっち戻って来い!シェイナ!」


 シェイナ、というのは娘のことなのだろう。前を歩いていた娘が、村人の方へ走り出し、人々の間に紛れていった。


「なんもされんかったか?」


 心配した口調でシェイナを案ずる。送り出した身で、何を言うか。死んでも良いと送り出したくせに。


「……こんにちは。初めまして、マアサ・キャンベルと申します」


 ざわつく。

 あの炎の夜に、この魔女がそこにいたと言う噂がある。もしや、コイツが燃やしたんじゃないか。

 そこかしこで話題が出て、ざわめく。


「バケモノめ。バケモノの、魔女め」


「村に入るな」


「帰れ」


 石こそ投げられないものの、蔑む言葉だけは投げつけられる。眉を寄せ、帰ろうかと思った。

 踵を返そうとした時、影が、囁いた。

 カラスだ。

 あの子供は人間の子供。いつか人の群れに返す必要がある。その時、魔女の元にいたと言うのはそれだけで差別の対象となる。少しでも、人と魔女のわだかまりを無くさなければ。

 そして、金はどうする?この村で医者としての地位を確立すれば、報酬が手に入る。それが必要だろう。


「……分かってるわ。……帰るのは、死病に罹った人たちを少しでもよくしてからよ。何の意味もない言葉を吐くだけじゃなく、早く病人のとこに案内なさい」


 凛と顔を上げ、言葉を紡ぐ。悲痛な顔をした村人の男が1人、子供を抱えて、決死の覚悟で走り寄って来た。


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