第一話

いつもの朝

夜勤を終えたアレン・トワタセは発着場を後にした。

高度120メートルに設置された仕事場からひたすらに階段を下っていく。何度も何度も折返しながら、無限にも感じるその段数は――わざわざ数えた物好きによれば――720を数えるらしい。


たまにすれ違うのはアレン同様に飛竜艇にまつわる仕事に従事する者くらいで、昇降したがる物好きなどいない。毎日昇降していい加減慣れたが、たまにしか発着場を利用しない者にとっては修業同然だろう。


と、階段を駆け上がってくる足音が聞こえてきた。はじめは小さかった音も、どんどん騒々しくなっていく。アレンはまだ半分も降りていないから、中間の300段以上をこのペースで登ってきたのだとしたら大したものだ。

と感心していたが、足音の正体がとうとう目の前に姿を荒らすと、アレンは露骨に顔をしかめた。


「ミリエル、お前な」


少女だった。職業柄彼女の身体が鍛えられている事は知っているが、それにしたってその体躯はアレンより二回りも小さく、300の階段を駆け上がれるようには出来ていない。

種も仕掛けもあるのだ、それも分かりやすく。


彼女は全身に鎧の如き装甲を纏っていた。おかげで140センチ強の身長がアレンを見下ろす程にまで伸び、脚部に至っては健脚を示唆するように関節が増えていた。

装甲の胸元には、透き通った鉱石が青白い光を放っている。


「あ! おはよういい天気だけどアレン何でこんなとこいんのさ!」


アレンの横をすり抜け様、少女――ミリエル・イナカタが慌てた口調で問う。


「何でって、当直終わったし」

「え!? ってことは集荷終わっちゃった!?」


ミリエルが急停止して振り返る。その顔には絶望が色濃く、手には荷物を提げていた。

どうやら飛竜艇に送ってもらいたい荷物があったらしい。


「諦めろ」

「はあああああああああ」


盛大なため息をついて、ミリエルは転進してアレンと並んだ。

歩くたびに金属質な音を出す装甲に、アレンも嘆息する。


「お前、急いでたとはいえ融装はな」

「だって急いでたんだよう」


むくれるミリエルは胸元の光源に手をやり、一瞬、意識を集中させるように瞑目した。


「お疲れさん、ヘルッコ」


と彼女が一声かけたのを合図として、光源が膨れ上がる。装甲全体が光を放つまでに広がると、その光がミリエルを離れ、やがて人型を形成した。

光の中から現れたのは、小さな角を戴き赤い瞳を持つ竜族の少年だった。華奢でおとなしそうな、小動物を彷彿とさせる彼は、ばつが悪そうにアレンの顔を窺っていた。


「どうも、アレンさん」

「ヘルッコ。無理にこいつの我儘に付き合わなくていいんだぞ?」

「いえそれが、一生のお願いと言われたもので……」


もじもじと人差し指を突き合わせて苦笑する少年――ヘルッコは、その人の良さと押しの弱さから頻繁にミリエルの無茶を聞かされていた。


「何度人生をやり直しとるんだお前は」


半眼を向ける先、ミリエルはシャツにオーバーオールという普段着に戻っていた。ポニーテールを右に左に揺らしながら、健康的な小麦肌をむくれさせている。


「違うんだよ」

「違うのか」

「朝の便が早過ぎるのが間違いだと思うんだよ」

「間違ってるのはお前の認識だ。飛竜艇は夜までに集荷して朝に飛ぶんだよ」


それに、とアレンは階段の手すりから身を乗り出し、地上広場の日時計に目を向ける。


「早朝と呼ぶにも遅い時間だしな」


時刻は十時。飛竜艇は半刻も前に出立していた。村の誰もが仕事を始めている時間だ。


「……お前、仕事は?」


ミリエルは悪事を企むような含み笑いで答えた。


「ふふふ。明日の飛竜祭の準備で親方が出かけててさ、自由が利くのだよ」

「のだよ、じゃねえ言いつけるぞ」

「私を殺す気!?」

「日常に命賭け過ぎだろ」


ミリエルは精錬技師の仕事についていた。


ここエンデ村はバーツ鉱山の中腹にあり、鉱石の採掘を主な産業としていた。鉱石に関わる職業に就く者も多い。中でもドミライト鉱石は価値が高く、それを加熱、精錬によって純粋な結晶に近づけていくのが彼女の仕事だった。

彼女の髪を束ねている髪留めにも、その鉱石が象眼されている。

並んで歩くヘルッコも同じ職場で、ミリエルの弟分だ。


「とにかく融装は控えろ。ヘルッコが不憫だし、いざって時に困るぞ」


力を喪失した竜族だが、彼らは限定的にその片鱗を再現する事が出来た。

それが融装――端的に言えば竜と融合する技術だ。竜は装甲へと姿を変え、それを纏った人間がその力を借用する。

大きな力を発揮するこの技術だが、しかし連続使用は出来ない。一度融装を行った竜は、数日の休息を挟まなければならないのだ。

つまり、ミリエルの行動は軽率だったと言える。


「いざって時ねえ。こんな田舎にどんな時が訪れるやらだよ」

「分からん。だが起こるとしたら前触れもなく、突然にだ」


アレンは何気なく返答したつもりだったから、ミリエルが僅かに憂慮する表情を見せたことに気付かなかった。

ミリエルはこほんと咳払いする。


「そういえば、昨日の夜誰かを助けたんだって?」

「サボってるくせにそういう情報は早いな」

「サボってるから早いんじゃん」


成程、とアレンは呻く。妙に説得力があって納得してしまった。


「外部の人?」

「ああ。詳しくは分からんから、様子を見に行くところだ」

「ほほう、私も行こうかな」

「仕事しろ」

「えー」


尚も言い募るミリエルだったが、ヘルッコに連行するよう聞かせて職場に戻らせた。


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