クトゥルフ神話 探索者たち 鈴森くんの邪神任侠
墨の凛
鈴森君の邪神任侠
――カランカランと早朝の澄んだ空気に心地よい鐘の音が響く。僕をいつもこころよく迎え入れてくれるレトロな英国風喫茶ガスライト。
店内を見渡せば伊吹が一人、入り口近くカウンターの指定席に座り大人しく何かを読んでいる。初秋らしいシックにキメこんだ服が
正気度? 嫌な予感しかしない僕は思わず苦笑いをしてしまう。
正気度って一般用語だったの? 違うよね? それ魔道書の類だよね?
と思考を巡らせていると、いつの間にかスプーンを咥えたままの伊吹が満面のドヤ顔でこちらを見つめていた。
「なにそれ、面白いの?」と僕が訊ねると。
「とてちゅもなく!」スプーンがカプカプしている。
関わりたくない! と心がそう叫んだので僕は無視を決め込み佑香さんからサラダと淡い香りが漂うコーンポタージュを受け取った。
――食事の最中に、店内にはいつものメンバーが揃った。ソファー席には永井さんが紅茶を、奥のカウンター席では三島さんがコーヒーを楽しんでいる。
新メンバーの優奈さんも伊吹の横へ座り、伊吹の一挙手一投足を注視している。優奈さんの中で伊吹はかなりの萌えキャラらしく、可愛くてしょうがないらしい。
そんな中、食事を終えた僕は厄介ごとに巻き込まれないようにと席を立った瞬間。文庫本を読んでいた伊吹が吠えた。
「事件ですっ!」ドンとカウンターを叩き店中に聞こえる様に。一般客がいなかったのが幸いだ。
大人三人は何事もなかったのように振る舞っているが、高校生チームはそうとはいかず……。
「どうしたの? 伊吹ちゃん」と優奈さんが聞いてしまった。
「ここを読んで欲しいの」と文庫本を見せだした。
その隙に僕は店を出て行こうとするのだが、二人に服の裾を掴まれる。
「この家、そのままになっている可能性があるのですょ」
「伊吹ちゃん、でもこれ小説だよね? 」
「この小説家さんは伝えたいことしか書かないのですょ」
「そうなんだ、どこにあるんだろ?」
「それも書いてあるのですょ、フフフ」
伊吹はそう言うと僕の方へ向き、不敵に笑いながらこう続けた。
「キョウちゃん、屋敷を燃やしに行くょ!」
――僕は何故か同級生の女子二人と共に、北海道は新千歳空港行きのジェット機の中。座席は中央列の三席に、伊吹、優奈さん、僕の順で座っている。なお、窓際の席は取れなかったらしい。
数時間前……伊吹が指示を出すと、すぐに佑香さんは深淵研究会札幌支部に連絡、永井さんは航空券を手配、三島さんは成田空港まで車で出して、今に至る。
車の中で「放火するだけだし高校生チームだけでなんとかなるだろ」と三島さんがいとも簡単に高校生へ犯罪行為を教唆したかと思えば「お土産は毛ガニな」と別れ際に言い放った。もう辞めたいです、深淵研究会。
「わたし、飛行機はじめて」と優奈さんが田舎娘のようなことを発言していると……
【
緊張が走る。この判定は神話的な何かがそばに居る時のものだ。
立ち上がり辺りをキョロキョロと見渡す。
『シートベルト着用サインが消えましてもお座席ではシートベルトをおしめ下さいますよう、またベルト着用サインが消えるまで座席から立ち上がりませんよう、皆さまのご協力をお願いいたします』
「鈴森くん、恥ずかしいよ」と田舎娘に注意される。だが……。
【
僕の右後ろ、窓際の二席に座っている人物に本能的に目が移る。
老骨なチベットスナギツネのように目が鋭く一見してカタギではないとわかる壮年の男性、三島さんとはまた違う……そう、人でさえ簡単に殺めそうな雰囲気を受ける。その横、窓側の席には寂しそうに外を眺める美人秘書のような女性が座っていた。
男性と目が合いそうになり急いで着席する。
「お客様、当機は間もなく離陸いたします」
いつの間にそばに来ていたキャビンアテンダントに注意されるのを、伊吹と優奈さんにからかわれた。だが、僕は男性と女性の事が気になって仕方ない。
【
「禮次郎、飛行機に乗るとあの時の事思い出すよね」
「クチナシ、それよりなにか妙な気配はしないか?」
「特に僕は感じないかな」……
「そうか、それにしても緑郎の奴よけいな事しやがって……」
そんな会話が流れる中、飛行機は滑走路で加速し一気に上空へ。
耳の中がツーンとし唾を飲み込んでいると『ポーン』と言う音と共にシートベルトランプが消えた。それと同時にあの男が僕の横まで来て、座席に手をついたと思うと。
「坊主。さっきこちらを確認していたが何か用か?」
男の視線は僕の所持品へと向けられる。
「いえ、なにも……」
「蚊とか持ち込んでねぇだろーな」
「はぁ?」
男は鼻で笑うと僕の肩を二度軽く叩きトイレへと向かった。
「鈴森くん、知り合い?」と優奈さんが訪ねてくるが、
「僕にはその筋の知り合いなんていないよ」と冷や汗を流し余裕ぶった笑顔で答えた。
キャビンアテンダントさんからジュースを受け取っていると、岩手県の三陸海岸沖を飛行中とのアナウンスが流れる。伊吹と優奈さんは専用のイヤホンをつけ機内限定で無料放送されている映画『斬魔機皇ケイオスハウル』に夢中になっていた。飛行時間を考えると最後まで見れないのに……と思いながらもそっとしておく。
僕の意識は右後ろの男女へと注がれる。一体何者なんだろうか?
【
こんなメッセージが流れたのはそんな時だった。
――その後、何事もなかったように新千歳空港に到着しジェット機から降りることになる、だが。
【
チーフパーサーと名札に書かれたキャビンアテンダントと何か話をしていたかと思えばこれだ。ドヤ顔の伊吹が鼻息荒くロビーへと駆けていく。
「航空機会社も粋な計らいのつもりなんだろうけど、どうかと思うよね」と優奈さんに同意を求めるも。
「うーん、実はわたしも見たかったりして……」と苦笑いされた。
『斬魔機皇ケイオスハウル』そんなに面白かったの? こんなことになるなら僕も見ておけばよかったよ。
到着ロビーのモニターに映画が流れ、その最前列の座席に高校女子が二人仲良くお座りしている。
「あっ、禮次郎。僕もこれ見ていくよ」と先ほどの秘書のような女性が甘えるような声で男性に声をかけると、あの男が車のカギをチラつかせ先に車を回しておくと言った素振りでロビーから出て行った。
三人の女子が仲良さそうに並び映画を見ている。
なにこれ、そんなに面白いの? 小説版ならここから読めるみたいだけど。
[https://kakuyomu.jp/works/4852201425154969266]
と映画は最初から見たいがために我慢し、スマホで小説版を読んでいると。
佑香さんからメセッージアプリで伝言が入った。
『札幌支部の人、空港で待っててくれって~』
すぐに返信を送る。
『札幌まで電車で行って、駅で待ち合わせじゃありませんでしたか?』
『何でも知り合いが空港に来てるらしくて、それが終わり次第会ってくれるって』
『わかりました』
行き違いにならずに済んだ、伊吹のわがままが功を奏したようだ。佑香さんにこちらに直接連絡して貰えるよう頼み、僕はテレビから遠く離れた場所で時間を潰した。
――空港内の宮輿屋珈琲という喫茶店に入る、僕らを見るなり手を上げてくれた女性がいた。
淡い桜色の振袖を纏いポニーテールを赤いリボンで結んだ、凛々しく無機質な透明感のある女性。
彼女に誘われ、席に着く。伊吹は馴れ馴れしく彼女の隣へと座った。
「こんにちわ、諸君。私は
「伊吹みのりですっ十六歳ですっ」「月森優奈です……十六歳です」
なにこれ年齢言うの? 「鈴森恭平、十六です」
「さて、北海道まで来てもらって悪いのだが観光でもしたら帰ってもらえないか?」
「帰るとは?」伊吹がほっぺたを膨らませたので代わりに聞く。
「駆け引きは嫌いだ。君たちが私の弟子の本を読んで、後始末に来てくれたことは承知している。だが、それをするべきは君たちではない」
伊吹がほっぺをさらに膨らませた。
「僕たち以外の方がやってくれるという事ですか? そこにいる伊吹によれば気づいた者が実行する。それが探索者のルールだと……」
「気づくも何も彼らは当事者だ、それに彼らはケジメをつけに行った。それを諸君らに邪魔されたくはない」
「僕としても別にやりたかったわけではないので助かります……」
とまた伊吹の方を見る、顔を真っ赤にしながら怒ったフグのようになっている。
喜膳さんとか言ったか、真っ直ぐ僕の方を見てくれているのが救いだ。伊吹の顔を見られれば呆れられただろう。
「ならば話は簡単だ。君たちはこの一件から手を引け、そうしたら私が観光案内位は買って出よう」
優奈さんを見れば断然、放火より観光という顔をしている。
説得するべきは伊吹だ。
「先ほど、弟子とおっしゃりましたが?」
「あの本を書いたのは私の弟子だ」
弟子……という事はこの人は師匠。
「喜膳さんも本を書かれるのですか?」
「もちろんだ」
伊吹の顔がパァーと明るくなるのにはそう時間はかからなかった。
交渉の末、観光案内と彼女の魔道書数冊で手打ちとなる。
――どことなく永井さんと並べて歩かせたくなる観光案内人に連れられ、札幌の街を満喫しホテルに宿泊。次の日の早朝の飛行機で東京へ帰ることとなった。
彼女は表情に乏しいが面倒見のいい人には違いなかった。
帰りの飛行機の中。なんだかスス臭くなった伊吹がドヤ顔でスマホを見ている。
「残念だったのに嬉しそうだな」そう声をかけると。
「またお友達が出来たんだょ!」とスマホの写真を見せてくれた。
夜の闇の中、ごうごうと燃え上がる屋敷を背景に伊吹と共に一人の女性が満面の笑みでピースサインを作っている。それは一緒に映画を見てはしゃいでいたあの僕っ娘だった。自撮り棒も使っておらず誰かに撮ってもらったようだ……あの男性か。いやいや、そんなことを冷静に分析してる場合じゃない。
伊吹にまた変な友人が増えてしまった。
というか、夜中に抜け出してどこ行ってたんだよ……いや、わかるけど。
僕は優奈さんと顔を見合わせ深く深くタメ息をつくのだった。
こうして僕たちの北海道旅行は終わりを告げた。
あっ毛ガニ忘れた。 (了)
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