第4話 人とは違う
カラスに頼んだあの夜から、ニアが悪夢を見る回数は劇的に減少した。それでも、完全になくなったわけではないので、マアサは時々カラスを呼んだ。
魔女の家に来て2ヶ月。ほとんどの傷が回復し、ニアはようやく寝台の上での生活をやめた。
「おい、魔女」
「何?」
ニアはマアサのことを魔女と呼ぶ。苦々しそうに、険しい顔で。
「……お前、飯はどうしてるんだ。おれを飼うと言いながら、飢え死にを待ってるのか?」
「めし?……あ」
聞き慣れない言葉を繰り返し、考え、ようやく思い至った。
「そう、ね。人間はご飯がないと生きていけないのよね」
すっかり忘れていた。おばあさまは人間だったから、知らないわけではない。だが、あまりにも人と関わらない時間が長すぎた。
魔女はご飯を食べない。必要としない。食べれないわけではないので、嗜好品として楽しむ魔女もいるが、マアサは全くご飯を食べていなかった。
大気中にある無数の魔力。生き物たちが常に発する精気。そう言ったものが、魔女を生かしていた。
だから、食べ物を、与えるという発想がなかっただけで、断じてニアを苦しめるためではない。
「もう腹が減って限界だ。飢え死にを待ってるわけじゃないのなら、飯をよこせ」
ここまで2ヶ月、飲まず食わずでニアが生きてこれたのは、マアサが使う治癒魔法のおかげだろう。治癒魔法は魔力をわたすもの。マアサが体内に取り込み栄養としたものを、ニアに送り続けていたのだ。
生きるに必要な栄養は、それで賄われていた。治癒魔法をやめて2日、よく持った方だ。
「少し、待っていてちょうだい」
ニアが来て2ヶ月、もう何度目かもわからない溜息を吐いた。人1人育てるのは、難易度が高い。困りごとが多すぎる。
そして、何度目かわからないカラスを呼び出した。
「おい、今度はどうしたってんだ。もうニアは夜中に叫ぶほどの悪夢をそう頻繁には見てねえだろ?」
「別の問題よ。困ったわ」
「なにが」
「人は、ご飯を食べるの」
沈黙が落ちる。そして、呆れた溜息。
「当たり前じゃねえか」
「そうよ。当たり前よ。でも、忘れていたの。どうしよう。私、食べ物を1つも持っていないし、お金も持っていないわ。食べ物を得る手段がない」
「金、ね……あの手紙の返事を良いように書きさえすれば、あっという間に大金が手に入るぞ?」
まだ開いてさえいない手紙。あれを、カラスは手を貸す代わりの報酬とした。なのに、返事も書かず、あまつさえ放置したままのマアサを、責めもしない。
マアサの複雑な心境を、この兄代わりはよく理解していた。
「ニアが、1人でも生きていけるようになるまでは、待ってほしいの」
「やれやれ。まあ、金銭面はおいおいどうにかするとして、今すぐ必要な飯だな。待ってろ」
カラスは闇に消え、そしてすぐに現れた。大量の食べ物を包んだ布袋を持って。
「今回のこれは、俺からの依頼をこなすことでチャラにしてやるよ」
「依頼?」
「あぁ。悪い話じゃないさ。今後、継続的に金も入る当てがある」
今まで、お金なんて必要としてこなかった。何も買えなくとも、マアサは生きていける。
しかし、ニアという人間がいる以上、今までの生活は無理だった。
「何をすればいいの?」
「診療所。この辺りには医者が少ない。お前のお得意の、治癒魔法と薬草があれば、何とかなるさ」
「……まさか、アルバルド皇王陛下が絡んでる話じゃないでしょうね」
「そのまさか、だ。良いか、マアサ。お前の気持ちは理解できる。だけどな、もう引きこもってたって、何も変わんねえよ。皇王は魔女と人との和解を狙ってる。当たり前だろ?魔女は人から生まれるから魔女なんだ。親が我が子を捨てるのが、魔女だからって理由で許されてたまるもんか」
魔女は少ない。だが、確実に生まれる。普通で平凡な両親から、突然に。
魔女は総じて精神的発達が早い。そのせいもあってか、親は子を化け物だと詰り、捨てることに躊躇いがない。
人は自身の理解できないことを恐怖する。ならば、理解できれば魔女を捨てる親は減るのだろうか。
皇王は魔女と人を、綺麗に言えば仲良くさせたかった。政治的思惑で言えば、自国の力とするために、普通の人間が王宮の騎士を目指すように、魔女が自身で自国の戦力となる道を選んでくれるようになってほしいと思っていた。
「だからっていきなり、魔女に救いを求めさせるの?医者に対して救いを求めるのと同様に?無理よ」
「やって見ないとわからない、が、我が主人の言い分だ」
「親にさえ、バケモノと言わしめる魔女を、他人が受け入れるわけないじゃない」
言って、自分で悲しくなる。
「じゃあ、この仕事は引き受けない、っていうんだな?それなら、この食料は残念ながら俺が持って帰ることになる」
闇に溶けかけた食料に、マアサは慌ててしがみついた。
「待って!分かったわ。引き受ける」
どんなに石を投げられようと、死にはしない。それに、慣れたことだ。
今、優先すべきはニアのことで、自身の恐怖やトラウマなどではない。
「じゃあ、明日だな。明日、村から1人迎えが来ることになっている。怯えさせるなよ?さながら、悪魔に捧げられる生贄のような気持ちで選ばれた若い娘だ。優しくしてやれ」
「村?村って言ったって、ここからどれだけ離れていると思ってるの。バカじゃないの」
人の住む村からここは、歩きで5時間はかかる。なのに、1人、しかも若い娘が来る、と。
「そう思うなら、魔女らしく箒にでも跨って逆に迎えに行ってやればいい。朝一で村を出るらしいから、それに間に合うように」
「……そうするわ」
本当は、自分から会いに行くなんて嫌だ。人々の恐怖に歪む顔も、怯えも悲鳴もうんざりだ。
だけど、避けていたって仕方がない。
「じゃあ、俺は帰る。そうだ、久々の食事だっていうのなら、柔らかめの……スープ辺りから始めてやれ。胃に優しい」
「スープ」
「……やれやれ。作り方もわからないか?」
呆れた声に、慌てて返す。
「おばあさまが残したレシピ本があったわ。台所に」
「そういえば、そんなのも書いてたな。それ通りに作るんだぞ。じゃあな」
「待って。カラス、調べてほしいことがあるの。私では、すぐに調べられないから」
影に溶けかけたカラスが、まだあるのか、とうんざりした顔をしている。
「なんだ?」
「バレンティーヌ・イランシュについて。それから、今どこにいるのか」
「……わかった。調べられるだけ調べておこう」
そして、今度こそカラスは闇に溶けた。
カラスが残して行った布袋を、長らく使っていなかった台所へ運んだ。その中から、野菜と、肉を取り出し、おばあさまのレシピ通りにスープを作った。
「遅かったな」
ニアは不満そうな顔で待っていた。ごめんなさい、と謝ろうとして、マアサは口を閉ざす。悪い魔女は、謝らないものだ。
バレンティーヌは、重ねた罪の上に玉座を置いて足組むような魔女で、決してそれらに謝ったりしない。
「さっさとよこせ」
ニアの態度は悪い。これでは、どっちが魔女か分かったものでは無い。
熱いスープの入った皿を奪い取り、ニアは口に流し込んだ。飲み込んで、途端に噎せる。
吐いてしまった。
寝台で、苦しそうに身を丸め、吐き出されるスープ。ほとんど胃にスープは入っていなかったから、吐き出されたもののほとんどは胃液だ。
慌てて駆け寄り、背中を撫でながら魔法を流す。おそらくは、胃が驚いてしまっただけなのだろうが、労わるように優しく魔法をかけた。
普段意識しないから、マアサは気付かなかった。ニアにとって激しい憎悪の対象である、紅い瞳とニアの翡翠の瞳が交わっていたことに。
ある程度回復したニアは、すぐに起き上がって、マアサの手を弾いた。
「触んなっ!汚い魔女め。なんの気まぐれか知らないが、いちいち優しくしやがって」
マアサが、ひっくり返さないようにと取り上げていたスープ皿を奪い返し、こちらを睨みつけて距離をとる。
「お前は、人とは違う存在だから、食事も忘れるし、簡単に人を焼くんだ。今だって、おれのことを、苦しむおれを見て楽しんでるんだろう。どこかに行ってしまえ」
違う、というならあの日、炎に巻かれたあの場所で、悪い魔女だなんて名乗らなかった。
「そうね。だから、もっと、苦しんで。憎悪して。私を、殺してしまいなさい」
それだけを言って、マアサはニアの部屋を出た。
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