竜の少女

発着台を降り、ミリエルとも別れ、アレンは家路とは反対方向へと足を向けた。

昨夜救出した者達の様子を確認しておこうと思った。彼らの容体次第では、飛竜艇で大きな街へ搬送しなければならない。

飛竜艇を管理する一員として、状況を把握する必要があった。


「面倒な事になっていないといいが――ん?」


山間に構えた村は坂道が多く、見通しが悪い。だからその光景が視界に入ってきたのも唐突だった。

道を外れた岩陰に、子供の影を見つけた。目を眇めて注視すると、複数人で何かを話し合っているようだった。何があるわけでもない岩場で何をコソコソと……。

飛竜祭前で皆浮き足立っているし、心配の種は早めに摘み取っておくに限る――アレンは足音を忍ばせて子供たちの輪に近づいていった。

子供達は輪になって何かを囲み、何かを見下ろしているようだった。


「また悪巧みでもしてるのか?」


声をかけると、よく見知った近所の男児が振り返った。


「あ、アレン兄ちゃんだ」


一人が気付くと、他の皆も一斉にこちらを向く。


「悪巧みなんてしてないよ、僕ら正義だから」「それより困ってたんだよね」「この子どうしようかって」「下手に動かすのも怖いし」「どう思う?」


口々に彼らが言うのを鑑みるに、何か生き物でも見つけたのだろう。野生の動物が怪我をしているのを発見して困っている、といったところだろうか。


「どれ、見せてみろ――って」


子供達の輪に割って入って覗き込んだアレンは、思わず絶句した。

それは大きな括りで言えば動物に違いないが、人だったのだ。

フードつきの外套を目深に被っていて判然としないが、女のようだ。年の頃は十代後半、華奢な体躯を横たえている。穏やかな寝顔や規則的に胸が上下しているのを見るに、危険な状態ではなさそうだ。


「アレン兄ちゃん目がやらしい」

「やかましい」


茶化してくる子供の頭を小突きながら、アレンはどうしたものかと考える。とりあえずエンデ村の者ではなさそうだが――。


「お前ら、これを見つけたのはいつ頃だ?」

「そんなに時間経ってないよ。五分くらい?」


子供達が口々に頷く。大人を呼ぼうとしていたところにアレンが声をかけたという事らしい。間が良いのか悪いのか、複雑な胸中だ。

何人かに他の大人を呼んでくるよう頼んで、アレンは少女の横に膝をついた。


「おいあんた、大丈夫か?」


声をかけながら少女の鎖骨のあたりを軽く叩く。鎖骨への振動は身体に響きやすく、意識の有無を確認するには有効とされる。

と、少女は眉根を寄せ、口を僅かに動かした。何かを伝えようとしているのか。周囲の子供達がおおっと歓声を上げるのを窘め、アレンは耳をそばだてた。


「何だ? どこか痛むのか?」

「……な」

「な?」

「おな、か……」

「腹が痛むのか?」

「すいた……」

「……」


アレンは憮然とした表情を浮かべた。空腹で行き倒れたということか。

顔を上げ、子供達に視線で何か持っていないかと問う。皆一様に首を横に振る。仕方なく、アレンは腰に提げた鞄から薄い乾パンを取り出した。

夜食用にと職場に持っていったはいいが、あまりにも味気なくて食べきれずにいたものだ。


「こんなもので悪いが――」


言い終えるより早く、手中の乾パンは瞬時に消え失せていた。


「なっ」


唖然とした音が口をついて出る。

起き上がった少女が、アレンの乾パンを一瞬にしてひったくっていた。愛おしそうに両手に抱いた乾パンを夢中で頬張っている。あまりの早業に呆れるとともに、目を瞠る。

アレンが驚いたのはそればかりではない。


「あんた、竜族だったのか」


起き上がった際にフードが風に躍り、彼女の頭部――小さな角が露わになっていた。

アレンの指摘に少女はびくりと身を強張らせて、喉を詰まらせた。


「げ、げほ、こほっ」

「何してんだ……」


しばらく背中を叩いてやった。落ち着きを取り戻すと、彼女はフードを目深に被り直した。フードの影からこちらを覗く赤い瞳には、警戒の色が濃い。

アレンは肩をすくめる。


「心配するな。ここはエンデ村といってな、人間と竜とが平等に暮らしている村だ」

「……」


少女は警戒を解かない。それもそうかと内心で嘆息する。安心させるような穏やかな笑みでも浮かべられれば良いものを、生憎とこの数年、表情筋は鍛えられていなかった。

代わりに、子供達に視線を転じて同意を求める。


「だよな?」

「うん! びょうどうって何?」

「何で頷いたんだよ……」


呻いて、言葉を中空に探す。


「平たく言えば、竜と人間は友達だよな、ってことだ」

「はあ? 当たり前じゃん何言ってんの」

「見下すような視線をやめい」


アレンは子供達を小突いて、少女に視線を戻した。


「そういうことだ。竜と人とは平等。この村ではそれが常識なんだ」

「……そう」


子供達の素直な反応に、彼女もひとまずは納得したようだった。俄かに信じられないのも無理はない。竜は人に使役される奴隷、それこそが世間一般的な見解だ。

彼女は身じろぎして居住まいを正すと、そっとフードを脱いだ。短い角と赤い瞳が白日の下に晒される。彼女の相貌に、アレンは内心、静かに息を呑んだ。

陽光を反射して煌く銀髪は、肩を隠す程度の長さに切り揃えられている。華奢な双肩からは白くたおやかな腕が伸び、指先は細くほんのりと朱を帯びている。

白磁のような肌に端正な顔立ち。まるで精巧に造られた人形のようで、少女らしいあどけなさと、女性らしい魅力を静謐と両立させていた。

但し、口元についた乾パンの食べかすが全てを台無しにしていたが。

あまり表情らしい表情を見せない彼女は、窺うような上目遣いでぽそりと呟いた。


「ありがとう、ミシラーヌ・オカタ」

「誰だそれは」


本気か冗談か計りかねる真顔だった。


「アレン・トワタセだ」


少女は口元に指を当て、アレンの名をしばし口の中で転がすようにしてから言い直した。


「ありがとう。アレン・トワタセ」

「いや、悪かったな。ろくなもん食わせられなくて」

「超美味しかった」

「……それは何よりだ」


彼女の独特な言動には、どうも調子が狂う。


「旅の者か」

「………………そう」

「そうか」


嘘だろうな――アレンは胸中で呟く。

旅装束にしては身なりが良い。上質な衣服には装飾の類が見受けられ、竜にあてがわれる事は珍しい代物だ。にもかかわらず大切にしている様子はなく、随所に道行きでの汚れが目立つ。それも最近ついたものだろう。

恐らく彼女は売り物で、奴隷商人から逃げてきたといったところか。

とはいえ、それを看破するほど無粋ではない。


「しばらくここで旅の疲れを癒すといい。少なくともこの村では、あんたが不当に虐げられることはないはずだ」

「お金、ない……」

「服を売ればいい。それだけの上物だ、代わりの服を買っても釣銭で一週間は過ごせる」

「たくましい生活力」

「それは褒めてるのか?」


少女は小さく何度も頷いた。


「ありがとう。アレン・トワタセ」

「そこまで礼を言われるのもな。さて、俺はそろそろ――」


アレンは苦笑して立ち上がる。大事はないようだし、じきに子供達が大人を呼んでくる。後は任せても大丈夫だろう。

目的地へ足を向けたところでふと思い出したように、アレンは少女を振り返った。


「そういえばあんた、名前は?」

「――エルマ・ハルメトヤ」


彼女の小さな口から紡がれた名前に、アレンは、


「……ッ」


全身を強張らせて戦慄した。

ハルメトヤ――その名前に、否が応にも胸中がざわついた。疼痛を諫めるように胸を押さえる。頬には汗が伝う。忘れられるはずもない過去が汚泥の奔流のように思考を埋め尽くし、アレンを苛む。

周囲の子供達も驚きを隠せないようだった。最も、アレンの得たそれとは異なり、歓声に近いものだったが。


「ウル姉と一緒だ」「一緒の名前だ」「すごい偶然」「ウル姉そろそろ帰ってこないかなー」「そしたら兄ちゃんも嬉しいよね」「また一緒に飛べるもんね」


子供達がアレンの方を一斉に振り向く。


「ウル姉と一緒、すごいね!」


無邪気な視線が心中に突き刺さる。

彼らに余計な心配をさせてはならない。アレンは努めて平静に答えた。


「ハルメトヤの姓は少ないからな。驚いたよ」


目を丸くし、ひきつった顔を見て、エルマは何かを察したのだろう。アレンを真っ直ぐに見上げて、彼の背中に何かを探すような視線を向けてきた。


「竜の羽をなくしたの?」

「――っ!」


歯噛みして、一歩をたじろぐ。見透かすような視線から逃げるようにして、アレンは今度こそ踵を返した。


「悪いな、用事を残してるんだった」


ちょうど子供達が大人を連れてきたところだった。すれ違いざま彼らにエルマを託して、アレンは足早にその場を去った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る