第11話

 俺は、海の中に飛び込こむ。


 人形である俺には、呼吸などは必要ない。飛び込んだところで死に至らしめることは何もない。


 なんせ、生きてはいないのだから。


 そして、堀井を探し出す。

 海の中を波にもまれてさまよう彼を、人魚姫のように優しく救い上げる。


 大事な、大事な、俺の……新しい体だ。


 命を失いつつある堀井の唇に、思いのたけをこめて唇を重ねる。

 そして……魂を移す。


「汝と我はひとつの身である」


 この美しい呪文の元に、俺の魂は堀井の肉体と交わるのだ。


 それが、計画のすべてだった。





 すっかり暗くなった海岸に、波の音が響く。その音に乗って、救急車のサイレンが近づいてきた。

 森川は、姫子となぜか手を取り合って震えていた。もちろん、姫子は震えてなどはいず、やや不機嫌そうな顔を俺に向けていた。


「……ごめんなさい、ごめんなさい……。堀井君、私のせいで……」


 自分のやらかしたことの重大さに気が付いて、森川はすっかり動揺していた。


「救急車が着いたら、一緒に乗っていったほうがいいですよぉ……」


 呆れた声で姫子が言う。

 ぼそりと呟く声は、きっと俺にしか聞こえなかっただろう。


「自殺を阻止しちゃうなんて、マイナス10ポイントですぅ……」


 そう、海に落とすのは堀井だけでよかったのだが、別に森川だって落ちたって構わなかったのだ。

 なのに、優しい悪魔の姫子ときたら、崖から飛び降りた森川を、悪魔の魔法で救ってしまった。

 コイツは、たぶん俺が人間の体を手に入れて縁を切ったところで、いつまでたっても地獄へはもどれまい。

 悪魔に生まれついた身の不幸を嘆くしかないだろう。

 俺は、堀井の唇に唇を重ねた。

 これで五度目。

 呪文のかわりに息を吹き込んでいた。

 やっと堀井の厚い胸が上下に動いてほっとした時、姫子が悪魔さん電話で呼んだ救急車が、海岸横に着いた。




 俺は、堀井の体を盗めなかった。


 なぜだろう?

 けっこうやる気まんまんだったんだけどな。


 俺も姫子も、計画通りにすべてはことを進めていたはずだ。

 でも、俺は堀井を追いかけて海に飛び込んだとき、そのことをすっかり忘れていたんだ。

 いくら考えても、なんでこんなチャンスを逸したのかわからない。


 ただ、思ったのは……。


 いくら人間の体に戻ったところで、人間の心を失っちまったら何にもならないだろう? ってことだ。



 誠は、死んでしまった。

 まぁ、きっとそれが寿命だったんだろう。




 俺は、ドール——元マネキン人形の浅野真琴。

 ナイスバディを見ていると、それも全然悪くない。

 誠はちょっと悪い男だったから、その分、森川に優しくしてやろうかな? とも思ったが……。


 堀井の見舞いに行ったら、どうもその必要はなさそうだと感じた。


 俺の中の誠が悔しいと叫んでいるが、まぁ、俺は堀井の物を盗み続けていたからな。たまにはこんなのもいいだろう。

 姫子も、俺が浪費さえしなければおいてくれるようだし……。


 近くのケーキ屋でモンブランを食べていると、今日も矢野が俺達を見張っている。本当に懲りないヤツ。

 俺も、なぜか甘党になって、ダージリンに砂糖を3杯入れた。姫子は5杯入れるけれど。

 悪ふざけに色っぽくミニスカートの足など組んでウインクしたら、電信柱の矢野が目を伏せた。笑えるぜ、あいつ。



 俺は、この生活がけっこう気に入っている。


 ドールもなかなか悪くはない。

 適応力あるよな、俺って。


 いつまで魂がこの人形に留まるのかは、誰も知らない。

 ある日突然、ただの人形になっちまうのかも知れない。


 でも、どうせ人間だって、いつまで生きるかなんかは、誰も知らないだろう?


 所詮、人生そんなもの。



 ——要は、明るく楽しく生きるだけさ。




 =エンド=

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