第3話 この広島の片隅で、反核映画がはじまった『原爆の子』(1952年、新藤兼人監督)

 小太りの友人が玄関扉をあけ、アパートの居室に二人をさそいいれる。

 映画を再生する準備ができるまで、二人は桜餅や葉形の饅頭、氷を浮かべた麦茶をならべ、これから観る映画について語りあった。

「今回はタイトルだけでテーマがわかるけど、前回みたいに内容は意外だったりするのかな」

 広島銘菓の饅頭をつかみあげて、痩せた友人が記憶をさぐる。

「『原爆の子』(1952年、新藤兼人監督)なあ。さっきパッケージの説明文を読んだかぎりじゃ、想像したとおりのヒロシマ映画っぽかったな」

 終戦直後の広島を舞台とした古いモノクロの映画らしく、いかにも教育的な真面目な雰囲気がある。二人の好みとはだいぶん違っている。

「原爆を題材にした映画もいろいろあるけど……テーマが重すぎて悲惨さが前に出ちゃうか、背景のひとつにとどめて重さをさけるか、どっちかになりがちだよね。漫画ならば僕も好きな作品がいくつかあるけど、それを映画化すると原作の良さをイマイチいかしきれないことが多くて……」


 監督についても、名前だけなら二人も聞いたことはあったが、作品を見たのは痩せた友人が一作だけ。

「たしか『一枚のハガキ』(2011年、新藤兼人監督)といったっけか、監督が死去した追悼かなんかでTVに流れていたのを見た記憶がある。たしか90歳超の日本最高齢で監督した記録なんだとよ」

「どんな内容かな? タイトルだと古い時代の、地味な田舎の映画みたいに感じるけど」

「当たらずとも遠からずだな。テーマは今回に観るやつと同じで、戦争で傷ついた人々や社会の回復とかいう、クソ真面目なものだ。よく日本映画が撮影につかう田舎の村でほとんどのシーンを撮影した、せまい世界の男女のドラマさ。なんて、いかにも邦画って感じの暑苦しさで、興奮するより閉口しちまった」

「いまどき濡れ場って言葉はないんじゃない……」

「そう呼ぶしかない古臭さなんだからしかたないだろ。それで、前回みたいに意外なアクションシーンがあるわけでもなかった」

「聞くかぎりじゃ、僕たちが楽しめるようなタイプではなさそうだね」

「まあ普通の文芸ドラマって印象だったかな。ただ、全体としては日本映画のわりにカラッと乾いた感じではあったな。戦争で傷つくことを、美しい悲劇としてではなく、愚かな喜劇として描いていた。特に、戦死を不謹慎なギャグにした冒頭は笑えた。風刺としても切れ味が良くてな」

「ふうん」

 最後にフォローが入ったが賞賛というほどの熱はなく、自然と青年の返事もあいづちにとどまった。


「さあ、もう準備ができたからはじめるよ」

 すでにデスクの下からはいでてきていた小太りの友人が、二人に呼びかける。

「今回はそんなにマイナーな作品じゃなくてね。外国の映画賞なんかも受けてるし、とっくにDVD化もされている。ただ古い地味な映画ではあるからね、レンタルビデオでも配信サイトでもなかなか見ることはできないよ」

 三人はくつろいだ姿勢をとりながら、デスクトップの巨大モニターに向きなおる。

 しばらくして重々しい音楽とともに、ノイズだらけの英文が浮かびあがった。画面の縦横比はスタンダードの4対3。


 * * *


 約1時間半で映画が終わり、三人は感慨深げにモニターを見つめつづけた。


 しばらくして、痩せた友人が口をひらく。

「うん、普通だな。市井の人々が、戦争の傷をかかえながら前向きに生きようとする、そういう普通の反戦映画だ。冒頭の音楽がやたらと重々しいから、ひょうしぬけしてしまった」

 物語の舞台は終戦直後の広島近辺。いまは瀬戸内海の島で教師をしている石川孝子は、戦時中につとめていた幼稚園の子供たちに会おうと考える。

 夏休み、復興しつつある街に戻った女教師は、たくましく生きていこうとする人々に出会う。そして爺やにも再会し、島へ呼びよせようとする……

「ただ、普通で何も悪いわけはないぞ。これは原爆投下から十年もたたずに撮影されたんだろ? たしか公開は1952年だろ? ちょうどGHQが撤退したのと同じ年か。むしろ、こんなに普通につくれることが驚きだ。重いテーマなのに気負いすぎていないから、あんまり説教くさくない」

「うん……どうかな、それは逆じゃないかな」

 小太りの友人が、ほとんどない首をかしげる。

「戦争被害のなかでも核兵器の恐ろしさが日本社会に実感されたのは、たぶん第五福竜丸からじゃないかな。だからこの映画は、その実感がなかった社会への警鐘であり、時代の先取りって考えるべきだと思うよ」

 米軍の水爆実験に巻きこまれた漁船が、放射性物質をあびた事件。1954年に発生して、核兵器反対運動の潮流をつくりだした。

「なるほどな。いわれてみればアレの影響でつくられた『ゴジラ』(1954年、本多猪四郎監督)の二年前か。そういえば冒頭の音楽がやけに似ていたが……」

「音楽担当が同じ伊福部昭だからね。そこもふくめて先取りと思うと、すごい映画だよ」

「まったくだな」

 痩せた友人が深々とうなずいた。


「それに予算がある感じでもないのに、けっこう映像の規模もすごいじゃないか」

「監督は広島出身でオール広島ロケだからね。つくる前に松竹を退社して、自分の会社を起こした、いわば自主制作みたいなものだけど、ちゃんと絵になる風景を厳選できているわけだね」

「当時の風景が記録されているだけでも、けっこう映像として興味深いもんだ。瓦礫の山になっている原爆ドームまわりも、やはりショッキングだな。瀬戸内海のワンパク男子や、船が停泊している平和な光景も、今となっては文化的な価値がある」

 しかも、と話をつづける。

「美しい風景であれば必ず映像が美しくなるってもんでもない。きちんと照明や構図を意識して撮影しなければな。しかもこの映画のカメラワークはすごいぞ」

 移動する女教師を横からとらえて、どこまでも追いかけるカメラ。何もなくなった場所で女性たちの周囲をまわりこむように動くカメラ。

 なめらかな動きで変化に富む映像が、舞台となった広島の広がりを印象づける。

「ところどころどうやって撮影したのかわからないシーンもある。さっき引退作の話をしたが、半世紀前に監督した作品のほうが現代的な映像に見えたぞ」

「黒澤明監督などは固定したカメラで重厚な演出が世界的に評価されたけど、実際は同じ時代に動くカメラで軽やかな演出をした作品もけっこうあるんだよね」

「黒澤も、晩年のカラー化された作品は、極彩色の映像がうっとうしかったな。この時代に活躍した監督の演出は、モノクロで撮影してこそ情報量がちょうどよくなるのかもしれん」


「そうそう、さっき怪獣映画の話をしたが、原爆投下の描写はなんというか、すごく変だったな。写真やイラストですませるか、それともミニチュア特撮で再現するかと思ったら……」

 むじゃきに笑う子供たち。その時刻へと近づいていく時計の針。光。しおれる花。半裸で廃墟に倒れる女性たち。老人の顔……

「細かいカットをかさねるモンタージュで原爆を表現するとはな」

 モンタージュとは、直接的につながりのないカットを連続で見せることで、何が起きているのか観客に間接的に理解させる演出手法のこと。

「けっこう技術的にも工夫していて、しおれる花なんてどうやって撮影しているのかわからなかった。ただ、被爆の表現だとしても、女性の乳首が思いっきり映っているのは、気恥ずかしかったが……良くも悪くも、前衛的な舞台劇を見ている気分だったな」

「その場面のことなんだけどさ……」

 急にぽつりと青年がつぶやいた。

「僕は最近の作品で、よく似た描写を見たことがあるんだ」


 痩せた友人が真顔でたずねる。

「似ているって、乳首が?」

「……違う、そうじゃない」

 ためいきをつくように青年は首を横にふる。

「原爆投下のモンタージュから、ヒロインが原爆ドームを見あげるカットにつながったでしょ?」

「ああ、それが何だ?」

「あれって、『夕凪の街』じゃない?」

 見つめる青年に、痩せた友人は首をかしげる。

「ええと、何だそれ?」

「『夕凪の街 桜の国』(2007年、佐々部清監督)のことかな。こうの史代原作の」

 小太りの友人の言葉に、痩せた友人がうなずく。

「そういえば話題になった時に漫画を読んだことはあるな。それで同じ原作者のアニメ映画『この世界の片隅に』(2016年、片渕須直監督)は観たが……良かった。史実の再現がていねいで細かくて、歴史映画として感動したもんだ。広島の中心部ではなく、少しずれた場所を舞台にしているのは、さっき見た映画とも似ているな。シンプルなデザインで緻密な作画というところは、前に見たペンギンのアニメ映画とも似ているか。純粋に当時の生活をていねいに描いていて、説教くさくないのも良かったし……んん? ちょっと待て、原作ってことはあっちも映像化されてたのか?」

 小太りの友人がうなずく。

「全体として描写がぬるかったけどね。それでも原作が当時と現在の二部構成だったのを、現在パートの俳優が当時パートのセットに入りこむ演出で映像化したのはおもしろかったよ。ちなみに、このセカも2時間枠で実写ドラマ化されてるね」

「……あの空気感をどうやって実写化したのか想像つかんぞ」

「アレンジが多くてファンには不評だったからねえ。もちろん劇中の絵が現実に重なるしかけなんて無理だし、TVドラマの予算規模なので現在の街をそのまま過去の風景として見せていたし、ラストの国旗なんて描写すらしないし」

「……本気かよ。アニメ映画の国旗だってアレンジが批判されてなかったか? まあ俺は、アニメはアニメで主人公の肉体にむすびつけるアレンジは悪くなかったが、削除というのはいくらなんでも……」

 痩せた友人が首をひねるのを、青年は麦茶を飲みながらじっと見つめていた。


「……ああ、すまん。話の腰を折ってしまったな」

「いや、いいよ。説教くさくない戦争映画という感想はちょっと関係してくるから。ただ、僕がいったのは実写映画じゃなく、原作漫画のほうだよ」

 小太りの友人が応じる。

「そうそう、『夕凪の街』が似ているっていってたね。戦争直後を描いた第一部。たしかに投下の回想から原爆ドームを見あげるという、同じ場面が出てくるね。しかもどちらも若い女性が主人公」

「映画の全体もそうでしょ。表面的には平和が回復している近くに、まだ廃墟が広がっていて、原爆症で苦しむ人々も出てくる。舞台の多くがスラム街というところも」

「ようやく救われるかに見せて……という結末も似ているね。主観表現を活用した漫画と、低予算らしからぬ情景の映画とで、それぞれオリジナリティはあるけれど」

「うん、僕もパクリだっていいたいわけじゃないよ」

 小太りの友人は桜餅をひとかじりし、話をつづける。

「そもそも漫画が評判になったのは、現在の読者の立場で歴史をほりおこそうとする現在パートの『桜の国』だったんじゃないかな。過去パートの『夕凪の街』はよくできた作品ではあったけど、普通という印象だったよ」

「だとしても、『夕凪の街』も原爆の惨禍を声高にうったえない作品として、高評価されていたでしょ?」

「まあそうだな」

「そうかもね」

 青年の問いに、ふたりの友人は静かにうなずいた。


「でも、ずっと昔に作られた映画『原爆の子』だって、そんなに声高にうったえるような作品じゃなかった。これってつまり、説教くさくない反核作品って、それほど斬新というわけじゃない、ということなのじゃないかな?」

「うん? そうなるのか?」

 痩せた友人が横に目をやるが、小太りの友人は目を閉じて考えこんでいた。

「『この世界の片隅に』を僕はまだ観てないけど、説教くさくないことや声高じゃないことばかり誉められていて、気になってたんだ。もちろん僕も、そういう映画はテーマが重すぎるというイメージはあるよ。でも本当に、そんなに説教くさいものばかりなのかな? そういうジャンルを食わず嫌いしていた人が観て、ジャンル全体への偏見から反動で高評価していないんじゃないか……てさ」

「そういうのは、実際に観てから語るべきなんじゃないか」

「そう、あくまで懸念だよ。だからこそ比べて低評価されている反核映画や反戦映画は、実際どれほど観られてるんだろう……て思うんだよ」

「俺はまあアニメ映画の『はだしのゲン』(1983年、真崎守監督)や『はだしのゲン2』(1986年、平田敏夫監督)くらいだが。そうだな、たしかに原作に比べて声高な感じは減っていたな。泥臭い過激さがなくなっているが残念なくらいだった」

「そうでしょ。たぶん『はだしのゲン』の原作漫画が、むしろ突出して声高なメッセージ性をもっていたんじゃないかな。被爆の当事者だからこそ強く主張できる作品として。僕はナガサキを題材にした『TOMORROW 明日』(1988年、黒木和雄監督)を観たことがあるけど、原爆投下のおだやかな前日を描いていて、思い返すと、そんなに暗くなかったよ。原爆から外れるけど、当時パートと現在パートがいりまじる『小さいおうち』(2013年、山田洋次監督)なんて、戦争につきすすむ世相はじわじわ背景で語られるだけで、表面的なドラマは奥様の不倫を家政婦が知る……って話だったし」

「いやいや、反戦映画まで話を広げるなら、『火垂るの墓』(1988年、高畑勲監督)なんかは辛気臭しんきくさいんじゃないか。アニメ実写をとわずに泣ける映画の代表格だろ」

「それは悲劇的な結末を知ってるからでしょ? 描写時間でいうなら、戦時中でも兄妹ふたりで生きていこうとする場面がほとんどじゃない。子供だけの秘密基地シーンなんて、素直に観れば楽しい場面であって、大人にならないと怖さが感じられないんじゃないかな」

 痩せた友人が押し黙ったかわりに、小太りの友人が口を開いた。

「そうだね、たしかに映画が公開された当時は、暗いだけではない反戦映画として高評価されていた……」


 さらに小太りの友人がいくつかの事例をあげていく。

「実は、たいていの代表的な反核映画もそうなんだよ。原爆で死んだ父の霊と娘が同居する『父とくらせば』(2004年、黒木和雄監督)も、死の灰がまじった雨をあびる『黒い雨』(1989年、今村昌平監督)も、被爆した医師の手記が原作の『この子を残して』(1983年、木下恵介監督)も、声高に主張しない作品として公開時は高評価されていた」

「……どれも観たこともないな。タイトルくらいは聞いたことがあるが、たしか『この子を残して』に特撮美術家の成田亨が参加したってくらいしか知らん……」

 特撮好きなため、『ウルトラマン』のデザイナーの仕事として知っていたという。

「僕は『父と暮せば』だけ観たことがある。最近の作品だよね。原爆そのものの直接描写はあまりないけど、過去から逃れられないホラー映画みたいな怖さがあった……」

「だから、いいたいことは少しわからなくもないんだよね。声高に主張しないということだけでは、特別にすごい映画という根拠にはならない。個性を見いだしたいなら、もっと深く調べて比べなければならない。そして声高に主張しない作品が過去になかったかのように、他の作品をおとしめてもいけない……ということだよね?」


 青年はうなずき、僕も勉強不足だったけれど、と断わって話をはじめた。

「どんな斬新に見える作品でも、過去のつみかさねがあって、さらに積みあげるように作られていると思うんだ。だから、今回の映画を観て良かったと思う。最近に話題になった原爆映画がけっして突然変異じゃなく、歴史を継承した作品だと実感できたから」

「なるほどな。俺は単純に、真面目な内容の古い映画なのに今でも普通に楽しめるな、と感心しただけだったわ」

「それが悪いってわけじゃないよ。ただ、知らないなら知らないなりに過去に敬意をもとう、と僕自身が思ったってだけだから……」

 小太りの友人が深々とうなずく。

「『原爆の子』が『夕凪の街』に似ているというのは気づかなかったけど、こうの史代作品が先行する原爆作品の影響を受けていることは、なぜかあまり指摘されないんだよね。たとえば広島で被爆した大田洋子という小説家がいて、戦前戦後に発表された小説に『櫻の国』『夕凪の街と人と』というものがある。これは巻末の参考資料リストにも入っているけどね。もうひとつ、岩波新書のルポルタージュ集で、米軍統治下の沖縄や被差別部落や在日コリアンといった、被爆者のなかでも注目されざる人々をとりあげた『この世界の片隅で』というものもある」

「ええ? それはつまり、結末のアレは最初から決まってたってことなのか?」

 痩せた友人に視線を向けられた青年は、初耳とばかりに首を強く横にふった。

 小太りの友人も肩をすくめる。

「意識した題名なのかは知らないけどね。昔の作品を知ることは、そういう今につながる流れを知ることでもあるんだろうね」


 痩せた友人が深い息をついて、グラスに手をのばす。そのまま口に運んだが、すでに麦茶は飲みほしてしまっていた。

 照れ笑いを浮かべて、痩せた友人がいった。

「……まあ今回は勉強になったし、興味深かったよ。映画も楽しめた。ただ俺には、ちょっとばかり真面目すぎたな。次はもっと頭の悪い映画をたのむよ」

 わかった、と小太りの友人が苦笑いを浮かべる。

 そして三人は菓子やグラスをかたづけ、上映会はおひらきとなった。

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