第2話 かわいい擬人化動物のトラウマドラマ『ペンギンズ・メモリー 幸福物語』(1985年、木村俊士監督)
きしむような音につづいて、予想外に余裕のある空間が出現した。
ペンキのはげかけた鉄の扉に、小太りの男がストッパーをかます。
「さあ、遠慮せずに入ってほしい」
頭を下げて入る友人につづいて、青年も靴をぬぎ、ざらついた床に足をふみいれた。
男の一人暮らしにしては整理され、床に物が散乱していることもない。せまい玄関から通路をへて、一直線にベランダまで見とおせた。
もちろん全体として古ぼけてはいる。壁紙は日焼けして、通路横のコンロや流し台も赤サビが浮かんでいるが、きちんと掃除がされているため清潔感がある。
「前に来た時は本棚で床が抜けそうだったが、あれはどうした」
痩せた男の問いに、小太りの男が答える。
「もう棚ごと大半は処分したよ。電子書籍で買いなおしたからね」
そういいながら小太りの体を丸めて、部屋の一番奥にあるデスクの下にもぐりこんだ。
デスクの上には、巨大なモニターのデスクトップパソコンがすえつけられている。どうやらビデオデッキとパソコンモニターをつなげているらしい。
準備ができるまで、青年は和菓子屋で買ってきた菓子をならべる。
マンジュウやヨウカン、ドラ焼きなど。どれも食べる音がジャマにならないものを選んだ。
痩せた友人は男は座りこんでネット検索。これから見る映画の基本情報を調べた。
「ああ、やはり『ペンギンズ・メモリー
青年が横からのぞきこむと、たしかに小太りの友人が手にしていたパッケージと同じ画像がうつっている。
「幸福と書いて、しあわせって読むんだね」
「もとはサントリーのCMキャラクターで、ポスターにつかわれていた擬人化ペンギンだと。テレビCMが最初じゃなかったんだな」
「テレビCM?」
「かわいくシンプルにデフォルメされたキャラクターなのに、あえて大人っぽいムードで演出したということでテレビCMが評判になったんだとよ。ギャップが受けたんだろうな。そのCMディレクターが、長編アニメ映画でも大人な演出をつらぬいて、さらにギャップが増しすぎてカルト作品になったというわけだな」
「サントリーということは、お酒のCMだったのかな」
「ああ、ウイスキーのCMだったらしい。だからまあ大人な内容でもおかしくはないか。他に人気の理由としてCMソングが……」
「そのあたりで、いったん止めてほしいかな」
セッティングを終えた小太りの友人が顔をあげた。
「ネタバレしすぎると、最初に観た時の驚きが減っちゃってもったいない」
「……ん? この情報がネタバレになるのか?」
「そうとも限らないけど、まあ観ればわかるよ」
そういってザブトンをならべ、緑茶をてきとうに湯飲みやカップに入れて、カーテンを閉める。
痩せた友人と青年は和菓子のパッケージを開けて、ノイズがはしるモニターに映画が浮かびあがるのを待った。
* * *
一時間四十分がたって、三人は深々とため息をついた。
小太りの友人がビデオを巻き戻して初期状態にさせながら、問いかける。
「どうかな?」
痩せた友人を見ると、冷めた緑茶を口に運んでいる。そこでまず青年から語ることにした。
「うん、すごく良かったよ。少しもカルト作品って感じがしなかった。傷ついた人々がおだやかに回復していく物語として、すなおに気持ちよく観られたよ。善人が多いのもシリアスな内容のわりに見やすくていいね。悪人にも善良なところがどこか必ずあって……あと、たしかに冒頭はビックリしたけど、ただのギャップ演出じゃなくて、ちゃんと世界観の説明として意味があった」
映画はハーモニカのせつない音色で幕をあけ、重々しいヘリコプターがジャングルを爆撃する場面がはじまる。
暗がりを無数の機関銃弾が飛びかい、美しい光の残像を残す。その銃口から吹きだす光が、ペンギン兵士の姿を闇のなかから浮かびあがらせる。
戦争の悲劇はつづき、かろうじて主人公のマイクは生還できたが、英雄として歓迎しようとする故郷の期待感が重荷となる……
「一分間をすぎてもペンギンキャラが出ないままだったのは不安になったけどね」
ふいに、痩せたの友人が口をはさんだ。
「がんがん戦死者が出るのは驚いたな。もっとも、デフォルメされたキャラクターと、リアルなディテールのミリタリーというくみあわせは、日本のアニメでは珍しくないが……」
残ったドラ焼きを手にして、小太りの友人もうなずく。
「偶然にも、公開年が『ドラえもん のび太の
痩せた友人はつづけて、かわいいアニメキャラがリアルな戦争に直面する映画を紹介する。
「とにかく最近にネットで人気が爆発したといえば『ガールズ&パンツァー劇場版』(2015年、水島努監督)だろうな。かわいい美少女キャラが、3DCGの戦車を乗りまわして戦うって内容だ。原作がないオリジナル作品なので注目度の低いTVアニメだったが、しりあがりに人気となって、劇場版で人気爆発といった感じだったな」
「売りがわかりやすい企画だね」
青年のツッコミに友人は首をふる。
「あざとい作品というのは、客観的な意見としては正しいだろうけどな。とにかく戦車をどのように動かすかという考証と描写の緻密さで手を抜かなかった……そのせいでTVでは総集編をくりかえして最終回が延期するはめになったがな……美少女の色気を前面に出さない上品さもあったから、モデルにした観光地とのコラボも成功した。それと、あくまで戦争ではなく競技という建前で、爆発や破壊を景気よく楽しませるつくりだった」
青年も少しづつ思い出した。
「そういえば爆音上映とか応援上映とか聞いたことがある……しかし、つまりドラマに戦場の影が落ちるという作りではないんだね? もっと似ている作品はないのかな?」
「動物の擬人化キャラクターとリアルな戦場のギャップ演出というと『CAT SHIT ONE THE ANIMATED SERIES』(2010年、笹原和也監督)があったっけな。ミリタリ漫画が原作で、これは全編が3DCGで制作された」
「最近の作品なの? 見たことも聞いたこともないけど」
「あくまでミリタリマニア向けだからな。キャラクターは三頭身だが毛並みなんかはリアルで、武器のディテールも緻密。ただ短編なので複雑なドラマなどは描かず、かわいいキャラクターが流血する刺激性や、戦場を攻略していく遊戯性で楽しませようとするライトなエンターテイメントだった」
小太りの友人が別の角度から情報を出す。
「あまりにエンタメすぎて、当時は悪趣味だという批判もあったね。卑怯なテロリストにとらわれた人質を、民間軍事会社が助けるというプロパガンダっぽい内容だったし」
痩せた友人がうなずく。
「プロパガンダっぽく感じさせないためには、善玉にも問題があることを描写を足すだけでいいんだが、完全に主人公をヒーローあつかいしていたからな」
「敵味方の動物を変えて民族の違いを強調しすぎという批判もあったね」
「視覚的に敵味方を区別しやすくする工夫ではあろうけどな。架空キャラクターで戦争を描こうとする作品では珍しくない。むしろ、敵味方をまったく同じペンギンキャラとしてデザインした映画が特別と考えるべきなんだろうよ」
友人は残った緑茶を一気に飲みほして、話を再開する。
「実は、リアルな戦闘描写とペンギンキャラのギャップがすごいアニメと噂には聞いていた。なので、もっと期待していたんだけどな。
「うーん、僕はすごかったと思うし、あれで良いと思うよ。あくまで戦争は主人公の心に影を落とす背景であって、メインはビターなラブストーリーだしね」
マイクは家族にも何も告げず、故郷を去る。あてどない旅をつづけ、傷ついた心をかかえてレイクシティという街にたどりつく。
図書館員としてレイクシティに腰をすえようと決めたマイクは、歌手を夢見るジルに出会い、少しずつ愛を育んでいく。
しかし恋敵や親子などの、いくつもの難関が二人の前に立ちふさがる……
痩せた友人が話をつづける。
「むしろレイクシティにつくまで長かったな。戦争は約十分で終わったのに、そこからさらに約三十分くらいたって、ようやくメインストーリーが始まったぞ」
「でも僕はそこが良かったよ。台詞がほとんどなくてさ、むなしい一人旅だけで数十分を楽しませるって、日本のアニメでは珍しいんじゃない?」
「まあ動かない背景絵が多かったが、それでも画面に興味をひきつける情報量を描きこんでいるだけに、手間はかかるな。バブル経済直前の、景気のいい時代ならではの企画と作品といったところか」
「飽きなかった? それは良かった。冒頭以外はあまり刺激がないアニメだからね」
小太りの友人が急須に新しい茶葉をいれながらふりむいた。
「ピクサー作品っぽくて、ああいうのは僕は好きだ。滅亡した地球にとりのこされたゴミ処理ロボが主人公の
「なるほどね。ピクサーか、たしかに前半にじっくり絵で世界をつくりあげて、本番のドラマを後半から展開する構成も似ているかもしれない」
「かわいいキャラクターで大人のドラマのギャップというけどさ、それが意外だからとカルト化したのは日本のアニメだからじゃないかな。ピクサーなら擬人化キャラクターで成人男女のドラマは珍しくないしね」
もとが酒のCMだったためか、マイクもジルもアルコールをたしなむし、ライバルキャラのベッドシーンも描かれる。母親のエピソードにからんで、ジルが二十歳以上と確定するセリフもある。
「現代にリバイバルしたら、けっこう観客に受けるんじゃないかな、と僕は思うよ。DVD化されていないのがもったいないね」
青年の次に湯飲みを受けとりながら、痩せた友人が首をふる。
「たしかにDVD化はされていいと思うが、人気が出るという意見には異論があるな。たしかに映像技術はすばらしい。デフォルメされているだけに、同時期の『風の谷のナウシカ』(1984年、宮崎駿監督)と比べてもデザインが古びていないし、細部まで絵作りがしっかりしている。冒頭の戦場だけじゃない、群衆や列車の作画もたいしたもんだ」
「ペンギンの背の高さにあわせて、ドアノブだけが現実より低い位置にあったりして、芸が細かかったね」
「タレントが多いのに声優も違和感ない。物語も悪くはない……ただなあ、ニューシネマっぽさの再現がしつこすぎて、俺にはところどころパロディみたいに見えてしまったよ」
ニューシネマとは、1970年前後のアメリカ映画の潮流のこと。それまでの娯楽映画が絢爛豪華で痛快な大作が主流だったことに対して、低予算で青臭く苦い物語を描ききったことが特色だ。ベトナム戦争の泥沼化などが影を落としている。
「ベトナム戦争ならぬデルタ戦争にはじまり、旅の途中で場末の賭けボクシングに参加して、主人公は挫折をかかえて……さすがにベタすぎだぞ」
小太りの友人が愉快そうに笑う。
「たしかに最後なんてベトナム帰還兵のニューシネマをとおりこして、
「茶化すなよ。そういわれたたら、俺までそう見えてしまうだろうが」
マイクは寡黙で詩を好み、それでいて帰還兵なりの強さがある。その典型的なハードボイルドっぷりが、小太りの友人にはヤクザ映画で活躍した名優に重なって見えたようだ。
あきれた声をあげながらも、痩せた友人は一息ついて話題を戻した。
「まあいいさ、もうひとつ気になるのが、ヒロインの初登場がミュージカル風なのはいいが、その歌がなあ……」
ハーモニカにはじまり、帰還兵を歓迎するブラスバンドや、マイクが逃げこむ酒場のジャズピアノなど、この映画は音楽にいろどられている。その中心にあるのが、歌手を夢見るジルの歌声だ。
今度は青年もうなずく。
「あれはちょっとムードを壊していたかもね。いかにもアイドル歌謡曲って感じで。歌詞はテーマに合っているけど……」
「さっきネットで調べた時に、CMソングの歌手を知って予想はしていたがな。そこまでの雰囲気づくりがていねいだっただけに、こういうギャップは求めてないぞ」
小太りの青年がマンジュウをひとくちで飲みこんで笑った。
「当時はCMソングの正体がわからなくて話題になったそうだけど、いま普通に聞くと、懐かしの松田聖子だよね。あまりにアイドルらしくあろうとして、もう存在自体がパロディのような歌手」
「他が1970年代を再現できているだけに、あそこだけ1980年代な落差がひどいぞ。逆に、ジルが登場する以前を削除して、一時間の中編アニメとして再構成すれば、それはそれで雰囲気が統一されたかもしれんがな……」
「でも、うわついた夢を見ている
映画は傷ついたマイクをジルの歌が癒す展開になる……かと思いきや、逆にジルが歌ではばたこうとするためマイクと距離ができていく。夢と未来が葛藤のドラマをつくりだす。
痩せた友人はしばらく考えこみ、うなずいた。
「……そういわれれば、まあ渋い主人公とのコントラスト演出としてなりたってはいるかもな」
デッキからとりだしたビデオテープを手にして、小太りの友人が二人にたずねる。
「それでは、きみたちの結論としてはどんなものかな」
「けっこう文句をつけたが、観ているあいだは楽しめたよ。映画の好みだけなら、もっと刺激的なシーンが多いのがいいけどな。擬人化ペンギンアニメでわざわざ苦いドラマをやる、しかもギャグで逃げず、シリアスにやりきったのはたいしたもんだ」
「僕はタイトルも聞いたことがなかったから、冒頭から舞台を変えるごとに驚かされるばかりだった。良い意味でね。どのように生きていきたいかという主人公のドラマも結末が気になった。登場人物がひどいめにあうだけでシリアスになるというわけじゃないんだよね。きっちり越えるべき壁を構築して、そこで登場人物がどうふるまうかが重要なんだ」
「なるほど、なるほど。いずれにしても楽しんでもらえたようで良かった」
小太りの友人が笑い、痩せた友人がうなずいた。
上映会のあとかたづけを終え、三人は玄関口でわかれることにした。
「次はどんな映画が観たいかな。できるだけリクエストは聞きいれるよ」
「しいていえば大作なのに知られていないホラーなんかがいいが……そっちが選んだのでかまわないさ。下に置いてあるとは限らんだろう」
「やはり僕はアニメより実写かな。さっきのアニメが良かったから、いい意味で比べられるような内容がいいかな」
「わかった。それぞれ思いあたるビデオがいくつかあるから、選んでおくよ」
また来週、と三人は手をふって、鉄の扉がゆっくり閉まっていった。
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