永井晶子の憂鬱(おまけ)
――カランカランとドアを鳴らしてみれば、珍しいことにガスライトの狭い店内は、迷い込んできたお客さんたちで埋め尽くされていた。
いつもは寂しく佇んでいる順番待ちの椅子にも、若い女性たちがスマホを手に持ちながらおしゃべりしている。
【
画面にはこのガスライトの外観写真。
何事かと思い店の中を見渡すと、お嬢様衣装に可愛いエプロンを身に着けた伊吹が忙しそうに同じ料理を運んでいた。
この前、試食させられた『タコとワカメのペペロンチーノ』だ。
クトゥルフと戯れるワカメ怪獣伊吹を連想させるその料理は確かに美味しかった。
ため息をついて店から退散しようとすると、ガシャンガシャンとフライパンを振るっていた佑香さんが声をかけてくる。
「ちょっと、鈴森君」カウンターに肘をつき、顎をしゃくって耳を貸せと。
見知らぬお客さんの間に顔を割り込ませ「なんですか?」と訝しく尋ねると。
「あれ、どうにかしてくれない?」と耳元で囁いた。
その目線の先にはソファー席を一人で占拠し紅茶を楽しんでる永井さんの姿があった。
よく見れば他のお客さん達もチラ見しては信じられないという感じで笑っている。
「いっ嫌ですよ、僕も永井さんには恩があるし」本当は怖いだけ。
「何も追い出せって言ってるわけじゃないの、ねぇ~おねがい♪」佑香さんは困ってるのよ助けて鈴森君とオーラを放つ。
う~ん、大家さんに恩を売っておくのも悪くはないか……。
目を閉じ三秒ほど迷ったがこの結論に達した。
こうやって大人になっていくんだ、そうに違いないんだ。
そう自分に言い聞かせ、ソファー席へと向かう。
紅茶に陶酔しながら頬を赤めている永井さんはすんなりと僕を座らせてくれた。
このゴスロリもお一人様だと居心地が悪かったのだろうか?
「あら? 恭平様いつの間に」どうやらボーッとしていただけらしい。
「あっ、あの永井さんのお店って近くなんですよね?」
「えぇ」紅茶の香りを楽しんでいる。
「見せて欲しいなぁ~と思いまして」
「店前の公園の信号を歩道に入って二つ目の角を右折、行き止まりを左に」そして飲みだした。
「お店は開いてるんですか?」
「えぇ、もちろんですわ」そう言うと、脇に置いてあった図鑑のような大きい本をその小さな膝の上に置き、目を細めながら読み出す。
そりゃそうか、永井さんは普段からこの店の飾りのように定住している。
人でも雇わなければやっていけないだろう、しかしこの人の下で働くとかかなりのマゾだなその従業員。
作戦の変更が必要になった。
テーブルの上にはティーポットが置かれている。この中身が無くなれば席を立つだろうか?
「僕も貰っていいですか?」
本が下がりギロリと永井さんの鋭い眼光が向けられる。
【
「かまいませんわ」
その意外な返事に困惑しながらも伊吹を呼びつける。
「伊吹、ティーカップ」
「それと
案の定、速攻でしてやられた。僕には永井さんを出し抜くことなど不可能だ。
「はぁ~い」それに加え何も考えていない伊吹はすんなりと永井さんの追加注文を通す。
佑香さんの冷たい視線が僕の背中に突き刺さってくる。
仕方なく熱い紅茶を無理やり飲んでいると「いま店番してくださってるのは優奈様ですわよ」澄まし顔の永井さんがそう教えてくれた。
「えっ、そうなんですか?」
「店に行かれるんでしたら、ケーキでも持って行ってくださるかしら」
ここガスライトではお持ち帰りのケーキも販売している。
「わかりました。紅茶を飲んだらすぐに」
再び図鑑を読みだした永井さんから隠れつつ、僕はスマホのメッセージアプリで優奈さんに連絡を取る。
『永井さんを店に呼び出して』すぐさま返事が来た。
『どうして?』
『佑香さんからの頼み事』
『ガスライトのシュークリーム』
『了解』
永井さんの差し入れをシュークリームに変更してもらえば完璧だな。そんなことを考えていると、永井さんのスマホがチカチカと点滅し一緒に店を出ることとなった。
ミッションが成功した瞬間だった。僕は佑香さんへほくそ笑み、店をでた。
――永井さんに優奈さんと共にシュークリームをごちそうになった僕はガスライトへ意気揚々と戻ってきた。佑香さんに恩を売りつけようと。
カランカラン……
そこにはいつもの風景が広がっていた。いや、三島さんや永井さんもおらずバイト仕様の伊吹が定位置に座っているだけで普段より一層寂し気だった。
その伊吹だが『タコとワカメのペペロンチーノ』をフォークにクルクル巻いては遊びながら食べている。コンロ上のフライパンには大量に余ったペペロンチーノ。
「どうかしましたか?」
伊吹のペペロンチーノを一緒につついていた佑香さんは僕を見るなりげんなりとスマホを突き出してくる。
そこには『超かわいいコスプレイヤーがいる店発見!!! 東京都赤武市にあるガスライト、見に行くついでの注文は新メニューがお勧め!!!』
そして、顔にモザイクが入った永井さんの写真がベタッと張り付けられていた。
あの連中の目的は永井さんだったのだ。
そして、彼女が陶酔状態だったのは皆の注目を一身に浴びご満悦だったからだろうか? コスプレイヤーの素質ありますよ、永井さん。
佑香さんの深いため息と共に、ガスライトの外看板に店内での写真撮影お断りの注意書きが足されることとなった。 (了)
クトゥルフ神話 探索者たち 鈴森くんの邪神任侠 墨の凛 @TRPG
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