第四話

「なあ、ここしばらく野良猫達の姿をまったく見かけないよなあ。もしかして、ボランティアさん達がやってる新しい餌場でも増えたのか?」


 巡回していた曹長が、ゲート横の詰め所に戻ってきたところでそんなことを口にした。餌場のことを私に質問するのは、私がたまに地域猫達を世話しているボランティアさん達の手伝いをしていることを、話したことがあるからだ。


「ボランティアさん達の活動には変化ありませんよ」

「ってことは、病気でもはやっていて猫が減ったのか?」

「猫達は相変わらず元気にしています。ここに寄りつかないのは宗谷そうや三尉、じゃなくて、二尉が当分のあいだ帰ってこないというのが、分かっているからですよ」


 曹長は私の言葉に、呆れたような笑ったような変な声をあげる。


「やっぱりそれで姿を現さないのか?」

「はい、間違いなく」

「昇任してもマタタビ体質は変わらずか」

「一つ偉くなりましたから、更に強化されたかもしれませんね」


 先週から始まったアメリカ海軍主催の環太平洋合同演習リムパック。この演習に宗谷二尉が乗艦している護衛艦も参加しているため、二尉の長期不在が続いている。そのせいか、ここしばらく港では野良猫達の姿を見かけることがない。


 もちろん、二尉が乗る護衛艦の出港時には大勢の関係者達に混じって猫達も見送りにやってきており、驚くべきことに出港時の帽振れの時は、一斉に鳴き声をあげて艦を見送っていた。自分の家族が見送りに来られない代わりに、こんなにたくさんの猫達が来てくれるなんてねと、二尉はいつもの困った顔をして笑っていたっけ。


 基地や桟橋さんばしの警備を任されている陸警隊にとっては、猫達がウロウロしていないことはありがたいことではある。だけど、普段から見かけている猫達の姿がまったくないのは、やはり寂しいというのが正直なところだった。


「しかし、いつも不思議に思うんだが、何で分かるんだろうな、宗谷さんがこっちに戻ってくるのが」

「さあそれは私にも分かりません。野生のカンとしか言いようがないですね」


 そこは私も不思議で仕方がない現象だった。通常の日帰りの訓練ではお見送りもお出迎えもしないのに、ちょっと長くなる航海訓練が入ると、必ず猫達は桟橋さんばしまでやってくるのだ。ほんと、猫達はどうやって宗谷二尉の航海予定を察知しているんだろう。


「ってことは、前みたいに帰港する時には猫達が港に集まってくるのか」

「だと思いますよ」


 しかも浮気をしてないか激しいチェック付きのお出迎えになるはず。きっと二尉は前のように困った顔をして、私に助けを求めてくるに違いない。


真木まきも寂しいんじゃないか?」

「うちにはお世話しなくちゃいけない猫がいますからそれほどでもありませんよ」

「そうじゃなくて。猫の毛チェックをする相手が不在にしていることがだよ」


 そう言って曹長は、ニヤニヤと意味深な笑みを口元に浮かべる。


「たまには猫の毛チェックがない方が、私も楽で助かります。コロコロ代だって馬鹿になりませんからね」

「またまたそんなことを言って。いつも嬉々としてチェックしているくせに」

「仕方がないじゃないですか。宗谷二尉が私以外の人間からのチェックを断固拒否するんですから。曹クラスの人間は、幹部の言うことには逆らえませんよ」


 そうは言ってみたものの、確かに毎朝の猫の毛チェックが無いのは、何か物足りないという気がしないでもなかった。



+++



「ただいまサンイ。いい子でお留守番してたかな?」


 自宅に戻ると、奥の部屋から猫が小走りで私の元にやってきた。あの時の野良猫はうちの子になりすっかり馴染んでる。クンクンと私のにおいを嗅ぎながら真剣な顔をしてチェックする様子に、思わず笑いながら小さな体を撫でた。


「心配しなくてもいいよ、今日はお仕事で、よその猫ちゃんとは会ってないんだから」


 二尉がされてタジタジになっていた「浮気チェック」をこの子もすると知ったのは、この子をお迎えしてから初めて地域猫ボランティアに出掛けて帰宅した時のことだった。それをされた時に、これがあの時のあれなのかと感心したものだ。あの時の様子からして、サンイは我が家に来て早々に私のことを自分専用のお世話係と認定したらしい。


 そして私に対するチェックが終わると、ドアの方を覗き込んでから何か言いたげに見上げた。休み前になると必ず訪問する、自分の遊び相手は今日はいないの?と言いたいらしい。


「今日もまだ宗谷さんは帰港してないよ。戻ってくるのは当分先だね」


 私の返事に「なんだ、つまんなーい」と言わんばかりにニャーンと一声あげて奥の部屋へと戻っていく。そして私が着いてきていないことに気がついたのか、振り返ってさらに鳴いた。


「はいはい。ご飯を出せってことね。分かりましたよ、ご主人様」


 ここ最近は、自分の夕飯よりも先ずはサンイのご飯が優先だ。クタクタに疲れて帰宅することがあっても、この子の顔を見るとホッとする。だからそれぐらいのことは「下僕げぼく」としてしてさしあげないとね。


「二尉は今頃どの辺にいるんだろうねえ。元気にやってるかな。何ごともなく帰国できると良いんだけどね」


 同じ海自でも、艦隊勤務と陸警隊とではまったく職種が違うせいもあって、なかなかその手の情報はこちらにまで流れてこない。まあ流れてこないってことは、大した事件もなく演習は滞りなく続いているってことなんだろうけど。


 ポリポリと音を立ててご飯を食べるサンイを眺めながら、壁に貼ってあるカレンダーを見上げる。帰国予定日だけは分かっていたから、そこにはマル印を付けてあった。


「そろそろ前半の予定が終わって休息日に入る頃だね。ってことは今頃はハワイに入港してるかな」


 上陸した時には何かお土産を買ってくるからねと言っていた。猫達へのお土産は無理でも、私や地域猫ボランティアの奥様達には、きっと美味しいナッツ入りのチョコレートを買ってきてくれるはずだ。


 そんなことを考えながら自分の夕飯の準備をしていると、メールの着信音がした。もしかして? スマホをタップすると、そこにはメール着信のお知らせが表示されている。しかも送り主は宗谷二尉。


「もしかして猫並みにカンが働くのは二尉も同じだったりして」


 メールには日程中日の休暇で上陸許可が出た、休暇なのに参加国の人達との剣道の親善試合をすることになって、大変だという報告が書いてある。


「休暇なのに親善試合で剣道とは、また大変なことになってる……ん?」


 メールを半分ほど読んだところで、添付されているファイルの気がついた。どうやら写真のようだ。しかも複数枚。


「……あ、これはまた浮気チェックで大変なことになるかも」


 そこに写っているのは、上陸した直前であろう二尉達の姿。同じ護衛艦に乗っている先任伍長の米澤よねざわさんや、同じ艦橋勤務の初瀬はつせ一尉と一緒に二尉が写っていた。そして気になるのはその足元に猫達の姿があること。メールによると、やはり何処からか猫が集まってきてしまったらしい。本当に驚きのマタタビ体質。


「国境を越えても有効とは、二尉のマタタビ体質も凄いね……ここまでくると、猫寄せの電波でも出してるんじゃないかって疑いたくなるよ」


 スマホの画面をのぞき込んできたサンイにその写真を見せてやる。


「ほら。宗谷二尉ってばハワイでも猫ちゃんに囲まれてデレデレみたい。帰国したら罰としてしっかり遊んでもらわないとね」


 サンイは賛成と言いたげにニャーンと鳴いた。



+++



「美女がレイをかけてしなだれかかっている写真じゃないだけ、マシなんじゃないか?」


 次の日、その写真の話を曹長にした時に言われた言葉がこれだった。


「でもレイはかけてましたよ。しなだれかかっている美女は写ってませんでしたけどね」

「そりゃ歓迎セレモニーぐらいはあっただろうしな」


 写っていなくてもそれをかけてもらった時に熱烈歓迎のキスぐらいされたかも?と想像したら、ちょっとムカついて大人げない気分になってきた。あの写真にはキスされたような痕跡はあっただろうか? 帰宅したらチェックしてみよう。

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海自の心得、猫の毛とります! 鏡野ゆう @kagamino_you

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