竜の常

外に出るなり、アレンはやじ馬の群れに辟易した。アレンの背にバシリウスを視認するなり、彼らは一層ざわめいた。バシリウスが軍服を着用しているのも、無垢な村人にとっては興味の的でしかない。

客人の正体を憶測する声が増していく。どう諫めようかと考えていると、意外にも助け船を出したのはバシリウスだった。

彼は一歩を前に出て、細い目でじろりとやじ馬を睥睨した。


「私はバシリウス・ローマン。カーンバーグ王国より特使として派遣された軍人です。国の密命により、このエンデ村を視察させていただく事になりました」


つまり、とバシリウスは敢えて間を取り、声を潜める。


「私の道を塞ぐ行為は、カーンバーグへの敵対行為に等しいのだとご理解いただきたい」


冷たい殺気を伴う声に、背後にいたアレンさえ身を震わせた。

やじ馬は強張った表情で、誰からともなく後退し、道を開けた。人波を割ってできた道を、バシリウスは悠然と歩いていく。両脇で慄然としている村人達には目もくれない。

やじ馬を抜けたところで、バシリウスはアレンを振り返った。


「何を呆としているのです。後ろにいて案内役が務まるのですか?」


我に返ったアレンは慌てて彼に並んだ。


「……すまん」

「構いません。寧ろ優秀でしょう」

「優秀?」

「私の殺気に充てられ、もう落ち着きを取り戻している。ただの田舎者とは思えませんね」


勘繰りを入れるバシリウスの視線から逃げるように、アレンは大きく息をついた。


「間違いないさ。俺は世間知らずの田舎者だ」


その言葉が自虐なのか韜晦なのか、判断がつかなかったのだろう。バシリウスは小さく頷いて、霞のように殺気を霧散させた。


「そういう事にしておきますか。さて、楽しい道行きとしましょう」


転じて、穏やかな横顔で歩き出すバシリウス。

垣間見た殺気で、彼が軍人――殺人を職業としている事を、否が応にも思い知らされた。落ち着いていると彼はアレンを評したが、その実、粟だった肌はしばらく戻らないでいた。

中心部へ行くほど、村は賑わっていた。露店の準備を進める者もいれば、村の至るところに装飾を施す者も見受けられる。


「随分と賑わっているのですね」


バシリウスが訝しげに周囲に目を向けていた。


「明日は飛竜祭だからな」

「飛竜祭?」

「年に一度の祭りでな。そもそもは竜を祀る神事だったそうだが、いまではすっかり騒ぐ口実になってる。屋台も出るが、目玉は飛竜艇によるレースだな」

「祀る? 竜を?」


バシリウスは苦笑しながら問いを重ねた。


「ああ。この村では竜と人とが共存してるんだ」

「冗談も言えるのですね。もっとお堅い方かと」

「マジだからな」


それだけ言っても、バシリウスは眉根を寄せるばかりだった。揶揄しているのではない、本当に理解できないのだ。

しばらく懊悩していた彼が、やがて得心したように指を鳴らして言う事には、


「ああそういえば、愛着を持った道具に神が宿るという宗教観を、確かに聞いた事があります。いや、実際に目の当たりにすると面食らうものですね」


深い文化の隔たりに、アレンは嘆息した。


「違う」

「違う?」

「ここでは人と竜とが平等なんだ。優劣はないし、まして彼らを道具扱いするなんてのは、もってのほかだ」


意表を突かれたバシリウスはその場でぴたりと立ち止まった。不可解なものを見るように目を丸くして、じっとアレンを見据える。

アレンもまた、真っ直ぐに視線を返す。その瞳に嘘偽りがない事を、軍人はようやく理解する。彼は大きな手で顔を覆い、一歩を前に出る。手指の隙間から村を見る目が何を宿したのか、アレンに知る術はない。


「素晴らしい……」

「――何だって?」


恍惚とした口調で漏れ出た言葉は、アレンにとって予想だにしないものだった。

呆気に取られ、思わず我が耳を疑う。まさか彼が理解を示してくれるとは。

しかし次の瞬間、その思考の甘さを、バシリウスは嘲笑でもって知らしめた。


「く、くひひ、少尉に遠征を命じられた際には反発もしたものですが、成程、たまには遠出をしてみるものだ……。世界というのは本当に、本当に広いのですね。そのような思想が根付く集落が存在するとは。まるで夢幻、否、悪夢でも見ているかのようですよ。人と竜とが、平等? 実にくだらない」


言下に吐き捨てるバシリウスの表情はもはや、完全にアレンを、ひいてはエンデ村を揶揄していた。


「感謝しましょうアレン・トワタセ。最高の笑い話ですよ」


気づいた時には、アレンはバシリウスの胸ぐらを掴んでいた。指先が白くなる程強く拳を握り、眼光鋭く異邦人を睨み付ける。


「そのツラ笑えなくしてやろうか……ッ!」


アレンの怒気を真っ向から受けるバシリウスはしかし、動揺を億尾にも出さない。


「殴ってみますか? 外交問題の引き金を引きたいのなら、どうぞ」

「この……ッ!」


アレンは勢いに任せて拳を振りかぶる。だが、寸でのところで理性が打ち勝った。激情に震えていた拳を収め、舌打ちしながら胸ぐらを解放する。

往来の視線も痛い。これ以上騒ぎを大きくしたら、飛竜祭にも影響が出かねない。


「やれやれ」


バシリウスは嘆息しながら襟元を正した。


「歪な方ですね。一見冷静に見えて内心に燻らせた情熱が垣間見える。生き急いで大人の面を被っているようだ」

「……」


返す言葉を持たず、アレンは黙して歩を進めた。

一歩後ろをついてくるバシリウスに、アレンは振り向かないまま訊ねる。


「アンタ、竜に乗るんだろう」

「ええ」

「どんな気分だ」

「移動及び戦闘手段――それ以上でも以下でもありませんとも」


バシリウスは肩をすくめた。


「いいですかアレン。常識的に竜は奴隷。異常なのは貴方がたの方なのですよ」

「……分かってるさ」

「やれやれ」


村のいくつかの拠点で案内を済ませながら、アレンは目的地へバシリウスを導いた。そこは村で最大の精錬所であり、特にドミライト鉱石の加工を専門としていた。

扉を潜り、アレンは精錬所の責任者を呼び立てる。


「ミリエル、いるか?」


と、奥からミリエルが顔を出した。ぴょこぴょことポニーテールを揺らしながら、アレンを迎える足取りは軽やかだ。


「ほいほい、職場に顔出すなんて珍しいねアレン」


肩にかけたタオルで汗を拭いながら、ミリエルは笑みを浮かべた。小麦色の肌には汗が浮いていた。高温加熱によって鉱石を加工するため、精錬所内は酷く熱い。

アレンは背後のバシリウスを示しながら簡潔に告げた。


「彼はバシリウス・ローマン。昨日飛竜艇で助けたカーンバーグの軍人だ」

「え、へえー貴方が? 助かって何よりでしたね」


ミリエルが好奇の眼を向ける先、バシリウスは苦笑する。


「ええ、情けない話です。アレンさんに発見されたのはまさに僥倖でした」

「アレンは目が良いからねー。船頭時代の杵柄ってやつだよ」

「ほう、アレンさんも竜に?」

「引退しちゃったけどね、すっごい優秀だったんだから。だって――」

「ミリエル」


昔話に花を咲かせようとする彼女を言下に窘める。ミリエルは特に悪びれる様子もなく、それどころか話の腰を折るなとばかりに頬を膨らませた。


「いいじゃんかよー」

「そんな事のために彼を案内してるんじゃない」

「まあそれは、そうだろうけどさ。それで軍人さんがうちに用事?」


切り替えの早さは彼女の美点の一つだ。本題に戻ってきたことに安堵しながら、アレンは改めてバシリウスを紹介した。


「エンデ村で精錬されるドミライト鉱石に関心を持たれていてな。ミリエルの精錬所を案内してもらいたいんだよ」

「ふーん」


値踏みするような視線。彼女に異人であるバシリウスを恐れている様子はなかった。眇められた目は、無知を窘める職人のそれだ。


「まあ意味はないと思うけどね、別にいいよ。隠すもんでもないし」


そう請け負うと、ミリエルは踵を返してバシリウスを手招きした。客人を奥へと促しながら、対して、アレンには離れるようにと手を振った。

露払いを示す動作に、アレンは眉を顰める。


「何だよ」

「うち狭いの知ってるでしょ。後は任されたから先帰りなよ。夜勤明けでしょ?」


厄介者を見るような目で、その実アレンを気遣っての発言だった。猫のように奔放なミリエルだが、面倒見と察しの良さはアレンも幼少の頃から知るところだ。

浅く頷きながら、アレンは一歩を引いた。


「すまん」


小さく言い置いて、アレンはその場を後にする。

バシリウスの物言いたげな視線をミリエルの肩越しに感づきながらも、あえて触れようとしない。彼もまた、アレンを呼び止めはしなかった。

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竜装戦記 【セント】ral_island @central_island

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