第三話

 富士の演習場に向かう一週間前。


 年に一度の大規模演習を前に、毎日の偵察隊の訓練にもいつも以上に熱が入っていた。たがそんな俺達とは反対に、隊長の表情はイマイチだ。


「なあ、敷島しきしま?」

「なんでしょうか」


 一通りの走行を終え、バイクに異常がないか点検していた俺のところに隊長がやってきた。訓練中に何かマズい動きでもしたか?と気を引き締める。


「アヒル隊長が尻にしいているのは何だ?」


 そう言って隊長が指を向けたのは手洗い場だ。その手洗い場の流しの上にはアヒル隊長が鎮座し、俺達の訓練を見守っていた。風呂で洗う係まで決め、専用のボディソープを用意するほど丁重ていちょうにあつかうなら、屋外にもちゃんとした場所を作れば良いのに、鎮座しているのはよりによって手洗い場とは。大切にあつかっているのか適当にあつかっているのか、俺にはイマイチわからない。


 そしてアヒル隊長が座っているのは、ピンク色の小さなクッションだった。


「ああ、あれですか。隊長専用の座布団ざぶとんだそうです」

「だそうです、とは」

「武器科から届けられたんですよ。いつもあんな硬いコンクリに座っていたら、いくら隊長でもケツが痛くなるだろうからって」

「で、座布団ざぶとんなのか」

「はい」


 隊長はヤレヤレと言わんばかりに首を横にふる。


「じゃあ、あのパラソルはなんだ?」


 アヒル隊長の横には、海水浴場で使われるようなパラソルが置かれている。もちろん大きさは隊長仕様のミニチュアだ。


「あれも武器科から届きました。なんでも紫外線はプラスチックを劣化させるそうなので。あれ、小さいのにUVコーティングされた日傘ひがさらしいです」

日傘ひがさなのか……そうか……なるほどな……なるほどな……」


 隊長はうなづきながら、その場を立ち去った。それと入れ替わるように、先輩達がやってくる。


「敷島どうした? 隊長、魂が抜けそうな顔してたぞ?」

「さあ。アヒル隊長の座布団ざぶとん日傘ひがさの話をしたら、あんな顔になりました」


 今年のアヒル隊長は、例年以上に丁重ていちょうなあつかいをされているというのに、どうしてうちの隊長はあんな顔をするのか。俺にはまったく理解できない。


「あー……気持ちはわからないでもないかな。俺達も日傘ひがさには驚いたから」

「武器科の連中、無駄に手先が器用なんだよなあ」

「そのうち、アヒル隊長専用のビーチチェアとか作ってきたりして」


 先輩達が苦笑いをする。


「ま、紫外線でプラスチックが劣化するのは本当だし、アヒル隊長の紫外線対策としては正しいけどな」

「隊長、時代は変わったとか思ってるのかもな」

「そもそもコンクリにじか置きしてるほうがおかしいでしょ。普段は厳重な場所に安置して、出したら出したでお世話係まで決めるのに」

「他の隊でも広まるかもな。アヒル隊長の待遇改善が」


 そう言いながらその場にいた全員が笑った。


「さて、それでだアヒル隊長のことなんだが」

「まだ何かあるんですか? 何かすることがあるなら小出しにせずに、先もって全部を教えてもらえませんかね」

「最初から全部わかっていたら面白くないだろ」

「面白くないって……」


 すっかりイベント化しているな、アヒル隊長がらみのことが。


「それで? また俺がしなきゃいけないことが増えるんですか?」

「まあ特に何かするわけじゃないけどな」

「アヒル隊長には演習場に行く前に、俺達の訓練の成果を見ていただかないといけないわけだ」

「はあ……」


 今でも見ているじゃないかと、手洗い場のアヒル隊長に目を向ける。これ以上どうやって見てもらえと? え? まさか?


「……先輩、まさかアヒルをバイクに乗せるとか言いませんよね?」

「お、わかってきたじゃないか、敷島~」

「えー……バイクに乗るスペースなんてないでしょ、これのどこに乗せろと?」


 目の前のバイクに視線を戻す。どこを見てもアヒル隊長が鎮座するスペースなんて存在しないだろ、これ。


「あるだろー、お前の頭の上にさー」

「え?! ヘルメットの上に乗せるんですか?!」

「走ってる途中で飛んでいかないように、ワイヤーでちゃんと固定するんだぞ? アヒル隊長が訓練中に行方不明なんて、シャレにならないからな」

「そんなことになったら、隊長が気絶するよな」

「隊長どころか、駐屯地司令が卒倒するだろ」


 なにやら怖いことを言ってくれる。


「ええええ……そこまで俺が?」

「当たり前だ、お前が今年のお世話係なんだから」

「えー……あんな黄色いの頭に乗せたら目立って偵察どころじゃないでしょ……」

「たしかになあ。そこは毎年、気になってた」

「気になってたんだ……」


 先輩達がしばらく考えこみ、そして一人がポンッと手をたたいた。その顔を見てイヤな予感しかしない。絶対にとんでもないことを思いついた顔だ。


「だったら隊長も偽装ぎそうしようぜ。ドーランなら風呂で落ちるし。頭には草つけて!」

「本格的な偽装ぎそうか。良いじゃないか、陸自らしくて」


 ほら見ろ、ロクなことじゃなかった。


「それも俺がするんですか?」

「もちろんだ。今年のお世話係はお前だからな」


 演習に参加するだけなのに、やること多すぎ!


「あの、これって本当に毎年恒例なんですか? 俺に対するいやがらせじゃ?」

「そんなわけないだろ。アヒル隊長様だぞ?」

「疑うなら演習場で確かめろよ。全国の偵察隊からアヒル隊長が集まってくるから」

「まあ、アヒル隊長に偽装ぎそうさせて走るのは、俺達が初めてかもしれないけどな」


 どことなく楽しそうなのは何故なんだ。


「それ、隊長に言うの、俺なんですよね」

「もちろん。お前がお世話係だからな」


 先輩達はしごく真面目な顔をして俺を見た。はあああとため息をつく。


「まったくもー……知りませんよ、隊長の魂が本当に抜けちゃっても」

「大丈夫だろ、うちの隊長だし」

「そうそう、偵察隊の隊長だし」


 まったく、先輩達ときたら呑気なもんだと、最後にもう一回、大きなため息をついた。

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アヒル隊長と愉快な仲間達 鏡野ゆう @kagamino_you

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