運命の出逢いは毒の味。

 少年は世界を憎んでいた。本当は「世界」なんて大それたものの仕組みや何を憎んでいるかなんて少しも分かりはしなかったが、それでも彼は思っていた。俺は世界を憎んでいるのだと。


「お前に何が出来る」


 父親は少年を嘲笑った。


「お前が女の子だったら良かったのに」


 母親は少年の存在を嘆いた。


「お兄。私はあなたが嫌いです」


 妹は少年のことを恨んでいた。


「俺には……、俺にはどうしようもなかったよ……! どうすれば良かったと言うんだ、教えてくれよ……!! なぁ!?」


 少年は、世界を、憎む。自分を受け入れてくれない世界かぞくを。そして彼の家族をそんな風にしたのは、どう考えても『国』だった。この『毒ノ国』が彼の家族せかいを壊したのだ。だから恨む。憎む。当然の結論でしかないはずだった。少年は世界を、家族を、捨てようとした。捨てられたのを認めるのは恐ろしかった。自分から捨ててやったのだという証が欲しくて堪らなかったのだ。

 物資を各国へ運んで金を稼ぎ、襲い来る魔物を駆逐し、何処の国にも所属せずに自分達の力のみで生きている旅団がこの世には幾つか存在する。選ばれし強き者達。険しい山々を越えられない一般人の命を支える命の味方。その姿が閉ざされた国の少年少女の憧れにならない訳がなく、勿論彼もその一人だった。あの一員に入れたら、この国を、家族を、捨てた証になるのではないだろうか。そう考えた少年は、月に二度やってくる顔馴染みの旅団の到着を今か今かと待ち侘びていた。戦えるようになる為の訓練と称し、だが武器は手に入れられないので、森の中の枝を束にして素振りを繰り返した。少しでも変われると少年は思っていたし、信じていた。だが現実は甘くはなかった。

 結果から言えば、少年の企みと決心は踏み躙られ、失敗に終わったのだ。


「お前が? オレ達の一員に?」

「おい止せよ、ケガレタチの国出身だからって苛めちゃ可哀想だろうが」

「見ろよ、このヒョロヒョロした体。こんなんじゃ例えオレ達の仲間になれたとしても、すぐに魔物共に切り刻まれて終わりだろうよ!」

「なんだなんだその目は。いっちょまえに、憎しみなんてもんを燃やしてやがるな」

「これだからガキは嫌なんだよ。団長、どうにかしてくれよ、黙ってないでさぁ」


 歯を食い縛り、拳を握り締め、せめてもの抵抗に団員達を睨み付けるしか出来ない少年の前に、物腰の柔らかそうな優男が屈み、慰めるような申し訳なさそうな表情で呟く。

「すまない。我々の掟で国外の者を連れていくことは出来ないんだ。それは決して君を拒絶し貶すものではなく、君を守る為の掟だ。分かってくれるね、君。どうか奴等のことは許してやって欲しい。思考も言動も少々荒いんだ。まぁそうでもないとこの山々を越えて国を渡り歩くことなんて出来やしないのだが」

 どんなに綺麗事を言ったって結局あなたも同じじゃないか。少年はその言葉を飲み込んで屈強な男達の足元をただただ睨む。

「もういいかな、少年よ。我々は忙しいんだ」

 誰よりもにこやかな団長と呼ばれる男は胡散臭い笑顔で彼にそう言った。この男を一発殴ってやりたい気持ちになったが少年は、ぐっと堪え「失礼します」と震える声で男達に頭を下げて背中を向けた。が、その途端、そこに下卑た笑い声が刺さる。悔しい。少年の心は震えた。自分の力なさに、自分の未熟さに、恐怖すら抱いた。そして、世界はやはり自分を裏切っているのだと、自分もやはり世界を捨てなければならないのだという強い思いが、心の底で憎悪の炎として巻き起こるのを感じていた。


 くそ、クソ、クソッ、クソッ!!

 何もかもが上手くいかない。馬鹿にされているみたいに。嘲笑われているみたいに。いつからこうだった? 少年は思う。ずっとだ。人生が始まった時からずっとずっとこうだ。お前に何が出来る? 父親の言葉が頭の奥底で響き続けて、もう何年になるだろう。何だって出来る、やってやるよ! と言ってやれたらどんなに心が軽くなるだろう。だが現実は厳しい。自分は無力だと少年は身を以て知っていた。同時に父親は自分より遥かに強く大きく、権力だって持っている。適わない。今は、まだ。いつか。きっと。いや、ただ一度でいいのだ。彼は父親を凌駕する時を夢見て、だがしかしそれが来ないことも本能的に悟っている。誰が悪い? 何が悪い? 果たしてそれは自分のせいだろうか。少年は思考する。この国自体が今良くないのだ。人も良く死ぬし、その癖年々貧しさが目立ってきている。特にこの数年は最悪だ。毒の輸出が減り、必要不可欠な物や食糧の輸入が減った。物価は上がり様々ないざこざも増えた。そうなったのは誰のせいだ。あの『出来損ない』のせいだと国中の誰もが噂をしている。そうだ。思い返せば母のことも妹のことも国が悪くて、国が悪いのは『出来損ない』のせい。そうか。そうだったのか。うじうじと悩んでいたのが馬鹿らしく思えるほど、目から鱗が落ちる結論に彼は辿り着く。それが真実かどうかは関係がない。彼の中で正しければ何ら問題はない。


 『出来損ない』を殺してやろう。

 そうすれば新たな『姫』が立つだろう。


 『姫』に触れることは例え国民でも愚かな行為でしかない。民の致死量を軽く超越するほどの毒を、姫は体内に有しているのだから。妨げられたら、しぬ。姫に触れたら、死ぬ。触れるか触れないかのギリギリを狙ったとして、成功する確率はどれほどだろう。姫はいつも森の奥深くに匿われている。警備だって厳重だろう。大体生命ノ樹への道は迷い道だ。姫以外の者は近付けない。どうする? 一か八かに賭けるか? 彼は思考の中で諦めの気持ちに気付いてしまう。別に自分が死んだって悲しむ者はいないのだ。ならば刺し違える勢いで思い切ってやってみようじゃないか。そこまで思い切れば少年の心は羽根を得たように軽くなり、それに自分で気付いてひっそりと恥じ入る様はまだあどけなく、だからこそ彼の境遇の悲惨さも際立つのであった。

 少年は意気揚々と歩き出す。先程までの涙は忘れ、新たな目標が復讐と八つ当たりで彩られていることなんて見ない振りで。無知とは恐ろしい、だからこそ、強い。


***


 ひっく、ひっく、と声が響く。か細く、けれども断続的な泣き声。少年は不思議で甘やかな感情を持て余す。これは誰の声だろう。俺はこの声の持ち主を欲している気がする、と思い彼は立ち止まった。こちらが哀れまずにいられないような熱を孕んだ啜り泣きに誘われて、彼は森の奥深くへと進んでいく。当初の目的を忘れたことには気も留めず。

 入り組んだ森の中、案の定迷った少年は半分泣きながら、枝に引っかかったり草で切れたりして汚れて傷だらけの自分の体を見下ろした。その辺の女の子より華奢な体付き、森に入る前からボロボロになっていた丈の短くなったままのパンツから覗く痩けた足、毒のせいなのか節々ばかりが目立つささくればかりの貧相な指と皺ばかりの掌。嫌になるな、と彼は思う。自分のこの体や手足じゃ確かに何も守れはしないだろう、と。

「あーもーっ、なんなんだよ、この森は!」

 何もかも嫌になって持っていた短剣を抜き、生い茂る草木を根絶やしにしてやろうと思い立った彼は、けれどもやはりその生来の優しさに阻まれ、躊躇する。そんな自分を嫌悪する。

「……くっそ、また、俺は……!」

 足元に項垂れ両手を付く。こんなことでは『出来損ない』を殺すことなんて、俺に出来る訳が、ない。忘れるな、燃やせ、憎しみを、闘志を、自己を、他者を、嫌悪する心を。


「だれ?」


 そう意気込んだばかりだというのに、あの甘い感情が再び彼を支配しようとしていた。柔らかく、弱々しい、目の前に現れた優しげな少女の声によって。

「あなた、どうしたの、怪我をしているの?」

「いや、俺は、その、」

 『出来損ない』を探して殺すんです、とは言えなかった。目の前の少女はあまりにも心細そうだったから。

「君、こそ、こんなところで何を」

「えっと、その、うーん、……迷った? ははは」

「そ、そうだよな、この森、入り組んでるし」

「そ、そうなんだよぉ、なんか同じ木ばっかりだし」

「迷子仲間、ってこと、かな」

「迷子仲間、だねぇ」

 ははは、と乾いた笑いが響き合う。なんとも微妙な空気だが、少女は本当に自分と同じ迷子の仲間だと信じてくれたようだ。少年は土や草を払って立ち上がる。少女と背丈はそんなに変わらないようだった。

「出口、分かるか」

「うーん、多分こっち、かな」

「……それ本当?」

「……まぁ今更迷ったって、もう別に良くない?」

 良くはない、けど、悪くはない、と思ってしまったことが、何だか妙に恥ずかしくて。少年は黙って付いて歩く。

「あの、それ、しまってくれる……?」

 少女は木を避け草を掻き分け歩きながら、少年の手元の短剣に視線を向ける。

「あ、ああ。ごめん」

 カチン、と小さな音を立てて、短剣は鞘に収まる。それに安心したように少女は目に分かる勢いで息を吐き出した。

「その、怖かった、よな」

「え、いや、ううん、そうじゃなく、て」

 さらり、とすぐ隣にあった木の幹を指先で撫でる少女。お世辞にも立派とは言い難いほど、痩せている。ただ鬱蒼と茂るだけの邪魔者だと、少年は感じていたのだが、少女にとっては違うようだ。

「この子達、がね、怖がってしまうから。傷付けられることも、傷付けることも、怖いって知っているの。優しいの。自分達に敵意がなくたって人間を傷付けてしまうことを分かっているこの子達はね、人間が自分達を傷付けようとするつもりがなくても、傷付けてこようとすることを、許容してしまうから。だから、せめて私は、寄り添ってあげたいな、って。怖いものを遠ざけてあげたいなって。いつも思っているの」

 ……少年は、自分が存在が卑しく思えて仕方がなかった。なんだ、この純粋な者は。眩しくて堪らない。こんな役立たずの木々にすら心を砕くような、そんな彼女が羨ましく、そして妬ましく、そんな揺れ動く感情の自分が恐ろしかった。この少女に出逢わなければ、自分は何処までも愚かなことをしていたのかもしれない。『出来損ない』への逆恨みが今、とてつもなく恥ずかしかった。

「……お前、すごいな」

「へっ?」

「いや、ほんと凄いよ。俺、そんなこと思ったこともない。いつだって自分のことでいっぱいいっぱいでさ、今だってそうだ。俺は、俺は……!」

 胸がいっぱいになって、言葉が続かない。せめて、感謝の気持ちを、かつて、妹にしてやったように、頭を優しくそっと撫でて、伝えられたら。

 手を、伸ばす。まだ、間に合うのなら。綺麗なものに触れても許されるのなら。

 そんな想いが腕を持ち上げ、指を伸ばす。が。


「や、やめて……!!」


 それは呆気なく拒絶される。届く前に、撃ち落とされる。少女の叫びに誘われるように、突風が駆け抜けた。

「カルミア! 何処? カルミア!!」

「チノネ……!!」

 何が、起こっている? 少年は呆然と立ち尽くすだけ。何処からともなく現れた白の少女は、まっさらな布を翻し、崩れ落ちた少女を守るように包み込む。そしてきつくきつく少年を睨み付け、叫んだ。

「あなた何者? あの男の刺客か何かなの!? カルミアには……、姫には指一本触れさせないわ!!」


 白の少女の発言に頭が真っ白になる。姫? この愛らしい少女が? 俺が憎んでいた『出来損ない』?

 少女は人を殺してしまうかもしれなかった瞬間を、更に殺してしまった命を思い出し震え、少年は芽生え始めたばかりの愛を見失う。

 白の少女は感じていた。運命の歯車が重なり合い、動き始めてしまったことを。

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毒に塗れた嘘吐きの。 空唄 結。 @kara_uta_musubi

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